67 何とかして鹿獲んな
初めて見たシルビアの体は凄いの一言に尽きた。腹筋はほんのり六つに割れ、四肢はきゅっと引き締まり、かといって出るところはむちっと出ていて、柔らかいところはぷにっと柔らかい。その均整のとれた体は、まるで一流のアスリートのようだと感じた。
ステータスが体に現れるのか、それとも体がステータスに現れるのか、もしくは全くもって関係ないのか。よく分からないが、どちらにせよ体は鍛えた方が良いと俺がそう考え始めるくらいには美しいものであった。
素直に感想を伝えると、シルビアは「セカンド殿の方が美しい」と言う。特に鏡を見る習慣がなかったから気付かなかったが、どうやら俺の体も似たような状態らしい。まあ鍛える以上に厳しいことを散々やってきたのでそうなっていてもおかしくはないだろう。食生活もユカリによって完全に管理されているため、もしかしたら俺たち全員アスリートみたいな体が自然とできあがっているのかもしれない。
「おはよう」
翌朝。目が覚めると、すぐ隣にシルビアがいた。「うむ」とはにかんだように朝の挨拶を返す彼女は、やはり美しかった。
不意に昨夜のことが思い出される。とんでもなく情熱的だったユカリとは打って変わって、シルビアはただ抱き合っているだけで満ち足りてしまうような乙女チックな少女だった。ユカリとの死闘によって疲労困憊だった俺にとっては嬉しい誤算である。お陰で充分な余裕を持って彼女を可愛がることができた。
シルビアと一階に下りて、共に朝食をとる。不思議なことに、ユカリからチーム限定通信は届いていなかった。恐らくユカリとシルビアとの間で何か談合のようなものがあったのだろう。知らぬが仏である。
「セカンド殿。そういえば昨日、第三騎士団と接触したぞ」
「おお。どうだった?」
「小躍りして喜んでいた。騎士団が今最も欲している情報はまさにそれだ、と」
「裏切りを疑われてはいないか?」
「どうだろうな。ただ日頃の行いは相当良かったからな」
「シルビアが裏切ったとなりゃあ……俺なら人間不信になりそうだ」
「おいやめろ。私はセカンド殿は絶対に裏切らないぞ!」
セカンド殿を敵に回すことほど恐ろしいことはない、と呟く。ご名答だと思う。
「これからは第三騎士団へと定期的に報告へ上がることになっている。そこでこちらが有利になるような情報を小出しにしていけとウィンフィルドは言っていた。また、それと並行して――」
「公文書と原本の捜索、か」
「うむ。まあ、捜索と言うよりは情報収集だな。第三騎士団から直接得られる情報は大きい。なんせR6と協定を結んだ当事者たちだからな」
「絶対に何かを隠しているな。もしくは、隠すように言われている」
「それを明るみに出すのが、私たちの先立っての目標というところか」
シルビアはやる気満々のようだ。それもそのはず、正義大好きな彼女のことである、今回の仕事はやり甲斐の塊と言っても過言ではないだろう。
「じゃ、俺はそろそろ出勤だ」
生涯で出勤という言葉を使う日が来るとは思わなかったが、事実、今俺は第一宮廷魔術師団特別臨時講師として給料をもらっている。これは出勤で間違いないでしょ。
宿と食事の料金を支払って、宿屋を出る。シルビアが「いってらっしゃい」と言って顔を真っ赤にしながらちゅーしてくれた。
超、いってきます――。
「今日は皆さんの普段の訓練風景を見せてもらいまーす」
訓練場に着くや否や、俺はそう宣言して、その場にどっかと腰を下ろした。
第一宮廷魔術師団の皆さんは整列したまま動き出す気配がない。団長の指示待ちか、それとも俺の指示に従うつもりは毛ほどもないのか。恐らくそのどちらもだろう。
俺がどうしたもんかと座りながら考えていると、二人の男女がこちらに歩み寄ってきた。ゼファー団長とチェリちゃんだ。
「ふざけるのもいい加減にしてください」
相変わらず敵意丸出しのチェリちゃんは、俺のことを睨みながら罵ってくる。
「普段どんなことやってんのか知らないんだもん。指摘しようがないじゃない?」
「だもん、じゃありません。指摘していただかなくて結構です」
「それは困る」
「どうぞ困ってください」
「――いや、待て。チェリ」
チェリちゃんとあーだこーだ言い合っていると、ゼファー団長が口を挟んできた。険しい顔をしているが、文句を言ってやろうという顔ではない。この人なら話が分かりそうだ。
「小僧。昨日、去り際に使ったあの魔術。あれは雷属性・参ノ型で間違いないか?」
「肆ノ型だね」
「……で、あるか」
いきなり小僧呼ばわりで質問してきたかと思ったら、今度は頷いたまま考える人になりやがった。なんだこいつ。頭頂部だけじゃなく脳みそまでハゲてんのか?
「肆ノ型? 嘘も大概にしてください。雷属性なんて魔術が存在するわけありませんし、こんな人が肆ノ型を使えるわけもありません」
「あ、あのぉ……」
ぶーぶーとディスり続けるチェリちゃんの後ろから、恐る恐るといった風に女性が一人現れた。彼女は確かアイリーさんだったか? 焦げ茶のセミロングに垂れ目の優しそうな顔、普通普通&普通な見た目である。真面な人という印象だったが、彼女も俺に文句を言いにきたのだろうか? だとしたらショックだ。俺は少々の覚悟をして彼女の言葉に耳を傾けた。
「セカンドさん……サインいただいてもいいですか?」
ガクッとずっこける。今ここでこのタイミングで? 何だそりゃ。
「いいけど何で?」
「妹が魔術学校にいて、それで、あの、セカンドさんの大ファンなんです。昨日家でセカンドさんのことを話したら、もう、狂喜乱舞しちゃって……絶対にサイン貰ってきてーって」
「ああ、そういう」
俺はあえて冷淡に振る舞ったが、実を言えばメチャクチャ嬉しかった。
前世で世界一位だった頃は、サイン・握手・写真なんて日常茶飯事。彼らの求める「最強の世界一位像」を崩さぬように対応するのは中々に骨だったが、この世界に来てからはとんと忘れていた苦労だった。あの世界一位の栄光が一瞬でもここに蘇ったようで、得も言えぬ感慨が湧き出てくる。
「名前は何という?」
「あっ、はい。アロマです」
彼女の持ってきたサイン色紙に、慣れた手つきでsevenと書こうとして……寸前で、セカンドに修正する。あぶないあぶない。
書き上がりは「世界一位の男セカンド」となった。これでは言い過ぎかと思い、世界一位の前に「いずれ」と書き足す。そして最後に「アロマへ」と書いて、ふと思い立ち、その上に「アイリー&」も書き足してみる。
「はい、どうぞ」
俺はアイリーさんへ色紙を手渡して、ニコっと笑った。笑顔というのはこういう時のためにあるのだ。「サインを~」と言ってきた段階で笑ってしまえば、それは味消しである。むしろ最初は冷たく対応するべきなのだ。そうしてギャップを演出する。滅多に笑わないからこそ時たま見せる笑顔の価値が上がるのだと、俺は前世のファンサービスでそう学んだ。
「あ、あり、ありがと、ござますっ」
アイリーさんは頬を赤くしてぺこぺこと頭を下げながら去っていった。どうやらクリティカルヒットしたようだ。
その時、ふと気付く。彼女の周囲で、羨ましそうな視線を送る女性団員の姿がちらほらと見て取れた。なるほど、全く歓迎されていないと思っていたが、ごく一部の人たちは俺に好意的みたいだ。ありがたい。その代わりに、男性団員からの支持はしばらく得られそうにないが。
「…………」
そんな俺の様子を白い目で見つめるチェリちゃん。ちょっと見た目が良いからって実力もないのに調子に乗って……ってな感じだろうか。彼女は分かり易くて良いな。
……やはり、講師としてスムーズに活動するには、その実力とやらをこれでもかと見せつけた方が良いのかもしれない。昨日のあれで理解してもらえないのなら、もう四大属性の肆ノ型をぶっ放しまくるくらいしか思い付かないが。
と、俺がそんなことを考えていたら、ゼファー団長がおもむろに口を開いた。
「分かった。儂が指示を出そう」
「団長!?」
「チェリ。この小僧の実力は本物だ。いい加減、認めるのはお前の方だ」
「そんなっ……」
チェリちゃんは味方だと思っていた団長に突き放されて愕然とする。ガーンという効果音が聞こえてきそうな顔である。
「これより平常通り訓練を行う! 講師殿が訪れた際は質問への応答を優先するよう! では開始せよ!」
団長の一声で、それまでやる気のなさそうだった第一宮廷魔術師団の皆がきびきびと動き出す。それはチェリちゃんも同様であった。流石は団長、団においてはその命令は絶対なんだな。
しかし小僧と呼んだり講師殿と呼んだり、団長も一苦労だな。きっと昨日の俺の「55年間の無駄を云々」という口撃をまだ根に持っているんだろう。確かに言い過ぎた気もするが、事実っちゃあ事実だから今のところ撤回するつもりもない。その天狗の鼻がへし折れてからなら謝ってもいいかな。
……で、数時間後。
単刀直入に言おう。
「だめだこりゃ」
宮廷魔術師団。王国屈指の魔術師がどれだけのもんかってのを、俺も少しは期待していたんだ。昨日の時点で殆ど答えは出ていたが、それでも万が一、億が一ということもあるから。
それがどうよ。「お遊戯会かな?」というのが正直な感想だ。
「宮廷魔術師ってのは戦争に駆り出されることもあるんだろ?」
「そうだ」
「魔術師で固まって動くのか? それともばらばらに動くのか?」
「殲滅、遊撃、援護、補助。全てこなす」
「テキトーってこと?」
「違う。戦況に応じて形を変える」
「ああ、だからか……」
彼らの訓練は、合図によって隊列を組んだり散ったり配置を変えたりと、そういったものがメインだった。「この合図ならこの陣形でこの魔術を使う」という戦法を何種類も頭に叩き込み、いざ戦場でそれをやろうというのだ。馬鹿馬鹿しいったらない。
「肝心の魔術はどうしてる?」
「個人でやらせている」
「は?」
「得意とする魔術は十人十色。足並み揃えて訓練はできん」
「いやいやそういうことではなく。魔物は狩りに行かないのか?」
「ぬ、経験鍛錬か。週に一度、鉱山や大森林へと狩りに出かけている」
「へっ……? そんだけ?」
「そうだが……何か問題があるのか?」
オイオイオイ、マジかこいつら。レジャー感覚か? 休日に鹿でも狩りに行くわけじゃないんだから。強い魔物をどれだけたくさん狩れるかがスキルの強さに直結するんだぞ?
「どうしてもっと経験値稼ぎに行かないんだ?」
「危険だ。反対意見も多い。それに予算の都合もある。また今のところあまり必要性がない。ゆえに、経験鍛錬は個人の裁量に任せている」
あ、なるほど。経験値稼ぎを強制すると“ブラック”になるわけね。納得……と言いたいところだが、違う。平和ボケもいいところだな。お前ら仮にも軍人だろ、一般企業とは違うんだよ。もっと強くなることにやる気を出せ。
「念のため聞くが、最後に戦争をしたのはいつだ?」
「……二十二年前だ」
「OK分かった。もう何も喋るな」
ここにいるやつらが殆どガキの頃じゃねーか。チェリちゃんとかまだ生まれてすらいないだろ。そりゃやる気も出ねーわ。
「抜本的に改革が必要だわこれ」
前世のメヴィオンには『チーム戦』というゲームがあった。チーム対チームで“戦争ごっこ”ができるのだが、これがまた奥が深い。剣術師・弓術師・槍術師・魔術師など、それぞれ運用に一長一短のある兵科をバランス良く組み込み、綿密な戦略を立てて試合に臨まなければ勝てないのだ。大手のチーム同士のチーム戦ともなれば、まるで本物の戦争のようだった。数百人を優に超えるプレイヤーたちが広大なフィールドでぶつかり合う様は圧巻の一言である。
俺は個人における世界一位の方で忙しかったためチーム戦に関しては素人なのだが、それなりに知識はある。いずれは俺も最強のチームを組んで、チーム戦でも世界一位になろうと画策していたからだ。まあ、その夢は叶わず終わったが。
そんな俺のニワカ知識から見ても、この第一宮廷魔術師の訓練方法は「おかしい」と一目で分かった。
そもそもの前提がおかしいのだ。
殲滅・遊撃・援護・補助の全てをこなすから戦況に応じて形を変える――聞こえは良いが、それは、魔術師の仕事ではない。
魔術師とは「広範囲に高火力で攻撃を行う中距離兵」である。ハマった時の威力はでかいが、剣術師などの近距離兵の突撃には全くと言っていいほど対応できず、弓術師などの遠距離兵からの狙撃でも容易に崩れてしまう。つまり「火力的には一人か二人で十分」であり「壁役などの近距離兵による護衛が必須」なのだ。
魔術師ばかりで殲滅隊を組ませて集団行動させても、敵の近距離兵の突撃で一瞬にして総崩れ。かといって遊撃させれば、壁役がいないので弓兵からの集中砲火を喰らって終わり。援護といっても、メイン火力となる肆ノ型や伍ノ型は広範囲のため、緻密な連携が取れていないと味方を巻き込んでしまう。補助的運用は確かに便利だが、それは魔術師としては勿体ない使い方と言える。
それが分かっていないのか、はたまた分かっていてどうにもできない理由があるのか。何故にこれほど陣形ばかり訓練するのか疑問でしかない。
そこで、俺はふと思い出した。チェリちゃんの言葉だ。「こんな人が肆ノ型を使えるわけがありません」と、彼女は確かにそう言っていた。
…………まさか。
「なあ、正直に挙手してくれ。この中で肆ノ型を使える者は? どの属性でも構わない」
ぽつ、ぽつ、と。200人中20人程度が手を挙げる。うっわぁ……。
「……伍ノ型は?」
今度はゼファー団長しか挙手しない。マジかよ!?
チーム戦において魔術師を魔術師として効果的に用いるには、肆ノ型・伍ノ型が必須である。それも、四大属性の壱ノ型~伍ノ型全てを高段まで上げ切った“INT魔人”が理想とされている。魔術師の強味は「広範囲への高火力攻撃」――それができない魔術師などお荷物でしかない。
……現状。この第一宮廷魔術師団は、チーム戦では使い物にならない新兵の寄せ集めと断言できる。
きっと敵国の魔術師も同レベルの集団で、つい二十二年前まで子供の喧嘩みたいな戦争をしてきたのだろうが、俺が講師をやる以上は泥仕合なんて認められない。
かといって、じゃあ、何か。こいつら一人一人に肆ノ型を教えて回るってか? 馬鹿言え、そこまで面倒は見きれない。
何とかして、こいつらをこのまま運用できる方法を模索するしかない。
そう、何とか、何とかして……。
…………。
「何とかなるかァ! 俺もう帰る!」
「こ、小僧! 何処へ行く!」
「また明日来る!」
* * *
「――動くな」
不意にかけられた声、首筋にあてられた冷たい感触に、おいらの体は硬直した。完璧なタイミング。そのまま殺されても、声一つ出せなかったに違ぇねえ。
「な、何ですかい? あっしに何かご用でも?」
哀れな物乞いを演じる。ここはカメル教会の裏。教会と物乞いはセットだ。ボロのローブで顔を隠していても目立たねえ。木を隠すなら森の中。それも王国中の教会を転々としていたんだ。見つかるはずもない、と。そう思っていたんだが……。
「おおっとぉ!」
不意に拘束が緩んだ。あえてドタバタと前方に逃げ出し、振り返る。
黒衣で全身を隠し、闇に紛れる影。男とも女とも分からん濁った声に、一瞬たりとも隙のない立ち姿。こいつは――“暗殺者”。
「チッ……なんじゃワレェ。何処のモンじゃ。おいらの正体分かっとったんか」
もう偽る必要はなくなった。おいらはフードを外し、視界を良好にする。
「やはり。ビサイド様ですね」
「それがどうしたんじゃ、ボケェ」
「キュベロ様がお待ちです」
「――ッ!!」
久しく耳にしとらんかった名前。そして、一日たりとも忘れたことのねえ名前。我らR6の、カシラの名前じゃ。
「か、カシラは生きとんのか!」
いや、待て。おいらを誘い出すための罠かもしれん。
「カシラは何処におる」
「私たちの拠点に」
「拠点? ……ッ」
一歩踏み出そうとすると、おいらの行く手を遮るように糸が張った。【糸操術】か、こら厄介だ。
「……何モンじゃあ、自分」
「セカンド・ファーステスト様に仕える万能メイド隊十傑はイヴが率いる暗殺隊その一人。暗殺者ゆえ、顔・声・名を明かすことはできません。申し訳ございません」
「おいおい、暗殺者さんが主人の名前を明かしてもええんかい」
「我々のご主人様はこれしきでどうにかなるほど弱いお方ではありませぬゆえ」
「ほぉー」
「それに、隠す必要もありませんので」
「ん? そりゃどういう――んガッ!?」
背後からの衝撃に、おいらの意識は遠のいていく。暗殺者は一人じゃなかったんか、そうか、そりゃそうよなあ。
……カシラ、どうか生きていてくだせえ。
お読みいただき、ありがとうございます。