閑話 メイドのお話
< エルとエス >
万能メイド隊『十傑』――メイド長ユカリ直下の十人は、畏敬の念とともにそう呼ばれている。
今や十人それぞれが十人以上のメイドを部下に持つ立派な“鬼隊長”だが、彼女たちも元はユカリを隊長とする“新米”であった。
……と、現在の新米メイドの誰かにそう言ったとすれば、そのメイドはきっとこう答えるだろう。「有り得ないこと言ってないで仕事しなさい」と。
十傑にはエルとエスという赤毛の姉妹がいる。エルが16歳の姉、エスが15歳の妹である。エルは少しクセのあるセミロングで、性格はがさつで男勝り。エスはサイドポニーで、柔和な女の子らしい女の子。名前も見た目もよく似ているが、性格は正反対であった。
この二人を知らないメイドなど、ファーステスト家には存在しない。何故なら実に覚えやすいからだ。太陽と月、火炎と流水、凸と凹……色々と言われているが、とにかくまあキャラの濃い姉妹である。
そんな二人の特徴は、主に彼女らの部隊へと顕著に現れていた。
姉率いる『エル隊』はというと、万能メイド隊随一の“武闘派”として知られている。元より戦闘技能の高い者ばかりがここに集められ、精根尽き果てるまでしごかれるのである。ゆえに、新米メイドたちには恐れられていた。「あそこに入ったらしんどいぞ」と。逆に「気合の入ったやつ」は、このエル隊へと自ら志願する。エル隊であるということは、猛者であるということの証明なのだ。結果、周囲には色々な意味で一目置かれることとなる。
一方で妹率いる『エス隊』は、万能メイド隊で最も“正統派”だと言われている。この隊では皆“万能メイド”と呼ばれるに相応しいレベルを超えるまでありとあらゆる技能を日々磨き続けている。給仕から始まり掃除や洗濯は当然、服飾に語学に護身術、果ては経営学まで。一見して広く浅くと捉えられがちだが、とんでもない。広く深く、どこまでも広く、どこまでも深く。付いてこれないメイドは早々に切り捨てられる。そういった意味では、エス隊は厳選された“エリート集団”と言っても過言ではないだろう。
と、このように。それぞれの隊にそれぞれの特色がある。
だが、何も最初から色が出ているわけではない。長い時間を共に過ごしていく中で、隊長の性格や信念がじわりじわりと影響を及ぼすのだ。
要は、誰の背中を見て育つか。彼女たちはまるで親と子のような関係であった。
「おい。てめぇ、オレのカチューシャ盗んだよな?」
ある日のこと。エル隊所属のメイド「モモ」が、食堂で一人のメイドの胸ぐらを掴んでそう言った。その一人称や口調からも分かるように、筋金入りの荒くれ者として新米の間でも有名なメイドである。180センチある身長はただ黙って立っているだけでも相当に威圧的で、良くも悪くも目立っていた。
「あら、何のことでしょうか。全くもって存じ上げませんわ」
対するメイドはエス隊所属の「マリーナ」、本人曰く“エリート”だそう。少々プライドの高いメイドであった。
「嘘つくんじゃねぇよ! お前が盗んだんだよ!」
「どうして私だとお思いなのですか? 証拠もないのに」
「はっ! オレはてめぇが盗むところを見てんだ!」
「ですから、証拠は? それをどうやって証明するんです?」
「証拠って、この目で……」
「そんな、証拠もなしに一方的に盗むところを見ただなんて言われても困ってしまいますわ。エス様が再三仰っていたではないですか、証拠の確保が重要ですと。ねぇ? 皆さん」
マリーナは周囲に問いかけ同調を求めた。確かにマリーナの言う通りであったため、彼女と親交のあるメイドたちは何の疑いもなく頷く。一転して、モモの方がまるで悪者のような雰囲気と化してしまった。
「……でも、オレは見たんだ」
「はぁ、一体何度言えば理解していただけるのでしょうね? 時間の無駄ですわ。最後にもう一度だけ言います。証拠もないのに疑わないでいただけます?」
「…………くそっ」
モモは悔しそうな顔で、マリーナを掴んでいた手を離す。マリーナは胸元を汚らわしそうに払ってから口を開いた。
「そんな低脳でよくメイドが務まりますわね? ああ。そういえば貴女、あのメイドらしくもない所の……嫌だわ、汗の臭いが移ってしまいそう」
くすくすと馬鹿にしたように笑う。モモは何も言い返せず、ただ拳を握った。それに気を良くしたのか、マリーナは更に続ける。
「いいですこと? 私たちはいずれ世界一位となられる偉大なお方に仕えるメイド。誇り高きファーステスト家の名に恥じぬメイドでなくてはならないのです。それが何ですか。貴女のいる部隊、まるで傭兵ではなくて? それでメイドと言うには無理があるというものでしょう。そうね、カチューシャもないままの方がいいですわ。きっと頭突きがし易いですもの」
「てめぇ……!」
あまりにも言葉が過ぎた。自分だけでなく仲間や隊長さえ馬鹿にされたモモは怒りを抑えきれず、思わず手を出そうとする。
「暴力を振るうのですか? どうぞやってご覧なさい。それこそメイド失格ですわ」
マリーナはモモが殴れないのを良いことに、挑発を続ける。
――そこへ、意外な人物がやってきた。
「おう、どうしたモモ。殴っていいぞ」
「た、隊長!?」
十傑のエルだった。今は新米の食事時間、ゆえにここに隊長クラスはいない筈だったのだ。しかしエルが姿を現した。食堂は騒然とする。
「な、何故ここにエル様が……?」
「あら、私もいますよマリーナ。ほら、手を後ろで持っていてあげる」
「え、エス様っ!?」
妹のエスまで現れた。マリーナは顔面を蒼白にする。自身の隊長によって、身動きを取れなくされてしまったからだ。それはすなわち、今までの悪行を隊長姉妹に全て知られてしまったということ。
「おら、さっさと殴れ。気が済むまでな」
「どうぞ、モモさん。お好きなように」
エルとエスは微笑みながらそんなことを言う。
モモはマリーナへと向き直った。マリーナは目を潤ませて、ガクガクと震えている。まさに絶望の表情だった。それもそうだろう。今まで歩んできたエリート街道が、一瞬にして地獄道と化したのだから。
「……すんません。オレ、殴れません」
暫しの逡巡の後、頭を下げるモモ。証拠を用意できなかった自分にも少なからず非があると、そう思ってしまった。それに、無抵抗で泣いている相手を殴れるような鍛え方はしていなかった。
「そうか。歯ぁ食いしばれ」
エルは優しげな微笑みを浮かべて、そう言った。
直後――モモを鉄拳が襲う。
「っぐぇ! ぁがっ! っぶ!」
抉るようなレバーブロー。体勢を崩したところで顔面に肘が入る。ガクリと膝をつくと、その鳩尾に爪先がめり込んだ。
誰もが「やり過ぎだ」と思ったが、止めに入るメイドは一人もいない。
180センチの大女を160センチもない16歳の女が一方的に蹂躙する。これがかの武闘派『エル隊』の隊長かと、新米全員が震えあがった。
「証拠もねぇのに人を疑うのは最低な野郎のすることだ。胆に銘じとけ」
「は……はい……隊長……っ」
モモは鼻から血を流し、蹲ったまま返事をする。
「次はきっちり証拠揃えて追い詰めろ。そしたらスッキリ殴れるぜ」
「……はいっ……」
エルは他の部下に「部屋に連れてってやれ」と指示を出し、担がれ運ばれていくモモを見送った。
「…………」
エスは、そんな姉の教育の様子を温かい目で見守っていた。
そう遠くない過去。身に覚えのない罪を着せられ村八分になり、奴隷へと落ちた姉妹――それが彼女たちであることは、ごく一部の者しか知らない。
今はこの上なく幸せな日々を過ごしている。だが、姉妹から冤罪の痛みが消えることは、恐らく一生ないだろう。ゆえに、人を疑うということへの嫌悪感が拭えない。
ただそれは翻ってみれば、身に染みて対策を理解しているということでもある。エルとエスは「無罪も有罪も等しく証拠が必要」ということをよく知っていた。
だからこそ、二人は誰よりも“証拠”にこだわる。せめて自分たちの目の届く場所では、敬愛する主人の住むこの家の中では、冤罪は絶対に許さないと。常日頃から、十分に心がけていたはずだった。部下たちもそんな彼女たちの背中を見て育っていたはずだった。
「さて、マリーナ」
「……ひっ」
だが、中には例外というものがある。
証拠を逆手にとって煙に巻くなど言語道断。
エスは動かぬ証拠であるモモのカチューシャを当然とばかりに取り出し、ヒラヒラとさせながらマリーナの瞳を覗き込んだ。
天網恢恢疎にして漏らさず。ファーステストの太陽と月の名のもとに、彼女たちは厳正なる裁きを行うのである。
「再教育です。私はエル姉ほど厳しくないので、心配せずとも大丈夫ですよ」
そして、にっこりと笑う。マリーナは底知れぬ恐怖を感じ、ぶわっと冷や汗をかいた。
……その後。数日経って、まるで別人のようになったマリーナが現場へと復帰する。一体どのような教育を施したらあそこまで人となりが変わるんだとメイドたちの間で俄かに話題となり、もしかして姉より妹の方が怖いんじゃないかとしばらく噂されていた。
< イヴ >
万能メイド隊には「十傑の中で一番ヤバイ」とメイドたちの間で噂されている“白い悪魔”と呼ばれるメイドが存在する。
ユカリ直下の十人のうちの一人、イヴという名前の少女である。
いつ如何なる時も無口かつ無表情、まるで人形のようだった。その人間離れした美貌と相まって、一部では「操り暗殺人形」と呼ばれていたりもする。
そう、彼女は万能メイド隊が誇る一流の“暗殺者”であった。
泣く子も黙るのが『エル隊』であったとすれば、泣く子が物理的に黙るのが『イヴ隊』である。
それも……音もなく、誰も気付かぬ間に、一瞬で。そして、痕跡も、死体も、永久に見つかることはない。
そのように、イヴ隊はエル隊とはまた違った意味で一目置かれていた。その隊長こそが白い悪魔イヴその人なのである。
メイド長のユカリを除き、メイドの中で一番強いのは誰かと道行くメイドに問うてみれば、十人中九人がこう答えるだろう――「それはイヴ様でしょう」と。
それほどに畏怖される存在。
今回は、そんな彼女に焦点を合わせてみる。
悪魔憑き――それが私のあだ名だった。
友達はいない。知り合いもいない。会話するのはパパとママだけ。
いつも家に閉じこもっていた。その方が良いって、パパもママもそう言っていた。
それでも、外から聞こえてくる。私を呼ぶ声が。叫び声が。「出ていけ悪魔憑き」――と。
あの日の夜。パパとママは、外に出ようと私を誘った。初めてのことで、私は戸惑った。でも、二人はいつもの笑顔だったから。私は少し嬉しくなって、二人に付いていった。
村人全員が私たちに罵声を浴びせる中、私は馬車へと乗せられた。
二人は付いてこない。小太りのおじさんから、何かを受け取っていた。見たこともない笑顔だった。
馬車が出発する。罵声は止まない。パパとママは向こう側にいる。ああ、そうか。私は気付いた。売り払われたのだと。
裏切られた? そうかもしれない。悲しかった? 多分そう。
でも。その時の私には、よく分からなかった。
後になって分かったこと。
私は他の人と違う。肌が白い。髪も白い。目は赤い。それはとても怖いことらしい。まるで悪魔みたいに。
後になって分かったこと。
パパもママも、私と距離を置いていた。必要以上のことは喋らないし、いつも事務的で、ぎこちない愛想笑い。二人が唯一会話する相手だったから、それが当たり前だと思っていた。変なの。
後になって分かったこと。
今年で17歳。ご主人様と同い年。私の人生は、どうやらこれから始まるようだった。
「1.事前調査。2.スピード。3.死体処理。暗殺の出来はこの3ステップで決まります」
どうもイヴです。今日はユカリ様による暗殺講義、私はこれで19回目の受講だよ。もちろん皆勤賞。今回は初参加が多いから復習みたい。私は目が悪いので、一番前の席に座ってます。
出席者は十傑全員と、他には私の隊の子が全員、見たことない顔の子が数人。皆、すごく集中して聞いてるなぁ。
「調査は根気との勝負です。空気に溶け込み、決して目立たず、誰にも顔を覚えられることなく、対象の情報を根こそぎ収集します。これには向き不向きがあるでしょう。私などはダークエルフですので向いていません」
そう、私も向いていない。だって真っ白だもん。
「暗殺のスピードは技術と経験です。音もなく声も出させず一瞬で確実に殺す。これには暗殺術や糸操術などのスキルを用いると良いでしょう。ポイントは気負わないことです。玉ねぎを半分にするように、ニンニクを包丁の腹で潰すように。出来て当然のことを当然に淡々とやりなさい」
ユカリ様、お腹すいてるのかな……?
「死体処理は、組織立って行うことが理想です。数人で協力して、埋める、刻む、焼くなど。計画を立てて確実に遂行しなければなりません。そして必ず敷地の外で、誰にも勘付かれずに行いなさい。ご主人様にご迷惑をかけるようなことはこの私が許しません。また死体処理が必要のない場合は、その場から早々に去ることを心掛けなさい」
久しぶりに聞いた基礎。うんうん、やっぱり一番重要なのは――
「以上の3点が暗殺の基礎ですが、最も重要なことは事前調査です。ターゲットの選別、行動パターン、侵入ルート、逃走ルート、人の出入り、人気のなくなる時間、無防備なタイミング、有効な暗殺方法、死体処理の方法。全てが調査にかかっています」
うん、事前調査。私はできないから、いつも皆に頼みっぱなしで申し訳ないなと思う。それに、暗殺のお仕事はまだ動き出してないから、今のところ私だけ仕事をしていないことになる。私が浮いてるのって、もしかしてこれが原因なのかも?
「……現在、王都の方々で怪しい動きがあることは皆知っていますね? これからは更に調査へと力を入れ、多くの情報を集める必要があります。そのためにも貴女たちには調査について学んでいただかなければなりません」
ほらー、もっと浮いちゃいそうな流れになってきた。
ユカリ様は「イヴ以外の十人は解散、イヴは待機していなさい」と指示を出してから、残りのメイドたちを集めて事前調査についての訓練方法を指導し始める。あーあ、また私だけ残されちゃった。
「イヴも大変だなぁ。あたしが暗殺の才能ねーからよ、あたしの分も頑張ってんだもんな。すまんすまん、ハハハ」
しょぼーんとしていたら、エルさんが話しかけてきてくれた。冗談を言っているんだと分かる。嬉しい!
「ぁ……うん……ぇ、っと……ん、ばる」
「あん? わりぃ、何だって? 全然聞こえねぇ」
「……ぁ……ぁうぅ……」
「こら! エル姉、イヴさんをいじめない!」
「はぁ!? いじめてねーよ!」
「言い訳しない! 行くよ!」
…………ああ、またやってしまった……。
皆と仲良くしたいけど、いつもこうなっちゃう。だってこの歳までパパとママ以外の人と会話したことなんてなかったんだもん。困ったもんだぁ……。
声がすごく小さいから何度も聞き返されるし、無口だなって勘違いされちゃうし、自分から話しかけるなんて絶対無理だし、笑おうとしても顔が引きつっちゃう。はぁ……どうせ私は内気で引っ込み思案で無口で無表情な白い悪魔の操り暗殺人形ですよ、ええ。
こんなのじゃ、いつまで経っても友達なんて無理なのでは? と、いうかっ! ご主人様とお話しするなんて、一生かかっても無理なのでは!? ひえぇ……。
「イヴ。こちらへ」
「……は、ぃ」
ユカリ様の声で我に返った私は、俯きながら返事をして後を付いていった。
向かう先はお庭。ユカリ様はいつもここで私に【糸操術】の運用法を教えてくださる。私だけ調査に行けないんだもん、仕方ないよね。
「落ち込むことはありませんよ。貴女は私が見てきた中で二番目に素晴らしい糸操術の使い手です。自信を持ちなさい」
「は、はい……」
やったやった~、ユカリ様に褒めてもらえた。小っちゃい頃から座敷牢でずーっと糸ばっかりいじってて良かったぁ。
ああ、でも私より上手い人がいるんだなぁ……やっぱりユカリ様かな?
「一番目が気になるという顔をしていますね」
「ぇ……いぇ」
「最も素晴らしいのはご主人様ですよ。まだ覚えていらっしゃらないと思いますが、見なくとも分かります」
わぁ、確かにそうかも! ユカリ様は冗談が上手いなぁ。それにご主人様のことをお話しする時は、なんだかちょっぴり幸せそう。こっちまで温かい気持ちになってくるかも。思わず笑っちゃうね!
「え、へ……ひゅへへぇっ……」
「…………そんなにつまらなかったですか、そうですか」
あ、あれ? そんなことないですよ? 面白かったですよ?
「今日の訓練は覚悟していてくださいね、イヴ」
「……ふぇぇ……!」
お読みいただき、ありがとうございます。
次回も閑話です。