第四蒸気機関都市 クニークル
*
午後六時。カトリーナは東コヤナカ製鉄所の第七社宅四〇三号室にて本を読んでいた。
フレデリカ・ヴァーミリオンの伝記である。
もう一言一句暗記してしまった程読み込んだこの本は、カトリーナが初等教育を受け始めた時に父から貰った物だ。
偉人の様に生きて欲しかったからではない。
不倶戴天の敵の事を良く知るためにだ。
カトリーナのフェニックス家は古くからの火魔術の名家である。フェニックス家が生み出した魔術式は数知れず、様々な魔術蒸気機関にフェニックス家が作り出した魔術式が使われている。
その全ての魔術式を修め、いや、その時代に存在する全ての火魔術式を修め、尚且つ、たった一人で爆発的な量の魔術式を生み出したのがフレデリカ・ヴァーミリオンだった。
フレデリカ個人で生み出した魔術式の量は異常だった。
魔術式を生み出す者は〝魔術式者〟と呼ばれるが、一人の魔術式者がその生涯で新たに生み出せる魔術式の量は多くて十五だと言われている。
対して、フレデリカが生んだのは知られている限り、合計二百三十五。
数年単位で何の成果も出さない期間もあれば、連鎖爆発を起こす様に数日で数十の魔法式を生み出す事もあった。
そんなフレデリカが火の賢者と呼ばれるのも無理は無い。
フレデリカは挙句の果てに他の六賢者と共に第七の魔法属性、雷を発見したのだ。
魔法史における大偉業だ。
フレデリカ達が雷魔法を発見する前、火魔術と言えばフェニックス家だった。
しかし、最早、現代に生きる全ての魔術師達にとって火魔術と言えばフレデリカである。
カトリーナの父はフェニックス家の威光を取り戻したかった。カトリーナの祖父母の時代の様に、火魔術の最先端で生きたかった。
だが、フェニックス家が培ってきた火魔術は魔術蒸気機関のための物である。
雷魔術を使った魔術電子機関が昨今爆発的に発展している。
五十年に及ぶ研究期間が終わり、とうとう実用段階に入ったのだ。
魔術電子機関の仕組みをカトリーナは見た事がある。
そこには火魔術式を書き込む余地がほとんど無かった。
今は未だ良い。おそらく、カトリーナの世代ギリギリまでは火魔術の需要があるだろう。
しかし、これから先、火魔術師達が出来る仕事は変わっていくに違いない。
魔術蒸気機関材料確保のための製鉄。
魔術蒸気機関設計のための魔術式。
蒸気機関から電子機関へ移り行くこの時代に、二大需要が無くなっていくのだから。
果たして、電子の世界において火魔術師の居場所はあるのだろうか。
間違い無く、フェニックス家の居場所は無いだろう。
カトリーナは理解していた。
ペラ、ペラ、ペラ。
擦り切れたページを捲っていく。
幼い頃、一度だけ会ったフレデリカの姿が思い出される。
この伝記に描かれた若い頃の絵とは違う、鮮烈な灼髪の老婆。
フレデリカはとても豪快な老婆だったとカトリーナは思い出していた。
コンコンコンコン!
伝記が半分ほど読み終わった頃、カトリーナの部屋をノックする音が聞こえた。
この無遠慮なノックはキトリーの物だ。
ガチャ。
フレデリカの返事を待たず、キトリーが四〇三号室へと入ってくる。
「カトちゃん~! おっつかれ~!」
「だからカトちゃん止めなさい。お疲れ様。そしてさようなら、部屋にお帰りなさい」
キトリーの部屋は四〇四号室。カトリーナの隣の角部屋である。
作業行程順の関係で、キトリーはいつもカトリーナより後に帰ってくる。
そして、帰ってきた側からカトリーナの部屋に現れるのが日常だった。
「いやぁ~、カトちゃんの事、うちのリーダー褒めてたよ。不純物がもう取り易い取り易い」
「そう。それは良かったですわ」
事実、カトリーナが東コヤナカ製鉄所に来た事で第九転炉部門の作業効率は上昇し、鉄の品質も上がった。業績も上がり、カトリーナの上司もハッピーである。
しかし、褒められていると言うのにカトリーナの顔色は優れなかった。
カトリーナにとってあの程度の仕事どうと言う事は無い。
自分が全身全霊で出した炎が評価されたのなら、それを誇り、胸を張るだろう。
だが、片手間にそれほどの苦労も無く出したあの炎で褒められるというのは何とも心が燻ってしまう。
手を抜いた訳ではない。でも、全力の仕事では無い事は確かだった。
「カトちゃん、夕飯食べた?」
「いえ、まだですわ。あなたと一緒に食べるのでしょう?」
「そうそう。分かってるね~」
カトリーナは専らキトリーと食事を共にしていた。というか、キトリーが一緒に食べよう食べようと過去に付き纏ってきたのである。
下手に抵抗しない方が楽だとカトリーナは既に悟りの境地に居た。
「何処に行きますの?」
「街に行こう。美味しいそうなピザ屋を見つけたんだ」
「ピザ? 夜に食べるのは乙女的にどうなのですか?」
「でも好きでしょ? ピザ?」
「ええ、ハバネロをたっぷりかけた物がね」
カトリーナは舌が焼けるほどの辛さを好む激辛好きだった。
東コヤナカ製鉄所はコヤナカ地方の東海岸に面して作られており、主要都市『クニークル』はコヤナカ地方の中央部にあった。
カトリーナ達が暮らしている第七社宅から中央部まで直線距離で二十キロ。
歩いていては日を越してしまう。
故にカトリーナとキトリーは単車に乗る事にした。
カトリーナの愛車、火魔術専用蒸気二輪車〝ラピッド号〟である。
ラピッド号の前方にカトリーナが跨り、後方にキトリーが跨る。
カトリーナが何も言わずとも、キトリーがカトリーナの腰へ腕を回した。
ラピッド号のハンドルを持ち、カトリーナが魔力を込める。
ブクブクブクブク!
ハンドルから伝わった魔力がラピッド号のエンジンたる魔術蒸気機関へと流れ込み、『発熱』の魔法石と反応し、内部に満たされた水を沸騰させる。
既にこのエンジンの他の属性の魔法石には他の魔術師から魔力を込めてもらっている。
水の魔法石によって一定量の水が常に満たされ、風の魔法石によって内部の空気が対流し、土の魔法石によってエンジン外壁の強度は跳ね上がっているのだ。
後は火魔法を発動するだけで良い。
「おお~、いつ見ても火属性は派手だねぇ」
「こんなのまだまだ地味ですわよ」
温める事数十秒。内部圧力が一定と成った事を示す安全装置のレバーが下がった。
「行きますわよ。捕まってなさい」
「はいはい」
アクセルを回し、ブロロロロ! 水蒸気の白い煙を後部の煙突から噴き立たせながらカトリーナとキトリーはクニークルへと向かった。
*
二十分後。午後七時。
カトリーナとキトリーはクニークルの街を歩いていた。
ラピッド号から降りて、愛車を押しながらカトリーナはクニークルの街を見渡す。
人が多かった。
蒸気式強化外骨格を着込んだ大道芸人達が飛んだり跳ねたり水蒸気を噴出したりしながら見物客を沸かせている。
空中では風魔術を使った一人乗り用高速移動気球に乗り込んだ少年達がレースを行っていた。
「いやぁ、クニークルはいつも活気があるね~」
「主要蒸気機関都市の一つですからね」
クニークル、別名、第四蒸気機関都市。十二ある蒸気機関大都市の一つである。
経済の中心であり、歴史の発展地である十二の偉大な大都市。蒸気機関の歴史が生まれ、そして死に行こうとしている、始まりと終わりを知る蒸気機関都市の一つ。それがここクニークルだった。
ワイワイガヤガヤ。
ワイワイガヤガヤ。
「いや、それにしても元気過ぎますわ。今日何かありましたっけ?」
「ああ、今日の夜。お祭りがあるんだよ。花火大会だってさ」
「聞いていませんわ」
「言ったらサプライズに成らないでしょ? 最近カトちゃんのフラストレーションやばいじゃん? ここらで一回消化しようよ。明日明後日休みだし」
「まあ、心遣いありがとうございますと言っておきます」
キトリーのドヤ顔に礼を言いながらカトリーナは軽くチョップした。
祭りと知っていたのならもう少し可愛い服を着てきた物を、という乙女心だ。
「とりあえずピザ屋に行きましょう。お腹が空いてしょうがないですわ」
「オッケー。こっちだよー」
キトリーが連れて来たのはとある五階建て施設の最上階、ラクールという名前のピザ屋だった。
店内の窓からクニークルの街が見える。
「こっちこっち」
どうやら店員が案内するのではなく、勝手に客が座る形式のようであり、カトリーナはキトリーに引っ張られ窓際の席に座った。
「ここからなら祭りの様子が見えるよ」
「そうなのですか?」
どれどれ。カトリーナ窓から顔を出してクニークルの街を見た。
「おお」
街は喧騒に包まれていた。中心部に行くほど人の密度は上がっていく。それに比例して、色々な出店が出ていた。
看板の名前が見える。フランクフルト、マッシュポテト、オコノミヤキ、などなど。
フェニックス家に生まれ、名家同士のパーティーなどなら参加した事があったが、この様な雑多な祭りをこれだけ近くで見るのは初めてだった。
久しぶりに見た初めての物。カトリーナの心が少しばかり浮き足立った。
「食べたら見に行く?」
「そうね。行きましょう。ワタクシ、あのオコノミヤキという物が気に成ります」
「ああ、東洋の方の野菜を使ったパンケーキだね。美味しいよ。オタフクって言う黒いソースがかかってるの」
オタフク。これも初めて聞いた名前だ。どんな味なのだろう。
「まあ、今からピザを食べるって言う若い女達が話す内容でも無いかな」
「美味しい物は別腹ですよ」
メニューを開きながらカトリーナ達がお喋りをしていると、給仕の男が歩いてきた。
髪の色は緑。風属性の男だ。
「四種のチーズのピザで」
「こちらの激辛ハバネロトマトチキンピザを一つ」
「いやぁ、美味しかったね!」
「ええ、あれは美味でした」
「カトちゃんのピザ、真っ赤だったね。湯気で眼が痛かったよ」
「あなた一口貰ったら悶絶していましたわね。情けない。あの燃える様な辛さが良いのに」
ラクールを出て、カトリーナとキトリーは互いの料理の感想を言い合いながらクニークルの街を闊歩していた。
向かうはクニークル中央部。人と出店が一番集まっている場所。
「カトちゃんカトちゃん、オコノミヤキあったよ」
「ほう、これがオコノミヤキですか」
キトリーが指差した方角には酸味と甘みの強烈な匂いを放つ屋台があった。
「お一つくださいな」
「あいよー!」
景気の良い掛け声と共に赤い髪をした店主が鉄板へと魔力を込め、脇に控えていた小麦とキャベツ等を混ぜ合わせた様な粘度を持った液体を鉄板へと流した。
ジューッ。沸騰するような音と共に生地が焼き上がっていく。
なるほど、野菜を使ったパンケーキとは言い得て妙な物である。
一分もしない内に紙皿に載せられたオコノミヤキがカトリーナの手に乗せられた。
代金を払ってカトリーナとキトリーは適当なベンチに座る。
「本当ならハシって言う東洋の道具で食べるらしいよ」
「まあ、我々は西洋人ですから大人しくフォークを使いましょう」
二人で一つのオコノミヤキを半分に分け、使い捨て用木製フォークで摘んでいく。
甘く酸味がありそれでいて数々の野菜の味がするオタフクと言うソースの味はカトリーナにとって未知の味だった。
このソースがキャベツを中心とした野菜と豚肉の生地と合う事合う事。
カトリーナとキトリーは夢中でオコノミヤキを頬張り、二人揃って「ふぅー」っと満足気に完食した。
「ひっさしぶりに食べたけど美味しいねコレは」
「ええ、不思議な味でしたわ。もう一つくらいならペロリといけちゃいそうです」
「おっ? いっちゃう?」
「いえ、他の出店も見てみましょう」