#036 反董卓軍
十二月上旬、反董卓軍が各地で狼煙を上げた。
その数は十数万とも。
因みにだが史実よりかは幾分少ない。
逆賊のイメージが袁紹らに着いた所為だ。
そんな彼らが掲げる大義名分は「廃立された劉弁様こそが正当な皇上!」である。
この時、董卓が洛陽周辺で動員可能としていた兵力はおそよ三万から四万。
袁紹らが率いる反董卓軍の半分以下であった。
だからだろう、董卓に対し、
「弘農王劉弁様にはお隠れ頂いた方が宜しいのでは?」
忠臣ぶりながら暗殺を勧める輩が度々現れた。
董卓はその度にジロリと睨み返す。
大概は、尻尾を巻いて退散した。
しかし、この時、この男ばかりは違った。
李儒と言う名の、配下である李傕の縁者と言う事もあり、近頃何かと重用する配下同然の官吏。
その彼までもが同じ事を口にしたので、董卓は辟易した。
当然、睨みを利かすも、李儒は何処吹く風。
それどころか、
「劉弁様は女子にございます。世に広まる前に、処断すべきかと」
と言ってのけたのだ。
「何故御主が知っておる?」
董卓は落ち着き尋ねるも、内心非常に焦っていた。
極一部の者以外には知られていないと思っていたからだ。
「身共に、とある者が伝えて参りました」
それ以来、劉弁の郎中令という役目を活かし日々密かに目を澄まし、更には伝えに来た者に北宮における劉弁の動静を余さず伝えさせた。
結果、間違いなく女性だ、と理解に及んだと言う。
「董卓様の覇業を為すためにも、行く手を阻む物は、如何なる宝玉であろうとも取り除くべきではございませぬか?」
「儂は漢朝を支える臣で満足しておる!」
董卓はその足で北宮へと向かった。
劉弁らに対し、新たに発生した問題を報せ、善後策を話し合う為にだ。
「僕を永安宮に?」
「我が配下にして郎中令の李儒が、劉弁様の秘密を存じております。その者の縁者に宦官の者がおりますれば、万が一を考えた次第。加えて、不埒な輩が劉弁様に対してに事に及ぶやも知れず。ご容赦下さいませ」
その翌日、弘農王劉弁の永安宮入りが決せられた。
ただし、唐姫は伴われずに。
下々は噂した、
「劉弁様は妃の唐姫が巻き込まれる事を恐れたのではないか?」
「巻き込まれる、だぁ?」
「そりゃ、董卓の陰謀によ。逆賊と称される袁紹らが劉弁様の再立を目指してるからよ。邪魔になったからコレよ」
と。
中には、
——
「運命とは、人の身では如何ともし難いものだ。万乗の君の地位を棄て、この地を守ろうとしても、逆臣は私の命を狙おうとしている。恐らく、これ以上は生きられまい。今はただ、安らかに西方浄土へと旅立てる事を願う」
「漢の天下は崩れ、国土は逆賊に奪われるばかり。帝として生まれたばかりに、掛け替えのない命を若くして砕かれてしまう。死とは異なる理由にて、夫である貴方と離れなければならない私は孤独で、寂しく、この胸は悲しみで張り裂けそうで御座います」
この時、この場に居合わせた者は皆泣いた。
しかして、弘農王劉弁様は、
「君は一時は皇上の妻であった。どうか誇りを持ち、吏民と再婚などしないでくれ。では、さらばだ。いつまでも、体を大事にな」
と言う事を言い残しつつ、世を嘆きながら永安宮の塔に身をお隠しになられた。
唐姫泣く泣く郷里に帰った。
——
という、悲しい物語までもが創作されたそうな。
◇
十二月も中頃となった。
涼州兵、并州兵共に戦の前の如き慌ただしさである。
その中でも一際忙しいのが毛利であった。
この日も牛輔らと共に、宮城を含めた洛陽内を駆けずり回っていたのだ。
そんな中、
「おう、荀彧殿と司馬朗殿じゃねぇか!」
「どうしたんですか、一体?」
荀彧と司馬朗が二人の下、正確には毛利を訪れた。
しかも、酷い顔をして。
ストレスで今にも倒れそうなのだ。
「時流を読み間違えた結果、洛陽が戦に巻き込まれるかも知れぬと思うと、流石に心が穏やかではいられません」
荀彧が言う通り、二人とも目の下に隈があり、言った本人に至っては腹を頻りに摩っていた。
(不眠とストレス性胃炎かな?)
現代サラリーマンも度々罹患する、ある意味で不治の病だ。
「ああ、なるほど……」
「知っているのか、毛利?」
と言ったのは牛輔だ。
「ええ、その手の問題を根本的に解決するには、場所を移す事です」
「洛陽を辞し帰郷せよ、と?」
「その通りです、司馬朗様」
「それは困るな」
「どうしてです?」
「父上らは帰郷するが、私は残る積りなのだ」
司馬朗は眉を顰めた。
それならばと、毛利は今一つの、一時的な解決策を提示する。
「でしたら、寝る前に体を良く良く動かす事です」
「何故だ、毛利?」
「この中では牛輔様が一番ご存じかと思いますが、体を動かすと体が温まりますよね?」
「うむ、その通りだ」
「当然、放っておけばやがて下がります。その体温の上下が、眠気を誘うのです」
「ほ、本当か!? この司馬朗、それなりの知を有すると自負するが、聞いた事もない話ぞ?」
「そう言われてみれば、体を激しく動かした後は良く眠れているな」
司馬朗は半信半疑となり、牛輔は自身の経験に照らし合わせた上で納得した様だ。
荀彧は一人目を細め、黙し聞いていた。
話題はいつしか、世の行く末に移っていた。
「袁紹殿の三公は確実でしょう」
「へぇー」
毛利の気のない返事が、荀彧には些か気になった。
「毛利黄門には、袁紹殿以上に気になる存在が居る様ですね。差し支えなければ、教えて頂きたい」
毛利は「しからば」と前置きした後、素直に答える。
「曹操様です」
「曹操だぁ!?」
牛輔が顔を顰めた。
それもその筈、主君である董卓を暗殺しようとした張本人だからだ。
「ほう、それはそれは」
一応董卓配下である毛利が、主君を殺めようとした者を評価するなど、中々出来る事ではない。
故に、荀彧は感心を示した。
「では、一つ、仮の話をしませぬか?」
「仮、ですか?」
「ええ、もし董卓様が劉協様と共に長安に遷都し、董卓様が官吏に暗殺された場合の話です。毛利黄門はそうなる事を極度に恐れ、私達に如何にかして欲しいと、助力を求めました。ですから、仮にその様な事が起きた場合、世はどう動くと毛利黄門は思うのでしょう?」
毛利にとっては簡単な話であった。
それに、董卓と呂布がそれぞれの生まれ故郷に帰る以上、どうせ起こり得ない未来だ。
だからだろう、スラスラと口から言葉が紡がれる。
その度に、牛輔が声を荒げた。
「洛陽失陥!?」
「孫堅が入洛だと!?」
「袁紹による冀州乗っ取り、更には幽州までを治めるだと!?」
「曹操がその袁紹を倒す!?」
「好色過ぎて部下が離反!?」
「曹操が丞相を名乗り、更にはその後継者が劉協様に皇位を譲れと迫るかも知れぬ、だと!?」
衝撃的な内容である。
しかも、具体的な。
流石の荀彧も目を丸くしていた。
司馬朗が名前の出なかった群雄に関して、恐る恐る尋ねた。
「え、袁術殿は?」
「袁術様? うーん……大した事もせず、いつの間にか滅びて……るかも知れません」
「何でだよ!」
ニワカには、大体そんな程度のイメージである。
最初だけ強い、みたいな。
荀彧が再び、曹操に話を戻した。
「毛利黄門はそこまで曹操殿を評価していたのですか……」
「ま、待て、毛利! 曹操がそこまで立身する理由は何だと考える!?」
牛輔がえらい剣幕で問い質す。
毛利はごく簡単に、答えた。
「曹操を支える者達が、他の群雄が抱える家臣よりも優秀だっ……になると思われるからです。治めるであろう領地的に……」
毛利は危うく過去形で話しそうになる。
(あ、危なかった……)
チラリと、荀彧に視線を送った。
「彼奴にそんな人望があるとは思えんが……」
「ええ。時には、我が子房と褒めそやし、時には、仕えぬなら殺す、って脅し……そうですよね?」
「それだけ具体的なのに、疑問なのかよ……」
「我が子房」と耳にしただけで、荀彧の顔が少し歪んでいた。
その夜、荀彧と司馬防は街中で落ち合い、とある屋敷へと足を向けた。
屋敷に入るなり、二人は人払されているであろう部屋へと誘われる。
そこには、
「荀爽様、荀彧、司馬防、ここに参りました。ああ、王允様もいらっしゃいましたか」
が待ち構えていた。
「荀彧殿、それに司馬防殿、忙しい中良くぞ参りました」
挨拶代わりとばかりに、王允が二人を労った。
「この司馬防と荀彧殿は束の間とはいえ、洛陽を離れるのです。その前にご挨拶を、と思うは当然」
「左様であるか。にしても、二人はこの度の労、策の差配、いずれも良くやった。二人の才が有ればこそ、漢王室は命脈を繋げたと言えよう」
「はい。長安に遷都など。涼州人なら兎も角、他の者らは遠くて敵いませぬ。万が一行われていたら、今ですら傾いている漢朝の、更なる傾斜に繋がっていたでしょう。危うく、董卓により国が滅ぼされる所でした」
と言ったのは并州人の王允だ。
「それもこれも、あの小人のお陰よ」
荀爽が薄く笑いながら、毛利の渾名を口にした。
荀彧は自身でも分からぬ理由で、頭に血が昇るのを感じる。
「そうとは思わぬか、荀彧よ」
「……え、ええ」荀彧は誤魔化す為、居住まいを正した「ですが、毛利黄門がこの荀彧に信を置いたからこそ、と言えましょう。私はそれを策に用い、董卓相国を洛陽から郷里へと向かわす事が叶いました。とは言え、私一人の微力では大山は動かせませぬ。司馬防殿が共にいたからこそ、と申せましょう」
荀爽が鷹揚に、
「司馬防、大義であった」
と讃えた。
司馬防は一度頭を深く垂れた上で、言葉を発した。
「有り難き幸せ。正直を申せば、上手く行くのは五分五分と考えておりました。ですが……」
言葉を切り、荀彧へと目を遣る司馬防。
察した荀彧が後継いだ。
「憔悴した董卓相国を目にした瞬間、これは必ず上手く行くと。毛利黄門も良い働きを見せました。故に、私は毛利黄門を評しております」
「ええ、この司馬防も同じく。加えて、毛利の漢室への思いは我らに迫りましょうぞ」
つまり、董卓が涼州に帰還するは荀彧の計略。
彼は毛利に打ち明けられた秘密を逆手に、董卓放逐の策を練り上げたのだ。
三公に叔父がいる。
王允とも親しい。
田豊経由で袁紹とも連絡が取れる。
そんな彼なればこその策と言えよう。
そう、彼はここに来て後漢の正常化を目論んでいた。
毛利が董卓と呂布を引き離す事にこだわっているのも、大変都合が良かった。
これが世に名が通る、清流派名士、の真髄であった。
荀彧と司馬防が屋敷を辞去した。
それから暫くの間、残る二人は黙して語らない。
やがて、荀爽が王允に、酷く小さな声で囁いた。
まるで、人払されていないかの様に。
「これで残す懸念は一つか?」
「はい。しかし、誠に宜しいので?」
「……構わぬ。あれも漢朝の為と、最後は承知するであろう」
「では、この王允にお任せあれ。すでに細工は整っております故」
清流派最後の矢が、今放たれようとしていた。
仕上げを御覧じろ、とばかりに。