#044 開戦
一九〇年一月下旬の酸棗。
今や兗州の各地より二十万にも及ぶ軍勢が集っている。
見渡す限りの、数多の天幕。
その中に、一際大きなのがあった。
そこに諸将が集い、互いに激しい言葉を飛び交わしながら軍議を開いている……筈が、今や軍議とは名ばかりの「酒だ! 酒をもっと持って来させよ!」酒宴が常態化していた。
そんな彼らに、諫言する者がいた。
「貴公らは何故、洛陽に攻め入ろうとせんのだ! これ程の大軍であれば、董卓と言えども恐るに足らず!」
曹操だ。
それに、諸将が代わる代わる答える。
「慌てるな、曹操殿」
「貴公も見たではないか。和睦の使者が様子を」
「滑稽なまでに、必死であったわ」
「思うに、冀州、兗州、豫州と洛陽への糧道が細まり、洛陽に食糧が届かぬのだ」
「後一月もすれば洛陽の糧食は尽き、董卓は首を垂れるだろう」
「その事を、盟主の袁紹殿はよーく分かって居られるのだ」
暗に非難された曹操。
彼は、
「腰抜けどもが!」
と内心憤った。
そこに、
「董卓が長安への遷都を強行していただと!?」
「如何して分かった!?」
「袁紹殿が王匡殿の下に参った執金吾(当時誰もが羨んだ花形官職)の胡母班を捕らえ詰問したところ、先の言が得られたとの事!」
その直後、曹操の脳裏に李黒の言葉「更なる変事が起きた証」が蘇った。
「もしや、簒奪者の身に何かあったか!」
流石は曹操、良く気付いたものである。
「これぞ天恵! 今こそ、董卓を滅ぼす好機なり!」
彼は直ぐさま諸将に声を掛けた。
ところがである。
彼らは、
「我らが擁する大軍に恐れをなしたのだよ」
「慌てる必要など無い。後一月もすれば洛陽にいる軍勢も糧食が尽き、いずれは長安へと向かう。その後、ゆるりと洛陽に入れば良いのだ」
と言っては、酒盛りを継続する。
「おのれらはっ!」
実のところ、曹操は切迫していた。
「衛茲殿、このままでは金が尽きてしまう」
衛茲とは曹操最大の支援者である。
曹操は兵を挙げる際、先ずは自身の親を頼った。
曹操の父である曹嵩は三公の一つである太尉を得る為、時の皇上に一億銭にも及ぶ財貨献上し得た資産家であったからだ。
曹嵩は子の頼みに答え、大金を融通した。
自身は子の足を引っ張らぬ様、徐州へと移ってまでして。
だが、十分では無かった。
そんな曹操に対して、更なる支援したのが衛茲なのだ。
彼は自身の家財を処分する。
それで得た金子を曹操に与えたからこそ、曹操は五千の兵を率いる事が出来たのだ。
「諸将は領地から得られる税がある為、悠長な事を申しておるのです。袁紹殿は冀州牧から支援を受けておられます」
「拙いぞ……」
追い詰められた曹操、諸将の前で大見得を切った。
「えーい、話にならん! かくなる上は私が先陣を切るゆえ、志しある者は後に続かれよ!」
曹操は洛陽の東に位置する、司隷は河南尹にある成皋を目指して進軍を始めたのである。
(あの地は洛陽を支える強大な食糧庫。董卓が長安に遷都した隙に乗じて、この曹操が抑える! 然すれば、問題が全て解決するではないか!)
それに従ったのは曹操の盟友でもある鮑信とその弟、更には衛茲だけ。
総勢三万弱であった。
◇
一方の毛利はと言うと、呂布に頼みし事に励んでいた。
それは、
「呂布様! 今一つ御指南を!」
「まだ、やりますか……。もう、槍を持つ腕が酷く重たいのですけど」
呂布との特訓であった。
「それに、毛利は盾で身を守るばかりではありませんか。それでは敵将を討てませんよ?」
「いや、討ちませんよ? 初陣で生き残る事が優先ですから」
そこに、何故か董旻が現れた。
今や涼州軍だけでなく、董卓に代わって国を差配する者がだ。
毛利だけでなく、呂布が素早く礼をとる。
「構わん、楽にしろ」
董旻は振り返り、
「徐栄、此奴が毛利だ。毛利、この者は中郎将・徐栄。俺の副将でもある」
徐栄に毛利を引き合わせた。
(で、でかい。慮植様より背が高いかも……)
毛利は見上げる形となった。
「貴様が毛利か」
「はい」
「皇上の覚え目出度いらしいが、特別扱いはせんぞ」
「はぁ……」
そんな事をわざわざ言いに来たのか、と毛利は首を傾げる。
すると、董旻が本題を口にした。
「毛利は牛輔ではなく、徐栄の幕下に加わる。酸棗に集まるも連日酒宴に耽る賊軍を強襲するのだ。出発は明朝。詳しくは徐栄に聞け!」
「は、ははっ!」
(お、思ったよりも出陣が早い! そこまでして俺を亡き者にしたいか!)
完全に勘違い、たまたまである。
(それにこんな展開、三国志にあったか?)
勿論あった。
(相手はもしかしなくとも、孫堅!?)
違う。
ただ一つ言えるのは、それこそが官軍と反董卓連合との開戦を世に告げた一戦だったのだ。
徐栄が率し軍は滎陽にて軍を休め、酸棗にいる敵軍の様子を窺っていた。
すると、思いもよらぬ報せが届く。
「逆賊の一部が酸棗を離れ、汴水に向かっております!」
汴水とは、黄河支流の一つである。
洛陽の北東から黄河より分かたれ、兗州を経て徐州、更には海に至っていた。
河幅は当然広く、その流れは早い。
「何? 賊軍の数は如何程か? 何処に向かっておる?」
「数は多くて三万! 向かう渡し場の位置を鑑みるに、敵軍は成皋が目的かと思われます!」
徐栄は直ぐさま動いた。
「良いか! 逆賊は我等より寡兵なれど、成皋を得ようと目論んでおる! 洛陽の民の、我等の糧食を食もうと言う訳だ! 許せるか!?」
——否!!!
兵の口々から大音が発し、大気が震えた。
貧しい土地で生まれ育った涼州の兵は、飢えを人一倍嫌うからだ。
「よし! ならば、出陣!」
そして、徐栄の軍は渡河中であった逆賊を捉えた。
「見よ、毛利! あれが敵だ!」
と口にしたのは徐栄だ。
彼は何故か、毛利を側に置いていた。
一方の毛利はと言うと、
(何その、「翼よ、あれがパリの灯だ」みたいな台詞。俺もいつか、言ってみたいわ。でも……あれは確か、飛行機だよなぁ)
戦さを前にして、余計な事を考えていた。
「ふっ、怖じ気付いたか!」
「そ、そんな事ありません! な、何でしたら、い、今すぐ突撃して見せましょうか?」
勿論、毛利の本心ではない。
「いや、まだ早い!」
(突撃するのかよ……)
そして、それは為された。
敵の軍勢が半数程渡河した頃合いで。
「行けぇい!!!」
——応!!!
渡河中の軍の横合いから突如現れた将機の大軍が、まるで鮫の如く大きな顎を広げて喰らい付いたのだ。
「な、涼州軍だと! 一体何処に隠れていた!」
と叫んだのは渡河を終えたばかりの曹操だ。
彼はそう叫びながらも、目まぐるしく頭を働かせている。
そこに、彼の腹心が文字通り飛んで来た。
「曹操様!」
「おお、夏侯惇! お主は衛茲殿を助けて参れ!」
衛茲は先陣を買って出ていたのだ。
彼は曹操最大の支援者にして理解者。
この様な所で死んで良い人物では無かった。
当然、夏侯惇も曹操の副将。
死んで良い身では無い。
だが、命じた曹操も、命じられた夏侯惇もその様な羽目に陥るとは、毛頭考えていなかった。
「承知!」と答えた夏侯惇の左腕が輝く。「出でよ、孟章!」
その呼び声と共に現れたのは、青き光に輝く七星将機。
二つの手にはそれぞれ一本の大剣、俗に言う朴刀が握られていた。
両の肩からは、それぞれ丸い盾らしき何かが生えている。
その将機は瞬く間に、青い線を引きながら先陣へと向かった。
その頃毛利は、やはり徐栄の傍らに居た。
「毛利よ! あれが戦さだ!」
指し示された場所では、将機による蹂躙が行われている。
まさしく無双。
毛利は自身の血の気が引いていくのが分かった。
ふと、彼は視線を感じる。
徐栄からだ。
彼は先の言葉に対する、何かしらの反応を求めていた。
「賊軍とは言え、元は官軍。互いに名乗りを上げてから戦うのかと思ってました」
「貴様のその考えは面白い」と言って徐栄は笑った。「だが、相手がわざわざ渡河に手間取ってくれているのだ。ならば、そこを攻めてやらねば悪いであろうが」
「敵に対してですか?」
「この徐栄が預かる、将兵に対してだ」
全くもってその通り。
この時代、誰もが功を上げ、生活を豊かにしたいと願っているのだから。
容易く屠れる相手など、ご馳走である。
だからこそ、今、毛利の眼前では涼州軍に圧倒的な勝利、大勝利が齎されようとしていた。
五万対三万。
それも、寡兵側が攻められたら圧倒的に不利になる渡河中を、大兵側が襲った戦闘だ。
当然と言えば、当然であった。
「ち、ちなみにですが……」
「何だ?」
「逆賊の軍は、誰が指揮しているのでしょうか?」
これは毛利の素朴な疑問だ。
彼はてっきり、緒戦の相手は孫堅かと思っていたからだ。
だが違った。
先陣を行く将機が白虹色をしていないのだから。
徐栄が口にした答えは、
「曹操だ」
であった。
(……え?)
「えええ!?」
(今にも包囲殲滅されそうなのが、三国志最大の雄にして魏王となる曹操の軍!?)
毛利に衝撃が走った。
だが、直ぐに回復する。
彼にはそうせねばならない訳があった。
「徐栄様! 今直ぐ私達も追撃に加わるべきです!」
「駄目だ」
「何故ですか!」
「大将自ら追撃に加わる軍が何処にあるか」
全くの正論である。
窮鼠猫を噛む、とも言うのだから。
だが、毛利には関係なかった。
何故ならば、将来、漢王朝にとって不倶戴天の敵となり得る存在が目の前にいる曹操だったからだ。
「ですが、あれは今討つべきです!」そして、程なく毛利は意を決した。「私に行かせて下さい!」
この時、徐栄は考えていた。
大将である董旻から、「もし毛利が出たいと行ったら、決して妨げるな。手出しも無用だ」と言い含められていたからだ。
「何故だ? 曹操はこの戦さに勝てぬ。今後は再起の目も無いであろう」
「そんな事は有りません! 曹操は必ず、我らの前に巨大な敵となって立ち塞がります!」
徐栄は一つ小さな溜息を吐くと、酷く寂しそうな目を毛利に向けた。
「そこまで言うなら良いだろう。行って来い」
「ありがとうございます! 顕現!」
現れたのは、腕が赤く、胴が青く、頭と両脚が黒く、黄色に輝く大盾を二枚携えた将機、麒麟だ。
毛利は出た。
我を忘れて。
背を向けて来た道を戻ろうとする、薄黄色の将機目掛けて。
それは既に片腕を失い、頭部が砕け、それどころか満身創痍であった。
護衛の将機に追っ手を委ね、自身は逃げに徹している。
(間違いない、あれが大将だ! 俺が曹操を討つ!)
そんな彼の前に、立ち塞がっる将機が現れた。
『誰だ! 邪魔立てするな!』
『ほう、我が名を問うか?』
それは一度見たら忘れられない形をしていた。
(肩に丸盾だと!? そんなの有りか!)
それは答えた。
二本の大剣を交えながら。
『我が名は夏侯惇! 高祖にお仕えせし夏侯嬰の末裔よ!』