#024 僕がいるだけで、争いの種になるんだね
董卓が愛犬の火山に慰められ、丁原の兵が洛陽外の野営地に集まり始めていた頃合。
毛利は日課となって久しい、お茶を頂戴していた。
対面の席にいる劉弁と劉協、そして何故か隣に座る唐妃と共に。
先皇となった弘農王劉弁は以前と打って変わり軽いお召し物を纏い、不思議と服の上からも柔らかい線が見え隠れしている。
現皇となりし劉協はこれまで劉弁が身に付けていた豪奢にして重々しい衣装に、文字通り覆われていた。
その所為だろうか、二人の表情はまるで正反対。
劉弁は晴れ間に咲く花の如しであるのに対し、劉協は花瓶の水を替え忘れたソレの様であった。
何故か、毛利の視線が自然としなを作っている劉弁の体をなぞる度に、劉協の目尻が吊り上がっていくのだ。
「……で、袁紹が突然……って朕の話を聞いておるのか、毛利!」
やがて、劉協の癇癪が突如炸裂する。
この日行われた朝議での出来事を振り返っている最中に。
突然の事で毛利は唖然とするも、慌てて取り繕うとした。
「も、勿論です! 確と! 一斉を漏らす事なく聞いておりますとも、皇上!」
「なら、朕から目を反らすで無い!」
「は、ははっ!」
「お兄様も、毛利の視線を感じて満更でも無さそうな顔をしない!」
「え!? 唐姫、僕がそんな顔をしてたの?」
「……口惜しい程に」
劉協が全てを語り終えた時、毛利と唐姫の顔からも色が失われていた。
室内の空気は酷く重苦しい物となり、劉弁などは息苦しさのあまり、胸を押さえている。
「……そう。やっぱり、僕が……いる……だけで、争いの種になるんだ……ね」
劉弁は俯き、苦しそうに言った。
「お兄様、その様な事はありません!」
「劉弁様、その様な事はありません!」
劉協と唐姫、二人の声が重なる。
「でも……」
劉弁の濡れそぼった瞳が劉協を、次に唐姫を、最後に毛利を捉えた。
毛利は、
(な、なんだ? どうしてだ? 劉弁を無性に抱き締めてやりたい! お、男の癖に、男の癖に、そ、そんな目で俺を見るなー!!)
人知れず、葛藤していた。
そんな所に、
「お、お待ち下さい! その先には皇上と弘農王が……」
「分かっておる! 急ぎお会いせねばならぬのだ!」
「でしたら、お取り次ぎを願い出て……」
「儂はいつ何時でも罷り越す許しを頂戴しておる! 皇上ならびに弘農王、失礼致しまする!」
突然の来訪者が現れる。
その者が招かれざる客である事は、名を呼ばれた二人の顔が物語っていた。
「と、董卓様?」
毛利が惚けた声を出しながら、首を傾げた。
本来ならばこの時間、董卓は自身の執務室にて息つく暇なく務めを果たしている筈だったからだ。
それを知ってか知らずか、
「太尉董卓、この様な所まで如何した! 北宮である以上、事と次第によっては容赦は出来ぬぞ!」
劉協は厳しい口調で迎える。
それどころか、顔を烈火の如く染め上げていた。
すると董卓はその場で、
「皇上! 此度の無礼、平にご容赦を! 洛陽の、引いては漢朝の危機に御座います!」
額突いた。
それを間近で目にした毛利は大いに慌てた。
(ちょっ、劉協! 相手はあの董卓だよ!? 流石にそれは拙いって!)
毛利の頭に、〝牛裂き〟〝車裂き〟〝火炙り〟などの、史実において董卓が行ったと伝えられし悪行が浮かんだ。
伏した董卓の顔が、ゆっくりと上げられる。
如何にも頑健そうな体と共に。
見るだけで人を殺めれそうな鋭い瞳が、皇上劉協に向けられた。
(あっ……)
劉協が一歩退いた。
皇上とは言え、未だ十歳前後の子供。
体の線の細さから、それ以下の可能性もあると毛利は見ていた。
対する董卓は歴戦の強者。
その圧力を受け止める程の胆が、幼い劉協に備わっている筈がない。
致し方のない事である。
だからだろうか。
毛利は思わず、劉協の前に自身の身体が盾となる様差し込んだ。
まるで王を守護する騎士の如く。
毛利が見せた〝漢気〟。
幾つかの熱い眼差しが、その背中をしっかりと捉えている。
毛利の機転により、董卓の圧力を直接受け止めずに済んだ劉協。
彼は尻込みしていた気持ちを立て直す、その余裕を得ていた。
故に、
「一先ず人払いじゃ! 話はそれからで良かろう!」
冷静な行動を取れたのだ。
暫くすると、辺りは静けさを取り戻していた。
念には念をと董卓が周囲を窺うも、問題がなかったのだろう、訪れた訳を語り始める。
「并州軍が野営地に戦陣を構え始めた次第……」
皆、息を呑んだ。
丁原の兵が、野戦の支度を始めたと聞いて。
董卓の太尉辞任が、ほぼ確定となったからだ。
それどころか、并州軍による反乱も視野に入り始めた。
董卓が次に口にしたのは、その対応策であった。
「使者を遣わそうと考えております」
「使者?」
劉協が真意を尋ねた。
「はい。丁原並びに并州軍を率いる将らに、叛意の有無を質す為」
これから戦をする可能性が高い相手の陣へ遣いに出る。
大変危険な役目だ。
事実、戦の景気付けとして殺される事もあるとか。
しかし、それはこの時代至極当然の振る舞い。
遣わされる者にとっても、大変な名誉であった。
だが、そんな事をわざわざ時の皇上に相談をするだろうか?
「本当の所は何を考えておる?」
劉協の指摘に、董卓は一瞬頬を緩めた。
「失礼。丁原やその将らに思い留まる様、諭します。特に……」
「呂布都尉に、じゃな?」
「ご明察です」
呂布は丁原の愛娘、貂蝉を娶っている。
丁原自身に忠誠を誓っている者も、丁原亡き後は呂布ならば従い易い。
つまり、董卓は丁原亡き後に関し、根回ししているのだ。
それも皇上に対して。
「誰を遣わすのじゃ?」
「我が配下に呂布と同郷の、李粛なる者が居ります。その者曰く、呂布とは随分と親しくしていたらしいのですが……」
「その物言い。他に適任がおるのじゃな?」
「はい」
「そも、李粛では何故務まらぬ?」
「李粛は都尉に御座います」
「相分かった。将機に乗りし部将を遣わしては要らぬ警戒をさせるからだな?」
将機とは全高五メートルも有る、人型兵器〝七星将機〟の略称だ。
腕の輪環に七つの星、有り体に言えば玉を嵌め込む事で顕現する。
その将機に乗り込む事で、部将を一騎当千と成らしめていたのである。
陣中に敵の将機乗りを拘束する事なく連れ込むなど、羊の群れに狼を放り込むと同義。
満腹ならば兎も角、飢えた狼ならば忽ち羊を襲うだろうからな。
同じ様に、話が決裂した途端将機を出して暴れられでもしたら被害は甚大、どころの騒ぎではない。
下手をすれば大将の死に繋がる。
それ即ち、敗戦を意味するのだから。
「流石は皇上。話が早く助かります」
董卓が手放しで褒めても、劉協の顔色が戻る事は無かった。
代わりに次なる問いを、劉弁が口にする。
「その李粛が駄目なら、代わりに誰を遣わすのかな?」
董卓が額を拭った。
何故か、酷く緊張しているらしい。
「実は……」
刹那、董卓は毛利を見た。
視線を送られた当の毛利は、
(え、なんか嫌な予感……)
身構えた。
そしてそれは、現実となる。
「毛利、御主に并州軍の陣へ、この董卓の使者として行って貰いたいのだ」