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#009 非常識

 翌早朝、東の空が赤く色付き始めた。

 毛利に洛陽城での新たな日々が訪れたのだ。

 放射冷却の所為か、夏場だと言うのに空気は酷く冷たい。

 床石などは更に冷え切っていた。


「さ、寒むっ」


 毛利が堪らず起きたのは、致し方のない事であった。

 微睡みながら、恐る恐る辺りを確かめる。

 瞳の中に残る僅かな希望の光が、


「……夢……じゃなかったのか」


 すうっと消えた。


「寒くて眠れないし、もう起きようかな……」


 桶に溜めた井戸水で顔を洗う。


「……あれ? 今更だけど、顔は変わらず、か」


 直後、腹の虫が盛大に鳴った。


(昨夜の夕飯、最初の一口しか口にしなかったからなぁ……)


 空腹に負け、食べ残していたお粥を毛利は平らげた。

 それから暫く後、不意に訪れた客に彼は心底驚く事に。

 その者は、明るい髪色を風に棚引かせる美丈夫、


「りょ、呂布様?」


 であったからだ。


「おはよう。早速だけど、これから始めるらしくてね。はぁ……」


 見るからに憂鬱そうな顔をした呂布に「何を?」と問い掛けようとした刹那、毛利は思い出す。

 丁原らと共に朝から鍛錬する事になったのだ、と。

 我が身を自身で守れる様にする為にだ。


(昨日は命を狙われた。加えて、この先待ち受けるのは騒乱に次ぐ騒乱。生き残る為にも鍛えるしかないか……)


 その訓練、毛利には甚だ厳しい代物であった。

 歩兵用の甲冑を着込み、小型の盾を背中に吊るしたかと思うと、延々と行軍する事から始まったからだ。

 この時代の大多数の兵がそうである様に、〝盾歩兵〟となって。

 毛利の足腰が覚束無くなるまで、それは続けられた。


「も、もう……駄目……」


「馬鹿野郎! 本番はこれからだ!」


 地に倒れ伏し、弱音を吐いた毛利に対し、遅参した牛輔が叱咤する。

 そんな彼に、毛利はジト目を向けた。


(遅刻してきたくせに。何で偉そうに言うかな……)


 牛輔からの答えは無情にも、「剣を抜け、盾を構えろ」であった。


「そんな……。牛輔様、私の足は既に棒ですよ、棒。これでは歩く事どころか、立つ事もままなりません」


「昨日の今日でそんな弱音を吐ける、そんな貴様の図太さが初めて羨ましいと思ったよ!」


 確かにその通りである。

 毛利は子鹿の如く震える脚をなんとか抑え、気合いで立ち上がった。


「その心意気や良し、だ。見直したぞ」


「あ、ありがとうございます」


「後は死ぬ気で頑張れ。さすれば、あの万分の一には至れるであろう」


(万分の一って……)


 牛輔が彼方を指し示す。

 そこには丁原他多数の厳しい眼差しを受ける、呂布と慮植の姿。

 互いに得物を携え、試合っていたのである。

 慮植の大きな戦斧が、


「はぁ!」


 振り下ろされ、呂布がするりと紙一重で躱した。

 そのまま片足を軸にして一回転したかと思うと、長柄の得物が慮植の首元を打ち、乾いた音を鳴らした。

 同じ様な攻防が何度も繰り返され、その度に息を呑む。

 まるで、蝶の様に舞い蜂の様に刺す、の見本を見せるかの様に。

 見る者が皆、感嘆の息を吐いていた。

 やがて二人の稽古が終わる。

 慮植が肩で息をする傍で、呂布は何時もの「はぁー、やれやれ」と言う体のままであった。


「あれが今代随一、天下無双との呼び声が高い呂布都尉、だ。いつ見ても、惚れ惚れとするな」


「ええ、初めて目にしましたが、思わず見入ってしまいました! 寧ろ、あの方の万分の一にでも成れたら良い方では?」


「その通りだ。が、お前は目指さねばならぬ。恐れ多くも皇上のお傍にまで上がるのだからな」


(マジかよ……)


 毛利は一晩寝た今、皇上劉弁からによる「身に余る光栄」の類に浴していると、はっきり感じていた。


(だからと言って、諸手を上げて〝皇上、万歳!〟とは言えないんだよなぁ。何せこの後、漢王朝は董卓による暴政の末に……。とは言え、袁紹や曹操らに代表される名門豪族? か官吏、更には生き残った宦官から命を狙われ可能性が高い。となると、董卓の庇護を受けないと色々拙い。あれ? もしかしなくても、詰んでる?)


 毛利の気がそぞろとなる。

 そこを、


「隙あり!」


 鈍い音と共に、牛輔の盾が襲った。


「ぐぅっ!?」


 所謂シールドバッシュである。

 毛利は派手な尻餅をつき、続く悲鳴で痛みの度合いを表現した。


「馬鹿野郎! 貴様如きが訓練の最中に気をぬいて良いもんじゃねぇ! この牛輔様がわざわざ相手をしてやってるんだぞ!」





 激しい朝練を終えると、時は既に朝食の頃合いであった。


「あいたたた……」


 水浴びを済ませ体は清らかになるも、毛利の心は真逆。

 暗澹としていた。


「どうした? 折角の飯が不味くなるぞ」


「……」


 毛利は仕方なく、再度渡された椀の中を覗く。

 中身は昨晩と変わらず、鳥の餌に似た雑穀によるお粥、であった。


(違いは……肉片が幾分多いぐらいかな?)


 何の肉かは、まるで分からない。


「いらんのか?」


 牛輔が物欲しそうに尋ねた。


「いえ、そう言う訳ではないのですが(お腹は空いてるけど、鳥の餌なんか食いたくない、なんて言えないしな)……」


「だったらどうした?」


「いや、この肉、何かなぁ、と思いまして」


「肉? 肉と言ったら、牛が最上だな」


(そこは古代中国も変わらないんだ)


「当然、これは違う」


(やっぱりか。問題は何かと言うことだけど……)


「次に、庶民の食する肉と言えば鳥か豚だ。しかし、これはそのいずれでもない。それは分かるか?」


「ええ、鶏肉も豚肉も良く食べていましたから」


「ほう? 鳥や豚とは言え、良く食した、か」


「ええ、勿論牛も食べてましたよ?」


「ふーん、なるほど、なるほど。だが、この肉が何か分からぬとな。ふむ、面白い事があるものだな」


「そ、そうですか?」


「お前が思う以上にな」


「は、はぁ……」


「でだ、後二種程良く出回る肉がある。それは……」


「それは?」


「羊と……」


「ああ、羊(ジンギスカン、だな)」


(いぬ)だ」


「い、犬!? 嘘でしょ! (火山というモノが傍にいながら、)あんたら、犬喰うんかい!」


 思わず目を丸くして声を張り上げた毛利。

 その頭を牛輔の鉄拳が捉えた。


「いってぇええ!」


 一人は頭を抑え、今一人が右拳を摩って叫ぶ。

 昨日から何度も目にする光景。

 ただし、広く俯瞰して見れば、違いが一つ生まれていた。

 それは、他者の視線が集まっていると言う点だった。


「貴様、何度言ったらわかる! 特にここは人前だ! 目上の者に対して礼を失するな!」


「す、すいません! あまりに驚いた所為でつい……」


「次はない。覚悟しておけ!」


「は、はい! ありがとうございます!」


 深く叩頭(こうとう)する毛利に牛輔は荒い溜息を吐いた。


「……チッ! まだこっちを物珍しそうに見ている奴らがいる。話を合わせろよ」


 毛利は牛輔にだけ分かる様、小さく首肯した。


「犬と羊の肉が見分けがつかぬだと!? 良いか、毛利! 筋の多さに着目せよ! この肉は筋が少ない! 故に羊なのだ! 二度は言わぬ! 良く良く覚えておけ!」


「はい! ご教授ありがとうございます、牛輔様!」


 言い終えて尚、這い蹲ったままの毛利。

 牛輔は小声で話し掛けた。


「よし、もう良いぞ。顔を上げろ、毛利」


 毛利はチラリと顔を上げ辺りを確認する。

 辺りの誰もが他所に視線を向けていた。

 毛利はそれを確認し、ようやっと姿勢を起こした。

 そして、


「すいません、牛輔様」


「ったく、気を付けろって言っただろうが。貴様は只でさえ敵が多いんだからよ。俺様の配下からさえも恨まれたら、お前、間違いなく今日中に死ぬぜ?」


「そうでした。本当にありがとうございます」


「良いって事よ。それが俺様の役目でもあるからよ。だが、何度も言うが呉々も気を付けろよ」


「はい」


 小声で言葉を交わした。


「ついでだ、他に気になった事はあったか?」


「うーん……。ああ、そうそう。魚は食べないのですか?」


「勿論、食うさ。鮒や鯉を蒸したり、餡掛けにしたりな」


「鮒や鯉を!?」


「うん? 食べた事無いのか?」


「え、ええ。魚は専ら、海のを頂いてましたから」


「……ふーん。で、後は何かあるか?」


「そうですね……」


 束の間、毛利は腕を組み首を傾げていたかと思うと、手をぽんっと叩いた。


「もう一つ、肝心なのがありました」


「なんだ、言ってみろ」


「将機、ですか? あれは一体、何なのです?」


 皇上劉弁より、伏羲(ふくぎ)が齎した代物だと教えられはした。


(そもそも、伏羲(ふくぎ)って何さ)


 だが、それ以上は何も知らない。

 知る得る機会が無かったのだ。

 が、それは——


「毛利よぅ……」


「はい?」


「お前、将機……つまりは〝七星将機〟を知らんのか?」


 それは、この時代の中国においては些か異常な事であった。

 古代より連綿と存在する、〝語り継がれし神話の確たる証拠〟なのだから。


「え、ええ……(あれ? もしかして、〝連邦の白い悪魔〟並みの一般常識だった?)」


 牛輔は腕を組み、深く探る眼差しを毛利に向けた。

 暫くすると、彼は何事も無かったかの様に口を開いた。


「将機とはな、将たる器に目覚めし者のみが賜る、神器の一種だ」


「神器……(凄い答えが返ってきた! ま、まぁ、白い奴の熱核反応炉も神器みたい物だろうけどさ!)」


「今でこそあの大きさだが、殷の紂王が治めし時代においては遥かに巨大だったのだ」


(全高五メートルはあったぞ? あれよりも遥かに巨大って……)


 それを太公望が率いる仙人や道士、遂には妖怪までもが駆り、戦いに明け暮れたとか。


(太公望……それ、何て封神演義?)


「この程度、そこらを歩く(わっぱ)ですら知ってるぞ?」


「む、無知ですいません」


「ま、知らぬなら学べ。死ぬ気でやれば、何事も遅くはないだろうからな!」


「そう……ですね(一年以内に百年近く続く騒乱が始まるんだけどな)」


 冷静に考えれば考えるほど、時間が無い事に気付く毛利であった。

 だからだろう、次の問いが口を突いたのは。


「朝の鍛錬では、将機の練習は行わないのですか?」


 良く良く考える事なく。

 牛輔が呆れ顔を晒したのは当然である。


「馬鹿か貴様は」


「え!?」


「皇上の御座す宮城内で将機を出してみろ! 直ぐ様、反乱の意思あり、と見做されるわ!」


「そ、そういうものなのですか?」


「今一度城壁を見てみよ! 将機では決して登れぬ高さにしてあるのはその為だ! 袁紹らが将機を出さず、自らの手で宦官共を殺めたのも、それが理由だ」


「なるほど。そうなんですね……(宮城内で剣や大斧を振り回すのと何が違うのか?)」


 良く分からぬが分かったふりをする。

 毛利の悪癖であった。


 やがて、食べ終えるや否や、牛輔は大きな欠伸をかいた。


「寝不足の様ですね、牛輔様」


「分かるのか?」


「ええ、目の下の隈が酷いですから」


「董卓様の兵が夜半に三千ほど追加でここ洛陽に参ってな。その世話で忙しい」


「そうでしたか。ご苦労様です」


 毛利の他人事然とした答えに、牛輔は口の端を歪めた。


「なぁに、これからの貴様に比べたら大した事じゃねぇよ」


「え?」


「ああ、そうそう。董卓様からの言伝を頼まれてたんだ。すっかり忘れてたぜ」


「え!? わ、私にですか? (嘘でしょ!? いずれ暴君となるであろう董卓からの言伝を伝え忘れた、だと!? 嫌われたらどうしてくれるんだよ! 楽しげに道を歩いていただけの人を、なんかカチンときた、ってだけの理由で殺すんだぞ! 尤も、董卓に好かれたとしても、反董卓軍との戦争の最中に死ぬ可能性が高いだろうけどな! と、兎に角だ! 付かず離れずな距離を取って置くに限るんだよ!)……な、なんでしょう?」


「董卓様がお呼びだ。お前の今後に関して、幾つか話しておきたい事があるんだとよ。良かったじゃねぇか、その間は董卓様直々に守って貰えて」


 言葉とは裏腹に、腹黒い顔を見せる牛輔。

 対する毛利はと言うと、


「(直々に……だと!?)おまっ、それ嘘だろ!?」


 と叫ぶのを、すんでのところで口を押さえ我慢していた。

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