81 嬉しすぎる誤算
GWですね。
二時間ほど、控えめに言って最高の時を過ごした。肌を撫ぜる冷たい夜風がまた心地良い。
だが、あまりのんびりしていられる状況ではない。
「大仕事というのは、数千の兵隊をビビらせることだ。できるだろう?」
「その者どもは何か主様に失礼を? でしたら見事皆殺しにしてご覧にいれましょう」
冗談……ではなさそうだ。本当にやりそうで怖い。
「いや、ビビらせるだけでいい。ただし完膚なきまでにだ」
「御意に。奴らは心の隅々に至るまで恐怖で満たされ生きながら溺れ死ぬこととなるでしょう。うふふっ……嗚呼、ついに主様のお役に立てるのですね……」
実に頼もしいことを言ってくれる。
だが、そんなあんこの体勢は俺に膝枕をされて寝転がっているという何とも情けのないものだった。曰く、腰が抜けて立てないのだとか。狼でも腰砕けになるんだな。
「そろそろ立てるか?」
そう聞くと、暗黒という名に似つかわしくない真っ白い陶器のような肌が朱に染まる。
「ご、ご迷惑をおかけいたしました。あんこはもう大丈夫です。次は、次こそは、主様に悦んでいただけるよう、精進して参りますゆえ」
名残惜しそうに立ち上がって、そんなことを言う。一体どうやって精進するつもりなのだろうか。ユカリに教えを乞うというのなら全力で止める所存だ。あんな化け物がもう一人増えることになったら俺の体が持たない。
俺は「気にするな」とお為ごかしに慰めて、セブンステイオーのもとへと歩み寄る。
すると、あんこは不意にムッとした顔をした。
「主様。そのような馬ではなく、どうぞ私にお乗りください」
「え、乗れんの?」
「はい!」
びっくりだ。メヴィオンでは乗れなかったからな。
“狼型”状態のあんこに乗れるとなれば、移動のスピードは格段に上がるだろう。正直言って旨みしかない。だが……
「でも、こいつどうすっかなぁ」
今まで世話になったセブンステイオー。かなり愛着もある。どこか町に寄って預けておくか。
そんなことを考えていると、あんこがセブンステイオーへと近付き、おもむろにその肌へと触れた。一体何をするつもりだろうか?
「主様、ご心配なさらず。私がこの雌馬めをご自宅へと送って参りましょう」
何を言ってるんだこいつは。
俺が頭をハテナで埋め尽くした瞬間――あんこは《暗黒転移》した。
そして、その直後。セブンステイオーが……“消えた”。
「……は!?」
理解できない。
何をした? 瞬殺したのか? 転移させたのか? 馬を《テイム》して《送還》したのか? 否、不可能だ。馬は魔物ではないのでシステム上テイムできない。じゃあ何なんだこれは?
暗い森の中、ぽつんと一人取り残された俺は、混乱を極めた。
そこへ、あんこが《暗黒転移》で戻ってくる。
「庭に置いて参りました」
「はあ!?!?」
「い、如何されましたっ!?」
庭に置いてきた? 庭って、ファーステスト邸の? セブンステイオーを? この一分かそこらの時間で?
…………!?
………………待て。待て待て待て。とんでもない可能性に気付いた。気付いてしまった。
「おまっ、お前、もしかして……暗黒転移って、どんな距離でも可能なのか?」
「はい、仰る通りで御座います。私が記憶している“影”ならば何処へでも」
「……まさか、まさか、セブンステイオーは、転移先で“暗黒召喚”したのか?」
「は、はい」
「お前ぇえええッ!!」
「ひああぁんっ! 申し訳御座いませんっ!」
俺が驚愕のあまり大声を出すと、あんこは恍惚の表情で嬌声をあげながら反射的に謝罪した。
いや、ヤッベェだろこれ。マジかよ。俺は慌ててあんこのスキル欄を再度確認する。
《暗黒転移》:自分自身を記録している場所へ瞬時に転移させる。ただし転移先は影でなければならない。
《暗黒召喚》:人型時限定。自分以外の何かを記録している場所へ瞬時に転移させる。ただし転移先は影でなければならない。
「…………………本当だ……」
マジやんけ……距離について何も書かれていない。《暗黒召喚》に至っては“自分以外の何かを”って……そりゃつまり“馬だろうが人だろうが”問題ないってことだよな?
そうか、そうだよな……あんこがメヴィオンの時と違って《暗黒魔術》を使えている時点で気付くべきだった。《暗黒転移》が戦闘時に立ち回るためだけのスキルではないことに。《暗黒召喚》が武器を喚び出すためだけのスキルではないことに。
嬉しい誤算……いや、嬉しすぎる誤算だ。4ヶ月死ぬ気で頑張ってテイムした甲斐があったと心底思える。できれば、もう少し早く気付きたかったが……。
「……お前、もう最強だよ。向かうところ敵なしだ」
自分が何か悪いことをしてしまったと思い込んで、跪き頭を下げているあんこにそう言ってやる。
どうやら怒られているわけではないと知り顔を上げたあんこは、しかしきょとんとしていた。
この感動をどう伝えればいい? 俺は興奮さめ止まぬまま、心のままに口にする。
「お前が俺の道具だと言うのなら、死ぬまで一緒だ。絶対に手放さないと決めた」
「~~~っ!! あ、主様ぁっ!」
感極まったあんこに押し倒され……結果、更に一時間ほど森に滞在するハメとなった。
「夜が明ける前に移動するぞ。クーラの港町は覚えているか?」
「はい、それはもう。主様と初めて訪れた町で御座いますゆえ」
「ではそこに転移して、俺を召喚してくれ。なるべく人目に付かない所で頼む」
「御意に」
カメル神国との国境は港町クーラから更に北。海へと流れ出る小さな川を上り、山を迂回した先が境となっている。
当初の予定では朝晩問わずひたすら移動して次の日の夜までに到着できれば、と考えていたが、あんこの特殊能力が明らかとなった今、まだ日が高いうちに到着できる見込みとなった。
「……おお……」
ぬるりと景色が変わる。どうやら召喚されたようだ。現在夜中の2時、場所は波止場。人っ子一人いやしない。注文通りの召喚である。
しかしあんこの胸に抱きしめられているのは何故だろう。ひょっとすると彼女が影杖や黒炎之槍を《暗黒召喚》した際にその手元に出現するのと同様に、俺も手元に召喚され、あんこが受け止めてくれたのかもしれない。ありがたいことだ。
「よし、日が昇らないうちに行けるところまで行こう。日が出てきたらセブンステイオーを戻してくれ」
「……仰せのままに」
セブンステイオーの名前を出すと、あんこは口をほんの少しだけ尖らせる。もしかしてこいつ、馬に嫉妬してる? 狼だものなあ、有り得なくはないな。
「変身」
「はいっ」
「乗せろ」
「!」
あえていつもより強い口調で指示を出す。案の定、あんこは大変嬉しそうに返事をした。《暗黒変身》で狼型へと変身しても、その表情はまだ嬉しそうなままに見える。機嫌は直してくれたと思っていいだろう。というか尻尾がブンブンと音が鳴るくらい振られていて面白い。人型の時より狼型の時の方が何倍も尻尾がでかいから、嫌でも目についてしまう。
「行け」
「!」
背中にまたがり命令すると、あんこはいきなり猛スピードで走り出した。
…………はっや。
大型二輪車並みの速さだ。正直言って、振り落とされないようにしがみつくので精一杯。会話なんてできそうにない。
「と、止まれ! 止まれ!」
道を間違えているので必死に叫ぶ。決して怖くなったわけではない。決して。
「海沿いに北上、3本目の川に当たったら、川沿いに上れ」
「!」
あんこから「わふっ」と声が漏れる。翻訳するなら「お任せくださいまし!」だろうか。下手に気合を入れないでほしいところだが――
ほらねェ!?
さっきの倍くらいの加速でスタートしやがった!
んおおおっ!
うぎぎぎぎぎッ……!
…………。
……え、夜明けまでずっとこれ?
……酷い目にあった。
特にコーナリング。モンキーターンばりの無駄なV字左折に振り落とされなかったのは最早奇跡としか言いようがない。だが、こちらも主人としての威厳がある。弱音を吐くなど以ての外、ゲロを吐くなど論外だ。俺は耐えに耐えた。3時間耐えた。というか3時間もトップスピードを維持する化け物っぷりに嫌気がさす。持久力はホモサピエンスの特権ではなかったのか?
「それに比べてお前は可愛いなぁ」
俺は3時間耐久ジェットコースターの傷を癒すように、セブンステイオーを撫でながらのんびりと川沿いを進む。あんこに聞かれていたら大事件だが、今は《送還》しているので大丈夫なはずだ……多分。
ただ、そのフォーミュラあんこのおかげで予定より圧倒的に早く到着できそうなのも事実。その点は感謝しなければならない。ありがとうあんこ、もう緊急時以外絶対に乗らないからな。
「ふー。やっとか」
そうして暫く進んだところで、山にぶち当たった。これが国境の目印だ。この山をぐるりと迂回した先の渓谷では、辺境伯とカメル神国が睨み合っているに違いない。
俺は山を右に見ながらセブンステイオーを走らせる。最後のひとっ走りだ。
1時間ほど進むと、山と山の間に広がる盆地に辺境伯の砦が見えた。その遥か前方では、カメル神国のものと思われる兵の隊列も。流石はウィンフィルド、予想通りの状況である。
さて、まずは辺境伯にご挨拶だ。名前は何といったか……まあいいや、とにかく挨拶だ。
セブンステイオーを砦の裏手にまで走らせ、一人の兵士に尋ねる。
「辺境伯はこん中か?」
「……はい? え、ええ、まあ。はい?」
「そうか。じゃあこいつを頼む」
「え? はい。えぇ!?」
困惑する兵士にセブンステイオーを預け、俺は兵士用の裏口から砦へと侵入した。
こうも堂々と我が物顔で侵入したからか、誰も何も言ってこない。ザルだな。
「おい。辺境伯はどこにいる?」
「は! どうぞこちらへ!」
声をかけた兵士の、実に丁寧な案内にふと思い当たる。そういえば俺、例のかなり上等なレア服を着ていた。周囲を見渡してみれば、みな兵士然とした格好だ。ひょっとしたら兵士たちは俺を賓客か何かと勘違いしているのかもしれない。
「――ああ、来たか。早かったねセカンド君」
違った。どうやら辺境伯が事前に気を利かせていたみたいだ。
案内された部屋に入ると、声の主、30代前半くらいのイケメン眼鏡が俺を出迎える。こいつが辺境伯だろう。しかし、どうやって俺の情報を知り得た?
「おっと、自己紹介がまだだった。私はスチーム・ビターバレー。キャスタル王国の辺境伯を任されている。君はセカンド・ファーステストで間違いないかな?」
スチーム・ビターバレー辺境伯。落ち着いていて飄々とした人だ。そして気の抜けない相手でもある。この自己紹介の短い間に“どちらが上か”をはっきりさせようと仕掛けてきた。ならば、答えはこうだ。
「違いないが、その姿勢を見るに、どうやら貴方はそうではないと思っているようだ」
「これは失礼を。我が砦にようこそお出でくださいました、お客人」
さらりと受け流すように頭を下げて挨拶をする辺境伯。しかし客人呼ばわりとは、ささやかな抵抗のつもりなのだろう。なかなかに気が合いそうな男だ。
「お前は興味ないだろうが一応出しておく。マインの書状だ」
「……貴方もお人が悪い。それはつまり次期国王陛下の特使ということではありませんか」
ははははと笑い合う。うへへへ、へへへへ! 勝った。ざまあみろ。後出しじゃんけん? 虎の威を借る? 知らないねそんなもん。
俺は「挨拶は終わりだ」とばかりに出された紅茶を飲み干して、口を開く。
「どうやって俺の情報を?」
「私にも情報網がありましてね。セカンド卿より少しばかり早く情報が到着したというだけの話ですよ」
「そうか。今回の戦はどう見ている?」
「こちらから手を出さなければ何も問題はないでしょう。しかし、手を出さざるを得ない状況もまた、あります」
「間に合ったようだな」
「ええ、十分に。そして……何とかなるのならしてみろというのが、私の本音でしょうか」
「ははっ! はははっ!」
「はははは!」
こいつやっぱり面白いな。
「目ぇかっぽじってよく見ておけ。そしてキャスタル王国に俺がいることを俺に感謝しろ」
「目ぇひんむいてよく見ておきますから、どうかお願いします。奴らを追い払えるのならば、カメル神様にでも貴方様にでも嫌というまで感謝して差し上げますよ」
「状況としてはあの通り、国境線を挟んで距離を取り、睨み合っている状況です」
「このまま膠着状態なら何も起きない気もするが?」
「ええ、このままなら。ですが……奴らは明日、公開処刑をするようですね」
「捕まったのか?」
「はい。斥候が一人」
「馬鹿お前……そんなの」
「分かっています。案の定、奴らは斥候である彼を暗殺者に仕立て上げ、罪をねつ造してこちらの挑発のためだけに処刑を実行する。処刑が今日でないのは、彼がなかなか情報を吐かないからでしょう。昼夜問わず拷問するつもりなのです。それとも、単に私たちを焦らしているつもりなのか。はぁ……そんなことは、分かっていますとも」
こいつの言う「手を出さざるを得ない状況」って、斥候が捕まるなんていうしょーもないミスの尻拭いかよ。おいおい……。
「そんな顔されなくても……私も悩みましたよ。しかし見捨ててはおけないのです。彼も私の大切な部下の一人。このまま黙って処刑を見逃しては、士気も際限なく下がるでしょう」
「そいつ一人のせいで王国が危機に陥ってもか?」
「え? いえ、危機には陥りませんよ」
「は?」
「私はセカンド卿がいらっしゃるから処刑を食い止めると決めたのです。貴方がいらっしゃらないのなら、血涙を流して見捨てていますよ」
「……調子良いなぁお前」
「よく言われます」
何か納得だわ。聞けばこいつ33歳だという。その若さで辺境伯までのぼり詰めるだけはあるな。性格が相当にひん曲がっている。
「まあ、いい。作戦の確認だ。辺境伯本隊は左翼と右翼に分け、伏兵が攻めてきた場合に備えて砦周辺で待機。それ以外は砦前方でいつでも突撃できるよう待機。後は全て俺に任せろ」
「それで本当に上手くいくので?」
「ああ。むしろお前らの出番はないと思うぞ。それと……」
「何です?」
「今夜起こったことは、なるべく他言無用で頼む」
* * *
……私は、彼の言葉の意味を“彼個人の都合”だと、そう思っていた。
誰しも自身の切り札は隠すものである。彼も同様にそうなのだろうと。なんだ、彼も至って普通の人ではないかと。そう思っていた。
たった一人でキャスタル王国の情勢をこうも変えてしまった男。どれほどのものかと勝手に期待していた身としては、少し残念に感じていた。
そして、夜の帳が下りる。
決戦の前だと言うのに、嫌に静かな夜だった。
「全員配置につけ」
此度の戦、私自ら指揮を執る。彼に対してああは言ったが、私としてもあの斥候は失いたくない人材であった。恐らく、彼が来ずとも私は仕掛けただろう。
予想できる伏兵の数は、いくら多くとも八千。中央の四千と足しても一万二千。私の兵は七千。対抗できない数ではない。少々の賭けにはなるが、中央を一気に潰してから砦まで撤退すれば有利に戦えるだろう。そのまま国境線を維持して防戦に徹すれば、講和で無理難題をふっかけられることもない。そのための準備も十分にできている現状、わざわざ彼に頼る必要もなかった。
だが、私は気になってしまったのだ。噂の彼が一体どれほどのものかと。
借りを作り、功績を渡してしまうが、私の部下たちを危険な目に遭わせる必要もなくなる。そういった打算的な考えもあった。ゆえに私は、甘んじて彼の援軍を受け入れた。
それがどうだ。あのお粗末な作戦は何だ? 本当に大丈夫なのかと不安になる。顔を合わせた時は面白い男だと思ったが、それからは失望に次ぐ失望の連続だ。出陣の直前まで、彼の指揮への評価は落ちる一方だった。
まるでピクニックにでも出掛けるかのようなヘラヘラとした余裕。私の、部下の命がかかっているというのに、だ。私は怒鳴りたくなった。その後頭部を槌で殴り、言ってやりたくなった。これは戦争だ。遊びではないのだ、と。
……しかし。
後頭部を槌で殴られるような衝撃を得たのは、私の方だった。
「――来い、あんこ」
彼が“何か”を召喚する。
身の毛もよだつような“何か”を。
彼の傍らで跪くそれを見て、私は一瞬で直感する。生物としての格が違う、と。
……気の遠くなるような静寂だった。誰もがそれを前に怯えて動けなかった。
「行くぞ」
その一言をきっかけに。消えたかと思えば、現れ。姿形を変えたかと思えば、また、戻り。そしてまた、消え、現れ。光は闇へ、闇は光へ。戦場を駆ける番の男女は、天使か悪魔か。ただ立ちつくしその光景を見ていることしかできない私には判断がつかない。
この世の絶望の全てを掻き集め凝縮したような暗黒――直後、私は吐き気をもよおし、同時に彼の言葉の意味を理解する。
これは、他人に言ってはいけない。
否、言うことなどできない。
このような……このような、地獄絵図など……!
お読みいただき、ありがとうございます。




