75 抱く損はない。否、反則だ
「ジャルム! あの男の情報はまだかッ!」
宰相バル・モローは第三騎士団長ジャルムを執務室に呼び出すなり、大声で怒鳴った。
「も、もう少々お待ちください……!」
ジャルムは頭を下げる。
しかし現状、セカンドの情報収集については難航するばかりであった。
「犬はどうした! 犬がおると言っていたではないかッ」
「公文書改ざんの方にかかり切りでして、はい……もう暫く猶予をいただければと」
「早くしろ最優先だ。疑惑は乗り切れても、あの男が宮廷魔術師団にいる限りこちらに平穏はないと知れ」
「はっ……」
その肝心の犬が「どうやら寝返った」という調査報告を部下から受けていたが、ジャルムは言い出せず、冷や汗を垂らしながらただひたすらに頭を下げる。
何とかしなければ――最早、手段を選んでいられるような状況ではない。
ジャルムは退室した後、自室に戻ると、神妙な面持ちで部下に指示を出した。
「テンダーを呼び出せ」
それは、所謂“暗部”の頭の仮名であった。第三騎士団の影を司る男を呼び出した理由は、想像に難くない。
「あの小娘め……恥をかかせやがって……!」
握りしめ机に叩きつけた拳がぶるぶると震える。
そっちがそのつもりなら――ジャルムは怒り狂いながらも、ニヤリと口を歪ませた。
「貴様が寝返ったというのなら、それを利用するまでよ」
「馬鹿、だよねー。それで、こうやって、捕まっちゃうんだもん」
テンダーがジャルムから指示を受け、シルビア・ヴァージニアの調査を開始して間もなく。
シルビアがセカンド逮捕時の文書をこっそりと確認していることを怪しんだテンダーは、その文書を確認するため、シルビアの外出時を狙い行動に移した。
……それが罠とも知らずに。
「暗部の人、でしょ? それも、かなり上の立場の。もしかして、一番上?」
「…………」
ファーステスト家の手練れ集団『イヴ隊』によって捕えられた男は、まさにテンダーその人であった。
何故、暗部の頭が直々に動いているのか。理由は多々あった。絶対にしくじらないと断言できる実力があり、文書の内容をその場で理解できるほど内情を知っている必要があり、単独で身軽に行動できる人物。全てを満たすのはテンダーしかいない。そして何より、そうせざるを得なかった理由を、ウィンフィルドはよく知っていた。
「迂闊、だったね。油断も、あるかな。せめて、一人でも、部下を付けていればよかったのに、ね」
「…………」
ウィンフィルドは微笑みながら言う。覆面黒装束のメイド数人に囲まれ、猿ぐつわのテンダーは、依然、沈黙を貫いている。
「なんちゃって。私、知ってるよ。君の部下、みーんな、セカンドさんと、シルビアさんと、ビサイドさんを、警戒中」
「……っ……」
ここでようやくテンダーがほんの少しだけ反応を見せた。
テンダーの顔は、ウィンフィルドにとってみれば実に分かりやすいものであった。字幕を付けるならこうだろう。「全てお前が仕向けたというのか!?」と。
「そうだよ。君を一人にするために、セカンドさんと第一宮廷魔術師団に軍事演習させて、シルビアさんを実家に戻らせて、ビサイドさんに演説させたんだ。そしたら、暗部は、人員をそっちに割かざるを得ないもんね」
「……っ!」
ここでの驚きは、こうだ。「心が読めるのか!?」
ウィンフィルドはあえて否定せず、優しく微笑んでから口を開いた。
「あ、ちなみに、ビサイドさんの暗殺は不可能だと思う、よ。傍に“とんでもない盾”が、いるからね」
僅かばかりの希望も打ち砕く。
「夜が楽しみ、だなー」
「…………」
拷問など無意味だ、と。テンダーの目が語る。
「君には言ってない、よ?」
ふふっと笑って、一言だけ伝え、ウィンフィルドは去っていった。
テンダーがその言葉の意味を理解したのは、やはりその日の夜であった。
* * *
「セカンドさーん。出番、だよー」
講師の仕事から帰ってくるなり、ウィンフィルドが俺にずいっと接近してきた。
シルビア囮作戦が成功したのだろう。ということは、つまり……。
「ついに、洗脳だな?」
「いえーす」
お待ちかねの《洗脳魔術》だ!
俺は初めて使う【魔術】にワクワクが止まらなくなり、ウィンフィルドと共にスキップしながら使用人邸の地下室へと向かった。
そこには、ふん縛られた30後半くらいのオッサンが四方八方をメイドに囲まれて転がっていた。かわいそうに。でも、そういうプレイに見えなくもない。
「ぱぱっと済ませて、放しちゃおう。じゃあ、話してた通りに、お願いします」
「りょ」
俺は舐め腐った若者のような返事をしてから、オッサンに接近する。
しゃがみ込み、その額に指先を触れた。
使い方は知っている。相手の顔に触れた状態で、洗脳したい事柄を思い浮かべ、後は《洗脳魔術》を発動するだけだ。
「――ッ!!」
オッサンがハッとしたような顔をする。
……成功した。多分。
実に呆気ない。
俺は猿ぐつわを外してやって、問いかけた。
「お前は誰だ?」
「第三騎士団第九部隊長テンダーです。本名はレッドネット。裏では第三騎士団長ジャルム有する暗殺部隊の隊長を務めています」
「気分はどうだ」
「最悪です。床が冷たく、縄がきついです」
「そうか。一応言っておくが、自殺は許さない」
「はい、存じております」
洗脳の内容は、絶対服従。こいつの思考の全てにおいて、俺が第一となるように念じた。
テンダーの縄をぶち切って解くと、テンダーは跪いて頭を下げる。ざわりと周りのメイドたちから驚いたような声が漏れた。
「成功、だね。セカンドさん、命令しちゃって」
あまりの簡単さに、ひょっとしたらこいつ芝居を打ってるんじゃないかと一瞬考えたが、ウィンフィルドが成功と言うんだから成功なんだろう。俺は安心して命令を下した。
「公文書の原本を改ざんした者を知っているな?」
「はい。二人おります」
「二人のうち偉い方を捕まえて、生きたまま連れてこい。ついでに原本も持ってこい」
「かしこまりました」
地下室の外へ出ると、テンダーは俺に一礼してから夜の闇へと駆けていった。
……反則、だな。《洗脳魔術》は。回数制限があるかもしれないとはいえ、強力すぎる。
これをやられちゃあ、流石の俺でもマズい。具体的には、シルビアが洗脳にかけられた場合、暗殺される可能性がある。エコとユカリは俺とのステータス差的に問題ないと思うが、シルビアの【弓術】で不意に狙撃された際にはワンチャンあるだろう。
「大丈夫、だよ。私がそんなこと、させないから」
考えが顔に出ていたのか、ウィンフィルドがそんなことを言ってくれた。まったく、心強いったらないね。
「じゃあ、私、ヴィンズ新聞にたれこんでくる、ね」
「あ、でしたら私が……」
「いや、いいよ、私が行く」
メイドの気づかいに、あっさり断りを入れるウィンフィルド。そこで、ちらりと俺を見た。なるほど。察した俺は口を開く。
「今日は見張りで疲れただろ。ゆっくり休め」
「は、はい。ありがとうございます、ご主人様」
メイドたちは皆嬉しそうな顔で俺にお辞儀をして、解散した。
ウィンフィルドは夫を立てる良妻になりそうだ。その代わりに隠し事は何一つできそうにないが。
「ありがとな」
「いいってことよ、愛しの君」
頬に口づけひとつ、彼女も風のように去っていった。
前々から俺に気があるんじゃないかと思っていたが……愛しの君、だってさ。
「…………」
愛しの君だってさ!!
「捕えて参りました」
「早っ!?」
明くる早朝。
テンダーが40後半ほどのオッサンを連れてやってきた。オッサンはテンダーの時と同じように猿ぐつわのうえ体を縛られていて、小さく震えながら涙目になっていた。
「原本はこちらです」
「そっちもか……」
仕事が早すぎる。多分、あちらさんは「テンダーは絶対に裏切らない」と思っていたのだろう。ゆえに、これだけすんなりと事が運んでしまった。改めて《洗脳魔術》のチートっぷりが窺える。
「おっ。早かった、ね。こっちも、たった今、伝えてきたよ。夕刊には、間に合いそうかな?」
ウィンフィルドも、予期していたようなタイミングで帰ってきた。
俺はよしとばかりにテンダーへと質問する。
「そのオッサンは誰だ?」
「王立公文書館の館長です」
マジかよ。腐敗しすぎだろ……。
「じゃあ、この人も、やっちゃおっか。そしたら、この二人を連れて、ハイライ大臣のとこに、行くよ」
「自供させるんだな?」
「うん。いよいよ、って感じ、だね」
「お前も来るのか?」
「いいや、私は、ちょっと、気になることがあるから」
気になること? ああ、確か「こういうくだらない事実確認で政治が空転してる時ほど裏ではヤバイことが起こっていたりする」だったか。
「まだ明らかじゃないのか?」
「うん。ごめんね?」
「謝るな。お前でも分からないことがあるのかと、少し不思議に思っただけだ」
「えー。分からないことの方が、多いと思うよ?」
その達観した発言で更に「分かっている感」が増してるんだよなぁ。
「ご主人様。椅子に座らせましたので、こちらでお願いします」
「おお。ありがとう」
俺はユカリの案内で館長の前に立つ。小動物のように怯えていてちょっとかわいそうだ。
「ウィンフィルド。ご主人様と何だか良い雰囲気ね?」
「わあ、ま、マスター、奇遇ですね。こんなところで、会うなんて」
「待ちなさい。貴女まさか……」
ヤベェ。俺がウィンフィルドに若干ときめいたことがバレそうになってる。流石ユカリ、無駄に鋭い。だが、ここはウィンフィルドの巧みな話術で――
「さ、さーて。私、そろそろ、調査にいかなきゃナー?」
へたくそか!
「…………帰ったら話があります」
部屋中が凍てつくほど冷たい声で、ユカリはウィンフィルドを見送った。
心なしか館長の震えが増したように見える。
しかし、シルビアと違って俺じゃなく相手に怒るあたりがユカリらしいな。
「よし。じゃあ、気を取り直して洗脳すっか……」
俺は指先を、館長の額……は汗でべとべとだから何か嫌だな。鼻先……も脂ぎってて嫌だな。そうだ、アゴでいいか。アゴに指を添えて、《洗脳魔術》を――
「あ、あんた……オッサン縛って、それ……何のプレイよ……?」
絶妙のタイミングで起床してリビングにやってきたシェリィにとんでもない誤解をされる。
何とか弁解して、館長に《洗脳魔術》をかけ終えたのは、それから実に一時間後のことであった。
* * *
「ふー。マスターも、相変わらず嫉妬深い、ね……」
ユカリの冷たい視線から駆け足で逃れたウィンフィルドは、玄関付近の植え込みの陰に隠れて、ひと息ついていた。何故そこまでして隠れるかというと、流石は主従関係か、ユカリのことをよく分かっているからである。
「ちっ……逃がしましたか」
ウィンフィルドを追って出てきたユカリが、舌打ち一つ、玄関の中へと戻っていく。「帰ったら話がある」と嘘をついて油断させ、セカンドの見ていないところでシメる。ユカリの常套手段であった。
彼女たち二人の間では、主人と精霊の関係とは思えないほどに高度で熾烈な心理戦が日常的に繰り広げられているのである。
「さて。どうしよっか、な」
ウィンフィルドは、王国内で暗躍する何かをどのようにして調査するか、そして帰ってきてからどうやってユカリを煙に巻くかを並行して考えながら、王都に足を向けようとした。
すると、そこへ馬車がやってくる。家の前に停車し、御者台から二人降りてきた。執事キュベロと、馬丁頭ジャストである。
今、植え込みの陰から出たら二人をいたずらに驚かせてしまう。そう考えたウィンフィルドは、裏手からこっそり出ていくことにして、回れ右をする。
……が、不意に聞こえてきた二人の会話に、ふと足を止めた。
「しかし心配だァ、ソブラ兄さんの具合。ありゃヤベェかもしれません」
「ええ、私も心配です。それに単なる体調不良にしては、少し様子がおかしかったような気もしますし」
「いっぺんセカンド様にご相談してみるってのはどうですかねェ?」
「ただ、本人があれだけ拒否していると……」
「余計な心配かけたくねェんじゃ?」
「そうだと思いたいですが。しかし、万が一の可能性というのも考えなければなりませんか。やはり、ここはご相談を――」
「ねえ」
声をかけながら、二人の前に姿を現す。
驚かしてしまうことなど、最早どうでもよくなっていた。
「その話、詳しく、聞かせて」
そう要求する彼女の顔は、めずらしいことに、とても険しい表情であった。
お読みいただき、ありがとうございます。