#002 下賤が!
二人は三十メートルばかり走り、危険を報せてくれた少年に追いつく。
近づいてみると、その少年は毛利が思うよりも幼かった。
大きな瞳にサラサラした髪、日に焼けた事がなさそうな白い肌。
年は六、七歳に見えるであろうか。
彼の兄と同じく、豪勢な衣服を身に纏っている。
毛利はその少年に素直な気持ちを伝えた。
「教えてくれてありがとうな。助かったよ」
子供を怖がらせないよう、微笑みながら。
すると、返ってきたのは、
「下賤が! 直接話しかけるとは何事か! この私を陳留王、劉協と知っての狼藉か!」
少年の愛らしい見た目に似合わぬ、憤怒、であった。
「えっ!? あ、も、申し訳ありま……せぬ? そうとはつゆ知らず。本当にごめんなさい。悪気はなかったんです」
と釈明しつつ、知る訳ないでしょ、と毛利は内心毒づく。
だが、劉協や陳留王と言う新たに得られた言葉に対しては、
(この子もまた三国志に出てきそうな名前をしている。それに陳留王? ロボット同士が争い、陳留と言う聞いたこともない国名。つまり俺は、中華風異世界にトリップした!?)
酷く困惑した。
「だから話しかけるなと言っている! これだから下賤は!」
一方の劉協はと言うと、引き続き顔を赤く染め上げたまま。
だが一瞬の後、その朱色が見る間に青褪めた。
それどころか、目玉が今にも飛び出しそうになる。
視線の先は毛利が逃げて来た先、将機同士が争っていた方向であった。
『……様、劉協様お待ちを! そちらは危のうございます!』
拡声器を通した様な声が、思いの外近くから聞こえる。
毛利が慌てて振り返ると、重い衣装の所為だろう「ゼェー……、ゼェー……、ゼェー……」と息を吐きながら五体投地の姿勢をとる劉協の兄の後ろから、片腕を無くした将機が迫っていた。
(近い!)
その影に、追い縋る琥珀色の一体がチラチラ映る。
更にその後にもう一体の、薄灰色をした将機が続いていた。
「に、兄様!?」
「だ、駄目だ。僕はもう走れない。そもそも、一時にこれ程の距離を自らの足で出歩いたのは、これが生まれて初めて……」
「(たった三十メートルなのに!?)普段なにしてたの!?」
「主に椅子に腰掛けたまま、熱心に話し掛けてくる人の話を聞き流していた」
「そこはちゃんと聞いてあげようよ!」
そうこうしている間にも、距離を詰めた将機。
全高五メートルは有る巨像が、走りながら片腕を伸ばす。
毛利達に向けて目一杯。
文字通り掴まるのも時間の問題、三人の脳裏にその時の景色が浮かび上がった。
——グシャッ!
「ヒィィッ!」
顔から血の気がますます引いた。
「仕方がない。お前は俺に乗れ!」
毛利はそう口にし、若者の前で腰を落としてから背中を向けた。
すると、
「下賤が! 何をするつもりか!」
また劉協が怒る。
しかし、毛利はそれを無視した。
「いいから、俺に股がれ!」
「えっ、ここで肩車?」
劉協の兄は両頬に手を添え「やだ〜」と言わんばかりに体をくねらす。
「背中にだよ、背中!」
「そ、そうであろうな。良きに計らえ……」
毛利の足腰に、彼が想像した以上の重さが襲った。
「ぐっ……こ、これは……」
「だ、大丈夫?」
「だ、大丈夫……でもないね……」
「どうしよう……」
「仕方がない! 今すぐその重そうな服を全部脱いで!」
その答えとして、振り抜かれた拳が毛利に突き返された。
「痛っ! な、なにをする!」
「ここで脱げる訳ないでしょ!」
「下賤が!」
続いて、劉協までもが頭をポカポカ叩き始めた。
「痛っ、痛いって! それにさっきから下賤下賤ってうるさいよ、君!」
「!?」
劉協が目を丸くする。
まるで、生まれて初めて口答えされたかの様に。
「げ、げ、下賤の癖に……さ、差し迫った危険を忘れているからだ!」
劉協の言う通りである。
目と鼻の先にまで、先頭を走る将機が迫っているのだから。
(これは流石にやばいな!)
間近に迫った薄灰色の将機が両足を揃え、その場で屈んだ。
かと思うと、
「嘘ぉっ!?」
毛利らのいる場所目掛けて飛んだ。
その結果、毛利らが巨像の影に覆われる。
「つ、潰される!」
毛利が未来に待ち受けるであろう出来事を叫んだ。
直後、他二人の悲鳴が重なった。
(あ、駄目だコレ。死んだ……)
毛利の十七年という短い人生、それでも数々の思い出があった。
それが走馬灯の様に浮かんでは消える。
そして、その最後に——
(……こんな事になるなら、恩人に内緒で秋葉原に行かなきゃよかった)
後悔が募った。
そして、覚悟する。
(次に生まれ変わったら、なるべく恩人に酬いよう!)
ところがである、その覚悟は瞬く間に無駄となった。
琥珀色の将機によって。
輝く大斧をフルスイングし、
——ガンッ!
空を舞う薄灰色の将機を力任せに薙ぎ払ったのだ。
「嘘っ!?」
鈍い音と共に吹き飛ばされ、黄河に半身を浸す片腕の将機。
一方の琥珀色の将機はと言うと、大振りし体勢を崩していた。
「ふぅ……」
示し合わしたかの様に、胸を撫で下ろした三人。
しかし危機は未だ継続中であった。
「慮植将軍、後ろ!」
劉協が叫んだ。
と同時に、今一つの将機が背後からタックルをかました。
二体の将機は琥珀色と薄灰色の線を空に引きながら吹き飛ぶ。
激しい揺れと土煙が、再び辺りを襲った。
あまりの激しさに、三人は茫然自失と成る。
それから最初に回復したのは、毛利であった。
「劉なんとか、今一度言うぞ! 死にたくないなら俺に跨がれ! 跨がったらあの林に駆け込むぞ!」
華奢な若者は大人しく従った。
首に巻きつく腕、それと共に芳しい香が下になった一方の若者を包んだ。
続いて男にしては柔らかい身体が、背中に預けられた。
(男のくせに華奢な体だな。自分の足で出歩かないってのは本当かもね。それに、この服の高級品そうな手触り。随分とこった刺繍の数々。あとはこの臭い。……白粉を塗りたくってるんじゃないかな、これ?)
毛利は振り返り、肩に乗る顔をまじまじと見つめた。
(あれ? 思った以上に可愛い顔してる。これは年上の女性がほっとかないタイプだな)
すると、
「そんなにじっくり見ないで。恥ずかしいよぉ」
劉協の兄は頬を赤らめながら、抗議した。
「ば、馬鹿! 男が男に見つめられて赤くなるなよ!」
毛利もまた、顔に熱を覚える。
なので彼は急に走り出し、誤魔化す事にした。
「きゃー!」
黄色い声が辺りに響きわたる。
その後に、
「首、首が締まる! い、息が! 今度こそ死ぬぅううう!」
毛利の叫ぶ声が続いた。