82 地獄絵図
GWです。
「主様に対し武器を向け、列を成すなど……嗚呼、なんと愚かな」
召喚されたあんこが、四千の兵隊を前に一言漏らす。死にゆく命を憐れむような優しい声音だった。
「行くぞ」
指示もそこそこに、俺は作戦開始の合図を出す。
すると、あんこはいきなり《暗黒転移》で敵陣のど真ん中へと瞬間移動した。目視できる限りの影ならば、その転移の標的であった。
「――なんっ……!?」
驚き狼狽えるカメル神国の兵士。そりゃそうだろう。さっきまで随分と離れた敵陣にいたはずの黒衣の女が、今は目の前にいるのだから。
「愚かなり人間」
あんこは何やら呟いて、その場で《暗黒変身》する。
闇が解け、現れたのは、2メートルはあろうかという大きな黒い狼――兵士たちは、俄かに戦慄を覚えたことだろう。
「ま、魔物だ――!」
何故この場に魔物が! 混乱は広がり、そして。
「怯むな! 囲め! 利は我らに有り!」
手を出してしまった。
あんこをぐるりと包囲し、槍を突き立てんと突進する。
数十人の槍兵が、同時に狼型のあんこへと槍を突き刺した。ありゃ《銀将槍術》かな? まあどうでもいいか。だって……
「効かないんだよねえ」
遠巻きに見ていた俺は、つい呟いてしまう。何故だかカメル神国の兵士たちに同情したくなった。
何故効かないのか。理由は単純だ。「狼型時は物理攻撃一切無効、人型時は魔術攻撃一切無効」これは暗黒狼攻略の基本である。
「む、無傷だと……ッ!?」
戦場は大混乱だった。
突如として現れた魔物に、誰もが致命的と信じた必殺の攻撃が効かなかったのだ。
最早どうすることもできない――と。兵士たちは、皆、そう思ったことだろう。
「!」
直後、あんこが息を吸い込むようなモーションをする。あれは《暗黒咆撃》だ。狼型限定スキル、魔術と物理の両属性を兼ね備えた超遠距離攻撃。
攻略するなら回避安定だが……果たして彼らはどうする?
「何か来ます!」
「……て、撤退!」
どうやら逃げるようだ。うーん、正解。
「!」
パカァッと開いたあんこの口から、禍々しい暗黒の塊が迸る。あんこはわざと“斜め上”に向けて撃っていた。どうやら理性的に遊べているようである。
「ひ、ひいいぃ!!」
カメル神国側はかわいそうなほどビビリちらしていた。一方でキャスタル王国側もかなりビビっていたが……まあいいや。
「よし、そろそろ出番か」
撤退を始めたカメル神国の兵士たちを見て、俺は《精霊召喚》を発動する。
「(憑依)」
「(むっ、御意に)」
アンゴルモアがあんこと喧嘩をおっ始める前に、すかさず《精霊憑依》を命令した。直後、ぶわりと、虹色のオーラが爆発する。
「おおっ……!?」
俺の後方から辺境伯の兵士のものと思われるざわめきが聞こえた。精霊憑依を見るのは初めてなのだろう。分かる分かる、すげぇ格好良いよな。俺も初心者の頃は憧れたものだ。
「追い込み漁だ」
「(なるほど。血が滾るのう!)」
一体感で思考を共有し、疾駆する。目指すは奴らの側面。残像をちらつかせながらの高速移動で、瞬く間に敵兵との距離が詰まっていく。
「死んだらごめんなー!」
一言断りを入れてから、俺は《龍王剣術》を準備して……きっかり4秒後、一本の線を引くように、奴らの側面ギリギリにぶっ放す。
「よいしょーッ!」
轟々と音をたてて地面を衝撃波が伝い、岩にぶつかった波のように天高く土砂が打ち上がる。
「ぅひっ!?」
敵兵が何人か、ビビリすぎて尻餅をつく。
砂煙が落ち着くと、狙い通り、抉れた地面が綺麗な直線を描いていた。これは忠告だ。これ以上外側に出たら、命は保証しないという忠告。案の定、カメル神国の兵士たちはその線から遠ざかるように必死の撤退を続けた。
「何だこれは! 何なんだこれはっ!?」
彼らは最早、兵士としての体を成していなかった。しかしながら、流石は軍人か。隊列はまだ崩れ切ってはいない。
「――うふふっ。いらっしゃいまし」
いつの間にか《暗黒変身》を済ませ、人型となったあんこが、彼らの目の前に《暗黒転移》する。
……絶望、だろうか。その瞬間、兵士たちの足は、完全に止まった。
「来たれ、黒炎之槍」
あんこの《暗黒召喚》――喚び出したのは、身の丈の3倍はあろうかという大きな大きな槍。俺でさえ「出されたら負け」と覚悟せざるを得ない、最強最悪の武器である。すなわち、あんこは以降“最強モード”と化す。
「ふふ……」
目を糸のように細めた優しげな微笑のまま、大槍をまるで棒切れのように振るうあんこ。同時に槍の先端から黒炎が迸り、十メートル以上の間合いを作り出して尚、その範囲外へとえげつない威力の攻撃を飛ばす。
土も、岩も、野営のテントも、防壁でさえ、燃え尽き灰となる。あんこが黒炎之槍をひと振りすれば、そこは瞬く間に焦土と化した。
「うわああああっ!」
最早、兵士たちは形振り構っていられなかった。
逃走、否、脱走か。綺麗さっぱり戦意を喪失した彼らは、あんこに背中を向けて散り散りに逃げ出す。
「そうは問屋が卸しませーん」
俺は逃がしてなるものかと、彼らを包み込むように、その行く手に《龍王剣術》をお見舞いしてやった。その目の前で間欠泉が噴き出すかのような土砂の爆発を見て、彼らは泣きながら行き先の変更を余儀なくされる。
前方にはあんこ、左方には俺、後方はスチーム辺境伯軍。となれば、必然的に右方へと逃げ出すだろう。
「許しませぬ」
その右方へと、またしても《暗黒転移》で先回りするあんこ。
「もう勘弁してくれ!」と。兵士たちの心の声が聞こえる。
仕方なしに、ついさっきまであんこがいた前方へと逃げ出す兵士たち。
「そうはイカの金玉」
俺は《龍王弓術》を準備して、ちょうど彼らの目の前へと着弾するように放つ。
《龍王弓術》は着弾地点に強力な範囲攻撃を行うスキル。準備時間は6秒ととても長いが、射程距離と威力は申し分ない。かなり使いどころの限られる【弓術】である。
ズドーン! と、まるで爆弾でも落ちたかのような揺れと衝撃。《龍王弓術》の着弾地点は、クレーターのように円形に抉れていた。
「うああああ! 何なんだよもうっ!!」
追い込み漁とは上手く言ったものである。まさにその通りの状況だった。
それから数分、四方八方を俺とあんこで挟みまくり、まるでお手玉のように彼らを弄んだ。
ある時。ふと、こちらへ向かってくる敵兵の姿が見えた。騎馬隊だ。ついに来た! あんこ攻略が無理な以上、俺を突破しようという狙いだな。
確かに、現在の俺は《精霊憑依》も解けており、生身の状態である。見た目的にも普通の人間だ。「こいつなら勝てる」「あの化け物よりマシだ」と、そう思ってしまうだろう。
「残念だったねェえええ! ヘンシンッ!」
騎馬隊と接触しようかという瞬間に、俺は《変身》を発動した。《変身》スキルの8秒間の無敵時間を利用して、騎兵を馬ごと弾き飛ばす。突撃してきた者たちは、まるでトラックに跳ね飛ばされたかのような衝撃に、そのほとんどが落馬して、騎兵として機能しなくなった。
しかし、彼らの後続を転ばせることはできなかった。あっと言う間に俺は敵兵にぐるりと囲まれてしまう。
「オラァッ!」
8秒間のうち、変身完了まで6秒。すなわち残りの2秒は“無敵のまま動ける”のが《変身》スキルの醍醐味だ。
俺は周囲の敵兵のうち、間合いをはかっていた残りの騎兵に満面の笑みで無邪気に駆け寄って吹き飛ばしてから、空に向かって2秒前に準備していた《歩兵弓術》と《火属性・壱ノ型》の複合【魔弓術】を放ち、“合図”を送る。すると――
「ようこそお出でくださいました、主様」
彼女の胸の中に《暗黒召喚》されるという寸法だ。
俺を囲んでいた兵士たちは「アラッ!?」と思っていることだろう。一種のイリュージョンだな。
「……さて」
あんこに恐れをなして逃げ出した敵兵は、かなりの後方。俺たちは、そいつらに背を向けて立っていた。何故かといえば……
「聞こえて参りましたね」
耳をすませば。暗闇から、幾千もの軍靴の音と、鎧の擦れ合う音が響いてくる。
伏兵――すなわち、カメル神国の援軍であった。
その数、ウィンフィルドの予想では、八千から一万。
「お任せくださいまし」
あんこは心底楽しそうに微笑み、黒炎之槍を仕舞った。
後方、カメル神国の陣で燃える松明と、月明かりに薄っすらと照らされ、その全貌が明らかとなる。援軍はずらりと隊列を成し、こちらを包囲せんと迫っていた。
ゾクリと背中を悪寒が駆けのぼる。いくらなんでも、この数に囲まれたら厳しい。本能的な恐怖が湧き上がった。
「いざ、参ります」
あんこはそうとだけ言い残し、微塵も臆することなく、静々と数歩だけ前に歩み出てから《暗黒転移》した。
援軍は困惑したことだろう。一万の兵を相手に、女がたった一人で何をするつもりだろうか、と。
そして……彼らの、暗闇に隠れて奇襲をかけようという狙いは、大きく裏目に出ることとなる。
「うふっ、うふふふ! あっはっはっはっは! あはぁ!」
こちらへと聞こえるほど大きな、嬌声ともとれる蠱惑的な笑い声。
瞬間――闇の中でもはっきりと分かるほどに真っ黒な、極悪の“霧”があんこから噴出した。
不意に、心臓が締め付けられ、体が強張る。あの【魔術】の厄介さを死ぬほど身に染みて理解している俺の脳みそが無意識に警戒したのだ。
《暗黒魔術》……その暗黒の霧に触れた者は、皆、HP残量が強制的に1となる。
その、恐怖は。彼らの恐怖は。想像を絶するものだっただろう。
暗闇の中、笑う女と、突如として現れた得体の知れない黒い霧。隣の兵士との距離感も掴めぬまま、いきなり、自身のHPが1になれば――
「う、うわああああああ!!」
パニックだ。
あんこの《暗黒魔術》を喰らったのは、前列付近の数百から千人ほどだけだったかもしれない。しかし、彼らを恐怖のどん底へと叩き込むには、たったそれだけで十分だった。
いや。パニックなどでは済まない。HP残量が1の状態で“もみくちゃ”となれば、どうなるか。
いとも簡単に“死ぬ”のだ。転んだだけで、呆気なく、死ぬのである。
異形の恐怖からとにかく逃げ出そうと、必死の形相で逆走してきた者が、前進する者とぶつかり合い、わけも分からぬまま目の前で絶命する。そのような異常が、隊列のあちこちで相次いだに違いない。
中には冷静にポーションを飲み回復しているような者も見て取れた。だが、兵士のHPが残り1から一発で全快するようなポーションなど、とても高価で配給なんてされやしないだろう。回復魔術師の到着など待つ余裕はなく、残された手段としては安いポーションを何個もがぶ飲みするしかない。そうやって時間をかけて瀕死からやっと半死くらいになったところで、士気はガタ落ち、とても戦えるような状態ではないな。
「撤退!!」
そうして、闇の中、恐怖と混乱が伝染し、多数の瀕死者と、少なくない死人の出たカメル神国の援軍は、早々に撤退を余儀なくされた。
《暗黒魔術》の再使用クールタイムは3600秒。あと1時間は使えないが……向こうの指揮官にとっちゃ、知る由もない事実。次、いつまたあの恐怖の霧が来るかと思うと、逃げ出さずにはいられなかったのだ。
「嗚呼、可愛いわぁ。ほらほら、もっと逃げなさいな」
あんこは影杖を《暗黒召喚》し、びゅんびゅんと振り回す。弾かれた砂利が恐ろしい勢いで飛び、バシバシと彼らの鎧に当たった。あんこの声も、飛来する砂利の音も、杖の振られる音でさえ、彼らには身震いするほどの恐怖でしかなかったことだろう。
「頃合か」
援軍全体が撤退を始めた様子を見て、あんこに合図を送る。次の瞬間、俺はあんこの胸の中にいた。ちょっ……どうも格好がつかない。まあ致し方なしか。
「しかと見よ!」
俺は一番目立つであろう【魔術】《雷属性・伍ノ型》を準備し、奴らのケツすれすれを目がけてぶち込んでやる。伍ノ型はまるでミサイルのように高速で飛んでいき、地面に着弾した。
バリバリバリ! と、積乱雲の中の如く電撃がその場で荒れ狂う。夜にも関わらず、その周辺はディスコのように目がチカチカするほど強い光が明滅し、一帯に爆音が響き渡った。
何事かと、敵軍から注目が集まる。俺は大きく息を吸って、沈黙を破った。
「セカンド・ファーステストだ! 俺の名を忘れんなよクソッタレども! 今度また調子乗ったことやってみろ! ただじゃ済まさねえぞ! カラメリアについても知ってるからな! 舐めんじゃねえってクソカス神とやらに伝えとけ! 分かったらとっととお家に帰ってママのおっぱいでも吸ってな! あと捕虜返せバーカ!」
「……その、セカンド卿。ひょっとして頭がお狂いになっていらっしゃる?」
「失礼だなお前!?」
全てが終わり。スチーム・ビターバレー辺境伯が、開口一番に何を言うかと思えば、半笑いの罵倒だった。でも嫌いじゃない。
「冗談です。私は貴君を侮っておりましたが……今となっては恥ずかしい」
「そうだな。だったらもっと恥ずかしがれと言いたいが」
「いや、あのね、言わせてもらいますけど。侮って当然だと思うんですよ。何ですかあの態度は。遊びに来てるんじゃないんですよ……と。そう思っていました。ですが、貴君にとっては当然の態度だった。だって本当に遊びに来てるんですもの」
「そう褒めるなよ。照れるじゃん」
「褒めていません。いや、褒めていますが、褒めていません」
「何だそりゃお前……」
「捕虜はこれ以上ないほど丁重な扱いで戻ってきました。総勢一万四千超えのカメル神国軍は撤退しました。一生忘れられないトラウマを植え付けられてね。そして、こちらは全くの無傷です。この意味がお解りですか?」
「大成功だったな」
俺がニッと笑うと、スチームも笑う。
「ありがとう。何度でも言います。ありがとう。ありがとう。ありがとう……!」
お読みいただき、ありがとうございます。




