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#012 なんか臭い

 毛利が司空府に戻ると、「皇上からの呼び出しがあった」と告げられた。


「董卓様。何処に向かえば宜しいのでしょうか?」


「小黄門(黄門の部下。宦官)を呼べばよかろう」


「ど、どの様にして?」


「……ふん!」


(ひぃぃ! 今度こそ、車裂きにされる!)


 やがて、小黄門であろう、随分と年若い宦官が現れた。

 彼は男にしては甲高い声で、


「私の名は李黒。司空董卓様配下、李傕様の遠い縁者にして、李儒様の甥にございます」


 と名乗った。

 身内の縁者を遣わす所が、董卓らしい配慮である。

 毛利は彼に案内されるがまま、宮中を進む。

 表の南宮から北宮を繋ぐ複道を経て、奥へ奥へと。

 質実剛健な南宮とは違い、北宮は華やいでいる。

 そんな北宮に随分と入った頃合い、毛利は鼻に異臭を感じていた。


(すんすん、すんすんすん……なんか臭いなぁ)


 思わず歩みを止め、辺りを嗅ぐ毛利。

 何処となく覚えのある匂いに、首を傾げる。


「皇上がお待ちなのですよ」


 李黒が毛利に先を促す。

 しかし、毛利は聞かずにはおれなくなっていた。


「なにか、匂いませんか?」


 それに対する李黒の答えは、


「い、いいえ! しょ、しょ、小便臭くなどありませぬ! さぁ、行きますよ!」


 何故かキレ気味の返答であった。


(小便臭いなんて一言も言ってないのに……。あ、でもこれ、確かに小便、アンモニアの匂いだ! でも、なんであんなに怒るのか?)


 毛利は足を進めながら首を傾げた。

 更に歩む事数分、ようやく皇上の待つ部屋の前に。

 入り口を守っているのだろうか、侍女と思わしき女官が二人の前に立ち塞がった。


「小黄門はここまでで良い」


「お待ちを! この者は宦官ではございませんぞ!」


「だまらっしゃい! 皇上の思し召しです!」


 無下に断られた所為か、歯噛みする李黒。

 そんな彼に対して毛利は、「ごめんね」と断りつつ、侍女の後に続いた。

 そして、ようやく辿り着いた室内には明らかに西洋風の、


(テーブル!? この時代の中国にもあったんだ)


 食卓と幾つかの椅子が並べられている。

 既に三名ばかりが椅子に腰掛けていた。

 その中心にいる、一際目立つ男の子が勢いよく立ち上がったかと思うと、女の子の様にプクリとした唇を動かすのだ。


「待ちくたびれたよ、毛利!」


 それが皇上劉弁による出会い頭の言葉、であった。

 自身に向けられた鈴の音の如き声に、何故か上気する頬に、思わず我を忘れる毛利。

 皇家に対する拝礼すら忘れ、言葉に詰まった。

 やがて、ようやく絞り出した言葉は、


「こ、皇上におかれましては、ご、ご機嫌麗しゅう……」


「あ、そんな言葉いらないのに。なんだか毛利じゃないみたいだよ……」


 皇上の顔を曇らせる始末。

 だがそれは仕方がなかった。


(劉弁と劉協だけならまだしも、初対面の人が二人もいるし!)


 なのだから。

 毛利の視線を追い、理解した風の劉弁。


「ああ、見ず知らずの人がいるから、僕が隣にいないと心細かったんだね。仕方がないなぁ、もう!」


 と口にしたかと思うと、毛利の傍に立った。


「!!」


「兄様!」


 その一連の動きに驚いたのが劉弁以外の人々。

 勿論その中には毛利も含まれていた。


(そうそう、見知らぬ場所に一人……じゃねーよ! ちょっ、ち、近い! 劉弁が近すぎる! しかも、男のくせに鼻腔をくすぐる甘い香りを振り撒きやがって! 後、ちょいちょい腕に触れて来やがる! 男なのに! 男なのに! ちょっと嬉しく思う自分が怖い!!)


 そうとも知らず、劉弁は一人語り始める。


「君の事を話すと、是非とも会いたいという人がいてね!」


 この日、彼のテンションは終始高かった。


「僕の産みの親、何皇太后です! 宮内外では恐れられているけど、実は子供思いの良いお母さんだよ?」


(そ、それは、自分の親だから当然じゃないかな? って、言うか、ご紹介頂いた美熟女様が何皇太后であらせられる!?)


 毛利が明らかに慌てふためく。

 何皇太后は四十歳前後だと思われるのに、ただそこに座するだけで毛利を惑わす色香を振りまいている所為だ。


(と、友達の母親に、こんな綺麗な人は居なかったよ! き、緊張するな……)


 毛利がそう思うのも致し方ない。

 何故ならば、何皇太后の美しさは、庶人の生まれながらもその類稀な美貌(と宦官への賄賂)により後宮入りを果たした程、なのだから。

 更には時の皇上の寵愛を受け、皇子劉弁を産み、皇后へと至った。

 女性ならではの立身出世、位人臣を極めた人物なのである。


「(い、いかん。ここで粗相をしては俺の命が風前の灯火に……)し、臣毛利にございます! 何皇太后におかれましてはお初に……」


「劉協は勿論覚えてるよね!」


(挨拶は最後までさせろや! 俺の命が掛かってるっちゅーねん!)


「……昨日以来だな、毛利。この洛陽を目にし如何……」


「で、女官に扮した愛らしい女性が僕の正室、唐姫(とうき)です!」


(劉協にまで喋らせないとか! てか、正室! もう、結婚してるんかい! それもこんなに可愛い娘と! うらやまけしからん!)


 唐姫は背が低かった。

 年頃の男性にしてはやや低い、劉弁の妃に選ばれたからだろうか。

 しかしそれが、幼い顔立ちも相まって庇護欲をそそられる。

 一見するとその様な少女であった。


「お、お初にお目に掛かります、唐姫妃。毛利黄門、洛陽の北東、小平津の出です」


 毛利の挨拶に唐姫は顔を険しくしたかと思うと、コクンと頷き返しただけ。

 そして、「プイッ」と言わんばかりに毛利から顔を背けた。


(……げぇ。生理的に受け付けない感じ?)


 毛利が内心酷く傷ついていると、


「さぁ、互いの紹介は終えたから、ゆっくり話そうよ!」


 空気をまるで読まない劉弁が、隣の椅子を彼に勧める。


「え、いや、私ごときが皆様方に同席するなど、恐れおお……」


「それが僕の願いなんだ。頼むよ、君に座って欲しいんだ」


 それでも断る毛利に、劉弁はしつこいほど何度も座る様に言った。


「……そこまで仰られるなら」


 毛利は仕方なく、腰を下ろす事にした。

 他の方々が着座するまで待ち、自ら椅子を引き、そして座る。

 ただそれだけ。

 だと言うのに、


「……」


 劉弁以外の者が目を細めた。

 その訳は、


「毛利黄門」


「なんでしょう、劉協様」


「これらを見た事があるのか?」


 これらとはテーブルと椅子の事である。

 毛利は無論「普通にありますよ?」と答えた。


「そ、そうか……」


 テーブルと椅子の組み合わせは、今は亡き先代皇上が西域(敦煌以西)にかぶれた末にわざわざ取り寄せた、とも言われるくらい、当時は数の少ない代物であった。

 飲食店の大半が床飲みなのもそれを表している。

 故に、毛利が当たり前の様に座したのが不思議に思え、先の質問に繋がったのだ。


「もう! 今日はそんな事を話す為に毛利を呼んだ訳じゃないんだよ! 僕の話を聞いて貰いたいから呼んだんだからね!」


 劉弁の先の言葉の通り、毛利は様々な事柄を彼の口から伝えられた。


「僕のお母さんと、何進大将軍は荊州は南陽、屠殺を生業にする一家の生まれでね、……」


(いま、皇上が屠殺って言った? 屠殺業って古代中国では卑しい身分扱いじゃないの?)


 これは毛利の勘違いである。

 食に適した肉は大変貴重であり、その管理、分配を担う屠殺業者、屠畜業者は一定の社会的地位、財産を有していた。


「お父様は皇家の貯えが底を突く、そんな大事を恐れ、仕方なく売官を始められたと言ってた。でも……」


「皇上の妃嬪(ひひん)(側室)には貴人、美人、宮人、采女(さいじょ)と位があるのだけれど、つい先日まで北宮には二千人近い采女がいたんだよ? 貯えが無いと言うのにね」


「宦官は僕らの家族も同然なんだ。だって、本当に小さい頃から、この北宮で共に暮らしていたんだから」


「そんな宦官達を逆賊が殺しに殺した。それなのに逆賊はのうのうと生きている。可笑しいと思わない?」


「同じ事がお父様の時にもあって、その時は宦官達が勝利したのだけど……」


「儒学者や官吏は何かにつけてお父様に辛くあたってね。やれ、女が政治に口出しするから川の氾濫が起きた、だの、お父様の徳が足りないから飢饉が起きた、だの……」


 まるで、もう二度と語る機会がないかの様に捲し立てて。

 毛利は不思議に思い、


「どうしてこの私に、その様な事をお話しになるのですか?」


 と尋ねた。

 するとその答えは——


「言ったでしょ? 君には知っていて欲しいからって。だって君は、僕の任じた黄門なんだよ?」


 更には、これまで何一つ語る事もなく黙って聞いていた何皇太后までもが——


「妾からもお願いする。今日この日は時間が許す限り、皇上の話し相手を」


 毛利は仕方なく、


「はぁ……」


 と困り顔で応じた。


「何だその顔は、その生返事は! 官吏であれば、誰もが羨む立場なのだぞ!」


 劉協が声高に言う通りである。

 今正に毛利が担っている役目は、つい先日までは宦官が独占していた筈なのだから。

 だが、毛利にしてみれば、


(そうだけどさー、そうなんだけどさー。俺が貴方達に近づけば近づくほど、他人から妬みを買い、死神を招き寄せてる事になるんだよ?)


 であった。


 いつしか、日が沈み始める頃合いとなる。

 毛利は、


「ああ、いけない。そろそろ、司空府に戻らなければなりません」


 終わる気配の見えないこの場を辞する、と表明した。

 すると、意外な事に、


「なれば、明日も同じ刻限にここを訪ね、劉弁の話を聞いてたもれ。妾がその様に手配いたす故」


 と何皇太后から頼まれる。

 が、毛利は心底断りたかった。

 故の、


「いや、しかし、董卓様が……」


 苦し紛れの口実。

 しかしそれは、


「毛利! 何皇太后が直々に仰せなのだぞ! それにそもそも、毛利は董卓の臣に非ず! 皇上の臣である!」


 小学生高学年にしか見えない陳留王劉協により、論破される。


(いやー、これは参った)


 毛利は思い悩んだ。

 そこに、


「皇上である僕からも頼むよ。董卓には必ず話しを通しておくからさ」


 劉弁の上目遣い。


(お、男なのに何て愛らしいんだ!)


 毛利は呆気なく陥落した。


「皇上がそうまで……分かりました。では、明日も伺わせて頂きます」


「本当!? ありがとう! とても嬉しいよ!」


「妾からも礼を言わせて貰らおう」


「毛利、余ったお茶菓子を与える。下賤の生まれ故、遠慮していたのであろう? 確か、市井では決して手に入らぬ品々。大切にするが良い」


「(あ、この謎野菜入りの謎饅頭? 美味しそうだったけど、貴人の前だから止めてたんだよね)ありがとうございます、劉協様」


「き、気にするな! 下々の困窮した生活を改めるのも、我らの務めだからな!」


 北宮から南宮へは、唐姫が道案内を買って出た。

 やがて、二人が北宮と南宮を繋ぐ複道に差し掛かる間際、唐姫が毛利の前に立ち塞がった。


「毛利黄門……」


 人を刺す様な目つきを向けて。

 外から差し込む光は茜色、それが彼女の顔に掛かり鮮血を浴びたが如く毛利の瞳に映った。


「は、はい!(え? さっき迄と雰囲気が一変してるんですけど!)」


「貴様は一体、何処の何者だ!?」


「え?」


「いや、漢人であることも疑わしい!」


(な、何でバレたし!?)


「良いか! 皇上がお許しになられても、必要以上に近づくでない! さもなくば、こうだ! 分かったな!」


「ヒィッ……(つ、冷た!)」


 いつの間にか、毛利の首には二本の刃物が押し当てられていた。

 侍女が使う、暗器の類だろうか。


「分かったかと聞いておる!」


「わ、分かりました!」


「なればもう用はない! さっさと南宮へ去るが良い!」


 毛利が複道を通り南宮へと入った時には、辺りはすっかり暗くなっていた。


(やばい。道が分からない。これでは官舎に辿り着けないかも……。しかも、昨日の犯人がまだ捕まってないから、また襲われる可能性もあるよな……)


 途端に、極度の不安に苛まれる毛利。

 つい先日命を狙われた身としては、当然の反応である。

 それどころか、


(あれ? 暗闇の中に、妙な影が佇んでない?)


 何かしら大きな生き物が、彼を待ち構えていたのだ。

 その生物は双眸を煌めかせて毛利を見たかと思うと、ペロリと舌舐めずりした。


「ひぃぃ……。こ、今度はば、化け物が出た……」


「わふっ!」


「え、あ、その鳴き声は……か、火山か!」


「わふっ!」


「何!? 官舎まで一緒に帰ってくれるの?」


「わふっ!」


 董卓の愛犬だ。


「もしかして、董卓様が遣わしてくれたのかい?」


「わふっ!」


(さっきから同じ返事しかしないな。もしかして……)


「董卓様は犬よりも兎が好き」


「くぅーん、くぅーん……」


 切ない鳴き声が宮中に響いた。


(なに!? ま、まさか、人の言葉が分かるのか?)


 そう思ったのも束の間、火山は毛利の持つ手土産をしつこく嗅ぎ回る。


「……もしかして、お腹空いてるのかい?」


「わふっ!」


「これ、貰い物だけど食べる?」


「わふっ!」


「そっか。じゃあ、官舎に着いたら一緒に食べような」


「わふぅー!」


(……これが神犬と呼ばれる由縁か)


 こうして、毛利は巨大な赤犬に守られる事により、無事官舎に帰り着いたのである。

 だがそれを、暗がりから鋭い眼差しを向ける怪しい人影が一つ。


「……成り上がり者風情がこの私を蔑むなど! 何たる恥辱! 許さん! 決して許さんぞ!」


 毛利はついぞ、気が付く事はなかった。




  ◇




 毛利が去った後の部屋には、未だ三つの人影が残っていた。

 その内の一つが声を発した。

 実に柔らかい声で。

 あたかも、真綿で包み込むかの様に。


「劉弁や」


「なぁに、お母様」


 劉弁は顔も向けず、唯々優しい声音で答えた。


「あの者は……」


「僕は別に構わないよ? 彼が何処の何者で、何らかの意図を隠し僕に近づいてきた者だとしても。そんな事は、もう如何でもいいんだ。だって、そうでしょう?」


 劉弁が愛くるしい顔を母親に向ける。

 両の瞳がたいそう潤んでいた。


「僕の秘密を董卓に知られてしまったから。だから……もう、僕は余り長く生きられない。それはもう、どうしようもない事なんだよ。劉協のお母様、王美人が自ら毒を呷ったくらいに」


「劉弁様……」


「お母様、劉協、ごめん。今少し僕のわがままを許して下さい。夢を抱きながら、この隠しようのない胸の高鳴りと共に僕が逝ける様に……」

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2019/03/01 18:00より新連載!
『煙嫌いのヘビースモーカー 〜最弱の煙魔法で成り上がる。時々世を煙に巻く〜』
異世界転移物です。最弱の煙魔法と現代知識で成り上ろうとするが異世界は思いの外世知辛く。。と言ったお話になります
こちらもお気に召して頂ければ幸いです!

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最後まで目を通して頂き、誠にありがとうございました!
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