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#021 僕には時間がない

 合同訓練を終えた後、毛利は北宮に入った。

 今や日課となった、皇上劉弁の話し相手を務める為に。

 道すがら、宦官や女官にすれ違う。

 その誰もが、不思議と暗い表情を浮かべてた。

 そしてそれは、


「劉弁様、遅くなり誠に申し訳……! な、何があったのですか!?」


「……やぁ、毛利。待ってた、よ?」


 皇上も例外ではなかった。

 それどころか、透き通る様な白い肌が見る影もなく青白く変わり、目元が酷く腫れぼったくなっているのだから。

 毛利は一瞬、傍に立つ劉協や背後の壁際に控える唐姫に視線を送る。

 しかし、彼らの表情からは何も窺えない。

 毛利は仕方なく、その旨を告げた。


「なに、覚悟していた時が来たんだ。大丈夫だと思ってたんだけど、実際にその時を迎えるとこの有様でね」


 劉弁が自嘲するかの様に口元を歪めた。

 要領を得ない答え、毛利は皇上に対し先を促すべきか逡巡する。

 しかし、その必要はなかった。

 劉弁が堰を切ったかの様に語り始めたからだ。


「言ってしまえば、僕に皇上を無事に勤め上げる力が無い、に尽きるよ。それも、致命的な程にね。まぁ、それは前々から分かっていたのだけれど、流石に今最も信の厚い臣下から面と向かって言われると凹んだよ。同席していたお母様も酷く憔悴し、隣の永安宮に入られてしまった」


「もしや、董卓様が劉弁様に!? (一体、何を言ったらこれ程心を痛めるんだ?)」


「勘違いしないで、毛利。董卓は皇家を慮ったからこそ僕に進言したのだから」


(だから何を?)


「ああ、どうして僕はこんな風に生まれたのだろう。せめて、せめて、あの力さえあれば……」


「力って……そんな、武力なら諸将が、政を治める力と言うならば優秀な官吏がいるではありませんか」


 毛利の言葉に、劉弁は寂しそうに笑った。


「そういう事ではなく、もっと根本的な事が原因なんだ」


「ではなんなのです、その原因とやらは?」


 劉弁には答えられなかった。

 それどころか俯き、肩を震わせる。

 唐姫が彼に歩み寄り、その華奢な肩を愛おしそうに抱いた。


「毛利、御主の所為でもあるのだぞ?」


 そう口にしたのは、劉協であった。


「……それは何故です?」


「それはな……」


 彼は兄である劉弁へ憐れみの視線を向けつつ、辛そうに語ろうとし始める。

 しかしそれは、


「劉協止して!」


 劉弁の甲高い声が遮った。


「ですが、兄様!」


「いずれ僕の口から話したいから! 毛利もそれまでは、劉協の今の言葉を忘れて!」


「劉弁様!?」


「お願い、毛利。僕にもう少し時間を頂戴」


「そうまでおっしゃられるなら……」


 正方形の、小さなテーブルを間に見つめ合う主従関係にある二人の少年。

 レモンを皮ごと噛んだ、そんな表情を二人の間に立つ劉協が浮かべていた。

 刹那、唐姫が咳払いをする。

 三つの顔がハッとなったかと思うと、下を向いた。

 やがて、最初に面を上げたのは劉弁であった。


「と、ところで毛利」


「はい?」


「合同訓練は如何だった?」


「え? (なに藪から棒に……)」


 と毛利は戸惑うも、皇上劉弁からの問いを無視する訳にもいかない。


「はぁ、それはそれは大変な迫力でした。また将機同士の模擬戦も素晴らしく、正しく戦を決定づける兵器〝決戦兵器〟ですね」


「けっせんへいき?」


「戦の帰趨を決めるであろう武具、と言う意味です」


「そうであろう、そうであろう! 折角だ、取り組みの一部始終を僕に聞かせてくれないか!」


 重ねられる質問。

 毛利は何となしに劉協を見た。


(あれ? 歯噛みしつつ、上目遣いで俺を見てる? なんでだ?)


 すると、毛利とテーブル越しに対面する劉弁がスクッと立ち上がった。

 そして、両の手で毛利の顔を挟み、


「こっち!」


「え!?」


 更には、弟劉協に対しては親が子を諭すかの様に、


「僕には時間がない筈だよね?」


 語り掛ける。

 束の間の沈黙。

 劉協の目が湿り気を帯び始めた。


「……そうでした。ごめんなさい」


「ううん、僕の方こそ強く言ってごめん」


 そして、兄弟はひしっと抱き合うのであった。

 麗しきかな兄弟愛。

 唐姫も目元を抑えている。

 だが一人、取り残された者がいた。

 それは毛利。

 消化しきれていないわだかまりがあるからだ。

 彼は無遠慮にもソレを口にする。


「時間がないってどういう事?」


 その問いに、劉弁は劉協の頭を優しく撫でながら答えた。


「明日には君の耳にも入るよ。董卓とそう取り決めたから」




 丁度その頃、董卓は諸将百官を招き、合同訓練の打ち上げと称して酒宴を開いていた。

 場所は北宮の東にして永安宮の南にある永和里の園で。

 洛陽内でも随一の、現代風に言えば高級官邸街の一画だ。

 会場の周囲は錦で飾られ、客人の前には小さな机が一人に一脚ずつ配されている。


 中央には一際大きな卓。

 その上には幾つもの豪華な料理が並べられ、各々に給仕が付き、客に対し取り分けたり勧めたりしていた。

 上等な酒による甘い香りが溢れ、誰もが顔を赤らめ楽しんでいる。

 それを満足そうに見守る男が、奥に一人で佇んでいた。

 宴の主人である董卓だ。

 彼は設けられた高座の中央で正座し、礼儀正しく客を迎えている。

 やがて、宴もたけなわとなった頃合い。

 董卓はおもむろに立ち上がり、


「御客人皆様方!」


 声を張った。

 そして、


「此度の訓練、恙無く終えた事! 先ずはこの董卓、深く感謝致す!」


 大いに労った。

 それには諸将百官も気持ちが昂ぶり、拍手を打ち鳴らした。

 中には盃を掲げ持ち、董卓を賞賛する者すらいた。

 太尉となり軍を掌握した董卓に媚びへつらう訳でもなく、純粋に褒め称えたのだ。


 それもその筈、政権を掌握した董卓だが彼は決して自らの配下を将軍や高位の官職に就けたりしなかったからだ。

 彼のした事は名のある識者や推薦を受けた者を登用しただけ。

 史実における董卓像とは一線を画す行いである。

 やがてその董卓が——


「実はこの董卓、お集まりの諸卿に諮りたき事これあり!」


 途端に宴席が静まり返り、大勢が聞き耳を立てたのは当然であった。

 諸将百官の目が全て董卓に注がれる。


「太尉董卓、続けられよ!」


 誰かが促した。

 客人の多くが肩を縮めるも、誰一人その声の主を確かめようとはしない。

 董卓もまた、探ろうとはしなかった。

 彼は大きく息を吸ったかと思うと、厳しい眼差しで朗々と語り始める。


「先帝がお隠れになられて以降、政の乱れは極まった。何故かは皆が存じておろう?」


 言葉が沁み入るよう、適度な間を空けながら。


「左様、中常侍に与えられし特権しかり、外戚による政道の壟断しかり」


「それらが行き着いた先に起こるべくして起きた、国を揺るがす権力争い。腐敗の連鎖」


「結果、あろう事か、皇上がこの洛陽から落ち延びる事となる」


「されど、悪しきは中常侍だけであろうか? それとも、外戚だけであろうか?」


 途端に聴衆が小さくざわめきく。

 しかしそれは、次の言葉で、


「この董卓、そうは思わぬ。偏に皇上の力に陰りが為と存ずる次第!」


 大きな音に変わった。

 皇上を悪と言ったに等しいからだ。

 騒然とする宴、それを更に上回る大音声が董卓の口から発せられる。


「思えば、皇上は宦官を家族同然とお考えあそばされていた! その宦官亡き後は皇弟劉協に依存されている!」


「自ら語るべき事も皇弟劉協に語らせる程に!」


「御主らの中で皇上のお声を直に聞いた者はおるか!? 決して、多くはあるまい!」


「事実、朝議においても皇上は皇弟に語るに任せている!」


「その結果、臣は皆、皇上劉弁ではなく、皇弟劉協の顔色を窺っている!」


「まるで太陽の光に消される月ではないか!」


「そう、我らには月の光ではなく、光武帝の如き強烈な、天下あまねく照らす太陽の如き光が必要なのだ!」


「この董卓、それが陳留王劉協様と存ずる! 諸卿らは如何お思いか!」


 まるで皇上を廃するかの様な言葉が続いたのだ。

 和やかな酒宴、それがまるで変わった。

 蜂の巣を突いた直後の様に。

 その中から一人の男が立った。

 それは、


「執金吾丁原、何か?」


 であった。

 彼は真っ直ぐに董卓を見返すと、


「御主は皇上の廃立を語るか!」


 声高に叫んだ。


「如何にも!」


「皇上の臣が、皇上の出来不出来を理由に廃するなど言語道断! 恥を知れ!」


 董卓は「毒を盛って殺すよりはマシであろうが!」そう叫びたいのを堪えた。

 その代わりに——


「では他の者に聞こう! 我が意に反対する者はいるか?」


「この慮植も反対する!」


「訳を語れ!」


「皇上は先帝の嫡子にして長子の男子! 何ら儒教に外れぬ!」


「では、儒教に外れし時! 慮植! その方は認めるのだな!」


「愚鈍であれ、正統なればこそ天下は治まる!」


「他にあるか!」


 董卓はギロリと見渡した。

 誰一人動かない。


「ないのだな!」


 董卓の顔から険が取れる。

 そして、「カカカ」と笑った。


「余興とは言え、つまらぬ戯言を失礼した! では酒宴に戻ろうではないか!」


 それを合図に、論を交わした丁原と慮植が董卓の前に罷り出て楽しそうに笑う。


「なんだ、本当に余興であったか」


 ホッとする大多数の客人達。

 だが、その中には僅かながらも例外が。

 それは、


「袁紹……」


「袁術、曹操、それに王允殿もか」


 であった。

 彼らは董卓らに対し、険しい顔をいつまでも向けていた。

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