61 駒
「ちょっと、いい? セカンドさん」
「あ? おう」
昼まで寝て、少し遅めの昼メシを食って、食後にユカリが淹れてくれた紅茶を飲んでマターリしていたら、ひょろっと近付いてきたウィンフィルドがひょいひょいと手招きして誘ってきた。
ちらりとリビングの様子を窺ってみるものの、誰も何も言ってこない。今朝あんなに自己主張の激しかったあいつらは、どうやら気分を変えたようだった。
「…………」
恐らく、俺の目の前を静々と歩いているグレーのツーブロ長身美人の精霊が何らかの根回しをしたのだろう。あのつわものどもを言いくるめるとは、流石は精霊界一の軍師といったところか。
となると、今日は彼女と午後を過ごすことになりそうだ。いや、彼か? 特に性別がないんだっけか? よく分からないから後で聞いてみよう。幸いにも彼女のお陰で今日の予定が簡素なものになったのだから。
「ここ」
しばらく移動した先。ウィンフィルドが歩みを止めた場所は、ヴァニラ湖を一望できるバルコニーだった。この湖畔の豪邸の目玉である。流石、良い風景だ。それに涼しい秋風が食後の火照った体を撫でていくのがまた気持ち良い。
「何の話だ?」
俺がそう聞くと、ウィンフィルドは「何から話そう」とでも言いたげにほんの少しだけ首を傾げてから口を開いた。
「えっと、ルシア・アイシーン女公爵? から、何か、貰わなかった? たとえば……そう、キャスタル王国の敵のリスト、とか、洗脳魔術の覚え方、みたいな」
「――ッ!!」
ゾクリとする。
女公爵からの手紙について話したか? いや、話していない。ましてや女公爵との関係についても何一つ語っていない。ユカリから聞いたのか? 恐らくそうだろうが、だとしても、どうしてそこまでピタリと言い当てられる?
……こいつ、完全にゼロの状態からたった数時間の推理で、極秘中の極秘事項まで辿り着きやがったのか?
「思考を読んだわけじゃないよ」
心臓がまた一つ大きく跳ねた。たった今その可能性を懸念しようとした、まさにその瞬間だったからだ。
「マスターから、色々聞いてみて、シルビアさんとか使用人さんとかから、色々聞いて、それで、推理したよ。当たってた?」
ウィンフィルドはお茶目に微笑んで「どう?」と首を傾げる。男か女か知らんが、素直に可愛いと感じた。
「……当たってる。でも99点だ。女公爵からの手紙にはご丁寧に信用できる人間のリストまで書いてあった」
「あー、そっかー。あー……」
そっちもかー、と少し落ち込んだ様子を見せる。どうせなら100点取りたかったのだろうが、俺としてはこの半日で洗脳魔術の習得方法まで辿り着けただけでもう120点だと思う。
「そんで本題は?」
「あ、うん。優先順位を発表するね」
「俺の?」
「そうだよ。第二王子を勝たせればいいん……だよね?」
「ああ……あ? キャスタル王国がマルベル帝国の属国になったらマズい、よな?」
「んー、きっと、なるようになるよ?」
「んん?」
なんとなく話が噛み合っていない気がする。
「キャスタル王国はこのまま行けばマルベル帝国に支配されるだろ?」
「うん」
「ヤバくない?」
「そこまで、酷いことにはならない、と思う。刃向かわなければ、だけど」
「……なるほど」
大人しくしていれば血は流れないということか。
「だが王族は殺されるだろ?」
「帝国には殺されない、けど、このままだと、第一王子派が第二王子派をやっちゃうよ。従属国になった後にどっちが治めるんだーって、水面下でこっそり争うの」
「あー、そうなるのか」
帝国は工作員を使って無血開城させようとしているわけだな。思ったより真面だった。真面じゃないのは第一王子派か……。
「しかし帝国は武闘派のイメージがあったんだけどなぁ。意外と政略的なんだな」
「多分、帝国は、刃向かう国には、徹底的に容赦しないんじゃない? だから武闘派、なのかもね。まだ情報が少ないから、なんとも言えない、けど」
特にこれといった返事を期待した呟きではなかったのだが、バッチリと腑に落ちる答えが返ってきて面食らった。頭の良いやつは喋り方がつっかえつっかえで遅くても会話そのものは上手いのか、こりゃ恐れ入ったわ。
「ん、分かった。王国を存続させて第二王子を助けるか、帝国の従属国になって第二王子を助けるか、どっち、ってこと?」
「そうそう、そういうこと。俺としてはキャスタル王国が残る方がありがたい」
「えっと、どうして?」
「タイトル戦が以前と変わらずに行われるだろうからな」
「あー。そっか、そうだね」
タイトル戦はここキャスタル王国の王都ヴィンストンで行われる。もしキャスタル王国がマルベル帝国の従属国となった場合、タイトル戦の開催場所が変更されるかもしれないし、ルールにも何らかの変更が出るかもしれない。下手したらタイトル戦がなくなるかもしれないのだ。
俺の目標「誰もが認める世界一位」となるためには、なるべく多くのタイトル戦に出場して大量のタイトルを獲得しておきたい。ゆえにタイトル戦がなくなっては少々困ってしまう。
「うん、じゃあ、その方向で行こっか」
ウィンフィルドは「そっちに変更」といった風に指を動かしながらそう言った。
あれ? じゃあ元は帝国の従属国になる方向で戦略を練っていたということか? ってことはキャスタル王国を存続させつつマインを助けるのは、もしかして難しい……?
「あ、大丈夫、だよ。セカンドさんなら、上手くいかない方が、難しい、かも」
またしても俺の思考をズバリと当てやがる。ただそんな異常な頭脳の精霊さんが大丈夫だと言っているんだ、こりゃ大丈夫に違いない。
「俺なら上手くいくってのは、どういう意味だ?」
「んー……正直ね、あの……私、すっごく、興奮してるの」
「……はっ?」
興奮? どうしてまた急に?
「あのね、私、精霊のくせにチョー弱いの。お父さんとお母さんから、水と土を半分ずつ受け継いで、それで、どうなったかっていうと、出せる力も半分ずつなの」
アンゴルモアが言っていたな。水も土も中途半端の出来損ない、と。
「けっこー珍しいんだよ、私みたいなの。混精っていうんだ。私は数少ない混精の中でも、とりわけダメダメで、だから大王様に拾われたの」
「だから?」
「大王様って、その、性格が、最悪でしょ? 当て付けなんだって」
「うわぁ……」
あいつの性格の悪さは共通認識なのか。というかあいつ精霊界でもあんな性格なのかよ。絶対友達いないだろうな。しかも当て付けって、つまり「斯様に弱っちい混精が我の代官であるぞ!」とかいって他の精霊に嫌味を言いまくるってことだろ? うわぁ……うわぁ。
「話を戻すね。それで、私、弱いし、大王様の代官だし、軍師だし……絶対、召喚されても応じられないなって、思ってたの。でも、今日、召喚してくれた」
「なるほど。それで興奮、と」
「うん。でも、理由はそれだけじゃないよ。セカンドさんも、理由」
「俺か?」
「うん……ふふっ」
「どうした?」
「ふふふふっ!」
ウィンフィルドは口元に手をやって笑みを隠す。そして、何がそんなに面白いのか、くすくすと笑いながら口を開いた。
「こんなに強い駒、私、初めて」
背筋を寒気が走る。
何気ない一言だったが、その迫力は凄まじいものがあった。
――駒。ウィンフィルドは、俺を“駒”だと思っている。それはつまり。これから繰り広げられるであろう政争は、ウィンフィルドにとっては将棋やチェスのような“遊戯”なのだろう。
なんだそれは。とんでもない奴だ。こんな奴に任せていられるか……と。そう考えて然るべきかもしれない。
だが。
俺は、真逆の感想を抱いた。ウィンフィルド、こいつは信頼できる――と。
何故なら、他でもないこの俺が、この世界を“遊戯”だと、そう思っているから。否、そうとしか思えないから。
……分かる。ウィンフィルドの感覚がまるで自分のことのように分かる。お前もそうなんだろう? 遊戯としか思えないんだろう? そして俺にその影を見たんだ。だからあえて俺の目の前で俺を駒だと言った。違うか?
「ははははっ!」
俺の心の中での問いかけは、ウィンフィルドの破顔によって肯定された。
思わず、笑ってしまう。俺とこいつは似ている。それがこんなに面白く、そして嬉しいとは。今、俺とウィンフィルドの気持ちは一つに重なっているのだ。
「ふふふっ!」
「はは、ははは!」
こんなもの、笑わずにはいられない。
さて。
ひとしきり笑い合った後、俺たちはふと我に返って思い出した。そういえば話の途中だったと。
「優先順位だっけ?」
「うん。まず、洗脳魔術。次に、第二王子」
「ちょっと待て。洗脳魔術の習得方法を共有しよう」
「そうだね」
俺は女公爵からの手紙をインベントリから取り出し、その内容を簡潔に伝えた。
「えーと……暗殺術を持つ奴隷から攻撃を300回受ける、ってのが習得条件だな」
「あ、じゃあ、今日中に覚えられる、ね。明日の午後に、第二王子を訪ねよっか」
「待て待てーい。今日中っつったか今? ってか、ほら、おかしいだろこれ。奴隷から攻撃を受けるって矛盾してんじゃねえか」
奴隷は主人に対して攻撃行動を取ることができない。だからといってユカリのように脱獄させてしまえば、それはもう奴隷ではなくなるため条件を満たすことができない。
俺が考えられる方法は一つだけあった。俺以外の誰かに【暗殺術】を持つ奴隷を隷属させて、俺を攻撃させるというもの。しかし、そもそもユカリのように【暗殺術】を持つ奴隷など余程のワケアリでない限りはいやしない。じゃあってんで奴隷に【暗殺術】を覚えさせようにも、その習得条件の一つとしてPKすなわち“人間を殺す”ことが必要となってくるため、どうにも気が進まない。ゆえに、俺は「面倒臭い」と言い訳して洗脳魔術の習得を後回しにしていた。
それが、何だって? 今日中に覚えられる? マジかよ! ウィンフィルド様様ですわ。
「えっとね、マスターの部下に、イヴさんっていう、暗殺術を使える子がいるから」
「うおっ、皆まで言うな! 分かったぞ!」
ウィンフィルドが何故ユカリの部下のスキルのことまで既に把握しているのかはさて置いて、洗脳魔術の簡単な習得方法が分かった。
「ユカリが桂馬糸操術でそのイヴとやらを操って、俺を攻撃させればいいんだな?」
「そだよー、正解」
よっしゃ。【糸操術】の中でも《桂馬糸操術》を使えば、一定時間人間を人形として操ることができる。このスキルを利用してユカリにイヴを操らせれば、イヴは恐らくユカリの装備の一部として扱われ、隷属契約に関係なく攻撃が可能となるのだろう。自分で答えを出しておいて思うが、なんつー抜け道だぁこりゃあ。
しっかし、ウィンフィルドは俺が習得条件を明かした瞬間にこの方法を思い付いたんだろ? ……頭おかしいんじゃないの?
「じゃあ、覚えに行こっか」
俺たちはバルコニーを後にして、使用人用の豪邸へと向かった。
ユカリから「そのまま湖畔の家でお待ちくだしあ!」と焦ったような連絡が来たが「散歩がてら使用人の様子を見る」と返して断っておいた。そう、使用人が大勢増えたらしい。仮にも主人なのだから一度くらい顔を出さないとなあと思った次第である。
すっかり秋めいてきた道をウィンフィルドと二人で歩く。我が家の敷地の中だというのにこれほど歩かないといけないのは如何なものかと思うが、しかしこの紅葉した木々の風情ある景色は「買って良かった」としみじみ思わせてくれる。
「精霊に性別ってあんの?」
のんびり歩いている途中、ふと気になったので聞いてみた。
「あるよ。というか、自由に決められるよ。ちなみに私は女」
マジか。自由に決められんのかよ。つまりアンゴルモアはまだ決めてないってわけね。
「あのね、さっき、女に決めたんだ」
「へぇ。そりゃまたなんで?」
「ふふっ、秘密」
ウィンフィルドは意味深に微笑んで、人差し指を口に当てる。
少し、ドキッとした。
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