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#017 幕間 初めての洗髪日(1)

 毛利に初めての洗沐(せんもく)(洗髪)の日が訪れた。

 五日に一度の休日が。

 この日、多くの官吏が官舎を引き払い、わざわざ洗髪する為に帰宅するのだ。

 何故か?

 実はこの当時、髪を切るのはタブーであった。

 忌み嫌われし行いの一つなのだ。

 それこそ、丸刈りにするのが重い刑罰にもなる程に。

 儒教の浸透したこの時代、「親から貰った体を寸分も傷つけてはならぬ」と言う理由で誰もが髪を長く伸ばし、だからこそ、洗い乾かすのに多くの時間を要していた。


「牛輔様、爪は切っても良いんですか?」


「夜でなければ、な」


(……何故なのか?)


 米のとぎ汁で髪を洗った後の、とりとめもない会話。

 呂布宅を伺う前の一幕である。

 そう、先日受けた呂布の誘いに、毛利と共に牛輔が伺う事になったのだ。

 ちなみにだが、牛輔は毛利を護衛する涼州兵の代わりである。


(昨夜のうちに洗髪を済ませるとか、どんだけ同行したかったんだ?)


 実はこれ、董卓が盟友でもある丁原を警戒した所為でもあった。

 呂布繋がりで毛利が丁原に取り込まれるのは些か困る、と。

 その様な訳で、髪も短く、乾きも早い毛利は牛輔と二人して官舎を離れ、呂布の家へと足を運ん……


「わふっ!」


 刹那、巨大な影が二人を襲った。


「おわっ! 火山じゃねーか!」


「びっくりしたー! 急に飛び出して来るんだもん」


「わふっ! わふっ!」


 董卓の愛犬、チベタン・マスティフの火山だ。

 火山は赤い尻尾を勢いよく振ったかと思うと、


「くぅーん、くぅーん……」


 何かをせがむかの様に鳴いた。


「え、でも……」


 意図を察し、「如何しますか」と牛輔を見つめる毛利。

 牛輔の答えは、


「……もう、バレてるみたいだしよ。連れてってやれよ」


 であった。


「はぁ、もう仕方がありませんね。呂布様もそう煩い方ではありませんし、大丈夫でしょう」


 こうして、二人と一匹は洛陽城南宮北門を潜り、呂布の家に向かう事となった。


 その呂布の家で、まず最初に彼らを迎えたのが、


「我が名は貂蝉(ちょうせん)。呂布の室にして、丁原の娘でもある。主人である呂布共々、良き関係を築こうではないか」


 ワイルド系美女であった。

 呂布と同じく、背が高く髪色が明るい。

 加えて、畏まった衣装の上からも良く分かる、熟れた肢体。

 毛利と牛輔は思わず、


「ゴクリ……」


 喉を鳴らした。


(ちょっ、牛輔様は奥方がいらっしゃるんでしょ!)


(馬鹿! 違う! これは誤解だ! これは……そう! 奥からの美味そうな匂いでだ!)


「ふふ、生唾を飲む程腹を空かして参ったか。なれば、早速(さっそく)奥へ。ああ、辺境では車座を囲んで食うのだ。その辺りは目をつぶってくれると助かる」


「涼州でも同じです。呂夫人もお気になさらず」


 畏まった牛輔。

 するとそこに、


「お母様ー? 御客人が参られたのです?」


 愛らしい少女の声が響いた。


「ああ、そうだ。こちらに来てご挨拶なさい」


 途端に、勢い良く飛び込んで来た少女。

 彼女は物怖じする事なく、


「呂布都尉の娘、呂姫(りょき)です!」


 元気一杯の自己紹介をした。

 思わず脊髄反射的に答える男二人に一匹。


「前将軍にして司空董卓の臣、牛輔です!」


「毛利黄門です!」


「わっふ、わふっ!」


「火山です!」


 火山の名乗りを代弁したのは毛利である。


「ぶー」


 自分の仕草を面白可笑しく真似され、頬を膨らませた呂姫。

 それを目にした貂蝉がケラケラと笑った。


「早速馴染んでおるな。よいよい、主人も呼んで参る故、暫しそのまま寛いで待たれよ」


 その後、呂布が直ぐに現れた。

 相も変わらずの美丈夫然。


(散髪したままの濡れ髪。正に水も滴るいい男。貂蝉も綺麗だし、まるで、スーパーモデル同士の夫婦だ)


 そんな二人により、食事会は華やかな雰囲気の中、始まるのであった。


 食事の合間、毛利はここぞとばかりに、


(普段は他人の目もあり遠慮してたけど、この様な機会滅多に無い筈。さぁ、いざ参らん!)


 三国志きっての猛将であり、洛陽においても天下無双として名高い呂布に話し掛ける。


「男子たる者は皆、呂布様みたいに名を馳せたいと思うは必定。一体どの様にすれば呂布様の様になれるのでしょうか?」


 最初は当たり障りのない話題からであった。


「いや、私は今でこそ都尉に就いてますし、戦場ではそうでもないのですけど、知っての通り普段は人見知りが激しい身ですから……。一兵卒として参加した戦で、偶然丁原様に拾われるまでは、耳目を集める事などありませんでした」


「えー、意外です。でも、その戦で大活躍したからこそ、丁原様の配下に収まったのでしょう?」


「それが、そう言う訳でもないのです。実は、たまたま主簿(会計係)が戦死したらしく、その代わりを探していた所に丁度読み書き計算が出来る私がいて……。ですから、部将としての働きを買われたのは随分と後からなのです」


「えぇぇ!?」


 毛利は、そもそも会計係が戦に出る事もだが、脳筋代表とも言われがちな呂布が読み書き計算が出来る、その事実の方に驚いた。


「ははは、驚くのも無理はありません。それほど、辺境には人がいないのでよ」


 一方の貂蝉はと言うと、


「父の仕事を助けたくてな。并州では医師の真似事をしていたのだ。人だけでなく羊や馬も見ていたのだぞ」


「だが、流石に戦場には出れぬ。女が戦にでると縁起が悪いからな。故に、兵舎、厩舎で主に治療を行っていたのだ」


「兵舎……お綺麗だから、乱暴者に絡まれたりしませんでしたか?」


「なに、父丁原の下、鍛錬を積んでいた事もあり、こう見えても腕っ節には自信があるのだ。無礼な輩は悉く成敗した」


 次第に、呂布と貂蝉の馴れ初めにも話は及ぶ。


「そんな二人がどのような出会いを?」


「主簿を任せられる程頭が切れ、更にはこの貂蝉よりも強い男がいるのでその男を婿にする、とは父から仰せつかってはいたのだ。ただ、その日は朝から身体が怠くてな。とは言え、父丁原による縁談を無下に断る訳にもいくまい? 仕方なしに、屋敷の離れにて待つ呂布に会いに行ったのだ。すると、一目見たら体が急に熱くなり、気がついたらのしかかっていた」


「え?」


 思わず「あれ? 今、聞き間違えたかな?」、と呂布へと視線を送る毛利。

 彼は満更でもなさそうに微笑んでいた。


「その時に出来た子が呂姫なのだ」


(いや、そんな情報要らんし……)


 当の娘は呂布の隣で、


「いつ聞いても素敵なお話ね!」


 とばかりに目を輝かせている。

 まるで、王子様とお姫様が織り成す、ロマンチックな話に憧れる生娘の様に。

 だと言うのに、そこに生臭い話題を放り込む輩がいた。


「でもよぉ、その割には子は呂姫一人なんだな?」


 牛輔である。

 言いたい事を言った所為か、彼は満足げに酒をグイッと呷った。


「それが我ら夫婦の、目下の悩みの種よ。羊や馬なら発情期に致すと、直ぐ子を為すと言うのに……」


 貂蝉の美しい顔に影が差す。

 呂布がやさしく、気落ちした彼女の背を摩った。


(あぁ、時は三国時代。男子が生まれないとその家は没落するばかり。随分と気に病んでるんだろうなぁ……)


 毛利はそんな二人に、少しでも元気付けたい、希望を持って貰いたいと考えた。

 だからだろう、次の言葉が自然と漏れた。


「タイミングがズレてるのかも知れませんね」


「たいみんぐ? なんだそりゃぁ?」


「失礼、機を逸してるのかも知れません」


「毛利黄門、どういう事でしょうか? 是非とも詳しく教えて頂きたい」


 呂布が毛利に縋る。


「わ、わかりました。ですがその前に、貂蝉様」


「なんであろう?」


「失礼ながら、月の物と月の物の間は一定でしょうか?」


「ああ、だいたい二十八日だ」


 貂蝉は恥ずかしげもなく答えた。


「(男前だなー)なら、次の月の物が始まる日は予測出来ますよね? その日から十四日前付近で体が熱っぽく、もしくは矢鱈と眠くなったり、怠くなったら呂布様と寝所を共にして下さい」


 毛利の言葉を受け、貂蝉がキリッとした顔で、


「丁度、今宵がそうだ」


 と表明した。


(いや、その情報は不要だし、生々し過ぎです……。だって、聞いたからには今晩ヤるんでしょ?)


 すかさず、頬を染め上げた呂布が、


「参考までに尋ねるのですが、月の物の間隔が一定ではない場合はどうしたら良いのでしょう?」


 と問い掛ける。


「月の物開始日を入れて十四日以降の、先の症状が現れた日が目安となります」


「ちなみに、何故なのでしょう?」


 毛利は中学生でならった保健知識、排卵がどうたらこうたら、卵巣から卵子を放り出すので意外と体に負担が掛かる、故に体が熱くなるどうだらこうたら、を語った。

 更には当時の担任教師(四十歳独身、自称魔法使い)による門外不出の口伝、「排卵期には本能的にムラムラする。且つ男を呼び寄せる匂いなき匂いが発せられるので君達に恋人がいるなら、その恋人から男を遠ざけておく事。いなければ一目惚れに発展し易いワイルド系の身形を心掛けて近づこう」を伝える。


「その様な話、寡聞にも存じませんでした」


「毛利、わいるど系を詳しく」


(いや、部将は大概ワイルドだから……)


 が、男の反応であり、


「父丁原に頼み、明日から数日は宮中の官舎ではなく、こちらに帰らせて貰おう」


「お母様、お父様はわいるど系なのです!」


(史実的には間違いない!)


 が、女の反応であった。


「いや、流石に都尉の役目を疎かにする訳には……」


「疎かにしろと言ってはいない。官舎ではなく、同じ洛陽にある妻と娘の待つ屋敷に戻るのだ。問題あるまい」


「それは、そうかも知れませんが官吏としての仕来りが……」


「よし、決まりだ! この話は以上だ!」


「……は、はい」


 毛利は、天下無双と名高い呂布も、妻の尻には敷かれるのだな、と史実には決して載らぬ事実を垣間見て思った。

 彼の横に目を向けると、牛輔も苦々しい顔をしている。

 毛利と同じ思いらしい。

 そこに、


「おーい、儂だ! 丁原だ! 呂布はおるかー!?」


 大音声が突如轟いたのであった。


「あ! お爺様です! わーい!」


 テケテケと声のする方へ向かう呂姫。

 一際大きな少女の声が響いたかと思うと、偉丈夫が肩に呂姫を担いで部屋に現る。

 その姿は、


「可愛いなぁ。まるで、人の肩に乗って遊ぶ子猫だ」


 毛利にはそう見えたらしい。


「わふ?」


 呼んだ? と言わんばかりに火山が毛利に視線を送る。


「……いや、犬だし。それに、火山に乗る事はあっても、肩に乗せる事はないからな」


 火山は「ふんっ!」と荒い鼻息を発するやいなやそっぽを向いた。


「……」


「義父様、斯様な時間にどうなさいました?」


 呂布の声に丁原は、


「婿殿にこれを読んで貰いたくてな」


 と答えた。


(ん?)


 丁原が差し出したのは一束の竹簡。


(何故、自分で読まない?)


 それを当然の様に受け取った呂布が読み進める。


(もしかして、丁原は老眼?)


 この時、この些細な疑問が後に大きな事件に発展するとは、毛利には思いもよらなかった。

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