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#034 一人の好士より三人の愚者

 あくる日の夜。

 相国董卓の執務室では怒号が飛び交っていた。


「慮植、貴様この後に及んで何を言うか!」


「董卓、聞け! 劉弁様は……」


 長い廊下の端にまで聞こえる程に。

 董卓を守らんとする護衛は内心「今にも斬り合いが始まるのでは」と顔を青くしつつ、話を聞かぬ様心掛けていた。


 それ程緊迫した、死地となり得る場所だと言うのに、今宵は五人もの客が訪れた。

 司馬防を筆頭とした、司馬朗、荀彧、荀攸、そして毛利がだ。


「なんじゃ、貴様ら!」


 と慮植が叫び、続いて、


「青っ白い雁首を並べて! 貴様らも、この相国董卓に意見しに参ったか!?」


 董卓は怒声を発した。

 膝に乗る火山をわしゃわしゃと撫で回しながら。

 チベタン・マスティフの巨体を物ともせずに。

 体は壮健である。

 ただし、目の下の隈が心の限界が近い事を表していた。


(二重、三重に隈が。思った以上に酷いな……)


 終始アニマルセラピーの世話になる訳である。


 しかし、突如訪れた毛利達に対し、苛立ちを浮かべているのは董卓と慮植だけではない。

 他に居合わせていた、董旻、牛輔もまた同じであった。

 董卓程では無いが隈が出来た目で、毛利達を睨みつけている。

 空気をまるで読まぬ火山が、「わふ!」と毛利にじゃれつき始めた。


「董卓相国、恐れながらその通りでございます」


 司馬防が五人を代表して答えた。

 そう、彼らは密かに集い、劉弁の問題を前提とした漢王朝の延命策を話し合っていたのだ。

 今夜はその方策を披露しに参ったのである。


「貴様らには出来ぬ! 何も知らぬ貴様らにはな!」


「劉弁様が女子である事、我ら皆知っていると聞かれてもでしょうか?」


「ぐっ、なぜそれを……」董卓は毛利を見た「毛利、さては御主!」


 毛利は火山をあやしつつ董卓の非難めいた視線を確と受け止め、更には一歩前に進み出た。


「何前皇太后に打ち明けられたのです。私はそれを、私に荀彧様に。荀彧様は司馬様らに、と言う具合に」


「何故口を閉じなかった!」


「丁原様の遺命に応える為にございます!」


「それでもだな!」


「それに、荀彧様は今子房と呼んで差し支えなき智者! その方が打ち明けても構わぬと申したのが司馬防様らでございます! どこに不足がありましょうか!」


「しかしだ!」


「荀彧様、司馬防様、司馬朗様、荀攸様が漢朝を憂う心は真にございます! その思いは決して董卓様に引けを取りませぬ! どうか、董卓様も心をお開きください!」


「打ち明けてなんとする!?」


 荀彧が毛利の隣に進み出て、


「一人の好士より三人の愚者と申しますぞ」


 と答えた。

 しかし、返す刀で、


「官吏多くして事絶えず、とも言うではないか!」


 董卓が声を荒げた。

 しかし、毛利は怯まない。

 それどころか、ここぞとばかりに更に前に出た。

 火山の相手は、司馬朗が勤めている。


「ご安心ください董卓様」


「なにがだ!」


「彼らはただの官吏にございませぬ」


「なに!?」


「世にも稀な軍師にございます!」


 虚を突かれ、唖然とする董卓。

 そんな彼に対し、司馬防と荀彧が中心となって「董卓様も漢室も生き残る策」を語り始める。

 彼らが昼夜を忘れ、検討に検討を重ねた計略をだ。


「袁紹殿は劉弁様を正当な後継者と称し、反旗を翻しましたな」


「恐らくですが、十万は下らない大軍が兗州(えんしゅう)酸棗(さんそう)に集い、洛陽を目指すでしょう」


「勿論、袁術殿も加わるでしょうな」


「毛利黄門曰く、江東の虎・孫堅も。事実となれば、少なくとも一万の兵を集めて参るかと」


「そうなれば、十四万には届きましょうぞ」


 対する、洛陽近郊に展開する董卓軍は三万から四万。

 兵力差は歴然だ。

 如何に戦巧者と名高い董卓であっても、防げはしない。


「知れた事! その対策に日夜頭をなやましておる!」


「ですから、対策ならあるのです!」


 毛利の言う、その対策とは、


「先ず、董卓様には相国を辞して頂きます」


 から始まる。


「相国を辞してどうする! 儂が任じたばかりとはいえ、太尉黄琬(こうえん)や司徒楊彪(ようひょう)らが反旗を翻すは必定!」


 何気に、荀彧の縁者である司空荀爽の名前を出さぬ程度には、董卓は冷静であった。


「袁紹殿らが兵を集結させる前に、涼州に帰って頂きます」


「司馬防は儂に尻尾を巻いて逃げよと! 何故、一戦も交えぬ!?」


 これに答えたのは荀彧だ。


「兵を損じます故」


 当たり前でしょう、と醸しながら。


「逆賊である袁紹らが! 洛陽を支配する様を指を咥えてみていろと!?」


 今度は董卓様の代わりとばかりに、牛輔が叫んだ。

 司馬防は予想していたのか、落ち着いている。


「三公の方々が袁紹殿らをそのまま迎え入れるかは五分と五分。ただ、いずれはその通りになりましょうぞ」


「はっ! ならば、儂の答えは〝相国のまま皇上をお連れして長安に遷都〟である!」


 董卓は身を乗り出して語った。

 劉協様は袁紹を殊の外恨んでおられる。

 いや、恐れておられる。

 洛陽を袁紹の手に委ねるなら焼けと命じる程に、と。


「それだけは! それだけは、決して行ってはなりません!」


 今度は毛利が、今までに無いほどの強い口調で言った。


「何故だ、毛利!」


「董卓様、覚えておりませんか?」


「何をだ!」


「以前話した、東西に広大な領地を持つ北の帝国の話です。家も畑も燃やし、敵の兵にされぬよう住まう民を一人も残さず引き連れ、奥地に移動した覇者の話を」


 偉大な都は見る影も残らぬ程に荒廃した。

 命じ、行った者は大悪人として後の世に名を刻んだ、と。


 毛利から件の話を聞いていた荀彧が、


「董卓相国がその様な事を致せば、皇上を拐かした、として大義名分を袁紹殿らに与える事となりましょうぞ」


 董卓の痛い所を突く。

 実に、的確に。


「官吏はますます董卓様を恨みますでしょう。彼らの暗殺の対象となりたいのですか?」


 と毛利が追撃を放った。


「くっ……。以前お主が話したのは、金髪の皇帝とその側近の話だったか。側近は自らの名で圧政を敷き、皇帝を生かす為に自らを暗殺対象とした。確か、民の不満を解消する為、に」


「ええ。董卓様にはその様な形で死んで欲しくはありません。だからこそ、涼州にお戻り下さい」


「しかし、儂は相国だ!」


 皇上から役目を賜った以上、任を解かれるまでは勤め上げねばならない。

 そう常日頃考えて、無理を重ねに重ねていたからこその、董卓の答えだった。

 だが、荀彧はその考えすら正す。


「無理を重ねて身を滅ぼし、漢室の行く末を妨げる地位など、袁紹殿か袁術殿にでも呉てやれば宜しいかと」


 漢室を生かす為には、臣の矜持など無用、とばかりに。

 その上で、


「余程の事が無い限り、皇上には洛陽に残って頂きます」


 天下万民の為と言い放った。

 当然、董卓は勿論の事、董旻や牛輔らもその言い様には憤慨した。

 が、


「いずれはほとぼりが冷めましょう。その暁に、皇上に取り成して貰えば良いのです。その為の根回しは、荀家と司馬家が請け負います」


 と約す事で、おさめて見せたのだ。


「そうまでしても……」


 董卓が力無く零した。

 続く言葉は「儂を生かそうと」なのか「遠ざけたいのか」だったのか。

 それは本人にしか分からない事だ。


 話の大凡の流れが決した頃合い。

 今度は毛利が、荀彧らとの話し合いでも拘った点を持ち出した。


「涼州には呂布様を連れて行かないで頂きたい」


 涼州に帰るなら、董卓も呂布を連れていく気はなかった。

 養子にしたとはいえ、あくまで便宜上の事だったからだ。

 ただ、何故かは気になった。


「何故か」


「正確に申せば、涼州兵だけでお戻り下さい。このまま涼州兵の下に置かれた状態では危険です。ですから、呂布様が率いる并州兵は并州へ。丁原様の遺骨を并州の地に納める、と称して帰郷を促すのです」


 荀彧が毛利の後に、


「并州には丁原殿の副官だった張楊がおります。悪くはされぬでしょう。万が一、袁紹殿が襲来したならば、劉虞様を頼る事を具申させて頂きます。その際、皇上の勅書があれば、なお宜しいのですが」


 と補足を述べる。

 董卓が腹の底から唸るが如く尋ねる。


「長安への遷都はどうしても駄目か?」


 荀彧が「荀家に生まれた私が申すのも些か宜しくはないのですが……」と前置きを口にしたのち、その訳を語った。


「董卓相国が皇上を長安にお連れしたならば、必ずや共に参る官吏に寝首を掻かれるでしょう。官吏は信用出来ませぬ。現に、相国の与り知らぬ内に孫堅殿が袁術殿の斡旋により、破虜将軍に就いたと耳にしました。つまり、官吏は獅子身中の虫なのです。今、その虫に内側から食われている。適切な薬を含まねば、如何なる群雄も命を奪われることになりましょう。何度も申し上げますが、相国が信用なされる者だけで行動したが宜しい。袁紹殿らに関して言えば、皇上が共に参らぬ限り、辺境まで追いはしないと思われます」


 董卓はぐうの音も出なかった。


「今一度申し上げますが、長安に遷都するならば自身と一族の不幸をお考えください。董卓相国亡き後は袁氏一族の如く、郎党皆殺しになるでしょう。故に、信頼できる者のみで固められる故郷で力を蓄え、時を待ったほうが良い、と我らは申し上げるのです」


「時を待つ?」


「袁紹殿が洛陽に入られた後、世が治るは五分と五分。世が再び乱れたならば、朝廷は必ず涼州兵の力を必要とします。その時、捲土重来すれば良いのですよ」


 と、司馬防が答えた。


「それでも、劉協様の身が心配だ。御主らは知らぬ、皇上がどれ程袁紹を嫌い、恐れているかを」


 董卓の声が随分と大人しい代物に。

 自ら問題を口にしながら、解決策を計っているのだ。

 毛利が口を開いた。


「それに関しては考えがあります」


「毛利か……。いや、申してみよ」


「表に関しては慮植様を常にお側に控えられる様、太博(皇帝の教育係。非常設。一品。三公より上に位置するが名誉職とも)に。裏に関しては……一計が別にございます」


 毛利が考えたのはこうだ。

 三公と袁紹らの間で権力闘争が始まる筈。

 それが鎮まるまでの間、醜い争いから身を守ると称し、劉協には北宮に引き篭もって貰うのだ。

 表に出る必要がある時は、常に太博慮植を伴い、前面に出す。

 そうすれば、劉協の心の傷もやがて癒えるだろう、と。


「しかしなぁ……」


「何度も言いますが、私は命の恩人である董卓様にまで死んで頂きたくないのです!」


 毛利の真摯な訴えに、鬼の目に涙が浮かぶ。

 だが、董卓は直ぐに顔を顰め、考え込むかの様に顔を俯かせた。

 やがて——


「だが、最大の問題は劉弁様の秘密よ。知られる訳には決していかぬ!」


「その件ですが……」


 またしても毛利が応じた。


「何だ!」


「この毛利にお任せ下さい。ただし、私達以外の誰にも知られてはなりません」




  ◇




「司馬防殿……」


「如何した、荀彧」


「毛利黄門のお陰か、思いの外上手く纏まりました」


「もしや……悔いているのか?」


「いえ、全ては我らが漢室の為。ただ……」


「ただ?」


「胸の内が何故か、酷く痛むのです」


 荀彧は婦女の如き顔を、苦しげに顰めていた。

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