74 寄せの好手は
翌朝。
朝の点呼も早々に、俺たちは商業都市レニャドーを出発した。
チェリちゃんはあのまま泣きつかれて眠ってしまい、今朝あらためて顔を合わせたところ、何故か耳まで真っ赤にして視線を逸らされてしまったので会話にならなかった。ただアイリーさんたちとはぽつぽつと会話をしていたようなので、恐らくは丸く収まったのだろう。よかったよかった。ただ俺としては次に会う時が怖いところだ。一体何を言われるのか、謎すぎて恐ろしい。
シェリィはというと「絶対にファーステスト邸を見る」と言って聞かず、無理矢理に付いてきた。「見たら帰れよ」と約束させたが、こいつこの感じだと何やかんやで居座るつもりに違いない。
そんなこんなで、経験値稼ぎ兼息抜きの旅行は幕を閉じた。
第一宮廷魔術師団の面々はグルタム周回で得た経験値を然るべき属性の壱ノ型へと全て振り、少しではあるがINTの底上げに成功した。これでようやく“魔幕隊”としての第一歩を踏み出したと言っていいだろう。
目指すべき理想は壱ノ型全属性九段。まだまだ先は長い。
「――お帰りなさいませ、ご主人様」
ユカリに「シェリィを連れて帰る」と一報入れたところ、もう日暮れだというのに使用人が勢揃いで出迎えてくれた。
シェリィは伯爵令嬢にも関わらず、ファーステスト邸の異常な規模を見てぽかんと口を開けている。
「シェリィ、何処が良い? 今なら湖畔がオススメだが」
「そ、そこでいいわっ?」
門から敷地の中へ入ると、そこからまたしばらく移動だ。シェリィは伯爵邸の何倍も広い我が家に度肝を抜かれているようで、過ぎる景色に目を白黒とさせている。そりゃそうだ、王宮より広いもの。ナイスなリアクションに気分を良くした俺は、夕食もできるだけ豪勢な料理をとユカリに連絡しておいた。しかし今日は料理長ソブラが体調不良でお休みらしく、そこそこのクオリティの食事しか用意できないらしい。あのヤニ野郎この肝心な時に……。
湖畔の家に到着すると、ユカリとメイドが一人だけ待ち構えていた。確かエスと言ったか。赤毛の妹の方だ。どうやら滞在中のシェリィの御付きになるらしい。
「ご主人様。また一つ、付与装備が完成しております」
「マジか!」
シルビアとエコは自室へ戻り、シェリィが来客用の部屋へと案内されている間に、ユカリがこの留守の間の報告をしてくれる。
完成した装備は『穴熊 岩甲之籠手』――着用者のVITが150%となる“穴熊”が付与された手の防具だ。
「素ン晴らしいな! またエコが堅くなる」
「のちほど渡しておきます」
「ああ、頼んだ」
「はい。で、ですね……その」
ユカリは俺にすすすと身を寄せて、上目づかいで恥ずかしそうに聞いてくる。
いくら察しの悪い俺でも流石に気が付いた。最後まで言わせまいと、俺はユカリの頭から首筋にかけてゆっくりと撫でて、今夜の約束を取り付ける。はにかむ彼女は相も変わらず妖艶で、美しく、そして可愛らしかった。
「いちゃついてる、とこ、悪いんですけどー」
と、そこへ何処からともなく拗ねたような表情のウィンフィルドが現れる。まったく心臓に悪い。自宅の中とはいえ神出鬼没なのは人非ざる存在だからだろうか。
「予想通り、戦局、動きそーなんだよ、ねー」
彼女はあっけらかんとそんなことを言う。それってかなりの大事では……?
「バウェル国王が、公文書の開示を命令してから、しばらく経って。いよいよ、開示するってさ」
「改ざんが済んだってわけ? この短期間で?」
「うん。第二騎士団だけじゃなくて、第三騎士団からも、協定違反はあったって声が、あがってる中、よくやった方だと思うよ」
まるで夏休みの宿題を7月中に終わらせた小学生を褒めるように、ぱちぱちと手を叩くウィンフィルド。その余裕っぷりが何とも頼もしい。
「公文書の原本、ゲットしちゃお。ねっ?」
よしきた。満を持して、俺の出番というわけだな。
「ってことで、シルビアさん、呼んできてー」
……まだだったようだ。
「逮捕歴の照会?」
「うん」
夕食時。シェリィを交えてリビングで団欒している最中に、ウィンフィルドはシルビアへと指示を出す。
「セカンドさんとの出会いって、シルビアさんが、セカンドさんを現行犯逮捕した時でしょ」
「うむ、そうだな。懐かしいなぁ……」
「やめろ思い出すな。錯乱してたんだあの時は」
テンション上がり過ぎて店の前で狂喜乱舞した結果、威力業務妨害でしょっ引かれるとか恥以外の何物でもない。挙句にヤク中の疑いもかけられたからな。
「その時の文書を、チェックしてきて」
「それは構わんが……一体何の意味があるんだ?」
俺は、不意にティンときた。確か以前、シルビアは第三騎士団の呼び出しに対して「あの男なら何か知っているかもしれない」と答えるようウィンフィルドから指示を受けていたはずだ。今回の逮捕歴の確認は、それと何か関係があるに違いない。
「シルビアさんは、第三騎士団からの要請で、セカンドさんのことについて、色々と報告してたよね?」
「うむ。言われた通り、こちらが有利になるような嘘ばかり報告しておいたぞ」
「そろそろ、その嘘八百が、バレてる頃。第三騎士団は、シルビアさんを、警戒中」
「……そうか。つまり、私は囮ということだな」
「その通り、だよ。向こうは疑心暗鬼になってる。セカンドさん逮捕時の文書に、何かがあるって、そう思うはず」
なるほど。公文書の改ざんをしている奴らが「相手も改ざんをしてる」と思ってしまうのは、確かに仕方のないことかもしれない。「自分がやっていることは相手もやっていて当然」という強迫観念にも似た思い込みだな。
「こっちが改ざんしてるにしろしてないにしろ、シルビアさんがチェックした後、向こうは必ずチェックしにくる。そうしてチェックしにきた人が、公文書に融通の利く人物」
「そいつから辿っていけば、公文書改ざんの当事者、ひいては原本まで行き着くという寸法か」
「イグザクトリィー」
だから、このタイミングで仕掛けるというわけだな。向こうが良い感じに追い詰められているこのタイミングで。
宰相たちは未だ“姿焼き”状態だ。動きようがないのだ。そこであえて「向こうに動かせる」ことで、大悪手を誘う。凄いぞ、ヤリ方に情け容赦がなさすぎる。こいつは絶対に敵に回したくないな……。
「ねぇ、ちょっといいかしら」
「どうした? メシが口に合わないか?」
「いやごはんは美味しいわ? そうじゃなくて、ね?」
「何? あ、便所なら廊下の突き当たりを右だ」
「違うわよっ」
「お前が便所じゃないとしたら……一体何だというんだ?」
「一回の失敗でその扱いは酷いんじゃないかしら!?」
シェリィもだんだんリラックスしてきたのか、ツッコミのキレを取り戻しつつある。
ゴホンと咳払い一つ、気を取り直してシェリィは口を開いた。
「私の前でそんな話してもいいの? 内容を聞いてると、その……とにかくヤバすぎるんだけど?」
「まあ大丈夫だろお前なら」
「そ、そう? 信用されてるのね」
ああ信用しているよ。具体的には俺の目の前で失禁したやつが今後俺に逆らえるとは到底思えないからだ。あの深夜の大迷惑、忘れたとは言わせねーぞ。
「それにしてもこの家は何よ? すっごいなんてレベルじゃないわ。王宮より大きいんじゃない? よく建てられたわね? 政争にも首を突っ込んでそうだし、行く行くは国王にでもなるのかしら?」
「国王は願い下げだな」
「冗談なんだけど……じゃああんた何になるつもりよ」
「世界一位」
「ざっくりしすぎててワケが分からないけど無駄に説得力あるわね……」
呆れ笑いのシェリィと、皆とで談笑し、一日が終わった。
とても政争中とは思えない、のんびりとした夜だった。
…………否、忘れていた。
「ア゜ー……」
明くる朝。俺は抜け殻のように干からびた状態でリビングのソファに座り、口からエクトプラズムらしき白いモヤモヤを吐き出しながら、朝の湖畔をぼんやりと眺めていた。
キッチンでせっせと朝食の準備をするユカリはつやつやとしていて元気そうだ。ダークエルフってのは皆ああなのか? だとしたらもう種族名をサキュバスに変えた方がいいんじゃないだろうか。
試合には、勝った。何とか勝ったが、勝負には負けた気分だ。
しかも恐ろしいことに、ユカリはよくある地球外生命体のように常軌を逸したスピードで今もなお成長を続けている事実が明らかとなった。このままでは次の「Ⅲ」で俺はものの見事に侵略されてしまうだろう。興行収入は増すばかりで、前作前々作より予算も増えているに違いない。きっと「Ⅲもどうせ無意味なカーチェイスや銃撃戦の末に何やかんやあって勝利してバツイチ同士のヒロインと素敵なキスをしてハッピーエンドだろ」と思わせておいて「人類は北半球に追いやられその後も抵抗むなしく侵略され続けたがそれでも俺たちは最後まで戦い抜いて生きていく――」みたいな救いのないストーリーになっているに決まってる。そしてⅣは過去の回想だクソったれ。「実はこんなことがありましたよ」と後出しされてもこっちは冷める一方だ。違うんだって。俺が求めているのは「誘拐された愛娘のためにバカみたいに強いパパがバカみたいに敵を殺しまくる愉快痛快アクション」みたいな単純明快なものであって「ド派手なCGを使いまくった無駄にダークでシリアスなご都合主義の戦争ごっこ」じゃないんだよ。そもそも金ばかりかけて初心を忘れた超大作気取りの量産型映画ってのは――
「――様、ご主人様!」
「……おお。どうした?」
「え、いえ、話しかけても反応がないものですから」
「悪い、ぼーっとしてた」
「朝食の準備が整いました」
「んー。今行く」
そして、何事もなかったかのように、また一日が始まる。
対地球外生命体用に、何か秘密兵器を用意しなければ。固い決意を胸に、俺は一足遅れて食卓の席へと着いた。
* * *
「いよいよ公文書の内容が明らかとなりましたが、殿下、本当にこのままでよろしいので?」
ハイライ大臣はマイン第二王子のもとを訪れ、今後の立ち回りについて会議を行っていた。
「はい。改ざんは確実でしょう。今ボクたちのすべきことは、姿勢を変えず待つだけです」
「しかしながら、このまま証拠が得られずに時間が経てば、一転してこちらの陣営が窮地に立たされることとなりましょう」
公文書が開示され、そこに「R6と第二第三騎士団との間に協定が結ばれたという事実は記されていなかった」と明らかになった現状は、第二王子陣営としてはつらいものがある。虚偽の疑いをかけ政治を空転させていたと、そう批判されても仕方がないのだ。
「証拠は得られます。早ければ数日で」
「……殿下は余程あの方々を信頼されているように見えます」
「ボクのただ一人の友ですから、当然です……あの人は色んな意味で常識外の人。対策などできませんよ。こっちの常識が通用しないように、あっちの常識も通用しません」
「バル宰相に同情してしまいそうですな」
好転する前には悪化するという段階もあり得る――とは元英首相チャーチルの名言であるが、この二人はまるでそれが分かっているかのように、勝利を確信したような微笑を浮かべた。
「殿下は変わられました。争いを前に堂々としておられる」
「違います。ボクはあの人のために堂々としなければならないんです。本来のボクは、据え膳を前にしてやっと堂々とできる、軟弱な臆病者ですよ」
「虎視眈々とこの時を待ち構えていたということで御座いましょう。あの方をこちらへ引き入れ、こうして宰相を追い詰めているのも、全ては殿下の采配によるもの。殿下がそう思わずとも、我々臣下がそう思っていれば良いのです」
「だと良いんですけどね……」
マインは「そんなこと言ったら頭を殴られそう」と、何故だか嬉しそうに呟く。
次期国王がこれでは……ハイライは苦笑をひとつ、ハゲた頭を少し下げてから口を開いた。
「それでは、私はこれにて。今後は彼らを主軸に動くことといたしましょう」
「はい。よろしくお願いします、ハイライさん」
「ところで、殿下。王位継承が確実となった暁には、あの方を如何にして陛下へご紹介するか。どうぞご一考を願います」
「…………」
ハイライの最後の一言に、マインはそれまでの微笑を俄かに崩して渋い顔をする。
あの失礼で明け透けな友人をどうやって紹介すればいいのか――考えれば考えるほど、今から胃が痛くなるマインであった。
お読みいただき、ありがとうございます。