76 手負いの獣
花粉のせいで遅れました。
ごめんなさい。
花粉めっ花粉めっ
洗脳した王立公文書館の館長をハイライ大臣のもとへと連れていってからは、怒涛の展開であった。
まず、ハイライ大臣は宰相側に察知される前にバウェル国王との面会を取り付け、最速で事実を国王に伝えることを優先。次いで、マイン第二王子の警護をより厳重なものとした。そして最後に、事実を明らかとした俺の功労を認め、褒賞を受け渡すための準備をするらしい。
何故、マインの警護を固めたのか。それはウィンフィルドの指示であった。曰く「追い詰められた宰相ひいては帝国がどのような手段に打って出るか分からない」と。マイン暗殺の可能性すら考えられるという。まさかいくらなんでもそんな馬鹿な真似はしないだろうと思うが、手負いの獣を侮ってはならないというのは大昔から言われていることだ。念には念を入れての警護強化である。
一方で、俺への褒賞について。少々気が早いのではないかと大臣に聞いてみたが、これでも遅かったくらいだという。第一宮廷魔術師団の件についてもゼファー団長から何やら話を聞いていたらしく、何故だか大層褒められた。ゼファー団長は一体何を言ったんだ? ちなみに、二人は頻繁に飲みに出かけるくらい仲が良いらしい。ハゲの仲間意識というやつだろうか。
「貴方のように優秀な方を絆さんとするのも、大臣としての役目なのですよ」
丸眼鏡をクイッと光らせて包み隠しなく語るハイライ大臣は、ものの見事にハゲているくせに何故だか格好良く見えた。バーコードハゲなのに。ハゲた頭を残り少ない髪で包み隠しているのに。不思議だ。
そう遠くない未来、俺がもし仮にハゲたとて、その時はなるたけイカしたハゲでありたい……と、そんな虚しいことを考えているうちに、早くもバウェル国王との面会時間となった。ここに到着してから30分と経っていない。最速というだけあるな。
面会へは俺とハイライ大臣と館長の3人で向かった。大臣は付き添いで俺はオマケだ。主役は館長である。
公文書を改ざんした張本人による自白、それも改ざん前の原本という誤魔化しようのない証拠を持っての登場に、さしもの国王といえど愕然としたに違いない。
館長は、第三騎士団長ジャルムの指示で改ざんを行ったと主張。加えて、地位や家族を人質に脅されたことや、その結果として部下を一人巻き込まざるを得なかったことなどを告白した。
「何故、今になって自白した」
バウェルの問いかけに、館長は涙ながらに答える。
「彼に、きっかけを、いただきました」
これでやっと解放される――そんな風に、館長はどこかホッとしたような顔をしていた。
洗脳のせいか、恐らく本心だろう部分に俺を立てようという意図がプラスされている気がする。
館長の迫真の懺悔に、バウェルは納得したのか、腕を組み目を閉じてしばし思考した後、おもむろに沈黙を破った。
「……嫌な予感というのは当たるものだな。こうして、確たる証拠を掴んだ今、私は決断せねばならんようだ」
バル・モロー宰相一派、終了のお知らせである。
「ソブラさん、カラメリアに、依存してる。借金背負わされた許嫁に覚えさせられてから、ほぼ毎日だって。それに、彼だけじゃない。王都では、依存してる人がたっくさん」
「依存……?」
帰宅してすぐ、ウィンフィルドから調査の結果を聞く。
その内容は想定を遥か超えていた。
「休日の度に、王都に潜伏してる売人のところへ、買いにいってたみたい。売人は、カラメリアの値段を、どんどん釣り上げてる。そして、ついに、容易に買える値段じゃなくなった」
「体調不良ってのは、つまり禁断症状かよ」
ヤベェな。薬物なんて考えもしなかった。
「ポーションは効かないのか?」
「病気みたいな、ものだからね。根本的には、効かないね」
この世界では病気にポーションは効かないのか。というかメヴィオンには病気も薬物依存も存在しないから、いよいよもって対処方法が分からんぞ。
「これ以上、蔓延させたら、流石にマズイかなぁ」
「出どころはもう分かってんのか?」
「カメル神国。ビサイドさんが、身を隠すために、王国内のカメル教会を転々としてた時、何度か売人を見かけたらしいよ」
「うわあカメル神国か……」
こりゃ厄介な国の名前が出てきた。
カメル神国はカメル教を国教とする宗教国家だ。【回復魔術】《回復・大》を習得する際に遂行する必要のあるクエストでプレイヤーはこの国を訪れることになるが、なんとまあ胡散臭い国なのだろうというのが皆の抱く感想だ。簡潔に言えば、宗教上の理由を盾に他国を侵略したり金儲けしたりとやりたい放題の国である。
「帝国とのあれこれですったもんだしてる間に、王国のお尻に噛み付くつもりだったんだ、ね」
「カラメリアっつー薬物は、そのための布石か」
「うん。見た目はタバコそのものだから、すごく蔓延しちゃった。きっと神国は、カラメリアを取引の場に持ち出して、不平等な条約を迫ってくるよ」
「踏んだり蹴ったりだなキャスタル王国」
ただ、蔓延しちまったものはもう仕方がない。何とか対処を考えるしかないが……。
「国王に相談して、カラメリアを禁止してもらうか?」
「そしたら、カラメリアの価値が、更に上がるね。市場が潤うよ、やったねカメルちゃん」
「おいやめろ。冗談じゃないぞ。こちとら身内が被害に遭ってんだ」
「ごめんよ。でも、そうだなあ、規制するしかないのかなあ」
「徹底的に規制すれば今よりかはマシになるんじゃないか?」
「そうだね。マシにはなるね。でも、カメル神国は、黙ってないと思うけど」
「ああ……金づるが減るわけだからな」
畜生だなマジで。
「バウェルに相談しておくわ」
「うん、お願いします。まあ、こればっかりは、私たちだけでは、どうしようもないからね」
帝国の工作員どもと決着がつきそうだと思ったら、今度は神国のド畜生どもか……。
俺は溜息ひとつ、夕食も終わり閑散としたリビングで夕刊を広げる。
内容は公文書改ざんについて。王立公文書館の館長が第三騎士団長ジャルムの指示で公文書を改ざんした、というようなことが事細かに書かれている。宰相・第一騎士団長・第三騎士団長の三人は責任を取るべきである、という強い論調であった。
国王が事実を知り、宰相たちは明日にも沙汰が下される。国民も殆どが第二王子派となり、国内の工作員は息をしていない。どこからどう見ても、最早向こうに勝ち目はなくなっていた。
これで、政争はひとまずの終結と見ていいだろう。
……長いようで、とても短かった。じわりじわりと追い詰めて、最後の最後まであちらに何もさせない、まさに“姿焼き”のような一方的な政争だったと思う。
元は、ユカリの元主人であるルシア・アイシーン女公爵から始まったこの政争。ユカリの溜飲が下がるような結末とはいかないまでも、とりあえずの決着をつけたのが彼女の使役する精霊というのは、なかなか粋なのではないだろうか。
「ウィンフィルド」
「なに?」
俺はウィンフィルドに声をかけ、感謝を言おうとしたが……何か違うような気がして、やめた。
彼女にとって、この政争は遊戯であった。そして俺は、駒。で、あれば。
「やるじゃん」
「ふふ。こりゃあ、どうも」
感謝や労いなど、伝えずともよく分かり合っている。
俺たちは、これでいいのだ。
* * *
「さ、宰相閣下。如何いたします……宰相閣下!」
明くる朝。
王立公文書館館長の拘束を知り、バル宰相の執務室に駆け付けたジャルム第三騎士団長は、大いに取り乱していた。
このままでは責任を取らされる――それが嫌だという一心で、宰相に泣きついているのだ。
一方で宰相はというと、意外にも冷静であった。
「…………」
否。黙りこくる彼は、一見して冷静に見えて、その内は灼熱の炎のように燃え滾っていた。
帝国の工作員として王国中枢に潜り込んで二十年以上。誰にも見抜かれないよう、少しずつ、少しずつ王国を動かし、帝国へと情報を流し、工作活動を続けていた。そしていよいよ、王国の防壁を削ぎ落とし、己が傀儡とできる第一王子の成長を以て、蛹から成虫になろうかという時に、邪魔が入ったのだ。半生とも言える時間を費やした苦労が一瞬にして水泡と帰した彼の怒りは、何者にも理解できないだろう。
「潮時、か……」
ぽつりと呟く。「潮時?」と聞き返すジャルムを無視して、宰相は執務机の一番下、鍵の付いた引き出しを開ける。
「元より、砂上の楼閣であったようだ。崩れぬよう慎重に大切に築き上げてきたが……最早これまで」
「諦めるというのですか!?」
「……まさか。潮時と言っただろう」
宰相が引き出しから取り出したのは、一本の短剣であった。
「城を建てられぬというのなら、城を奪えばよい」
「バル。クラウス。ジャルム。お前たちには無期限の謹慎を言い渡す。処分は後日追って伝える。メンフィス、お前には2年間の減給を言い渡す」
「はっ」
バウェル国王によって面々が集められ、沙汰が下された。
バル宰相は無表情で、クラウス第一王子は下唇を噛みながら、ジャルム第三騎士団長は震えながら、頭を下げる。メンフィス第二騎士団長は文句の一つも言わずに処分を受け入れた。
「また、今回の功労者である第一宮廷魔術師団特別臨時講師セカンド・ファーステストに褒賞を与える。異論はないか」
バウェルが聞くと、宰相が静かに挙手をする。
「何だ、申してみよ」
「異論では御座いませぬ。その者はいずれ我らが王国にとってかけがえのない存在となるでしょう。世間から注目が集まる前に、早急に手を打つべきかと愚考いたします」
およそ宰相らしくない発言。「改心したのか?」と思った者は、その場には一人もいなかった。
「早急に手を打つとは、どういうことだ」
「他の貴族に取り込まれる前に、宮廷に取り込むのです。これだけの活躍です、既に声がかかっていてもおかしくはないでしょう。ことは一分一秒を争うかと」
確かに、とバウェルは納得する。
国王独自の情報網でも、セカンドという男の計り知れない力は知っていた。その力が他の貴族に渡ってしまうのは、ましてや他国に渡ってしまうのは、王国としてはなるべく避けたいところである。
「善は急げで御座います、陛下」
「そうだな。褒賞の授与は本日午後としよう。ハイライ、準備は整っているな?」
「はい、問題なく」
ハイライ大臣も、早い方が良いという考えは同じであった。そのため、授与式の準備は昨日のうちに全て整っていた。
しかし、肝心の宰相の狙いが分からない。
一体何を企んでいるのか――ハイライが頭を悩ませているうちに、午後はあっと言う間に訪れてしまった。
* * *
授与式があると呼ばれて宮廷まで来てみれば、まずは国王と面会しろと言われて、バウェルの待つ部屋まで案内された。
部屋に入るや否や、バウェルが俺を出迎える。ここまでは想定内。だが、まさか一対一だとは思わなかった。
バウェルと向かい合い、しばし沈黙が流れる。先に口を開いたのは、あちらさんだった。
「君に褒賞を与える。何か望むものはないか?」
望むもの。何でもいいのだろうか?
だったら追撃の指輪をもう一つ……いや、増幅の腕輪も捨てがたい。いやいや、強靭の首輪も……。
駄目だ、欲しいものが多すぎて絞れない! というか、どちらかというと普通に買える物を貰って後でガッカリするのを避けたい。
「後から選んじゃ駄目ですか?」
「いや、構わん。ならば授与式では賞状のみ渡すこととしよう」
俺の言葉にバウェルは「何分急であったからな」と笑って答えた。へぇ、意外と柔軟だな。
そしてまた沈黙が流れる。バウェルは寡黙な人なのかもしれない。俺は丁度良いと思い、例のことについて話しだした。
「一つ報告が。今、王都でカラメリアっていうタバコもどきが流通してるんですが、それは依存性のある薬物です。カメル神国が作為的に持ち込んでいるみたいで、国内でかなり蔓延してます。即刻規制してください」
「それは本当か?」
「確かな情報です」
「分かった。早急に対策を打つ。情報を感謝する」
ワォ、話が早い。それにきちんと感謝までしてくれた。このオッサン、王様のくせになかなか良い人だ。メヴィオンの時とは大違いである。
……ああ、なるほど。大臣の言っていた「絆す」というやつか。
「心配せずとも、俺はキャスタル王国を出るつもりはありませんよ。その代わり、誰にも絆されることはありません」
「そうか。それを聞いて安心した。君が味方にならずとも、敵にならないのならば、私はそれでいい」
随分とハッキリ言ってくれる。なるほど、このための一対一ね。
「俺の情報をどこまで知っているんです?」
「王立大図書館には私の耳がある。王立魔術学校の図書室にもだ。王立大図書館館長パロマの元部下シルクといえば分かるかね?」
「ああ、あの……」
手が毒入りクリームパンみたいな太ったオバサンね。
「私はその二つの耳から得た君の情報と、世間一般における君の情報とで、君という人間を推測した」
「その結果、強さの秘訣は速読にあるんじゃないか、と?」
「いや。秘訣は、速読を可能とする何かである。その何かを君は持っている。そしてチームメンバーに説くことも可能だ」
すげぇ、当たってる。
「はは、そう怖い顔をするな。その何かを教えろなどと不遜なことは言わん。ただ……」
「……ただ?」
「マインのことを、どうか頼む」
バウェルはそう言って、優しく微笑んだ。その発言は、事実上の次期国王内定であった。しかし、俺が気になったのはそこではない。
バウェルは、まるで「自分はもう長くない」と知っているかのような、そんな得も言えぬ顔をしていたのだ。
いいや、まだ5年は大丈夫なはずだ――と。そう言ってやろうかと思ったが、すんでのところで言葉を飲み込んだ。この世界はメヴィオンと似ているようで全く違う。バウェルの病状がメヴィオンの時よりも悪化している可能性は、ゼロではないのだ。
「君の強さと、その秘密は、恐らく唯一無二のものだろう。それを国のために役立てろと命令するつもりはない。ただ、マインという一人の人間に対して、その友情の及び得る限りのところで、どうか助力してやってほしい」
一国の王として、そしていずれ王となる男の親としての願い、といったところか。
なんとなく……懐かしい匂いを、感じた。中学上がりたての頃に友達が家へ遊びにきた時、母ちゃんが「この子と仲良くしてやってや」とお節介を焼き、恥ずかしくなって「いらんこと言うなや!」と反抗するような感覚。
親と子の関係というのは、傍から見ていても何かむず痒いものがある。俺は照れ隠しにぽりぽりと後頭部をかきながら、バウェルに返事を伝えた。
「頼まれるほどのことはできませんけど、困ってりゃ助けるし、間違ってりゃ指摘するし、落ち込んでりゃ飲みに誘うし、めでたきゃお祝いしますよ。友達ってそんなもんでしょう?」
「違いない。これは一本取られた。頼むほどのことでもなかったな、ははは!」
その後しばし笑い合って、一対一の面会は終了した。
俺は控え室に戻り、一人で授与式の開始を待つ。
「準備が整いました。ご同行願います」
すると、1時間ほどしてメイドが迎えにきた。「やっとかよ待たせやがって」と内心で悪態をつきながら、その後ろを付いていく。
「……ん? え、こっち?」
「まずは陛下にご挨拶を。それから玉座の間へと向かいます」
「へぇ」
メイドが進む先は、つい1時間前に訪れたばかりの、バウェルのいる部屋だった。
そんなもんか、と。
何の疑問も持たず、メイドに付いていく。
「失礼いたします、陛下」
……気付くべきだったのだ。
ノックの返事も待たずに中へと入るメイドの違和感に。
既に面会しているのに、再度挨拶へと伺う違和感に。
そして、警戒すべきだったのだ。
手負いの獣を。
「………………」
メイドに続いて、中へと入り。
まず、鉄の匂いがした。
そして、我が目を疑う。
部屋中がインクでも撒き散らしたかのように赤黒く染まっている。
その中央。
人が倒れていた。
くすんだ金髪の、オッサンが。
床には夥しい量の血だまり。
頚動脈を斬られている。
メイドの姿は、いつの間にかなくなっていた。恐らく、彼女はメイドじゃあなかったんだろう。テンダーの部下かもしれないな、と。俺の脳みその冷静な部分が淡々と思考するが、そうでない部分は何も考えられないほどグツグツと煮え立っていた。
――殺しやがった。
ビサイドでもない、マインでもない、ましてや俺でもない。
バウェル・キャスタル国王を、殺しやがった――!
「きゃああっ!!」
俺の背後で、メイドが悲鳴をあげる。俺を案内したコスプレメイドとは違い、今度は本物のメイドだろう。
「一体どうしたというのだ……な、何だと!?」
準備の良いこって、次いでバル宰相が現れた。白々しいセリフを吐きながら、驚いたような演技をする。
その宰相の声に呼ばれ、次々と人が集まってきた。その中には、クラウスやマイン、ハイライ大臣の姿もあった。
「…………」
……疑われる、とか。無実の証明、とか。
そんなことは、最早、どうでもよかった。
「こ、これは、言い逃れはできませんぞ。ああ、何と恐ろしい」
うるさい。
そう……このうるさい奴を、どうしてくれようか。
自分でもよく分からない、憤怒のような何かが、静かに鎌首をもたげた。
お読みいただき、ありがとうございます。




