燃やしたい燃やしたい燃やしたいんですのー!
魔術暦1802年。
かの有名な火魔術の賢者、フレデリカ・ヴァーミリオン達が雷魔術を発見してしまって五十年。
週末の金曜日、カトリーナのフラストレーションは本日最高潮を迎えていた。
「燃やしたい燃やしたい燃やしたいんですのー!」
腰ほどまである真っ赤なツインテールを振り乱しながらカトリーナが突如として立ち上がり叫んだのは青空晴れ渡るベンチである。
すぐ近くで〝休憩所〟と焼き印された木製の看板見える。
その隣で座っていた茶色髪の眼鏡を掛けた女性、キトリー・ノームスタが牛乳瓶を傾けながら慣れた様子で声をかけた。
ちなみに、二人の格好はどちらも灰色の作業服であり、所々が煤で汚れていた。
「どうしたカトちゃん?」
「カトちゃん言うな! ワタクシにはカトリーナ・フェニックスという高貴なる名前があるんですの! そんなコメディアンみたいな愛称受け付けていなくってよ!」
「荒れてるなー。そんなんで午後からも持つん?」
「持たせますわよ! というか持ちますわよ! ワタクシの魔術式の最大出力は知ってるでしょう!?」
「なんとびっくり六千℃。太陽を越える女は伊達じゃないね。まあ、ここ東コヤナカ製鉄所転炉部門では宝の持ち腐れも良い所だけどさー」
魔術式とは現代魔術において切っても切り離せない技術の事である。
生まれ持って人間は火、水、土、風の物質学四属性、又は光と闇の光学二属性のどれか一つの魔力を持つ。
魔力はそれだけならば只のエネルギーの塊である。
たとえば、何も考えずにカトリーナが魔力を全開で開放した場合、温度も形もしっちゃかめっちゃかに成った火花が散るのみで、強烈な炎を生み出すことなど出来ない。
エネルギーは変換されて初めて仕事をするのである。
それを可能にするのが魔術式だ。
火の魔力へ『燃える』と言う術式を通す。すると、注ぎ込んだ魔力量に従った炎が生まれる。
魔力を魔法へ。魔術式とは人類が生み出し、研鑽し続けてきた技術の結晶なのだ。
「そう! そうなのです! 何故太陽のごとき出力を誇るこのワタクシが鉄ごときを溶かす毎日を送らないといけませんの!? センブリア大学での魔術を研鑽してきた日々の集大成がコレですか!」
「いやいや鉄は大事だよ。人類の文明を支えてきた金属だし。魔術蒸気機関のためには切っても切り離せない。いくら最近レアメタルと雷魔術を使った魔術電子機関が台頭し始めているとはいえね」
ぐぬぬ。カトリーナは歯噛みした。キトリーの言葉は正論である。人類が蒸気機関を発明し、魔術と蒸気機関の合の子である魔術蒸気機関に発展し数百年。人類は魔術蒸気機関と共に生きてきた。
そんな人類を支えてきた魔術蒸気機関の材料として必要なのは、火、水、風、土の魔法石、そして高純度の鉄だ。
魔術蒸気機関の仕組みは通常の蒸気機関とほぼ同じ。水を熱で水蒸気とし、その圧力をもって世界を回す。通常と違うのはこれら蒸気機関サイクルを魔法石で担うという点である。
魔法石とは魔術式が刻み込まれた特殊な鉱石の事だ。
魔力を魔法へと変換する魔術。これ自体は人間の手で発動可能だ。文字、図式、詠唱、踊り、エトセトラエトセトラ。これら全てを総称した物が魔術式である。
しかし、少なくとも工業レベルにおいては人間の手で発動される魔術式は酷く不安定である。
百時間連続して、または断続して、全く同じペースで踊れる人間は居ない。
この問題を解決するのが魔法石である。
鉱石に刻み込まれた魔術式は半永久的に変化する事が無い。
故に、複雑に複数の魔法が絡み合った魔術蒸気機関を完成させるのには魔法石が必要だった。
だが、魔法石だけでは魔術蒸気機関を作れない。
現在発見されている土の魔術式、『材質強化』は指定された単体又は化合物の結合強度を強化する術式である。
魔術式は指定された魔法以外を発動する事はできない。
もしも『材質強化』の魔法を行使した物質の不純物濃度が大きすぎた場合、物質の硬度にムラができ、超圧力に耐えなければならない魔術蒸気機関の外殻としては使い物に成らないのである。
そのため、魔術蒸気機関の開発には高純度の物質が必要であり、その候補として最適な物質が現状〝鉄〟だった。
鉄と言う物質は、加工の容易さ、費用対強度、どれを取っても一級品。
鉄を発見できなければ人類は魔術蒸気機関を作り出せなかったに違いない。
「訂正と謝罪をいたします。鉄〝ごとき〟と言ってしまい、申し訳ありませんでした。」
「良いよー良いよー。カトちゃんのその素直さ」
「だから、そのコメディアンみたいな渾名を止めてくださいってば」
嘆息しながらカトリーナはその場で「んー」と伸びをした。
大きな声を出したのが幸いしてストレスがある程度晴れた。
キーンコーンカーンコーン。
同時に昼休憩が後十分である事を告げるチャイムが東コヤナカ製鉄所に響く。
カトリーナが懐から赤い懐中時計を取り出し時間を見ると、十二時五十分。時刻通り。そろそろ昼休みも終了だった。
「さあ、キトリー。午後の仕事に戻りますわよ」
「おけおけー。今日の山場の始まりだね。期待してるよカトちゃん」
*
カトリーナの眼下には巨大な鉄樽――炉――があった。
二十五メートルプールならば満杯に出来そうな量が入るほどの大きな炉。
両脇にはカトリーナ三人分ほどの歯車が設置され、その先が天井を突き抜けた風車と繋がっている。
眼下の巨大な炉の中にはグツグツ煮え滾る、橙と黄の間の色の液状化した鉄があった。
強烈な熱気と熱波が安全ヘルメットを被ったカトリーナの髪を揺らす。
今、カトリーナがやろうとしている事は〝転炉〟と呼ばれる銑鉄から不純物を取り除き鉄鋼とする作業だった。
正確には鋼のさらに先、不純物が一切混じっていない純鉄を作るための作業である。
「スー、ハー」
カトリーナは一度呼吸を整え、右手の中指にゴツゴツとした指輪を嵌めた。
指輪は赤い鉱石で出来ていた。眼を凝らすと細かな文字が無数に走っている。
これは『発火』の魔術式が描き込まれた魔法石である。
次にカトリーナは左手の人差し指に右手とは違う文字が走らされた細身の赤い指輪を嵌める。
右手に対してこちらは『発熱』の魔術式が描き込まれている。
『発火』と『発熱』
どちらの魔法石も東コヤナカ製鉄所製鉄部門からカトリーナに配布された物だ。
二つを使って適切な温度の炎を生み出し、眼下の鉄のジュースから不純物を取り除くのがカトリーナの仕事である。
求められた温度は三千℃。カトリーナの最大出力の半分。
「ああ、全力を出したいですわ」
そんな事をしたら炉ごと溶け出し大惨事。
頭を切り替えるしかないのだ。
カトリーナは大きく声を上げた。
「安全確認よーし! 点火まで三、二、一、Fire !」
瞬間、カトリーナは両手へ魔力を込め、魔法石が反応した。
魔法石は赤く輝き出し、魔力に従った魔法を生み出す。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
瞬時に眼下の炉全体が赤い炎に包まれる。
たった一色の炎。これは酸素を介さない魔法に依る炎である。
カトリーナはこの炎の色はあまり好きじゃなかった。
だが、これは仕事である。
右手と左手に込める魔力量を調整する。
効率良く、過不足無く、眼下の鉄を三千℃まで熱する為に。
「カトちゃーん! もうちょい炎を大きくー!」
「分かりましたわー!」
炉の近くで炎を見守っていたキトリーの指示に『発火』の出力を少しだけ上げる。
「どうですかー!?」
「良いよー! 次は少し温度下げてー! ふちが溶けてるー!」
声を出し合いながら、最適な『発火』と『発熱』の出力を出す。
微調、微調、微調。
見た目はダイナミックながら、その実、とても細かい作業だ。
そして、とある瞬間、カトリーナの両手に手応えが生まれた。
「完璧ー!」
キトリーのカトリーナを喝采する声が聞こえる。
『発火』と『発熱』の出力が完璧な物となったのだ。
後はこの右手と左手の魔力量を一定に保ち続けるだけである。
右手も左手も込められた魔力はカトリーナの全力の半分にも満たなかった。
半分の力をキープするというのは難しくとも退屈な物である。東コヤナカ製鉄所に来て一年。第九転炉の火炎担当に成って半年。力加減などカトリーナはもう覚えてしまった。
欠伸を出そうにも眼下からの熱気で涙も乾く。
このまま無感動に四時間、炎を生み続ければ本日のカトリーナの仕事は終了である。
四時間が経った。
「終わりましたわー!」
転炉の最終工程は風魔術師と土魔術師達の領分である。
製鉄所に居た茶髪と緑髪の人間達は既に準備を終えていた。
体内の魔力の属性によって人は髪の色が変化する。
火ならば赤、水ならば青、風ならば緑、土ならば茶、光ならば黄、闇ならば黒である。
人の髪を見ればその人間が何属性の魔力を持つのか分かるのだ。
La~LaLa~。
聖歌隊の如き歌声が頭上より届く。風の魔法石に魔力が込められたのだ。
『突風』の魔法が発動し、二つの風車を一気に回転させる。
炉の両端に括り付けられた歯車が風車と連動し、回転した。
ジュウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
カトリーナの魔法によってほとんど白色にまで至った鉄のジュースが凄まじい音を立てながら下方の冷却用の炉へと注がれる。
この炉は土の魔法石で出来ている特別製である。炉の側面から十メートルほどの棒が一続きに十二本伸びていた。
それぞれの棒の先端には土魔術師達が居り、キトリーもその中に居た。
「行くぞー! 三、二、一、初め!」
監督リーダーの掛け声共に土魔術師達が一斉に魔力を魔法石へと込める。
カトリーナは「むむむ」と魔力を込めるキトリーを見下ろしていた。
十二の方角から込められた魔力は炉全体を褐色に輝かせ、魔術式を発動させる。
込められた魔術式は『特定単体の重量増加』。選択された単体は鉄である。
その瞬間、プクプクと泡立っていた鉄のジュースの波面から微量な塵が浮かび上がっていく。
塵の主成分は僅かに残っていた炭素である。
不純物だった炭素は表面に出た瞬間、酸素と反応し、空気中へと拡散していく。
退屈な製鉄作業の中で、カトリーナはこの行程だけは好きだった。
見る見ると浮かび上がっていく不純物が自分の生み出した熱に焼かれ空気へと拡散していく。
カトリーナは踵を返し、製鉄所を後にした。
唯一の面白いところは見た。
この作業は二時間ほどで終わる。最後まで見てももう大それた変化は無い。
「退屈ですわ」