69 胎動
「な、何を……したんです……?」
「何をもクソもねえよ。言ったでしょうが。魔術師ってのは、このくらいのダメージが出ないと話にならんってさぁ」
「…………」
絶句される。【魔術】スキルを満遍なく上げるメリットがこれほどとは思っていなかったんだろう。そして、本物の魔術師とは如何にレベルの高い存在なのかを思い知らされ、宮廷魔術師の自分が魔術師にすらなれていないことを自覚したんだ。
「四大属性は壱弐参ノ型全て九段だ。肆ノ型は一律5級。雷属性は壱弐参ノ型が九段、肆ノ型が七段、伍ノ型は初段。これだけで壱ノ型の威力はここまで上がる」
ハッキリとした数字を見せてから語る。これ以上ない説得力だ。誰もが黙って聞いていた。
「お前らも他の属性の壱ノ型を全て九段まで上げろ。最優先事項だ」
「……それで、ダメージはどれほど上がるんです?」
「概ね1.5倍。弐ノ型が追い付いてくりゃ2倍。参ノ型まで行けりゃ3倍だ」
「それは、確かに、大きい……ですね」
納得せざるを得ないんだろう。チェリちゃんはいつもの悔しがる態度すら忘れ、閉口して腕を組む。
「そういうことだ、騙されたと思って壱ノ型を上げまくれ。苦手属性の壱ノ型をどうしても覚えられないってやつは、俺が教えてやるから後日魔導書を持って俺のところに来い」
そう指示を出すと、第一宮廷魔術師の皆は「はい」と返事をしてくれた。声はバラバラであったが、今まで半ば無視されていたことを考えると大きな進歩と言える。
「で、だ。なるべくスキルを満遍なく九段まで上げるには何が必要か。分かるだろ?」
「経験鍛錬、か」
「その通りだ」
俺の問いかけにゼファー団長が苦虫を噛み潰したような顔で答える。たかが経験値稼ぎに何故そんな顔をするのか。恐らく、それが「手っ取り早い成長方法」と分かっていながら、組織のしがらみか何か知らないが上手く遂行できていなかったのだろう。危険・予算・意欲の問題を取り除くには、団長一人だけでは難しい。
だが……多分、今回は上手くいく。「自分も頑張ればあれだけのダメージを出せる」と分かれば、絶対にやる気が出る。ネットゲームとはそういうものだ。下位プレイヤーは上位プレイヤーに憧れて行動を起こす。そのための“簡単なやり方”さえ分かってしまえば、後はコツコツと作業をこなすだけである。
「危険は俺の指示に従ってくれるなら大丈夫だ。予算についてはマインに話を通しておく。意欲は、まあこの様子なら申し分ないだろう。後はいつ行くかだ」
皆、うずうずとしていた。壱ノ型くらいなら大した苦もなく上げられる、と。そうして簡単な努力を積み重ね、楽して“あのダメージ”まで辿り着こうとしている。単純なやつらだ。
一度目にしてしまったあの鮮烈な光景への憧れには、絶対に抗えない。俺がかつて初心者だった頃、世界一位になりたいと強く思ったように、こいつらもあのダメージを自分で出したいと強く思っている。そうして飢えている目の前に、その方法が無償で配膳されたんだ。手を伸ばさないやつなんていない。
「理想は、全員、壱ノ型全属性九段。そして戦場で魔幕を張る。一発一発が敵軍の倍近く威力のある壱ノ型を雨のように降り注がせて、敵をハチの巣にしてやる。どうだ? 第一宮廷魔術師団は、精鋭中の精鋭となるぞ。誰も近づけない。突撃も許さない。弓矢さえ撃ち落とす。既存の戦術の全てを塗り替える存在となるだろう」
少しばかり誇張した演説。だが、効果は抜群だった。己のプライドや地位など何もかもを一時的に忘れた宮廷魔術師たちに「この講師の言っていることは本当かもしれない」と思わせ、期待させるのに十分な内容だった。
「前人未到の挑戦だ。やってみないか?」
俺の最後の一押しに、ゼファー団長は決意の表情で頷いた。
「では、今日の講義はこれまで。続報を待て」
* * *
「ヴィンズ新聞めッ!」
第三騎士団長のジャルムは、自身の執務室にてひとり激昂していた。
朝刊を机に叩きつけ、その上へドスンと拳を振り下ろす。全身ブルブルと震え、顔色は赤青紫と色とりどりに変わっていった。
何故それほどに怒っているのか。それは、新聞に書かれていたことが紛れもない事実であったから。
それが明るみに出てしまえば、自身はおろか、第一騎士団も、宰相も、第一王子でさえ、ただでは済まない事態となる。ゆえに、こうして明るみに出てしまった今、乱心せずにはいられなかったのだ。
新聞を引き裂き、机を殴り、物を投げ、地団駄を踏んで尚、怒りは収まらない。そうしてしばらく暴れまわった結果、執務室はまるで嵐が通り過ぎた後のように荒れ果ててしまう。
そんな状態の部屋へ、彼の部下が訪ねてきた。部下はぐちゃぐちゃの部屋を一瞥し、「またか」というような顔をしてから口を開く。
「ジャルム団長。国王陛下がお呼びです」
「何だと!?」
――早い! ジャルムはそれまでの怒りを瞬時に忘れ、今度は大いに焦り始めた。
恐らくは、国王の御前で釈明を求められる。答弁の主体となるのは第一騎士団だろうが、件の公文書については第三騎士団の差配。もし追及が深くまで及べば、まず間違いなく公文書の開示を請求される。
「……すぐに行く」
ジャルムは部下に返答してから、必死に考えを巡らせる。
何とかして時間を稼がなければならない。何故なら。
「早急に改ざんしなければ……!」
義賊R6と第二第三騎士団間での協定に関する公文書は、まだ改ざんされていなかった。
第二王子派に改ざん前の公文書を確認されたら、第一王子派は窮地に立たされる。少なくとも、第三騎士団長であるジャルムは責任を取らされる。下手をすれば、トカゲの尻尾切りとなるだろう。
それだけは避けなければ。その一心で、ジャルムは国王の呼び出しに応じた。
「その方らをこの場に招集したのは他でもない。今朝のヴィンズ新聞の一面についてである。宰相、何か申してみよ」
バウェル王の御前に集められたのは、バル・モロー宰相、ハイライ大臣、第一騎士団長であるクラウス第一王子、第二騎士団長メンフィス、第三騎士団長ジャルムの5人。
話を公の場に出す前に、関係者のみで事実確認をしようという考えであった。
「はっ。事実無根で御座いますな。まったく腹立たしい」
「そうか。クラウスはどうだ」
「協定違反など有り得ませぬ、父上。反政府勢力の弾圧は当然、そもそも協定など結ぶ必要のないものです。徹底して然るべきところに何故、協定などという話が出てきたのか……オレは理解に苦しみます」
クラウスは「停戦協定の存在すら知らない」といった風に、堂々と宣言する。それを「白々しい」と感じたのは2人。ハイライ大臣とメンフィス第二騎士団長であった。
「メンフィスはどうだ」
「は。自分は左様な協定が結ばれていたことについては、現時点では存じておりません。早急に第二騎士団内での調査に尽力いたす所存であります」
メンフィスは内心では確信していた。「自身の与り知らぬところで協定違反はあった」と。ただ、証拠が足りなかった。
第二騎士団は、言わば陸軍。メンフィスは根っからの愛国者、帝国に尻尾を振るなど我慢ならない軍人であった。すなわち第二王子派である。ゆえに、以前から第一王子派を追い詰めるため不正の情報を収集していたのだが、なかなか尻尾を掴めずにいた。
そんな中、スキャンダルという形で降って湧いたチャンス。逃す手はなかった。ここはあえて焦らず慎重に動き、確実に証拠を収集すべきだと判断したのである。
「ジャルムはどうだ」
「は、はい。私といたしましても寝耳に水といった話で御座いまして。私の認識では、第二第三騎士団の弾圧隊で手を焼いていたところ、第一騎士団の加勢によって早期解決に至ることができた、と。その様に記憶しております。ええ」
ジャルム第三騎士団長は、否認することに決めた。限界まで否認し続け、公文書を開示するまでの時間を引き伸ばす。その間に公文書を改ざんしてしまおうという腹積もりであった。
「ハイライ」
「は。皆様の顔色を見ていて良く分かりました。確かに協定違反はあったのでしょう」
「何だと! ハイライ貴様、我らを愚弄するか!」
けろっと言ってのける大臣に、宰相が怒鳴りつける。
「待て。ハイライ、そう思った理由を話せ」
「私が疑惑をかけられた当事者ならば、身の潔白を証明するため義賊弾圧に関わる公文書の開示を自ら提案するでしょう。しかし誰も言及しない。公文書に確認されてはならない事実が記されているのでは、と。単純な推理で御座います」
「なるほど公文書か」
バウェルは納得したように頷く。その様子を見て、宰相は顔をしかめ、ジャルムは顔面を蒼白にした。そこへ追撃とばかりに大臣が喋りだす。
「もしもこの協定違反が事実であるならば。騎士団の、ひいては国政の危機でありましょう。大いなる見直しが必要です。反政府勢力の弾圧と銘打って、虐殺まがいの迫害を独断強行していたとなれば、それは国の破綻で御座います。そのような悪逆非道の者共が、キャスタル王国の政治の一端を担ってはならない」
「何故、虐殺などと言える! 反政府勢力の弾圧は当然だ!」
「ご存知ですかな、宰相。現在、王都ヴィンストンのスラム付近では窃盗や強盗などの犯罪が問題となっております。今まで抑止力となっていた義賊R6がいなくなった今、統率されていない小悪党が増加し、治安は以前より悪化したのですよ。このままでは義賊より質の悪い犯罪者集団が王都にのさばることになりますが……はて。R6以来、弾圧隊は組まれておりませんね。これは怠慢では?」
「……当然、存じている。だが切りがないことも事実。しばらく経った後、一網打尽にする予定であった。ゆえに虐殺などと言われる筋合いはない。謝罪を求める」
「いやはや、よく仰る。私はね、義賊R6が貴方方にとって“政治的に”邪魔だからという理由で弾圧したのではないかと懸念しておりまして。R6は民衆の支持が非常に高かった。特に、帝国との歩み寄りに反対している層はR6に期待さえしていた。帝国との交易が進めば、貧富の差が更に広がることは火を見るより明らかでしょうから」
「それこそ事実無根だ! 出鱈目を並べおって! そうして我々を陥れて政権を握るつもりだろう! 王の御前で恥ずかしくないのか!」
「そちらこそ、それほど取り乱して恥ずかしくないのでしょうか? 自白しているようなものですよ」
「言わせておけば貴様!!」
「よさぬか」
荒れ狂う宰相と、冷静に煽り続ける大臣を、バウェルの一言が止めた。二人はすぐさま閉口し、頭を下げる。
そしてバウェルは、まるで彼らに判決を下すようにして沈黙を破った。
「どうやら単なる虚構ではないらしい。各自調査の後、詳細の報告を上げよ。私が直々に目を通し、必要とあらば公文書の開示を命ずる。場合によっては当事者に対し喚問を行う。以上だ」
――大波乱の幕が切って落とされた。
「ジャルムを呼び出せ」
バル・モロー宰相は存外にも冷静であった。
彼の置かれている状況からして、今回のこの騒動は、ジャルム第三騎士団長のように焦って然るべき案件である。
しかし宰相は、むしろ感心さえしていた。「よくぞここを突いてきたものだ」――と。
彼が予想していた第一王子陣営の弱点は、クラウス第一王子やホワイト第一王妃にまつわる数多の不祥事や、アイシーン公爵家取り潰しについての追及など、明らかに“急所”と分かる部分。ゆえに、それらについては対策も確りとできていた。
だが。実際に突破口とされたのは、意外も意外「義賊弾圧」について。まさかそこを突いてこられるとは夢にも思っていなかった。
ただ、突かれてみれば……そこは驚くべきことに相当な急所であった。たったの一突きで、下手をすれば今までの苦労が全て水泡と帰すほどの。
「……何者だ……」
宰相は見抜いていた。
この“巧妙すぎる”やり口は、ハイライ大臣やマイン第二王子のものではないと。今までの政敵とは一線を画したトリッキーでクレバーな策略。何者かが裏に潜んでいると直感したのだ。
では、それは何処の誰なのか。答えは数秒とかからずに浮かび出た。
「あの魔術師か……!」
第二王子周辺に起きた直近の変化と照らし合わせ判断する。第一宮廷魔術師団特別臨時講師のセカンドという男。実に怪しさ満点であった。
「クソッ、情報が少ない」
ここにきて完全に無警戒だった人物がいきなり浮上したのだ。情報は少なくて当然である。
しかし宰相には後悔があった。第二王子派有力者の一人ポーラ・メメントの牙城とはいえ、今以上に王立魔術学校へスパイを送り込み情報網を厚くすることも可能であったし、冒険者界隈により多くの犬を放つことだってできたのだ。セカンドの情報は、得ようと思ってさえいれば、十分に得られたのである。だが、時既に遅し。後の悔いは先に立たない。
「失礼、遅くなりました」
「ジャルムか。話は分かっているな?」
「はい。例の物をいじくる算段についてで御座いましょう」
「分かっているならよい。早急かつ慎重に行え。恐らく向こうは監視の目も徹底している」
「ええ。その代わり手段は選べません」
「表に出なければ問題ない。幾ら使っても構わん、完璧にこなせ」
「し、承知いたしました」
ジャルムのこめかみを一筋の汗が伝う。今朝から彼の胃は悲鳴をあげ続けていた。だがもう後戻りはできない。
「ところでジャルム。先日に第一宮廷魔術師団の臨時講師となった男の情報を調べられるか?」
「臨時講師、で御座いますか?」
「そうだ。今回の一件、そのセカンドという者が絡んでいる可能性が高い」
「何ですと……!?」
ジャルムは驚きの顔を見せ、直後、ハッとする。
セカンドという名に聞き覚えがあったのだ。
「……宰相閣下。その者でしたら、私にお任せを」
「何? 既に手を打っているというのか?」
「はい。我が団の犬を送り込んでおります」
「でかした!」
ここで、ジャルムという男の悪い部分が出た。渡りに船とばかりにウィンフィルドの仕掛けた罠へと飛びついてしまったのだ。その動機も「手柄を自身の物にしてやろう」という不純なものである。「優秀な人間を下に取り込んでは上の人間の手柄とする」第三騎士団のやり方そのものを体現していた。
「ジャルムよ。禍を転じて福と為そうではないか。彼奴についての情報収集、加えて文書の方、任せたぞ。場合によっては……」
「はい、お任せ下さい」
穢れた笑みを浮かべる彼らが、どうしようもないほど追い詰められるのは、もう少しだけ先の話である。
お読みいただき、ありがとうございます。