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#008 毛利黄門、絶体絶命の危機

「おい、貴様! 黄門・毛利だな!?」


「え!?」


 毛利は呆然とした。

 疲れ切った中、くぐもった声に振り返ってみると、三名の黒衣黒面が彼に白刃を向けていたのだから。

 あまりの出来事に思考が止まったのも、致し方のない事であった。


「チッ、言葉が分からないのか!?」


「その様な事! 司空・董卓の手勢と親しく話していたのを、この私は確かに目に致しました!」


「やはり、貴様が毛利黄門で間違いないのだな!?」


 黒衣の一人がずいっと近ずく。

 驚いた子猫が鳴きながら走り去った。

 その音のお陰か、驚愕のあまり止まっていた毛利の思考が動き出し、自身の置かれた状況を把握し始めた。


(ぬ、抜き身の短剣を手にした覆面が三名! もしかしなくても、俺の命を狙ってる!? まさかの、三国時代の洛陽一日目にして退場か!)


 いや、


「そう言われればそうなのかもしれないけど! 声を大にして、敢えて言わせて貰おう! 人違いです、と! 何故ならば、世直しの旅に出た覚えがないのだから!」


 激しく動転していた。

 ナチュラル・ハイも相まって、尚更である。


「何を訳のわからぬ事を! 構わぬ! 殺れ!」


「全ては皇上の御為! お許し下さい!」


「悪いな、小僧! 呪うなら、不相応な身分を頂戴した己が身を呪えよ?」


「やめて! 助けて! 命ばかりは取らないでー!」


 毛利は無様に命乞いするも、効果はまるでなかった。

 偉そうに命じる黒衣の一人を中心に、他二名が左右に広がり、毛利との距離を徐々に詰める。

 一太刀目は毛利の右側から迫った。


「死ね!」


「ヒィィッ!」


 跳ぶ事により最初の襲撃を躱した毛利。

 だが、足がもつれ、その場に倒れた。

 そこを、左側から迫る黒衣が襲う。

 屁っ放り腰の下半身、震える腕を上げながら。

 今にも突き刺さんと剣先を向けて。

 毛利少年は正に、絶体絶命の危機に陥ったのだ。


(やだよ! まだ童貞なのに、死にたくないよ! 誰か助けて!)


 声なき叫びが上がった。

 だが、誰も応えはしない。

 この場には、毛利の味方となりうる人影は皆無なのだから。

 毛利は受け入れ難き現実を理解する。

 視界が滲み、鼻の奥がツンと痛んだ。


(ああ、駄目だ……。ここには誰も……)


 ところがである、


——力……を…………


 毛利にだけ聞き取れる、声なき声が届いた。


(な!? なんだ!?)


 だが、その疑問は、


「グルゥゥゥウウウ、バウ! バウバウバウ!!」


 突如争いに乱入した、巨大な赤犬の姿により霧散した。

 そう、董卓の愛犬、火山によってだ。

 火山は剣を振り被る黒衣の屁っ放り腰に、その巨体を押し当てた。

 黒衣の下は痩せていたのだろうか、思いの外、勢いよく弾んだ。


 勢い良く押し出された体が向かう先は、偶然にも毛利が横たわりし場所。

 必然的に交錯する二つの体。

 錐揉みしながら空を舞う黒衣の腕が毛利の石頭に激しく当たった。

 鈍い音が響いた。

 刹那、甲高い悲鳴が轟く。

 黒衣の左腕があらぬ方へと曲がっていた。


「お、おい! 大丈夫か!? チッ! 何て石頭だ!」


「何を気にしている! そんな事を言っている暇があったら、お前が殺るんだよ!」


「し、しかしよぉ……」


「いいから殺れ!」


「へい、へい……」


 が幸いにも、それは為されなかった。


「貴様ら、宮中であるぞ! 何を騒いでおるか!」


 少し離れた場所から放たれた大音声と、数名分の足音が聞こえたからだ。


「……ずらかるぞ。肩を貸してやれ」


「はいよ!」


 二人の黒衣が腕の折れた黒衣に肩を貸し、この場を駆け足で離れる。


「ぎゃーあぁぁぁぁ……」


 痛みに耐えかねた悲鳴、それが徐々に遠ざかった。

 その後を火山が追う。

 赤い毛に覆われた口元が、嬉しそうに吊り上っていた。

 そこに、


「おい、小僧! 大丈夫か!」


 毛利の命の恩人が現れた。

 何とその者は、小麦色の肌に明るい色の髪を伸ばした壮年、


「丁原様?」


 であった。


「いかにも、執金吾・丁原である」


 執金吾専用なのだろうか、他とは明らかに違う煌びやかな官服が毛利の滲む目に映えた。

 その後からも二人程が続く。

 丁原と似た風貌の美丈夫呂布と、二メートル近い巨躯を誇る老将慮植だ。


(呂布、それに慮植も!)


 二人は犬の後に続いた。

 彼らの背を見送りながら、丁原が分厚い手を毛利の伸ばした。

 毛利はその手を確と握り返す。

 そのまま力任せに、引き起こされる毛利。

 そんな彼に対し、丁原は、


「まったく、皇上の近侍となろう者がこの体たらくでは困るぞ。いざとなればその身を盾にしてでも皇上を護らねばならぬのだから」


 苦言を呈した。

 言われた方の毛利はというと、自らの醜態を顧み恥じ入る。

 それでも何とか口を開き、感謝の言葉を表したのだ。


「あ、あの、ありがとうございました……」


 丁原はそんな毛利を目にし、目尻を下げた。


「いやいや、礼を言うなら火山にだ。あの犬が宮城で突然吠えたかと思うと駆け出した故に、我らはその後を追って来たのだから」

「あ、そうなんですか? 機会があれば、火山? にも礼を言っておきます。でも、丁原様達にも助けられたに違いないので」


 そこに、呂布と慮植が戻って来た。


「今時珍しいぐらい殊勝な心掛けだ。そうは思わぬか、慮植殿?」

「確かにそうじゃな。しかし御主、稀に見る逃げ腰であったぞ? 皇上のお傍に侍る黄門が、流石にあれでは拙かろう」

「す、すいません。刃物を持った人に襲われたの、生まれて初めてなんです」


 毛利の言った事は尤もである。

 なにせ、彼の生まれ育った現代社会では、刃物など持ち歩いただけで捕まるのだから。

 当然といえば、当然であった。

 だが、どうやらここは古代中国。

 盗賊やら夜盗、更には暗殺者が跋扈する修羅の世界。


「折を見て、鍛え……ます……」


 毛利は力無くも、そう口にせざるを得なかった。


「それなら、毎朝の鍛錬が一番じゃ! どれ、この慮植が明日から見てしんぜよう!」


(えええ、ネームド部将と鍛錬!? いきなりハード過ぎて、怪我しそうなんですけど!)


 キャッチャーミットの様な手が、毛利の背中を勢いよく捉えた。


「おわっ!(い、いてーっ!)」


「おお、それは良い! 慮植将軍なら宮中にもお詳しい。一石二鳥だ。よし、決まりだ!」


(と、当人の同意なしか!)


「そうだろう、そうだろう」


「ああ、ついでに我が愛娘の夫、呂布も入れて貰えぬか?」


(三国志最強の部将、呂布まで!? 怪我どころか、下手したら死んじゃう!)


「ち、義父上……」


(ほら、困ってる、困ってる! だから、止めよう? ね? ほら、呂布さんからも強く抗議して!)


「義父上……その……」


「この通り引っ込み思案でな。だが、これからの世はこれでは困る。だから……鍛えて貰って来い!」


「は、はい……」


(そ、そんな……。呂布のイメージと違う……)


「いやいや、呂布都尉(とい)(洛陽を警邏する衛士の隊長。五品)の名声はかねがね伺っておる。それに、将機に乗らば天下無双、の呼び声も高いではないか」


 面と向かって褒められた呂布。

 彼は先の毛利の如く、恥じ入った。

 丁原が「これだから先が思い遣られる……」と零した。

 そこに、


「おお、毛利! ここにいたか!」


 牛輔が現た。


「牛輔様! お、遅いよ!」


「いや、すまん、すまん。流石に俺が悪かった。で、この集まりは一体なんだ? ……と、丁原様に慮植将軍ではありませんか!」


 丁原は「おう!」と答え、彼の知る一部始終を語った。

 牛輔の第一声は、


「毛利、貴様は何て運の良い男なんだ!」


 であった。


「いや、逆でしょ、逆!」


「はぁ? 貴様、何言ってんだ? それと口が相変わらずなって……ねぇな!」


 毛利の頭から鈍い音が響く。

 と同時に、二人の口から苦悶の声が上がった。


 命の恩人達に重ねて礼を言った後、前殿を牛輔と共に立ち去った毛利。

 二人はその足で南宮内の官舎へと向かった。

 黄門としての官服に始まり、様々な日用品を揃える為に。

 意外なことに、その全てを牛輔が手配したのだ。

 毛利は「なぜ?」と思い詰める。


「あの、牛輔様……」


「なんだ、毛利」


「牛輔様もそうですけど……皆さん、どうしてこんな右も左も分からぬ、何処の馬の骨とも分からぬ私を良くしてくれるのでしょうか?」


 牛輔は大きな溜息を吐いた。


「貴様って奴は……気付いておらぬのか? 毛利、貴様は無様過ぎて目も当てられぬ状態なのだぞ。まるで、何も知らぬ迷子の幼子。だから、……皆、放っておけぬだ」


 毛利の心が温かい何かで満ち、鼻の奥がツンとし始めた。

 やがて、その目が潤み始める。


「馬鹿野郎! それにだなぁ!」


「ぐすっ。そ、それに?」


「これは言いたくはないのだがな! 黄門がそんな体たらくでは皇上が困るのだ! 貴様は皇上の御言葉を時には伝えねばならぬ要職に就いたのだから! それを呉々も自覚せよ!」


「ああ、そ、そうでしたね。では、黄門として、明日からどうしたら良いのでしょう?」


「さぁな!」


「は、はい!?」


「いや、実は俺も宮中で働いた事がなくてな。慮植殿や丁原殿に聞こうと思っていたところだ。この後にでもお前の事も聞いといてやろう。だがな、これから言う事だけは守れ、いいな?」


 牛輔はこれまでに見せた事の無い、真剣な顔を毛利に向けた。

 向けられた若者は目元を拭い、


「は、はい!」


 元気に答える。


「一つ、先の三人や俺から極力離れるな! 確実にまた狙われるだろうからな。それと、自分の身は自分で守れるよう、鍛錬を絶やすなよ!」


「はい!」


「次は出仕に関してだ。知っての通り、俺達官吏は辺境だろうが、宮城だろうが、五日働いたら一日休みだ」


「え、そうなんですか?(昭和初期の会社員ですら、六日働いて一日休みだったと聞いたような……)」


「それも知らねぇか……。まあ良い、その休みでしっかり髪を洗い、乾かせ。と言ってもお前、髪短いから直ぐ乾くな」


「そうですね。そんなにジロジロ見られても、禿げてませんよ……」


「ちげーよ! 随分と綺麗に揃えられていると感心してたんだよ!」


 異性と握手をする為だけに身嗜みを整え、秋葉原を訪れていたからだ。


「それと飯だが、官吏には官吏用の食堂が有る。今夜はもう遅いから俺が金を出してお前の官舎の部屋に届けさせる。が、家人のいないお前は明日以降は朝夕と自分で食いに行け」


「はい! あ、ありがとうございます!」


「うむ! あと、三人以上で許しなく酒を飲むな。罰金刑になるからな」


「ははは、未成年ですから飲みませんよー」


「はぁ? 未成年? おかしな事を言う奴だ。ああ、そうそう、樗蒲(ちょぼ)、投壺はやっても良いが決して金を賭けたりするな」


「樗蒲、投壺?」


 牛輔は心底呆れた。


「……もう良い。そのうち教えてやる。もちろん、金を掛けてな」


「いや、今、賭けるなって……」


「授業料だよ、授業料!」


 その後、毛利は一人で飯を食う事に。

 牛輔が一緒に食べるかと思いきや、彼はそのまま踵を返したのだ。

 何やら用事があるらしい。

 毛利は一人寂しく室内を見渡した。


「ここが俺の寝泊まりする部屋……か。狭いな、寝るのでやっとじゃないか。それに……風呂は勿論の事、トイレもない」


 手にした碗の中身は、鳥の餌にしか見えない雑穀のお粥。

 肉と野菜が申し分程度に混じっている。

 実に侘しい料理であった。

 毛利は床に座り、一口啜った。


(……うん、塩気が足りない。コンビニがあれば、直ぐに買いに行くのに。はぁ……なんで俺、こんな事になってんだろ?)


 毛利はこの日の始まりを振り返った。


(地下鉄の改札を抜けて地上に出た……だけの筈なんだよなぁ)


 そして、ゴロンと横になった。


(タイムスリップ……かな? ああ、元の時代に戻りたい。本当だった今頃……)


 大好きなあの娘と握手していた筈なのに。


(しかも、董卓に呂布、加えて袁紹に曹操のいる洛陽と来たもんだ。……って事は、一年もしない内に、五千万程度いた中国人が七百万人前後に激減する騒乱? が始まる筈。俺、こんな所で死にたくないよぉ……)


 抑えていた感情が突如溢れ出し、それは涙となり、嗚咽へと変わった。


 それを、割合近くで耳にする者らがいた。

 一人は大きな赤毛の犬に背を預けたまま。

 膝上の白い兎を優しい手つきで、愛おしそうに撫でている。


「ふむ……どうも解せんな、董旻」


「何がです、兄上」


「毛利の事よ。あれ程の幸運に恵まれたならば、体が打ち震える程の喜びに塗れようが」


「在野から一夜にして高位の官吏となり、あまつさえ北宮に入る機会を得られる身分になりましたからな」


「然り。だと言うのに毛利は、あやつは……ほれ、あの通りよ。……一体、何をその内に秘しておる?」


「そうですなぁ……。確かに、気になりますな。が、かたや新たな趙高(ちょうこう)(史上最悪の宦官)や蹇碩(けんせき)になり得るかと思えば、その器ではなさそうです。それに、そうと分かればその時に斬り捨てれば良いではありませぬか」


「……いや、念の為、この董卓の目の届く範囲に置いておく」


「黄門、をですか?」


「人出が足りぬと言えば何とでもなろう。そもそも、官吏の知識がまるで無いのだ。使い物にならぬ輩を、この董卓が勝手に使っても文句は言われまい」


「相も変わらず、ああいう手合いにはお優しい事で。では……」


「うむ、直ぐにも手配を致せ」


「はは!」


「次に、何進大将軍と何苗将軍の軍兵だが……」




 他方、毛利に刺客を差し向けた者達も密談に励んでいた。


「運がいい奴よ」


「いや、あれは差し向けた手合いが悪い。他にはいなかったのか?」


「お陰でもう、迂闊に手を出せなくなったわ」


「されど、何の弊害にもならない、取るに足らない存在だとも知れた。皇上が強く望まれたと聞き、余程の人物かと思ったがな。よいよい、しばらくは様子を見ようではないか」


 月は雲に隠れ、宮中は深い闇に包まれた。

 風の音と、紛れ込んだ一匹の虫の鳴き声だけが辺りに響いていた。

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2019/03/01 18:00より新連載!
『煙嫌いのヘビースモーカー 〜最弱の煙魔法で成り上がる。時々世を煙に巻く〜』
異世界転移物です。最弱の煙魔法と現代知識で成り上ろうとするが異世界は思いの外世知辛く。。と言ったお話になります
こちらもお気に召して頂ければ幸いです!

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最後まで目を通して頂き、誠にありがとうございました!
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