3話「組長としてのはつしごと」《久実side》
「はー……凄く大きい家」
口をポカンと空け、辺りをキョロキョロ見渡す久実。
端から端までおおよそ300メートル。
全て桜組長の敷地であるという。
「お嬢、どうかどっしり構えてくださいよ。ここが一時的とはいえ貴方の家になるんすから」
久実達の家に押し掛けてきた時に比べて、幾分か物腰が柔らかい。
お嬢という呼び方を除けば接しやすくなったな、と久実は思った。
「あの……お兄さん達は何て呼べばいいの?」
「組長は『お前』とか『おい!』で呼んでいましたので、お嬢のお好きな呼び方で構いませんよ」
久実は頭を捻る。
どんな人にもそれぞれ大切な名前があるのだから、『お前』ではあまりにも失礼だ。
とはいえいかにも組長らしく、呼び捨てでいくのも気が引ける。
「うーん……お兄さんのお名前は?」
「さ、佐藤です」
「じゃ、さとーさん、って呼ぶね!」
「さとーさん……」
名前で呼ばれることがなかったせいか困惑する佐藤。
久実の舌足らずな話し方のせいでやや独特なイントネーションになっているが、不思議と悪い気はしなかった。
久実は黒服一人一人の名前を聞きまわり、一生懸命名前を覚えるのであった。
………
組長邸2階大広間。
久実はそこに案内され、座るように命じられた。
「お嬢、これから姉御が来ます。事情は知ってますので、ご安心を」
「さとーさんは?」
「俺はここを直ぐに出ます。この部屋は桜一族しか入ることを許されていませんので」
そういうと佐藤は颯爽と立ち去り、入れ違えるように姉御と思われる女性が入ってきた。
黒い長髪をなびかせ、久実の前に立つ。
「私は、桜舞花だ。単刀直入に聞こう。お前が私の弟と入れ替わったと聞いたが」
行動の一挙手一投足見逃さんとばかりに見つめる舞花。
「はい。その、どうしてこうなったのか分からないけど、その、暫くは組長として頑張るので、あの、その……」
舞花の冷たい眼光に気圧された久実は涙目になりながら答える。
入れ替わったからには組長の役割を全うせねばならないと考えていた。
「お前は何もしなくて良い」
「え……?」
「元々あの野郎は喧嘩以外取り柄がない馬鹿だから、基本的な中の仕事は全部あたしがやってる。だから、中身が変わろうがよっぽどの有事でもない限り関係ない」
「でっ、でも!ご迷惑をおかけしてるから……家事のお手伝いならできます!」
「……家事をやる組長が何処にいる。そんな必要はない。今のお前は翔馬だ。どっしり構えておけ。それが仕事だ」
「……はい」
しょんぼりといった面持ちで消沈する久実。
「誰かの役に立ちたい」事が常に行動の規範となっている彼女にとって、何もしないことは苦痛でしかない。
「私は忙しい。狭い家だがゆっくりしていけ」
踵を返し、早々に立ち去る舞花。
扉の閉まる音が響き、久実は一人取り残される。
「……………お兄ちゃん……パパ……ママ……」
堪えていたものが、溢れる。
我慢をしようと握る拳に雫が落ちていく。
いくらしっかりしているとはいえ、まだ5歳なのだ。
気丈に振る舞うのも限度があった。
そんな久実を他所に、聞き耳を立てる佐藤。
舞花の命令で扉に張り付き中の様子を伺っていた。
「どう?」
「うまく聞こえないですが……泣いてますね、多分」
「!……そんなに怖い顔だったかな……」
空気に混じるかのように、僅かに呟く。
この桜舞花、実は極度のコミュ障である。
普段は姉御を演じているため何とか取り繕っているが、中身は小心者である。
その事を知っているのは黒服の中でもごくわずかである。
「姉御、どんなこと言ったんですか」
「久実ちゃん、お客さんだから何もしなくていいよーって。」
「ほんとぉ?」
「……………。じゃ、後は任せた」
「え?ちょっと姉御そんな急に」
「あ?何か不服か?」
姉御モードに戻り、ドスの効いた声を浴びせる。
有無を言わせない力が言葉に宿る。
「滅相もありません。お嬢の身柄、お任せください!」
深々と一礼し、舞花を見送る。
姿が見えなくなった事を確認し、佐藤は頭を抱えた。
「姉御なぁ。もうちょっとこう、優しい言い方できたらねぇ」
「聞こえてるぞ!」
「さぁせんでした!」
…………
「お嬢、失礼します」
「あっ、さとーさん!」
ぱあっと明るい笑顔を見せる久実。
泣いていた事を感じさせないようにする姿勢がいじらしい。
……組長の姿であることを除けば。
(あー……当分慣れそうにねぇな)
これまで組長の仏頂面以外見たことのなかった佐藤にとって、面食らうことばかりである。
「今日は色々と大変でしたでしょう。お部屋に案内しますので、ゆっくりお休みくだせぇ」
「ねぇ、さとーさん……私、何もしちゃいけないんだよね」
「……えぇ、姉御はお嬢の事を思ってそう言ったのでしょう」
「……そっか、そうだよね」
沈黙。
いたたまれない空気に佐藤の心はキリキリと軋む。
姉御は素直になれないから、と一言言えば解決なのだが、それではメンツが立たない。
心を鬼にして久実を部屋に連れていき、押し込むように扉を閉めた。
これではいけないと分かってはいるのだが。
どうしてあげることもできないことに佐藤は苛立ちを覚えた。
…………
そして翌朝。
部屋をノックし、佐藤は部屋に入る。
「お嬢、お早うございます!今日も快晴で……ん?あれ?」
まるで、人の気配がない。
窓から流れてくる風の感触を受け、ハッとした。
慌てて窓に駆け寄る。
繋ぎ合わされたカーテンが、地面まで伸びていた。
「こりゃ……大変だ…!」
逃げだす可能性があることを考慮して鍵を閉めておいたが、窓から脱出するのは予想外だった。
大人しい子に見えたが、とんだじゃじゃ馬娘ではないか。
慌てて、一階の広間に行き、他の黒服を探す。
「くそっ!肝心な時に誰もいねぇ!」
今度は中庭の方へ。
いつもは隠れて煙草を吸っている黒服がいるのだが、今日は珍しくここにもいなかった。
「何処に行った?こうなりゃ俺一人でも……ん?」
リビングの方から話し声が聞こえる。
「うめぇ!!」
「最高!」
どうやら呑気に飯を食べているようだ。
「あの馬鹿野郎共、人の気もしらないで……」
バン!と扉を開く。
「お前ら!何飯くってんだ!それどころじゃ……お嬢?」
「おはようございます、さとーさん。さとーさんの分も直ぐに用意するね」
エプロン姿の久実がキッチンに立ち、給仕していた。
「お、お、お嬢!良かった心配しました!いやそんなことより姉御から言われたじゃないですか!何もしちゃいけないって。さっ!直ぐに戻りましょう。約束を破ったらどうなるか俺にも………って姉御いるぅ!」
佐藤のすぐそばで舞花は凛とした佇まいで味噌汁を飲んでいる。
「佐藤、食事の時は静かにしろ」
「姉御!これはどういうことですか!」
「……気が変わった」
舞花の目は明らかに泳いでいる。
久実は佐藤に耳打ちする。
「私が朝一に舞花さんにお願いしたの!一回だけ私のご飯食べてみてって!そうしないと自首してやるって」
脅し文句の攻撃力が高すぎる。
小心者の舞花にはよく効いただろう。
「きょ、今日より、組長が朝食を作って下さる。お前ら、組長のご厚意に礼!」
「「ありがとうございます!」」
「はい!いや、おう!よろしくなお兄さん……いや、お前ら!」
ちなみに舞花の腹いせによって、佐藤の朝食は抜きになった。
☆現在入れ替わりを知っている人……6人
和也(久実の兄)、舞花(翔馬の義姉)、黒服(佐藤含む数名)