78 報復の狼煙
「ねえ、貴方が、パロマさん?」
「! ……何者だ」
王立大図書館の館長室に音もなく現れたのは、銀髪をツーブロックにした長身の美女精霊ウィンフィルドであった。
何故この時期にパロマを訪ねたのか。それはバウェル亡き今、王の情報網を動かせる人物を探った結果である。
「少なくとも、王国の味方?」
「ほう。ではその味方殿が私のようなしがない図書館長に一体何のご用かな?」
「王の情報網を、使って、やってほしい、ことがあるの」
「貴様! それを何処で」
「セカンドさん、から」
「…………なるほどな」
セカンドの名前を聞いたパロマは、しばし硬直し、それから納得したように頷いた。王がセカンドに興味を抱いていたことは、情報を集めていたパロマ自身もよく知っている。そして、セカンドが王を殺すような男ではないということも。
「言ってみたまえ」
ウィンフィルドは自身の慕う殿方の名前でパロマが聞く耳を持ったことを誇りに思い、薄っすらと微笑んだのち、真面目な顔で口を開く。
「カメル神国から、カラメリアっていう、タバコもどきが、密輸されてる。これ、実は、めっちゃヤバイ薬物。蔓延を、すぐにでも、食い止めたい」
「……事実だとすれば、危ういな」
「うん。猶予は、一刻もない、よ。そして、規制すれば、間髪を容れずに、牙を剥いてくる」
「理解した。私の仕事は、その薬物についての正しい情報を拡散して防止に努めることか?」
「いや、それは、ヴィンズ新聞に頼んである。パロマさんには、それより、もっと、直接的なことを、頼みたい」
「直接的なことだと?」
こくりと頷き、神妙な面持ちで一歩前へと踏み出す。
「売人の居場所を、洗いざらい調べ出して、できれば、駆除してほしい」
「はっはっは!」
すると、パロマは大声をあげて笑った。
何故、笑うのか。それはウィンフィルドの予想が見事に的中していたからに他ならない。
「何処で調べたのかは知らないが、素晴らしい」
「調べてない、よ。予想した、だけ」
「尚のこと素晴らしいな。承知した、私に任せておくがよい。“仕事”より離れて久しいが、腕は衰えてはおらんよ」
「よかった」
パロマは、元“国王付き暗部”であった。ただの図書館長が、王国中に張り巡らされている情報網の管理などできやしない。
「じゃあ、今度は、ヘマしないでね」
ウィンフィルドは最後に一言だけ伝え、館長室を去っていった。
「…………」
痛いところを突かれたパロマは、部屋に飾られているバウェル国王の肖像画に強く敬礼し、鬼気迫る表情で仕事へと向かう。
「腑抜けが」
それは、宰相や、第一騎士団や、現国王付き暗部に向けられた言葉か。はたまた、自身へと向けられた言葉か。
欺かれ失ったものは、彼にとってあまりにも大きすぎた。しかし、彼を罰する者もいなければ、利用する者もいなかった。
そこへ与えられた救国の依頼。まるで亡き王への罪滅ぼしであるかのように、まるで亡き王の仇を討つかのように、パロマは身を粉にしてカラメリアの売人を追い詰めんとする。
ウィンフィルドがここまで把握して、パロマへと話を持ち掛けたのならば。それは最早「本気」の一言で片付けられるような生易しい“読み”ではない。
精霊界一の軍師が、今まさに、その本領を発揮しようとしていた。
「殿下。第二騎士団は二つに割れようとしております」
「どれほどが寝返りそうなのですか?」
「約3割。戦局が傾けば、4割は。あの阿呆どもは、勝ち馬に乗るつもりでありましょう」
「そうですか……」
第二騎士団長メンフィスがマインに報告を行う。その場にはハイライ大臣の姿もあった。
現在、王国は第一王子派と第二王子派で真っ二つに割れ、小競り合いを続けている。状況は第一王子派が優勢であった。それもそのはず、第一騎士団と第三騎士団に加え第二騎士団も3割ほどが向こうへと寝返った中、第二王子派は第二騎士団の残り7割と宮廷魔術師団しか武力が存在しないのである。
「残された時間は僅かで御座います。ここは一度、王都を出るべきかと」
ハイライ大臣の進言に、マインは唇を噛む。
一度王都を空けてしまえば、取り戻すのは至難の技。かといってこのまま悠長にしていれば、包囲されて“詰む”に違いなかった。
「悩んでいる暇はありませぬぞ!」
うじうじと悩むマインに、ハイライ大臣が活を入れる。彼もまた相当に焦っていた。あまりに強引な手とはいえ、勝利の直前で全てをひっくり返されたのだ。焦らないはずがない。
「……ええ、分かりました。王都を出――っ!?」
マインが沈黙を破った、その直後。
地面を揺らすような轟音が鳴り響く。
「何事です!?」
メンフィスが窓へと駆け寄り、その音の方向へと視線を向ける。そして絶句した。宮廷魔術師団の訓練場付近の壁が、跡形もなく吹き飛んでいる。
「一体何が!?」
困惑するメンフィスとハイライ。恐らく、別の場所では、宰相やジャルム、クラウスも酷く混乱していただろう。
ただ……マインだけは、窓の外を見ずともその音の正体を察していた。
落雷だ。この切迫した状況で、この雲一つない晴天で、馬鹿みたいな威力の雷を落とせる人物など……マインには一人しか思いつかない。
「――行きましょう。セカンドさんが呼んでいます」
マインが立ち上がる数分前。宮廷魔術師団の訓練場に、宮廷魔術師たちが集っていた。
国王不在の際に宮廷魔術師団全体のトップとなるゼファー第一宮廷魔術師団長は、第一宮廷魔術師団だけでなく全ての宮廷魔術師たちに対して指揮を執ることとなる。しかしながら、宮廷魔術師たちがそれに素直に従う保証はどこにもなかった。
「我々宮廷魔術師団は、マイン殿下に尽力いたす。これが王命なり」
ゼファー団長の宣言に、宮廷魔術師たちは俄かに騒然とする。
現状、第一王子派が優勢。そこで第二王子派に付くとなれば、それは“自殺行為”だと思う者も少なくなかった。
バウェル国王が存命なら、逆らう者はいなかっただろう。だが、状況が状況であるがゆえ、この反応も仕方がないと言えた。最早、彼らに王国の軍人という自覚はないのだ。20年以上前の戦争を経験していない者ばかりの、腑抜けの集まりなのである。
「やっていられるか!」
一人が声をあげた。すると、二人、三人、十人、二十人と……数はどんどん増していく。
「貴様ら、王命に逆らうというのかッ!」
ゼファー団長の怒りの声に、誰かが反論する。
「もういない陛下の命令より今は自分の命だね!」
「き、貴様ァーッ!!」
激昂する団長と、そうだそうだと反発する宮廷魔術師たち。ここでも、第一王子派と第二王子派とで半々に割れてしまう。
宮廷魔術師の戦力さえもが第一王子派に移ってしまえば、いよいよもって第二王子派に勝ち目はなくなる。それが分かっていながら、ゼファー団長には彼らを引き留める良い策が思い付かなかった。
「――皆さん、よく考えてください!」
そこで、声をあげた女が一人。第一宮廷魔術師団のエース、チェリであった。
「彼が陛下を殺すはずがありません! 最早明らかではありませんか! これはどう見てもあちら側の謀略です! 貴方たちは相手が陛下を殺した者どもと分かっていながら! 戦わずしてその軍門に下るというのですか!? 恥を知りなさい!」
小さな背をした女子とは思えないほどの威圧に、ざわついていた宮廷魔術師たちがたじろぐ。
「彼がいる限り、必ずこちらが勝ちます! 恐怖に負け、信念を曲げてはなりません! 決して奴らを許してはならない! それは貴方たちもよく分かっているでしょう!?」
チェリの言う通りであった。この場から去ろうとしていた宮廷魔術師たちは、帝国の工作員でも何でもない。単に、死ぬのが怖かったのだ。勿論、セカンドがバウェルを殺していないことも知っている。それが第一王子派の仕組んだことだとも。だが、それでも、死ぬのは怖かった。ゆえに、彼らは第一王子派に付かんとしていたのだ。
「チェリ、貴女……」
第一宮廷魔術師団の仲間たちは、チェリの叫びに感動すら覚えていた。あれほど嫌っていた男を、これほどまでに信じ、そして命を預ける覚悟をしている。
ここで力にならず何が仲間か――彼ら、彼女らは、前方へと躍り出て、チェリとゼファー団長の横に並び、そして一斉に頭を下げた。
「どうか信じてください!」
「共に戦ってください!」
「お願いします!」
宮廷魔術師たちの足が止まる。彼らも噂には聞いていた。セカンドという講師が来てから、第一宮廷魔術師団が飛躍的に成長したことを。
本当に勝てるかもしれない。そう思った者も少なくない。
だが、それでも、自身の命をそこに賭ける覚悟は持てずにいた。
決め手が足りなかったのだ。
「じゃあその講師は今どこにいるんだ!」
「逃げたままじゃないか!」
「信じられるものか!」
彼らも必死だった。己の命がかかっているのだ、当然である。
「それは……」
チェリは言葉に詰まる。チェリ自身、セカンドが今どこで何をしているのか分からなかった。
「ほら見ろ! 答えられないじゃないか!」
「やはり信じられん! お前らはペテン講師に騙されたんだ!」
沈黙をいいことに、宮廷魔術師たちが息を吹き返す。
言葉は、届かなかった――チェリは目の端に悔し涙を溜めながら、絶叫する。
「来ます! 必ず、来ます! 彼は逃げたんじゃない! ペテン師でもない! 絶対に、絶対に、戻ってくるんです!!」
「……チェリ……」
彼女のなりふり構わない様子に、第一宮廷魔術師団の心は一丸となる。
……しかし、彼らは分かっていた。セカンドが、今、この場に、姿を現さなければ、彼女の演説は無駄になると。それは絶望に限りなく近い希望だった。国王殺害の容疑をかけられて、敵だらけのこの場に、彼が来るはずがないのである。
もう諦めるしかない。それを分かっていながら、それでも、チェリは神頼みするように、叫び続けた。
絶対に来る。絶対に来る。絶対に来る。と。
「――っ!?」
訓練場後方の壁が、轟音とともに跡形もなく破壊される。
土煙の中で、目に見えるほど大きな電撃の残留が行き場をなくして荒れ狂う。余波であるそれに触れただけで、ただの人間なら一瞬にして黒焦げになるだろうと予測できる、その馬鹿げた威力。
雷属性魔術――彼らが噂にのみ聞いていた、その幻の【魔術】が、目の前で行使された。それだけで、宮廷魔術師たちの行動は完全に停止した。
何が起きたのか、理解できた者は一人もいない。しかし、察することはできた。そう、恐らくは、《雷属性・伍ノ型》という“最大級”の【魔術】なのだと――
そして、直後。
大きな大きな風がひと撫でして、土煙が全て吹き飛び。
その中から、一人の男が姿を現した。
「王国、取り戻すぞ。付いてこい」
お読みいただき、ありがとうございます。