#001 七星将機
黄色く濁った水が大河を満たし、東へと流れていく。
波打ち、渦巻きながら。
照りつける日差しは水面を強く輝かせ、河から吹く風は黄濁の匂いを辺りに撒き散らしていた。
その様な景色が数千キロメートル以上にも渡って続く。
それが中国古代文明を育んだ母なる河、黄河であった。
そんな黄河のほとりに一人の若者が居た。
目を丸くし、如何にも呆然と言った体で。
本作の主人公、毛利だ。
彼はやがて気が抜けたかの様に、その場にすとんと腰を落とした。
「ゆ、夢じゃないんだ……」
元から汚れて居た民族衣装が、更に汚れるのもお構いなしに。
「な、なんで? 地下鉄の階段を上って地上に出た筈なのに……」
毛利にとってはそれ程、目の前の景色が理解し難いのだ。
彼の瞳は唯々、黄河の水面のみを映し続ける。
「か、神田川、な訳ないよな。和泉橋もないし……。そもそも川幅が桁違いに広い、色もこんな吐き気を催す様な色をしてる筈が……。と言うか対岸にビルではなく山脈がある。しかも、怖い程近くて高いよ……」
周囲に注意を払おうともせずに。
故に、気付くのが遅れたのだ。
毛利の右側から、
「止めよ! この様な所で将機なぞ! ……様を巻き込むぞ!」
「張讓!」
「段珪、御主もか! なれば勝てるやも知れぬぞ! 覚悟致せ、慮植ぅうううう!」
「ヌゥッ! 止むを得ぬか!」
何やら言い争う音が聞こえてきたかと思うと、
——ズンッ!
「うわっ!?」
腹の底まで響く音が轟き、続いて大地が揺れた。
毛利は咄嗟に身を低くし、体を丸める。
まるで生存本能に従う生まれたばかりの子鹿の様に。
その上で、音のした方を恐る恐る窺った。
「……なっ!?」
毛利が目にしたのは、全高五メートル程もある人型の巨像。
それも三体が、各々得物を振るいながら争う姿であった。
薄灰色した一体が淡く光る棍棒を両の手で握り、地面に打ち下ろしたまま固まっている。
同じく薄灰色した人型が先の一体の傍に立ち、同じく光る長柄を振り回していた。
相対しているであろう黄色い巨像に向けて。
まるで、牽制するかの様に。
黄色い方は先の一撃を躱した後なのだろう、これまた光る大きな斧状の得物を構え直し、隙を窺っている。
「な、なんだあれ!? ロボットか?」
目が釘付けになりつつ、大声で自問する毛利。
刹那、
「あれは〝将機〟だ」
と毛利に答える者が現れた。
それも、女の子が男を真似た様な声音で。
「将機!?」
と毛利は応じるも、将機から目が離せない。
それほど、衝撃的な景色なのだ。
「正しくは〝七星将機〟。遥か古代、伏羲により齎されし代物だ」
「七星将機……それが、遥か古代から……」
「以来、天に輝く星々の如く、数多の部将により生み出されるに至る。そう、僕のご先祖様にして……」
「部将? ま、待って! 今、ぶ、部将って言った!?」
毛利はようやく、話し掛けてきた相手に振り返った。
その者はやや小柄で、だが彼からは同じ年頃に見えた。
口元に柔らかな微笑みを浮かべ、声掛けした相手を面白そうに見ている。
僅かに晒された肌の色は、透き通る様な白さ。
中性的な雰囲気を全身から醸しだし、男女の判定を難しくしていた。
(しかも、な、なんで中国皇帝風のコスプレ!?)
被った冠から簾状の何かが垂れている。
加えて、まるで星が散りばめられたようにも見える、豪勢な衣装を身に纏って。
例え紛い物だとしても、毛利にとっては途方もない大金が注ぎ込まれているのが明らかであった。
「もしかして、部将も知らないのかな? 部将と言うのはね……」
「いや、兵を率いて戦う人って事なら知ってる」
「では、誰か、と言う事かな?」そう口にするや否や、若者は胸を逸らした。「ならば教えてあげよう。薄灰色の将機が張譲と段珪。琥珀色は慮植である!」
どうだ、凄いだろう! と言わんばかりの物言い。
この時代に生まれ育った者なら、一度は耳にした事がある筈の名だ。
だが、彼は違う。
故に、
「誰それ?」
毛利は大きく首を傾げた。
「呆れた。張譲と段珪は中常侍、慮植は黄巾の乱で名を挙げた部将だよ?」
「中常侍、将……それに、黄巾の乱!?」
その刹那、
——ドンッ!
「兄様、危ない!」
鈍い音に続き、明らかに少年であろう声が二人に迫る危機を報せた。
次の瞬間、彼らより僅か数メートル先の地面が音を轟かせながら爆ぜる。
と同時に、土煙が舞い上がった。
「ぶわっ!」
瞬く間に視界が黄色く染まる。
その隙間から辛うじて見えた音の発生源。
そこには薄灰色した大きな腕が一本、地面に突き刺さっていた。
「まさか!」
毛利は、三体の将機が睨み合っていた場所を振り返った。
直後、再び鈍い音が響く。
琥珀色した将機が大斧を掲げ、振り下ろされた棍棒を防いでいた。
「ケホッ、ケホッ……ああ、君も無事で何より。ちなみにだが、あれらは僕を連れて逃げた者達と、その僕を連れ戻しに来た者だ」
「はぁ?」
「納得いってないようだけど、今は兎に角逃げるよ。そもそも、君をこの死地から連れ出す為に、僕は声を掛けたんだから」
「に、逃げるって何処に?」
「勿論、あれら将機同士の争いに巻き込まれぬ方へだよ!」
年若い方の若者が指し示した方向、そこには彼の弟であろう少年が背を向け走る姿があった。
その少年は時折振り返り、身振りを交え逃走を促す。
二人は頷き合い、一目散にその後を追った。