3話
赤黒い液体が宙を舞った。
顔に魔族の鮮血が降りかかる。
背後にあるコンクリートの砦を攻め落とそうと眼前に広がるおびただしい量の魔族たちは躍起になっていた。
人軍前線第三砦。
背後にそびえる砦の名称だ。勇者が待機しているという人軍の重要な砦である。
「グアァァァァ──!?」
俺に向かって剣を振り下ろそうとした魔族が両断された。
華麗なる剣技を披露した張本人は返り血を浴びながらも前に突き進む。
「ブレイヴ、ぼーっとしないで! こいつらを斬り捨てて街に戻ろう!」
剣で魔族を圧倒するこの男は勇者の仲間である騎士のランスロット・レイドだ。名前はさきほどまで知らなかった。
『バァーミング』
俺を囲んだ魔族の集団が跡形もなく焼き尽くされた。高威力広範囲の上級魔法だ。並みの魔法使いでも扱えないものが多い。
「ブレイヴ、好きに暴れまわれなさい! じゃないと私の魔法で焼き殺しちゃうわよ!」
杖で魔族を抹殺する口調が乱暴なこの女は勇者の仲間である魔法使い(ウィザード)のハウリー・ゲルテナだ。同様にさきほどまで名前を知らなかった。
『ヒーリング・シングル』
魔族に屠られた小さな傷がみるみるうちに治っていった。体の傷を癒す魔法の一つだ。俺が最も苦手としている回復魔法。
「ブレイヴ、気をつけてください! 絶対に油断はダメですよ!」
両手をかざして回復を続けるの女は司祭であるアンジェラ・シーナだ。名前は知らなかったが、目覚めて最初に知った名前である。
俺は世界征服をすべく国を焼く人間の敵──魔王ロードだ。そう自分に言い聞かせながらほんの少し前の出来事を振り返る。
一時間前、魔王城で何者かに襲撃された。強力な矢を魔王城の最上階に放ったその誰かを抹殺すべく動いた俺は、魔弾という魔法使いの攻撃を正面から食らってしまった。魔弾程度の攻撃などかすり傷にならないはずだったのだが、その一撃だけで意識を刈り取られたのだ。この俺が魔弾に反応すらできなかったということは、敵は相当な実力者だと思われる。
目が覚めたと思えばそこはどこだか分からない木製の部屋だった。聖剣があり、体が軽く、声が少し高かった。嫌な予感はしていたが、訪ねてきたアンジェラの反応と魔王城が遠くに見える窓の景色を見て確信してしまった。
俺は勇者の体に為っている。
原因は何もわかっておらず、今確認できていることはそれだけ。
状況がうまく呑み込めず呆然としていた俺はアンジェラに手を引かれてこの戦場に赴いていた。
魔族の叫び声が俺を現実に引き戻した。
今この戦場に魔王としてではなく勇者として立っている。いや、立たされていると言った方が正しい。勇者の体に為っているのは確実に誰かの仕業だろう。誰かの手のひらで転がされるのは気に食わないが仕方がない。
前線で戦っている人軍の間をどうにかくぐり抜けてきた魔族が俺めがけて手に持ったサーベルを振り上げた。
トカゲのような顔に長く伸びた尾。リザードマンだ。
どうやら、魔王であること気づいてないらしい。まぁ、それもそうだ。見た目は勇者なのだから。
「グギャアアアアアア!!」
奇声のような声を上げて、リザードマンが錆びついたサーベルを振り下ろした。
どう受けたものか。
腰に帯びている聖剣で攻撃すればこいつを殺してしまうだろう。自分の部下であるものにそんな真似はできない。
なら、方法は一つしかないだろう。
短く詠唱を紡いで空いた左手をかざす。
『ダーク・ランス』
虚空から紫色の光を放つ紫紺の槍が出現した。
重力を無視して浮遊を続ける槍は狙いを定めるかのように小さく震える。
サーベルが俺の額へ触れるその直前で、槍は大きく前に動いた。
「────ッ!?」
槍はサーベルを跡形もなく粉々に砕いていた。
ほぼゼロ距離での反撃に血走った眼を大きく見開く。
同時にパリィンと紫紺の槍が儚く崩れ落ちた。
続けて魔法を放つのも悪くないが、勇者の体だからなのか魔力操作が安定しない。うまく魔法を維持できないのだ。
一呼吸置いて目の前のリザードマンを見据える。
サーベルを砕かれて無様に腹をさらけ出したその腹に握り締めた拳を打ち込んだ。
「っらぁ!」
「────グギャ!?」
間抜けな悲鳴を上げとてつもない速度でリザードマンが後方に吹っ飛んだ。予想だにしない威力に拳を打ち込んだ本人である俺でさえ驚きを隠せなかった。
この体、人間のものとは思えないほどの身体能力だ。
勇者──最強の剣に最強の肉体。聖剣を持った勇者と戦って俺は勝つことができるのだろうか。生き残っての勝利は期待できない。共倒れがいいとこだ。
「ブレイヴは魔法が使えたんですね」
後方から駆け寄ったアンジェラが驚きを瞳に浮かべた。
「何を言っている。当たり前だ」
「一度も魔法を使っている姿を見たことがないので、つい」
吹っ飛んだリザードマンがかろうじて生きていることを遠目に確認して、最前線に向かうべく地を蹴ろうとした俺の肩をハウリーが掴んだ。
「ねぇ! ちょっと待ちなさいよ。一般人程度には魔力を持ってるあんたが魔法を使える件に関しては問題ないわ。けどね、何よさっきの魔法。ダーク・ランスって言ったかしら? あんな禍々しい魔法、見たことないわ」
ダーク・ランスは俺が独自に編み出した魔法だった。
紫紺の槍を出現させ、重力を無視して自由に操ることができる。乗せた魔力に比例して出現する槍の強度が上昇するという何かと便利な魔法。
答える義理もないし。むしろ答えてはいけない。今俺が勇者の体をしているからといっても、本来こいつらは敵だ。手の内を明かすわけにはいかない。それに背後をとられていることに未だ警戒を解けないでいる。それが魔族として、魔王として当たり前のことだ。
ハウリーの手を払いのけ前線に向かおうと足を踏み出した。
その時だった。魔法による雷鳴と剣による擦過音が鳴り響く戦場に、突如として異変が起こった。
『あ、もう聞こえてるかな?』
まぎれもない、魔王の声が聞こえる。
『はい、現在魔族軍が攻めている第三砦まで拡声範囲を伸ばしました』
少し前まで言葉を交わしていたルシファーの声。
拡声魔法によってここまで声を飛ばしているようだった。
『普通に喋ればいいんだよね』
魔王が魔王らしからぬ口調で言う。
誰かが俺の体で話しているのか?
ありうる。だが、どうやって……?
俺の意識が勇者の体に入っていることを考えれば、俺の体は意識のない抜け殻であることになる。仮にその中に誰かが入ったとしたら。
──あり得る。
その誰かが誰なのか。俺を襲った襲撃者だとすれば、まずい。
『えーっと、僕は勇者ブレイ──じゃなくて、魔王ロード』
一瞬、耳を塞ぎたい衝動にかられた。
その隣でハウリーとアンジェラが口々に言う。
「魔王ロード! 妙にブレイヴに似た喋り方なのね。今のあんたは少し変だけど」
「奇遇ですね。私もこの口調はブレイヴを彷彿させるものがあると思っていました。今のブレイヴは少し口調が荒いですが、私はいいと思います」
二人の言葉に思考が揺らぐ。
ありえない。悪の権化である俺の中に正義の権化である勇者が入っているだと?
あってはならないが、俺が勇者の中に入っている時点でありえてしまう。
『進軍中含め全魔族に命令しよう』
すぅ、と息を吸う音が聞こえた。
『──全軍撤退』
魔王の中身に入っているのが勇者だと確信した、その瞬間だった。