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39. 今の僕は誰にも負けない

 救援の騎士団が、続々と到着し始めた。

 公国が仰ぐ水竜の聖使、その視察の対象地ともなれば、ヴァースキー大公も知らぬ顔はできなかったようだ。

 公国の誇る魔術騎士がこれほどの数(そろ)うのは、おそらくこれまでにはないことで、瓦礫の撤去に始まり水の浄化、痛んだ土地の回復と、驚くべきスピードで被災地は回復していった。


 パウラとの「初めて」の後、シモンはすぐに救援信号を上げた。

 東の聖使シモンの名で、この地への救援を求めたのである。

 セスランとエリーヌも、急遽派遣された騎士団に連れられてやって来た。


「もう引き上げてもいいかな」


 急ピッチで進む作業が、簡易インフラの整備に入ったのを確認して、シモンは満足そうに微笑んだ。

 

「早めに避難してくれたから、人に酷い被害がでなかったのは何よりだったよ」


 幹線路の復旧が成れば、ふもとの集落との往来がかなう。

 ケガや病気で体調を崩した人々は、緊急度に応じて飛竜で移送していたから、後に残るのは軽症者だけだ。

 とはいうものの、さすがに癒しの魔力までは騎士団の誰も持っていなかったから、ふもとの集落にある医療テントはまだごった返しているはずだった。


「わたくし、あちらの医療テントをお手伝いいたしますわ」


 パウラの魔力をフル稼働させれば、一日でかたづくはずだと続ける。

 ふぅ……と、ため息をつきながらシモンが苦笑した。

 その気持ちも、わからないではなかった。

 こんな天災が起こるのは、水竜の力が弱っているからで、大元の原因を解決する方が大切だと彼は言いたいのだろう。

 

 それは正しい。

 けれど目の前で弱っている人は、比較の対象として存在するものではない。

 それぞれが家族や友人や恋人や、大切な人を持つかけがえのない一人一人だと、パウラは知っている。

 パウラがそうであるように、彼らにも生があって未来がある。

 何かと比べてどちらが大切などと、評価して良い存在ではない。


「どうかお許しを」


 頑として譲らないパウラに、エリーヌが呆れた顔をする。


「わがままだなあ、パウラは。

 次の課題始めるの、遅れちゃうじゃない。

 まだ聖女オーディアナじゃないって、わかってる?」


 引き上げると聞いて正直に喜んだ、エリーヌらしい言いようだった。

 エリーヌにしてみれば、シナリオどおりにいかない現状は腹立たしい限りだろう。

 できるだけ早く、次の課題に取り掛かりたいに違いない。


「そうやっていつも、わたしはこんなに頑張ってます。

正しいことをしてますって顔をして。

みんなに迷惑がられてるって、少しは気づいたら?」


 どうしたのだろう。

 聖使の前でこんなにあからさまな敵意をむき出しにしてくることなど、これまでなかったのに。


 それを不思議に思えるほどに、パウラは冷静だった。

 自分のその揺れのなさにも、軽く驚いている。


 前世淡い想いを抱いた相手は、エリーヌと生涯を共にすることを選んだ。

 パウラの想いにきっと気づいていたはずのエリーヌは、パウラの心に鋭い刃を突き刺したものだ。


「だってわたし、もうセスラン様のものだから」

「だってパウラの方が、聖女オーディアナに相応しいんですもの」


 かわいそうなパウラ。

 どんなに生まれが良くても、どんなに容姿が優れていても、そしてどんなに優秀でも、そんなことに少しも価値はない。

 この先一生、あんたは誰かに愛されることはない。

 愛されるのは、わたし。

 エリーヌ・ペローなの。


 濁ったどろどろの悪意が、エリーヌの言葉にはたっぷり含まれていた。

 ちらとでも動揺を見せることは、パウラの矜持が許さなかった。

 気力をふりしぼって、パウラはその悪意に耐えた。

 本当は理不尽な敗北感に、自尊心をぐちゃぐちゃに踏みにじられていたのに。


 けれど今、パウラの胸は凪いでいる。

 嫌悪も苛立ちも、引っ掻かれたような僅かな痛みも、まるでない。

 まして敗北感に自尊心を傷つけられることなど、あるはずもない。

 今むしろその痛みを、パウラはエリーヌの中に見たような気がした。

 

 これまで猫の毛皮を丁寧に着込んで、元気で明るい少女を演じていたエリーヌが、憎々しげな表情を隠すこともせずにパウラの前に立つ。

 シモンやセスランが、すぐそばで見ているというのにだ。

 それは彼女に、猫の毛皮を被るだけの余裕がなくなったからではないか。

 そう思いついたら、エリーヌの悪意にもますます冷静でいられた。

 誰かのために役立とうと思うことも、学ぶことも努力することも一切しないで、ただ生々しい女を前に出してマウントをとるエリーヌに、今はもう何の感情もない。

 エリーヌの思考回路は、パウラには到底共感できるものではないが理解はできた。

 他人を羨み、妬み、狡猾に貶めて、そうすれば相対的に自分の価値が上がると、そう考えているらしい。

 だがもう、パウラにはどうでも良いことだった。

 彼女は彼女で、好きに生きれば良い。

 


「シモン様、どうかお許しください」


 ちらりともエリーヌに視線をやらず、シモンに重ねて許可を願う。


「仕方ないな。

 だめって言ったら、ホントにパウラは一人で残るよね」


 苦笑しながらシモンは頷いて、セスランと顔を見合わせる。


「セスランはエリーヌと一緒に、先に帰ってて。

 医療テントも落ち着いてきてるから、ここに二人も要らないよ」


「わかった」


 短く答えたセスランは、仮面をつけたように無表情だった。

 おそらく彼は、パウラの身に起こったことを知っている。

 パウラの胸に、苦く切ない思いがよぎった。

 ほんの僅か、一瞬だけだったけれど。





 セスランたちが去って、その夜。

 パウラの予想どおり、回復治療はすべて終わった。

 後は騎士団に任せても良いだろうと思う。

 忙しく暮れた1日の終わりに、パウラは再び二人きりの夜を迎えることにようやく気づいた。


 怒涛の「初めて」を終えたのは、つい今朝のこと。

 身体のあちこちに、まだその感触やシモンの香りがしっかり残っている。

 気づいてしまうと、もうダメだ。

 再び二人きりで夜を過ごすと思えば、パウラの心臓は100倍速で動く。


「パウラ」


 名前を呼ばれて、ただそれだけで身体がびくりと跳ねる。

 くすりとシモンが笑う。


「そんなに驚かないでよ。

傷つくなぁ」


 パウラの「初めて」は、シモンにとって大したことではなかったのだろうか。

 いかにも慣れた風な反応が、癪にさわる。

 ふいっと顔を逸らすと、シモンの腕がパウラの背中を抱え込んだ。


「これから黄金竜の郷(エル・オーディ)へ行くよ」


 パウラの頭上に聞こえる声は、いつになく硬く、張りつめた緊張感がある。


「もうとうにバレてるだろうから、早晩ヤツも動くだろうし」


 バレてる。

 確かに全能と言われる黄金竜(オーディ)が、今の事態を知らないはずはない。

 水竜が時間を逆行してまで、ヘルムダールの姫を手に入れた。

 黄金竜(オーディ)が黙っているものか。


「待つのは性に合わないんだ。

 ケンカは仕掛けるものだからね」


 まるで模擬戦にでも向かうように、シモンは軽く言ってのける。

 大丈夫なのか。

 相手は黄金竜(オーディ)だというのに。

 不安になってそっと見上げると、優しく笑う淡い緑の瞳にぶつかった。


「大丈夫。

 負けやしないよ」


 そうっと長い指がパウラの頬に触れる。

 耳に触れ、髪を撫で、最後に唇を幾度も撫でる。


「今の僕は、この世の誰にも負けない。

 パウラが僕を、愛してくれたからだよ?」


 ぐっと胸に熱い塊がこみあげて、パウラは目を閉じた。

 

 それは自分も同じことだ。


 そう言いたくて、言えなくて。

 言葉の代わりに、シモンの首に自ら腕を伸ばす。

 唇を重ねた。

 僅かに目を見開いたシモンが、小さくうめく。


「うぅー。

 このまま行こうと思ってたけど、どうしようかなぁ。

 パウラのせいだからね」


 「初めて」の時に見せた、艶めいて危険な微笑だった。

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