２. パウラ、前世を振り返る
6歳の誕生日にリスタートを切って以降、パウラはほぼ終日机に張り付いている。
もともと何事にも手を抜かない優等生タイプではあったが、ここのところの彼女の様子には鬼気迫る緊迫感があり、父やメイドのメイジーなどは、身体を壊すのではないかと本気で心配している。
鬼気迫る緊迫感。
パウラにしてみれば、まさにそのとおりなのだから仕方ない。
このまま無策でいれば、一度目の生と同じ、飼殺しの未来が待っているのだ。
どうしてぼんやりのんびりなど、していられるだろう。
「まず、情報整理ね」
青い飾り羽のついたペンで、手元に情報を書き出してゆく。
この世の成り立ちと、現時点での様子について。
この世界は、黄金竜オーディと彼を支える4体の竜によって守られている。
４体の竜とは、地竜、火竜、水竜、風竜を指し、これら４竜と黄金竜オーディ、そしてオーディの竜后オーディアナが竜の山、黄金竜の郷に住まう。
彼らは、人の世に関わることはない。
「黄金竜オーディ、それに竜后オーディアナ。
多分暫くは、代替わりもないのでしょうね。
それから地竜、火竜、風竜も。
水竜だけは、たしか近々代わるはず」
さらさらとペンを走らせる。
次は人の住む、この世界についての情報確認を。
パウラが現在暮らしているのは、この人の世界である。
東西南北にそれぞれ独立した４つの大陸があり、東にヴァースキー公国、西にヴェストリー公国、南にゲルラ公国、北にヴォーロス公国と、それぞれ国名と同じ家名を持つ大公家が、大陸を統治している。
それぞれの大公家は、始祖に竜を持つ。
東のヴァースキー家は水竜、西のヴェストリー家は風竜、南のゲルラ家は火竜、北のヴォーロス家は地竜の血を継ぎ、その証として当主と嗣子には身体の一部に聖紋が現れる。
そしてその４公国に囲まれるように在る海の中央に、大陸と呼ぶにはいささか小ぶりの陸地があった。
ヘルムダール公国、黄金竜の唯一の妻たる竜后の加護を受け、未来の竜后とそれ以外の黄金竜の花嫁、聖女オーディアナを輩出する唯１つの血統を守る国。
パウラの生まれた故国である。
「聖紋が出たら、黄金竜の泉地送りの予備軍になる。
確か20歳までに召されなければ、助かったはずだわ」
青い飾り羽を頬にあてて、パウラは記憶を呼び起こす。
５公家の当主や嗣子は、20歳まで婚姻を禁じられていたはずである。
最後に黄金竜の泉地の情報を。
黄金竜の郷の竜達が人の世に直接関わることがないのなら、代わって人の世の安寧秩序を守る者が必要で、その役目を担うのが黄金竜の泉地である。
その長たる者は、聖女オーディアナ。
黄金竜の花嫁、聖女オーディアナは、黄金竜の声を聞くことのできる、ただ一人の人である。
そして４竜の代理人である4人の聖使を従える、黄金竜の泉地最高神官でもあった。
「けれどまぁ、花嫁とは名ばかり。
夫の姿を一度も、見たことなかったわ」
飼殺しの前世の記憶に、パウラはペンをぎゅうと握りしめる。
オーディアナ、黄金竜の花嫁には、竜后と竜妃があった。
黄金竜の寿命は数万年で竜后もそれに同じであれば、数万年の間に召喚されるオーディアナは、例外なく側室にあたる竜妃である。
黄金竜に限らずすべての竜は、面倒なほど情の深い生き物で、その生涯に連れ添う妻はただ一人。
つまり竜妃とは、ただのお飾りの位であって、夫である竜の姿を見ることさえなく生涯を終える。
４人の聖使には不定期とはいえ任期があり、それが果てて後の人生を自ら選択できるのとは大違いである。
「迷惑な話」
あわや折れるかというほどに握りしめたペンが震えて、パウラは一つ大きく息をした。
いけない、いけない。
嫌な思いにとらわれている時間はない。
情報整理が先だと、気を取り直す。
聖女オーディアナは、通常ヘルムダール直系の女子から選ばれる。
短ければ数百年、長ければ数千年に一度、黄金竜の泉地から召しだしがあり、その代にあたる女子は20歳前に聖女オーディアナを襲名する。
たしか前世のパウラは、17歳で召されたのだった。
が、彼女の代では、稀なることが起きた。
聖女の聖紋を持つ女子が、２人現れたのだ。
滅多にないことではあるが、記録には数例あるのだとか。
パウラと同時に召されたのは、エリーヌ・ペロー。
ヘルムダール遠縁の、地方領主の娘であった。
パウラはこの少女と聖女オーディアナの座をかけて、試練の儀と呼ばれる選抜試験を競うことになる。
「してやられたのよ」
苦々しく思い出すのは、エリーヌの顔。
綿毛のようにふわふわとした白銀の髪に、くりりと大きな緑の目はまるでガラスで作った木の実のように愛らしかった。
その彼女は、さっさと試験を放棄してのけた。
自分などよりパウラこそが、聖女オーディアナに相応しいのだと言って。
無論聖女オーディアナ候補の立場は、勝手に自分の意思だけで降りられるほど甘いものではなかったが、黄金竜の花嫁聖女オーディアナたる資格を失くしていれば是非もない。
下世話にいえば、「ヤってしまった」のである。
その事実をつきつけられた時の衝撃は、けして忘れられない。
結果、パウラは聞こえだけは良い、「竜妃」「聖女オーディアナ」その実、飼殺しの運命を押し付けられた。
「まずここが、押さえるべき重要ポイントね。
ヤラせてはならないわ」
さらに黄金竜の泉地の情報整理は続く。
聖使と呼ばれる４人の男たちの存在を、忘れてはならない。
彼らもまた、飼殺しの未来に大きく関わっていたのだから。
聖女オーディアナを支えるために在る彼らは、竜の血を継ぐ４公家の直系男子のうち、聖紋の出た者から選ばれる。
こちらもおおよそ数百年に一度の代替わりがあるが、たしか当代の聖使は4人とも例外のようで、数千年ほどは聖使の位にあったはず。
「ちょっとやそっとで、尽きる力ではなさそうだもの。
あのふてぶてしさときたら」
現在の聖使、その面々を思い出すと、パウラはコラーゲンでぷるんぷるんの、6歳の眉間にシワを寄せる。
水竜の血を継ぐ東の聖使は、シモン。
銀青色のさらさらの髪に淡い緑の瞳、まるで少女のように繊細でかわいらしい容貌の美少年である。
「根性の悪さは、泉地一でしたわね」
黄金竜の泉地召喚は15歳の時らしく、以降そのままのかわいらしい姿をしていたが、優しげな見た目に反してどうしてなかなか。
裏のありすぎる素直ではないひととなりに、パウラは幾度ため息をつかされたことか。
風竜の血を継ぐ西の聖使は、オリヴェル。
オレンジ色のゆるやかな巻き毛に青に近い緑の瞳、無駄のないやや細身長身の、華やかな青年である。
「あたりは良いのよ。
誰に対しても公平で、嫌味のない人ね」
泉地召喚後かなりの時間がすぎているらしい彼は、23歳くらいの姿に見えた。
４人の聖使の中でもっともくだけた小粋な性質で、学識趣味嗜好と守備範囲の広い、面白い男であった。
地竜の血を継ぐ北の聖使は、アルヴィド。
黑に近い濃い緑の髪に、針葉樹の緑の瞳。
騎士として鍛え上げられた体躯は、しなやかにしなる美しい鞭のよう。
「見た目と声だけは、とびきり良いのよね」
今思い出しても、頬が熱くなる。
なんとも色っぽい翳のある美貌。
極端に口数が少なく滅多に聞くことはできなかったが、とろりとしたビロードのような声は甘く艶やかで、事務的な報告を受けるだけでも、身体中の琴線をかき鳴らされる感覚を懸命に抑え込んだものだ。
そして４聖使最後の１人。
ここに至って、パウラはペンを止めた。
そう。
火竜の血を継ぐ南の聖使、セスラン。
燃えるような見事な赤毛に翡翠の瞳の、いかにも名門貴族の出らしい美青年。
性質はいたって真面目。
謹厳で気品にあふれ、聖女オーディアナ候補時代のパウラとは比較的仲の良い聖使であった。
だか、しかし。
「見かけ倒しもいいところ」
エリーヌ・ペローに誑かされた、あのヘタれ。
ああ、思い出すのも忌々しい。
