吉兵衛の投網(創作民話 17)
その昔、吉兵衛という漁師がいた。
ある日のこと。
投網を打っていた吉兵衛だったが、足をすべらせ船から落ちて川に流された。
気がつくと、真っ白な霧が川面を漂っている。
吉兵衛はあたりを見まわし、自分が川岸に流れ着いていることを知った。
どうやら運よく助かったらしい。
――命拾いをしたな。
船は失ったが、命はこうして無事である。それに投網も、すぐそばの岸に流れ着いていた。
その時刻。
吉兵衛の家では、女房が吉兵衛に寄り添うようにして見守っていた。
その吉兵衛、こんこんと眠り続けている。
昨晩のこと。
仲間の漁師が、川岸に倒れていた吉兵衛を家に運んできた。
そばに投網はあったものの、船は遠くに流されたのかそこらにはなかった。漁をしていて船から落ちたのだろうと、その者は話した。
五日が過ぎた。
吉兵衛は意識がもどらず眠ったままである。
その間。
だれが届けるのか毎朝、新しい魚が戸口の前に置かれてあった。
そして、今朝も魚があった。
――もしや、あんたが……。
女房は投網を見て思った。
投網は吉兵衛とともに持ち帰られ、外の壁にかけられてある。その投網、夕方にはかわくのだが、なぜだか翌朝になると濡れているのだ。
かたや吉兵衛。
毎晩、川岸で投網を打っていた。
流れ着いた場所がよかったのか、そこではおもしろいように魚がかかる。
七日目のことだった。
その日も岸から投網を投げていると、
「おい! そこでなにをしておる」
背後でどなり声がする。
おどろいて振り返ると、そこには金棒を手にした鬼が立っていた。
――ここは三途の川だったのか。
このときになって、吉兵衛は自分がどこにいるのかはじめて知った。
「とんでもないことをするヤツだ」
鬼が金棒を振りかざす。
「申しわけございません。ここが三途の川だとは知らなかったもので」
吉兵衛は地面にひれ伏した。
「ふとどきな野郎だ。往生せずに、いつまでもこんなところにおるとはな」
鬼は吉兵衛の腕をつかむと、引きずるように岸辺を歩き始めた。
しばらく歩くと、そこには船の渡し場があった。
吉兵衛はそこで船に乗せられ、その日のうちに彼岸に連れていかれた。
七日目の晩。
吉兵衛がついに息を引き取った。
それからは……。
投網が濡れることはなく、魚が届けられることもなくなった。