70 痛い兄、母恋しい子、母に会いたい
「我らR6は騙された! 親分リームスマは手打ちを望み、その命を差し出して第二第三騎士団と停戦協定を結んだ! 忘れもしねえ! 仲介者は第一騎士団! 協定は確かに結ばれた! それがどうだ! 数日後にゃ、協定は無視され、第一騎士団までもが我々の弾圧に乗り出した!」
王都中央にある噴水の広場で、義賊R6の生き残りビサイドは声高に演説する。
その周囲に集まった1000人を超えるだろう民衆は、そのほとんどが一言も声を発さず、ただひたすら彼の言葉に耳を傾けていた。
「今でも鮮明に覚えている。我らは、それまでの熾烈な弾圧によって失った仲間たちの亡骸を集め、葬式を開いていた。その場に……その場にッ! 奴らは! 花を踏み潰し! 骸を蹴り飛ばし! 家に火を放ち! 無抵抗の我らを奇襲した!」
ぐぐぐと拳を握りしめ、ビサイドは演説を続ける。
やっと、言えるのだ。全て明かせるのだ。国民に奴らの横暴を知らせることができるのだ。今まで、不意に思い出してはその身を苦しめ続けてきた地獄のような光景は、この場に限り強力な武器へと変貌する。戦いが終わるまで、この武器を振るい続けなければならない。彼は固く決意していた。だからこそ、彼の言葉は他の誰よりも真に迫る。
「奇襲隊の先頭にいた奴の顔は、ハッキリと覚えている! クラウス・キャスタルだッ! 間違いじゃねえ! クラウスだ! クラウス第一騎士団長だ! クラウス第一王子だ! おいらは絶対にあいつを許さねえッ!」
民衆は俄かに騒然とした。当然である。ビサイドの発言が嘘であれ真であれ、大問題だからだ。
それでも、ビサイドは演説を止めなかった。あの日、あの夜、何があったのか。自身が体験した地獄の時間を詳細に語った。どれほど酷い目に遭ったのか、その怒りはどれほどのものなのか。彼の心の叫びとも言える血塗られた言葉の一つ一つを確りと聞き届けた民衆は、嫌というほど思い知った。そして彼らの中で、クラウス第一王子に対する疑念が倍々に増していく。
「ビサイド、もう十分だ」
「カシラ! しかしまだ」
「タイムリミットのようだ」
しばらくして、キュベロが止めに入った。キュベロとしてもまだもう少し語らせてやりたいところであったが、第三騎士団がビサイドを侮辱罪でしょっ引こうとすぐそこまで接近していたため、中止せざるを得なかった。
「……おいら、きちんと筋ぃ通せましたかい?」
広場から逃げる最中、ビサイドがそんなことを言った。
まるで「自分はこれから死ぬ」とでも予感しているかのような言葉に、キュベロは鼻で笑う。
「お前の演説がこの一回きりだとしても、奴らの城壁に穴があいたことは確かだ。後は、民衆が勝手に穴を広げてくれる。殺されるまで演説しろなどと、セカンド様は仰っていないぞ」
「そうですかい……正直なところ、安心しやした。R6の再興をこの目で見られねぇかと、覚悟ぉ決めかけておったんでね」
「セカンド様はR6再興、並びに僅かな可能性の残る生存者の捜索についてもいずれ考えてくださるそうだ。捜索が少しでも難航するようならば軍師様に相談することもやぶさかではないと仰っていた」
「……それ以上に心強い言葉、おいらぁ知りやせん」
「ああ、そう思う。セカンド様の侠気には涙が出る。ウィンフィルド様も、きっと飄々と片手間で解決してくださるだろう」
「セカンド様と、あの姐御にゃあ足向けて寝れませんぜ……しっかし、おっとろしい絵を画きますわい」
「それは私も同感だ」
逃げ去る二人の後ろでは、民衆と第三騎士団との間で諍いが起こっていた。
早くも、と言うべきか。ビサイドの演説に感化された民衆が、第三騎士団を妨害したのだ。「ビサイドを捕まえさせてはならない」と、大勢がそう考え、行動に移したのである。
ウィンフィルドは、こうなることを予想して「第三騎士団をギリギリまで引きつけて」とキュベロに指示を出していた。ゆえに、諍いは起きるべくして起きたのである。そして、民衆と第三騎士団との対立が進めば進むほど、クラウスや第一騎士団への疑念はますます大きなものとなる。
加えて、ここで捕り逃したことで、第一王子陣営はビサイドに対し非常に手を出しづらくなってしまった。時間が経てば経つほどビサイドの証言は広まり、民衆の感情は悪化し続ける。かといってビサイドを黙らせなければ、言われたい放題、話は広まる一方。残る手段は暗殺くらいのものだろうが、それこそが最大の悪手、決して手を出してはいけない毒饅頭である。
そう。第一王子陣営としては、ビサイドに演説を許してしまった時点で、実は既に詰んでいたのだ。
一体、何手前からこの局面を読んでいたのか。それは軍師のみぞ知る。
セカンドとウィンフィルド、この両人だけは絶対に敵に回してはならない……そんな当然のことを再確認した二人。キュベロは自分の主人とその軍師を心底誇らしく思い、ビサイドは身震いするほどの畏怖を抱いた。
そうして、政争はいよいよ、中盤戦から終盤戦へと突入していく――。
* * *
「何故だ! 何故オレがこれほど叩かれるッ!!」
クラウス第一王子は、王宮の自室で癇癪を起していた。
ヴィンズ新聞は連日、義賊弾圧に関する疑惑を報じ続けている。他の新聞社も、ヴィンズ新聞に負けじと情報を掻き集めては騎士団の協定違反を疑う記事を出し続けていた。
中には遠回しに第一王子を批判するような記事があったり、公文書について言及するような記事や、匿名で協定違反の真相が暴露されているような記事もあった。
一方で、帝国の工作員たちは、第一王子ひいては宰相を守るために小規模なデモをしたり、自分たちの息のかかった新聞社から第一王子陣営を擁護するような記事を出したりと、工作活動に必死だった。
その甲斐あってか、扇動された民衆が少なからず表に出てくる。ゆえに、王都の民は右と左に分かれて真っ向から対立した。
するとどうなるか。対立が続く限り、話は大きくなり続けるのだ。第一騎士団による作為的協定違反疑惑は、第一王子派vs第二王子派の図式に置き換わり、最早、双方引っ込みのつかないところまできていた。
「オレは反政府勢力を弾圧しただけだぞ! 協定違反などデマではないか!」
クラウスは、どうしても納得がいかなかった。
何故なら、クラウス自身、R6との間に停戦協定が結ばれていたことなど知らなかったのだ。
彼は単に「反政府勢力の弾圧」と宰相から聞かされたまま、意気揚々と出張っただけなのである。その結果こうも叩かれるとなると、クラウスとしてはもう何を信じていいのか分からないといった気持ちであった。
単なるデマでここまでの大騒ぎになっているのか、それとも、宰相に騙されたのか。クラウスには判断がつかない。
現状、第一騎士団や第三騎士団からは「協定違反はあった」という声は出ていない。当然、バル宰相やジャルム第三騎士団長が黙らせている。
しかし、メンフィス第二騎士団長による調査の結果、第二騎士団からはいくつかの声があがっていた。それは嘘か真か分からず、決定的な証拠にはならないが、それでも「声があがってしまった」ということで、話は更に大きくなる。
つまりは――公文書を出せ、と。
もしも、公文書にR6との協定について書かれていたならば。恐らく、クラウスは第一騎士団長として責任を取らされる。自身の関知しないところで勝手に行われた違反の責任を。
「クソォオオオッ!」
納得いくわけがなかった。
この一件で、次期国王の座は間違いなく遠のくのだ。
そして、兄クラウスではなく、弟マインがその椅子に座することとなるのは、もはや明々白々……。
「――クラウス! ああ、クラウス! 可哀想な子。貴方は何も悪くないわ」
不意にクラウスの部屋を訪れたのは、クラウスの実母、第一王妃ホワイトであった。
ホワイトは、息を荒くして物に当たり散らすクラウスを見るや否や、駆け寄ってその背中を抱きしめる。
「貴方を悪く言う新聞は、私が黙らせるから安心なさい。誰に何と言われようと、貴方は貴方のやり方で、王を目指すのよ」
「母上……今その様な行動を起こすと、更に悪く書かれてしまうのでは」
「更に書くようなら更に黙らせます。一体誰を侮辱しているのか、分からせなくてはなりません!」
「……しかし」
「クラウス。貴方は次期国王になることだけを考えていればよいのです。ああ、しかしあの人は何をやっているのでしょう。自分の息子がこうも虐められているというのに庇いすらしないなんて!」
「…………」
クラウスはホワイトのことが苦手であった。
政治を知らぬくせに権力だけはある迷惑な女……それが彼の母親に対する評価である。
彼は20年の人生の中で、母親から本物の愛情を感じたことはなかった。ホワイトから出る言葉は全てが“お為ごかし”。愛情という皮を被せた利己的な期待なのだ。「次期国王になれ」とは、会う度に囁かれる言葉。「あの妾にだけは負けてはならない」と、幼いころからそう刷り込まれていた。ゆえにクラウスは、国王の座に執着し、マインを異常なほど目の敵にする。
「少し、頭を冷やしてきます」
「そう? そうね。気分を良くしてらっしゃい」
第一王子付きのメイドに「紅茶はまだかしら?」と催促をするホワイトを尻目に、自室から出たクラウスは、小さく溜め息を吐く。「また居座るつもりか」と呟いて、なるべく遅く戻るため、豪奢な廊下をゆっくりと当てもなく歩いた。
ふらふらと、秋風に誘われるようにバルコニーへ出る。
そこには、一人の美しい女性と、その侍女の姿があった。
それは、彼がこのバルコニーへと足を運ぶ間のほんの一瞬、意識の奥底で薄らと期待していた、その通りの人物。マインの実母、フロン第二王妃であった。
「これはこれはフロン第二王妃。こんなところで呑気にティータイムですか。そちらは優雅でよろしいことだ」
口をついて出る攻撃的な言葉。そんなクラウスの様子を、フロンはまるで自分の子供の反抗期を見ているかのように優しく微笑んで受け止めた。
「人は、余裕を失った時にこそ余裕を必要としているのですよ。クラウス第一王子」
フロンはわざわざ椅子から立ち上がると、自分の向かい側の椅子を手ずから引いてクラウスを見やる。その笑顔がマインにそっくりで、クラウスは「チッ」と舌打ち一つ、不快になりながらもその椅子へと乱暴に腰を下ろした。
侍女によってティーカップに紅茶が注がれる。クラウスはそれに手を付けず、口を開いた。
「何の真似だ。オレと貴女は敵同士。情けのつもりか?」
「それは今も昔も同じこと。貴方はいつもそう。何かつらいことがあると、こっそり私のところへ来て、こっそり甘えてから帰るのです」
「な……ッ」
クラウスの顔が俄かに紅潮する。今まで自覚はなかったが、言われてみれば図星のような気がしたのだ。
「意地悪が過ぎましたね」
うふふと悪戯っ子のように笑うフロンは、やはりマインによく似ていた。クラウスは憎き愚弟の顔を思い出したことで、平静を取り戻す。
「メイドの前でオレを辱めて満足か? やはりあの軟弱な臆病者の母親というだけはある。なかなかに陰湿だ」
「子供とは、少し目を離した隙に、予想以上に成長しているものです。いつまでも軟弱で臆病だと思っていてはなりませんよ」
「貴女に言われずとも分かっている!」
「そうでしょう。あの子には、良い出会いがあったようです」
「……チッ」
フロンの口からマインの話が出て、クラウスは機嫌を悪くする。「あいつよりオレの方が優れている」という考えがどうしても抜けない。それはひとえにホワイト第一王妃の教育の賜物と言えるだろう。
「願わくば、貴方にも。私はそう思っていますよ」
「フン。オレは他人に影響されなければ強くなれないような軟弱者ではない。オレはオレのやり方であの愚弟を倒し、次期国王となる」
「……報われる方法は、国王になることだけではないというのに。それに気付けないのは、やはり貴方の罪ではない」
夢を語るクラウスは、言葉に反して苦しそうな顔をしている。そんな彼の様子を幼い頃からもう何年も見続けてきたフロンは、悲しい目をして小さく呟いた。
「何を言っている? オレに聞こえるように言え」
「そう遠くない未来、貴方は窮地に追い込まれるでしょう。そして、その身を以て償わなければならない時が必ずきます。それでも……それでも、貴方は救われるべき心を持っている。大丈夫。他の誰が見放しても、私だけは貴方のその心を見つめ続けていますよ。それを忘れてはなりません」
「……だから、何だ。次期国王を諦めろとでも言うのか?」
鋭い目で聞き返すクラウスに、フロンは優しく微笑んで、言った。
「宰相は敵と思いなさい。貴方は貴方のやり方で次期国王を目指す、そうでしょう?」
* * *
「可哀想になるくらい効果抜群だな」
ビサイドの演説から3日が経った。
食卓にずらりと並んだ各社の朝刊の内容は、ほとんどが「第一騎士団叩き」である。中には擁護をやっている記事を出している新聞社もあるにはあったが、王都へと調査に出ているメイド曰く、売国奴の書いた新聞という評価で誰も見向きもしていないという。更にメイドづてに聞いたところ、王都の民衆の声は「反第一王子」一色らしい。
……嘘の停戦協定を仕組んで奇襲したことが“疑惑”として取り沙汰されただけでこうなるんだから、政治って怖い。俺は心底そう思った。
「でもねー。こういう、くだらない言い争いで、国政が空転してる時ほど、裏では、ヤバイこと起こってたりするんだよね」
俺の隣でウィンフィルドが呟く。主にお前の所業でそのくだらない言い争いがこうも巻き起こっているんだというツッコミはしないでおくことにする。
「ヤバイこと?」
「侵略、とか、第三勢力、とかかな」
「なるほど。チャンスっちゃあチャンスだもんな」
「そうそう」
「どうせお前のことだ、もう手を回してんだろ?」
「うん。もっか、そーさちゅー」
ウィンフィルドは「だから、ちゅー」と言ってキス顔でむーっと迫ってきた。長身の脱力系クール美女精霊がそんなことしてみろ、冗談でも本当にやりかねないぞ俺は。
直後、ヒュンッ――と《送還》される。どうやらユカリの逆鱗に触れちゃったようだ。
「ご主人様。本日は第一宮廷魔術師団とダンジョンのご予定でしたでしょう? こんなところで油を売っている暇など御座いませんよ」
「おっと、そうだ。少し早めに出るんだった。あまりのんびりしていられないな」
今日は待ちに待った経験値稼ぎの日。ゼファー団長風に言うならば経験鍛錬の日である。
いや、二泊三日で行くから“日”ではないか。経験鍛錬“旅行”? なんだか修学旅行みたいで年甲斐もなくワクワクする。
「む、セカンド殿はまだゆっくりしていていいぞ。あと紅茶一杯くらいの時間は大丈夫だ。私は今のうちにエコの支度を手伝っておこう」
団員全員の安全をより確実なものとするために、今回はシルビアとエコも一緒に連れていく。“丙等級ダンジョン”と言えども、決して油断はしない。過剰戦力上等、備えあれば患いなし、万全を期して挑んだ方が良いに決まっている。
「エコ。準備するぞ。食事は終わりだ」
「んーんんー」
「ほら、貝殻を口から出せ。どれだけ口に入れてるんだ。そこまでして貝柱を食べようとするな」
「んー!」
「んーじゃない! エコ!」
「んんーっ!」
「こら! 出しなさい! 出しなさい!」
「んむーっ!」
シルビアとエコの攻防は、俺の予想の3倍は長く続いた。最終的に口の外で他の貝殻を使って貝柱をこそぎ取り食べさせることでエコは満足した。
結局、遅刻ギリギリとなる。まあいつものことである。
そうして。俺とシルビアとエコは、第一宮廷魔術師団の面々と合流し、経験鍛錬旅行へと出発した。
行き先は、商業都市レニャドー。
丙等級ダンジョン『グルタム』である――。
お読みいただき、ありがとうございます。




