再確認した幸せ
月曜日16時更新に変更しました!
おそらく真昼間、一番忙しくなりそうな時間帯に、俺たちはバイトを終える。怜治が言うには「どうせ客は来ないからいいんだ」とのこと。ちなみにこれで、時給は900円。4時間だが、楽なことを考えたら十分だ。
神社へと向かう。まだ真夏、空は高く、日差しは強く、蝉が鳴き、汗がにじむ。だが、それは、とてもとても平凡で、これが普通の夏で、隣に友達がいて笑っている。
……なぜこんなにも平凡から遠かったのだろう。不思議なほどだった。
神社の階段はきつい。急で長い階段をずっと上っていく。息を切らし、汗を垂らしながら、ようやく平地にたどり着く。木々に囲まれた神社、空気は突然変わる。涼やかで、心地よい、さわやかな空気。それはまるで、さっきまでの階段とこの場所が、結界で区切られているかのようだった。
風が吹き、木の葉が揺れ、さぁと音を立てる。それがまるで合図のように、そこには日和たちの姿があった。
「あら、今日は寝坊しただけ、来るのが遅かったのね、和仁」
「ね……姉ちゃん!」
朝の姿と変わらない、日和がそこにいる。手を腰に当て少しかがむように、和仁を睨む。しかし、その眼光は、鋭いものではなく、優しさと恥じらいを含んでいた。
「覚元くんが寝坊なんて珍しいですね。時間をきっちり守って、何事も真面目な覚元くんも、お茶目なところがあるんですね」
口元に手を当て、上品に、志乃は笑う。紀和志乃、和仁にとっては2年上の先輩で、本来の世界ならば、2年前の事件の際に大けがを負い、それから出会ってなどいなかったはずだが……
おかしい、と、和仁は脳内でつぶやいた。どこからか、記憶が途切れている。いや、あやふやだ。紀和志乃と、2年後の18歳になった和仁は、出会っていただろうか。
いや、今はそれはいいとしよう。ともかく、ケガをしていたはずの志乃が元気である様子を見て、和仁は少し安心した。
「先輩は可愛いなぁ……お兄ちゃんは私に起こされなくても起きてよね!」
「俺、今日は怜花に言われなくても起きたからね!?」
「うっさい! いつもちゃんと起きて!」
怜花は、兄、怜治と言い合った後、頬を膨らまし、顔をそらしてしまった。似非怜花、怜治の2歳下の妹で、和仁のことを先輩と言ってくる少女だ。本来の世界ならば、記憶を失ってから出会った。
……本来の世界ならば、彼女を兄の代わりに守り抜くと誓ったはずだった。
兄である怜治の生きるこの世界で、怜花とどう向き合えばいいのか、和仁はその疑問を頭に浮かべていた。
「ははっ、賑やかで良いものじゃ」
その気配に気づかなかった。いつの間にか、和仁の後ろに、白銀の髪の毛をした幼い少女は立っていた。和仁の記憶では、このしゃべり方、この姿、二神様と呼ばれるこの町の氏神のはずなのだが、本来あるべき、白い角は、今はどこからも生えていない。
「月子ちゃん! どこ行ってたの?」
「おぉ、日和。心配しておったかの? 案ずるな、らむね、とやらを買ってきたのだ。皆の分もあるぞ、飲むとよい!」
二神様、いや月子の手に持ったビニール袋から出てきたのは、6本のラムネだった。みんなはその袋に群がり、自分のラムネを一本取っていく。
「ん? どうした、和仁。お前も飲むとよいぞ」
月子にそのラムネを差し出される。とりあえず受け取り、まじまじと見つめる。いたって普通のラムネだ。付属のふたで、ビー玉を押し込み、ラムネを開ける。そして恐る恐る、それを口にし、飲み込んだ。
程よい冷たさ、しゅわしゅわとした、甘くさわやかな味。体から抜け出た水分を欲しがるように、和仁はそれを飲み干した。よく考えれば、ここにきて何も食していなかった。よく体は保てていたものだ。
「くーっ! うめぇな! これ!」
怜治も和仁とほぼ同時に、ラムネを飲み切る。
「おぉ、和仁、そんなにのどが渇いてたのか? 言ってくれれば、イチゴ味のスポーツドリンクを……」
「……それだけは遠慮しておくよ」
怜治の好きな、まずいイチゴ味のスポーツドリンクは、この世界にもあるんだな。そう思いながら、女子3人と距離を人一人分距離を置いて、地べたに座った。
「そんなことより先輩、今日は何をしますか? 今日は一緒に料理作りませんか? 冷やしそうめん作りましょう、どうですか?」
「あぁ、いいな、それ」
すると、怜花と和仁の会話を聞いていた志乃は、少し顔を赤くして、咳払いをした。
「こ、こほん! 覚元くん、料理もよろしいですが、私と一緒に、近くの川で釣りはどうでしょう。それを今日の晩御飯にしませんこと?」
「あら、紀和先輩、先輩の横取りはいけませんよ? 釣りなんて、暑くてできませんよ?」
「何をおっしゃいますの? 山の中の川なら、涼しく釣れるでしょう。怜花さんこそ、一人占めはいけませんわよ?」
「何をぅ……!」
「あら、私、徹底的に争いますわよ?」
静かな女の戦いが始まる。和仁は一瞬、考えが追い付かなかった。そして、理解し始め、顔を赤くする。いわゆる今日のデートはどちらと行くかの争いだ。そうに違いない!
女の子と二人きり!? バカな! ありえない! 無理だ、精神的に死んでしまう、いつものような会話なんてできるものか! 第一、怜花は可愛い、志乃は美しい、どちらかを選び、どちらかを見捨てるのは、和仁には非常に無理な選択だった。
「覚元くん、今日はどっちと出かけたいです!?」
「先輩はもちろん、インドアですよね? 私と一緒に居ましょう!」
「覚元くんは体力あるのよ、アウトドアよ! 私と一緒に、出ませんこと?」
前のめりになり、ぐいっとどちらにも引き寄せられる。引きちぎりそうな勢い。いや、これがいわゆる、両手に花状態か。しかし、女子と二人きりなんて良心が許すはずもなくもってのほか。それが、本来の和仁と、この世界での特性だった。
「やめなよ、二人とも。和仁が顔真っ赤にして歯を食いしばってるでしょ?」
仲介に入ったのは、日和だった。日和の一言で、前のめりになっていた二人は、一度引く。
「和仁、今日は何する? やっぱりこんな暑い日はゲームかしら?」
日和に手招きされる。思わず、幼心に帰って、日和に駆け寄った。14年前のまだ生きていたころの日和が、そこに見えた。何気ない仕草、何気ないそのセリフに。
思ってもみないほど、体は動く。和仁は日和に抱き着き、こらえていた涙があふれ出た。
「ちょっと……どうしたの? 和仁?」
「姉ちゃんが、生きている……」
朝は忘れていた、その感情。本来ならば、姉、日和は死んでいる。和仁は、日和の死の真相を暴くために、青春を押し殺した。すべてを日和に捧げ、日和のために生きた。
その分、自分の自由がないのは苦しかった。いや、その自由をもって、日和にすべてを捧げることを選んだのか。だが、その閉塞感は、常識をすべて奪った。
だからこそ、この肌の感触が、声が、すべてが愛おしかった。願っても願っても、手に入らなかったぬくもりが、確かにあると確認した。朝は突然のことを理解できなかったが、今は理解できる。
────これは、自分の理想だと。
「悪い夢でも見たのね、和仁。今日は一緒にここに居ましょ? 誰も死なないんだから、ね?」
子供をあやすように、日和は和仁を撫でる。それを見た怜花、志乃も、和仁の背中をさすった。
その中で、ずっと泣き続けた。ようやく苦しみから、解放された。やっとここに、幸せがある。
「やれやれ、参拝にこの階段はきついのぉ」
息を切らし、よっこらしょ、と年寄りの掛け声が聞こえる。和仁は思わず顔を上げて、声のするほうを見た。あの老人────玄理だ。
「おや、最近はここは、子供たちの遊び場になっているのかな? まぁ、良いことよ」
さて、一つ参拝を。そう言って、老人は目の前を通り過ぎていく。そのあと、怜治が和仁のそばに近寄ってきた。
「あぁ、ほら。喫茶店のおじいさんは参拝に来ただろう?」
先ほどの違和感を消せると思い、和仁は怜治を見ながら、老人を指さす。すると、怜治は首を傾げた。
「何言ってんだ、和仁。そこには誰もいねぇぞ?」
「え?」
俺の常識は、少しずつ、壊れ始めていた。
うーん、やっぱり重くなりそうな予感。