#043 渭陽君・董白爆誕
劉弁に董白と名乗らせ、董卓の一族として扱う。
その上で皇族同然の扱いがなされる渭陽君に封じる。
劉弁の蘇りを妨げ、且つ不自由させない。
董旻らが考えた、一石二鳥な妙案。
だがそれは、毛利にしてみると最悪の一手であった。
(劉弁様が董一族に!? 正史だと族滅するんだぞ!)
刹那、毛利の目に浮かんだ。
亡くなった董卓の臍に蝋燭の芯を突き立てられ、火を点された光景が。
その淡い光に照らされる幾つもの生首。
全て董卓の縁者達である。
(あ、あああ……その中に劉弁様が……)
故に断固反対。
毛利はそう決意した。
だと言うのに、
「よし。毛利は劉弁様を説得しろ。いや、必ず受け入れて貰わねばならん」
と厳命される。
(何で俺が!? どう考えても牛輔様の仕事でしょうに! ……待てよ。ここは一旦引き受けつつ、劉弁に拒否して貰う手も有りか。いや、その前にデメリットを挙げておけば考え直すかな?)
「お待ち下さい牛輔様」
「なんだ、毛利」
「それは悪手かも知れません」
「何処がだ?」
「一つは劉弁様の気持ちです。公には死んだ身とは言え、歴とした皇族。それどころか、先代皇上です。臣に下る事を良しとするでしょうか?」
「それを滞りなく成すのがお前の役目だ」
「(端から無茶振りか!)……勿論、万難を排して臨み、必ず果す所存。ですが、本人が良いと申し臣籍に下りたとして、他の者が何と思うか。人の心は一度曇ると容易に晴れません」
「つまり、何が言いたい?」
「劉協様、それに何前皇太后のお気持ちを確かめたのでしょうか?」
十分な根回しをした上で実行しないと政権運営上支障をきたすのでは、と毛利は訴えてみたのだ。
恐らくこの案は急拵えだろうと見越して。
もしそうなら「それもそうだな」と牛輔が頷く可能性が高い。
だが一つ問題があった。
それは、
(後の世にまで有能な軍師と伝わる賈詡なら、俺の浅知恵など簡単に論破されそうだ)
である。
刹那、当の賈詡が突然、
「ああ、漸く分かりましたよ、毛利殿」
と声を発し、毛利はドキリとした。
「な、何がです?」
「地図のこの線は高さを表しているのでしょう?」
(そっちか!)
彼は胸を撫で下ろした。
「はい。牛輔様の主観で、平地、ほんの少し高い、少し高い、高い、とても高いの五段階で分けております」
「素晴らしい!」賈詡が目を輝かせる。「つまり、この線が互いに密なら急な斜面を表し、疎になっている場所は緩やかなのでしょう」
牛輔が「え、そうなの?」と言わんばかりに目を見張っている。
毛利はそんな彼に「分かってなかったの?」と冷めた目線を向けつつ、
「その通りです」
と答えた。
その直後、
「この書き方は貴方が考え付いたのですか?」
「勿論違います」
「やはり。では誰が?」
答えに窮する問いが。
(今、そんな事気にする!? ど、どうする? 何て答える? 教えてくれたのは小学校四年時の担任、林先生だけど……)
言葉に詰まる毛利に対し、賈詡が躙り寄る。
「賈詡よぉ、これが如何したってんだ?」
「是非とも、洛陽……失礼、長安に呼ぶべきです。世人には代え難き才人かと」
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
「ですが、惜しい」
「何がです?」
「高低差を細かく表そうとすればする程、記す線が増えます。それを寸分の狂い無く書き写すには多くの手間が必要となるでしょうから」
書くのもだが、寧ろ間違いを見極めるのが大変になる。
毛利の問いに、賈詡はそう答えた。
「ああ、でしたら版画の技法を使えば良いでしょう」
「版画、ですか?」
(あれ? 文化レベル的に無い事は無いと思うんだけど……)
毛利は知らなかった。
現代に残る最古の版画が、七百年代である事を。
但し、木印は紀元前五千年から存在していた。
字の如く、印鑑としてだ。
当時は粘土に押し付けていたとか。
「え、ええ、平らな木の板に図を写し描き、それ以外の部位を彫るのです。そして、彫らずに残った部分にだけ墨を着け、その上から紙を重ねると……」
毛利が木版画の説明を始めるも、牛輔がそれを止めた。
「あー、そんな細けぇ話は後にしろ。今は劉弁様に御名を変えて頂く事が先決だ」
至極残念そうな表情を浮かべる賈詡。
だが彼は、直ぐに頭を切り替えてみせる。
「その件でしたら、全く問題無きかと」
「何でだ? 皇上や何前皇太后から不興を買うかも知れねぇって、この毛利が……」
「董旻様、それに李儒がその様な不手際を起こすとは思えません。故に、後は劉弁様に何時迄も男装を続ける不利益と、渭陽君に封じられる際の利を説くだけで良いのです」
「それもそうか」牛輔は意を決した。「と言うわけだ毛利。四の五の言わず劉弁様を口説け」
こうなった以上、
「……はい」
毛利にはそう答えるしかない。
◇
「僕の名前が〝董白〟に変わる?」
男装の麗人、劉弁が毛利に上目遣いで尋ねる。
「は、はい。それだけでは有りませんが……」
と赤面する顔を背けながら毛利が答えた。
(ちょっ、近いって!)
だが、離れない。
(相変わらず、良い香りが……って違う!)
何故ならば、彼は劉弁への説得を委ねられているからだ。
(皇族に対して劉の姓を穏便に捨てさせるのは、流石に無茶だろ! だと言うのに、俺がここで劉弁に嫌われでもしたら……)
毛利の言葉が彼女に届かなくなる。
そうなって仕舞えば、救えるものも救えなくなるかも知れない。
(しかも、説きつつ、最終的には反対して貰う必要がある。そうでないと、もし史実通りとなってしまったら董白となった劉弁様までもが死ぬ!)
毛利はその重責に、今にも押し潰されそうになった。
「唐夫人はどう思うの?」
「悪い話では無いと考えます」
と劉弁に答えたのは、実のところ三十代前後にしか見えない女が扮した老婆。
唐姫の実母であった。
「どうしてかな?」
「家令や丞を置けますから」
曰く、匿われ続ける事無く、大手を振って何不自由なく暮らせる様になるらしい。
今、劉弁が自由に使えるのは唐夫人と毛利のみ。
長年、大勢の人に傅かれながら生きてきた彼女においては、甚だ不便を感じていたのも事実としてあった。
「なら、受けよう」
なので、至極簡単に話が纏まる。
(嘘!? ほぼ即決!)
毛利は驚き、目を丸くした。
だと言うのに……
「では、直ぐにでも長安に参りませんと」
「劉協と唐姫、そして誰よりも御母様に会いたかったから丁度良かったよ」
「ここは余りにも戦場に近過ぎますから」
女達はまるで大した話でも無かったかの様に振る舞う。
毛利は二人の遣り取りに唖然とするしかなかった。
(そ、そんな簡単に……。な、何故だ? いや、生活が不便なのは分かる。だが、少しぐらい我慢すれば良いじゃないか。俺なんか、現代と隔絶した生活レベルに相当我慢し続けているんだから。それに、戦場が近い、だと? そもそも、誰がそれを招いたと思ってるんだよ! 当事者として洛陽に残る気構えがあっても良いだろうに……)
漫画の読み過ぎ、ゲームのし過ぎである。
君子危きに近寄らず、が徹底されていた時代なのだから。
(っと、そんな事はどうでも良い。既に賽は投げられた。結局のところ、董卓様が呂布様に裏切られない様にするしかない。となると劉弁様に帯同して長安入りし……)
そしてこの夜、月明かりを頼りに休まず行軍していた一隊が洛陽入りした。
「牛輔様、凄い将機の数ですね。人の姿が殆ど見えない」
「と言うか、将機だけだ。盾歩兵等が洛陽入りするには、もう暫く掛かる」
「赤い将機が多いのは何故です?」
「董卓様の将機だった赤兎に肖って、だな」
将機、正式名称は七星将機。
腕に現れた光点に玉を重ね合わせると、その色に応じた人型兵器が顕現する。
しかも、色に応じた特性を備えて。
実に、魔訶不思議な存在なのだ。
古代の神、伏羲により齎された故、当然と言えば当然であった。
「あれ? もしかして、赤兎じゃないですか?」
口にした端から、毛利の顔がほころぶ。
「そんなに嬉しいかね?」
「呂布様がおられれば、一騎当千ですから」
本当は、洛陽に呂布がいる限り彼の手により董卓が暗殺されないから、だった。
「そりゃ、違いねぇな!」
洛陽入りした董旻は劉弁との謁見を済ませると、直ぐ様諸将を集めた。
軍議だ。
彼らの足元には、巨大な地図が広げられている。
面白い事に、毛利が描いた物に酷似していた。
「始めよ!」
と命じたのは董旻。
それに賈詡が最初に応じた。
「河陽津(洛陽の北にある黄河の渡し場小平津、その下流にある渡し場)に王匡が手勢二万。首魁の袁紹が冀州勢を伴い河陽津に向かっております。黄河の南岸に目を転ずれば兗州の酸棗に張邈・劉岱・橋瑁・袁遺・鮑信・曹操他兗州勢の計二十万。荊州南陽郡の魯陽には袁術と孫堅他豫州勢の計二万が集まっておりますが態度未だ明らかにしておりません。尚、丁原の配下とも知られていた張楊は逆賊と合流せず」
「誰ぞ、策を献じよ」
董旻が再び命じた。
「されば、先ずは離間の計など如何でしょう?」
これもまた、賈詡である。
「具体的に申せ」
「逆賊の縁者を和睦の使者に遣わすのです」
「受ける筈がなかろう」
董旻ではない誰かが否定した。
「受けなくても結構。疑心暗鬼にするのが真の目的。故に、離間の計なのです」
賈詡の言葉はまだまだ続く。
「賊軍は所詮烏合の衆。離間が叶い、連携が拙くなった箇所から各個撃破を狙います」
「ですが、真の策は流言による混乱を引き起こし、時を稼ぐ事にございます。さすれば、あれらは何れ、金子と糧食が共に尽きるか、同士討ちを始める筈」
これが賈詡文和であった。
「他には?」
「遠交近攻を献策させて頂く」
場がどよめいた。
口を開いた者が、あの呂布だったからだ。
「良い。続きを申せ」
「冀州勢を幽州と、兗州勢を徐州と、荊州・豫州勢を益州勢と挟み撃ちにするのです」
「ふむ。問題は誰を使者として遣わすかだ」
「幽州にはこの呂布麾下の者が。并州生まれならではの、土地勘もあれば縁者もおりますので」
◇
「ってぇ事になった」
「良いんですか? 大事な軍議の結果を私なんかに話しても」
「構わねぇ。お前は直ぐ戦に出るんだからよ」
牛輔の言葉に、毛利は喉を鳴らした。
(な、何!?)
「つまり、お前は長安に行けないって事だ」
(それは困る! 俺が長安に行かないと董卓様と劉弁様を守る秘策が……)
返す言葉の無い毛利を他所に、牛輔が言葉を続ける。
「劉弁様は董白となる。家令は当然、他にも使用人が着くだろう。故に、お前が着いていく必要などない」
「そう……ですね」
(ああ、そうなのか。そもそもが、俺と劉弁様を引き離す策だったのだ。そして俺を戦争に連れて行き、あわよくば……)
「離間の計は何も敵だけに使うもんじゃねぇからな」
(俺も、董卓様と呂布様を引き離そうとしたし)
「毛利、理不尽だと思わねぇのか?」
「必要なら、仕方がないのでしょう(……但し、最後まで足掻かせて貰う)」
「そうか」
(それに、万に一つ生き残れば、今度こそ……。ああ、そうだとも! 大恩ある董卓様と劉弁様を救う為にも、必ず生き残ってみせる!)
毛利は存外、強かだった。
軍議を後にした呂布は、長安にて伝えられし事を一人思い起こしていた。
「お主が洛陽に行っている間、主の家族は引き続き我が屋敷で面倒を見よう」
「王允様、ありがとうございます」
「代わりに、密命を与える」
「はぁ?」
呂布は首を傾げた。
「漢室の正統を守る為、幽州牧・劉虞様を新たな皇上にお迎えする。お主もしくは配下には、その使者を務めて貰いたい」
「このこと、董旻様は……」
「勿論存じておる」
「ならば密命などと……」
「密命はこれからよ。心して聞け」
王允は呂布の耳元に口寄せ、大事を告げる。
呂布の目が大きく見開いた。
「そ、それは……」
「相国・董卓は気が触れ、実質的に後を継いだ董旻は〝董卓様は汝らを信じ人事を任せたのに、任用した人間が皆反乱したのはどういうことだ。汝らは董卓様を騙したのか〟と周珌と伍瓊を処刑した。あの様に短慮な者では皇上を支えられぬ」
「しかし……」
「このままでは漢室は滅亡するやも知れぬな」
「その様に不吉な事を申すなど……」
「こう言いたくは無いが、承諾してくれぬと我が屋敷にて面倒見ておる、主の家族に危害が及ぶやも知れぬぞ?」
「なっ!? そ、それは……」
「良いな、呂布」
呂布の名を呼ぶ声が重なる。
やがて、彼は現実に引き戻された。
「呂布様、ここでしたか。実はご相談したき事が」
毛利だ。
「と、その前に、貂蝉様とお腹の子は無事長安に着かれましたか?」
「……ええ、お陰様で」
呂布は寂しそうに微笑んだ。
◇
酸棗、とある将の陣地。
龍の如き凡将機から、その何処に入っていたのかと思える程の大男が降りたった。
だが、彼が最も目を引くのは髭。
絹の様に輝いていた。
大男はとある凡将機の下に駆け付け、足元にいる男に話し掛けた。
「兄者……」
「如何した、関羽?」
「今更なれど、何故曹操めの話に応じたのですか?」
関羽に兄と呼ばれたのは劉備玄徳。
正史では益州の地に蜀を興し、帝位に就いた英雄だ。
そんな男も、今はまだ無名に近い。
見た目も兎角耳たぶが大きい以外、これと言った特徴は無かった。
男は遠くを見つめた後、
「……我等は追われる身となった」
と力無く答えた。
「腹に据えかねたとは言え、洛陽から参った官吏を打ち据えた結果でしょう」
「……その通りよ。異様なまでにしつこい追っ手を相手に逃げに逃げ、いつしか洛陽に辿り着いた。その様な時に、曹操の話を耳にしたのだ。私はあの男の勇気に、振る舞いに感じ入った。いつしか、曹操と共に、この身命を賭して戦いたいと願う様になっていた。そう、あの者こそ、真の英雄よ!」
「また兄者の、英傑好きの虫が騒ぎ始めたか……」
そこに虎な凡将機が現れる。
『劉兄、大変だ!』
「如何した張飛!」
と劉備が応じた。
やがて、降りてきたのは関羽にも引けを取らぬ、虎の如き大男であった。
張飛は開口一番、
「これから袁遺って奴の所で酒宴が催されるらしい! 劉兄にも来て欲しいってよ!」
「袁遺様が! それは直ぐに参らねば!」
劉備は呼ばれた陣営へと、足早に向かった。
こうして、名だたる英雄が洛陽の近傍に揃った。
これより僅かな間をおき、未曾有の大戦乱が幕を開ける。
数多の将の輝きが地上から失われ、数多の将の輝きがより増した戦いが。
毛利もまた、その輝きを世に認められた一人となるのであった。