59 根性(後編)
「私とお手合わせ願いたく存じます」
セカンド様へ向けて発せられた私の声は、微かに震えていたと思う。
未だ記憶に新しい今朝のこと。主人との初の対面に私があれほど硬直してしまうとは考えもしなかった。相手がそこいらの貴族などであれば話は別である。扉を開き対面したお方が他ならぬセカンド様であったからこそ、私は極度に緊張したのだ。
さて。我が人生においてあれほどの緊張はもうないと思っていたが……早くも、それ以上のものがやってきたようである。
しかし、この好機を逃すわけにはいかない。
この私を掃き溜めから拾い上げ、人間らしい生活を与えてくださった大恩あるこのお方に、縋るよりない悔しさ。ただ四の五の言っていられる状況ではないことも確かであった。
「覚悟を決めて相談しろ」と、セカンド様はあの時そう仰った。
ああ、何と慈悲深き、そして器の大きなお方。私はこのお方の元に来れて良かったと心からそう思った。
私は応えなければならない。私なりに覚悟を決めて、立ち向かわなければならない。これは天より与えられし幸運なる巡り逢わせ。何としてでもこの手に掴み取らなければ。
「方法といたしましては、こちらに対局冠を用意してございます。これを用いまして――」
「いいなぁ、お前」
ゾクリ――と、私の背中を冷たいものが走った。
セカンド様は笑みを浮かべていらっしゃる。とても楽しそうに。まるで玩具を見つけた子供のようだと私は思った。
「キュベロ。俺はな、お前みたいな気合の入ったやつは好きだ」
「……光栄です」
耳から入ってくるセカンド様の美しいお声は、まるで麻薬のように私の頭の中を掻き乱す。
……臆するな。呑まれるな。ここで覚悟を見せられなければ、私の宿願は叶わない。
「それでは、対局を受けていただけるのですね?」
「ああ、勿論だ」
セカンド様はそう言うと、私の持つ対局冠を取るためこちらへ一歩踏み出した。いけない。主人を歩かせるなど従者として失格である。私は慌ててセカンド様へと駆け寄り、寸前――
――不意に、躓いた。
砂利に足を取られたか。否。何かが足に引っかかった。この場には他に誰もいない筈。まさか、セカンド様が? でも一体どうして。
私はなす術なく前方へと倒れた。このままではセカンド様にぶつかってしまう。私は何とか躱そうと体を捻ったが、むなしい抵抗であった。
そして、セカンド様の胸へと思い切り頭突きをしてしまった。
私を抱きとめてくださるセカンド様。思わず顔に血が集まり、急いで体を離した。
「し、失礼をいたしっ――!」
…………ふと、気付く。
私は奴隷。故意ではないとはいえ、主人へと害を与えるような行為はできないはず。しかし、今、“思い切り”頭突きをしてしまった。できない筈のことをしてしまったのだ。これは一体……?
「気付いたか。やはり優秀だな」
セカンド様は微笑んでおられる。すなわち、この不思議な現象はセカンド様によるものということ。そこまでは分かるのだが、今の行為にどのような意味があったのか、いくら考えても分からない。私は恥じ入りながら口を開いた。
「何をなされたのです?」
「脱獄という。たった今、お前は奴隷ではなくなった」
「――っ!?」
驚愕……いや、そのような言葉では生ぬるいほどの衝撃が私を襲った。
隷属契約を解除したと仰るのか!? この一瞬で!
確かにそういった技法があることは知っている。だが一瞬で可能な方法など見たことも聞いたこともない。
そして、何よりも疑問なことが一つある。それは、
「な、何故!?」
どうして今、私を奴隷から解放したのか。
セカンド様にとってそれはリスクでしかない。もし私が反逆を企てていたとすれば、この瞬間に斬りかかっても――
「対局なんてつまらないだろうが。これで心置きなくやり合える」
………………。
いや、どうやら私は勘違いをしていたようである。
セカンド様にとって、このファーステスト家にいる使用人の戦力など眼中にないのだ。ただ「生身で殴り合いたい」という理由だけで隷属契約をニヤつきながら解除する程度には。
……次元が違う。見ている場所が違う。私は戦いを前にして、既に敗北していることを悟った。
「ははは」
思わず乾いた笑いが出てしまった。このお方は、私の主人は、まごうことなき――“強者”。
「いいぞいいぞ~。リラックスしていけ。戦いはもう始まっているからな」
「失礼。執事として一つ言わせていただきますが、今後はこのような軽率な隷属契約の解除はお控えいただきたく存じます。もし私が裏切者ならば、セカンド様はいらぬリスクを抱えることになるのですよ」
「裏切られたら、俺はそれまでの男だったということだな。俺はお前を気に入ったんだ。だから脱獄させた。誰にも文句は言わせない。それに、裏切者がそのような説教をするか?」
「……後悔することになりますよ」
なんと格好の良い、そして温かい言葉であろうか。私はこみ上げる憧憬と歓喜の涙を我慢して、セカンド様と間合いをとり――“拳”を構えた。
私の用いる主なスキルは【体術】。特に《桂馬体術》初段と《銀将体術》三段は“チーム”の中でも随一の鋭さを持つ。この両の拳のお陰で、どうしようもない浮浪児だった私に今があるのだ。
24年間常に共にあり、このキュベロをここまで至らせた頼りの愛拳を一発でもセカンド様へと叩き込む。それが私の示す覚悟だ。徹底抗戦の覚悟だ。我が命を賭してでも成さんと欲す宿願への覚悟だ。
私はグッと拳を握りしめ、視線を前へと向ける。対するセカンド様は……“棒立ち”であった。だらりと両腕を垂らし、ぼけっとした目でこちらをご覧になっている。
「……構えないのですか?」
「ああ。逆にキュベロ、お前は硬すぎる。昼間も言ったが、そう硬くなるな。自然体だ自然体。このまま睨み合いが何時間も続いたらどうする? 勝敗は見えているぞ。なぁ?」
「アドバイスを感謝します……が、あまり舐めない方がよろしいかと」
じりじりと間合いを詰めながら、私は挑発の意味も込めてそう言った。相手のスキルが未知数な現状、先手を取らせるのが戦いの常道。その作戦は、間違っていなかった。だが……相手が悪かったと、直後に思い知る。
「あまり俺を舐めさせるなって言ってんだ」
優しげだったセカンド様の態度が急変する。
瞬間――私は、全身を震えあがらせ、完全に戦意を手放した。
身に覚えがある。幾度も修羅場を潜ったからこそ分かる。これは本物の“殺意”だ。つまり、セカンド様は、私を本気で殺そうと……
「――っぐぅ!!」
私の頬にセカンド様の拳がめり込んだ。それが何のスキルかも分からないまま、私は遠く吹き飛ばされる。
地面に叩きつけられ、恐らくバウンドし、数メートルは砂利の上を転がされた。頬が、顎が、頭が、全身が痛い。なんと、なんとお強い……。
……遠くから、ジャリジャリと足音が近付いてくる。未だ立てずにいる情けのない私にトドメを刺しにいらっしゃった。ああ、見捨てられる。覚悟のないやつだと失望される。でも……敵うわけがない。いくら作戦を立てようと、どんなスキルを使おうと、勝てるわけがない。
私は、幼子に戻ったような気持ちで、ただひたすらにこう思った。
怖い――と。
「馬鹿が。立て。根性見せろ。殺すつもりで来い」
…………。
な、何を……仰って……?
「お前はそんなもんなのか? おい、キュベロ。違うだろ? ここで踏ん張らずにいつ踏ん張るんだ?」
……違う。
ああ、違う!
そうです、違うのですッ!
理由が何だ! 作戦が何だ! スキルが何だ!
くそっ、私は馬鹿だ! 全くもって違ったではないか!
セカンド様は、まだ私を見捨ててなどいなかった!
ここで踏ん張らずにいつ踏ん張る!
ここで踏ん張らずにいつ踏ん張る!
ここで踏ん張らずにいつ踏ん張る!
「う゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
私は涙を止める術を失った。滂沱たる涙が傷口に染み、私に活を入れる。
――立て、と。何としても立てと。私の覚悟を示すんだ。ここで死んだっていい。後のことはセカンド様が何とかしてくれる。そう約束してくれた。だから私は安心してその胸を借りれば良いのだ。諦めてなるものか。根性だ。全てを賭けろ。死ぬ気で立て――ッ!
「……っ……ふぅっ……!」
気力を振り絞り、私は立ち上がった。立ち上がれた。
ズキズキと痛む頭を上げ、セカンド様を見やる。
……やはり、怖い。途轍もなく恐ろしい。
だが、それがどうしたというのか。
私は朦朧とする意識の中、スキルの一つすら準備せず、そのままセカンド様へと殴りかかる。
私の拳がセカンド様の掌に受け止められた瞬間、耳にした言葉を最後に、私の意識は暗転した。
「お前、最高だな」
* * *
「……ここは」
「目を覚ましたか」
明け方。
俺のベッドに寝かしていたキュベロがようやく意識を取り戻した。
「ポーション飲むか?」
「っ……いえ、やめておきます」
ポーションを渡そうとすると、キュベロは痛々しく切れた口の端を庇いながらはにかんだように笑った。「しばらくこの傷と共にありたいのです」とそう言って。
俺はちょっと何言ってるか分からなかったので「そうか」と一言、ポーションをインベントリに戻した。
暫し、沈黙が流れる。
先に口を開いたのはキュベロだった。
「ありがとうございました」
「何の感謝だそれは」
「私を拾い奴隷にしてくださったこと、でしょうか。私に機会を与えてくださったこと、でしょうか。私とお手合わせいただけたこと、でしょうか」
「でしょうか?」
「正直、私にもいまいち……ただ、何となく感謝を申し上げたかったのです」
「なんだそりゃあ」
こいつまだ脳が揺れてんじゃねえかと思い、キュベロの目を覗き込む。キュベロは1秒経って何故か頬を染めて視線を逸らした。えっ、何その反応。
「……セカンド様は、真にお強いお方です。痛いほどに思い知りました」
「だろうね」
「私、こう見えましても、体術には自信があったのですよ」
「へぇ。何かやってたの?」
「っ……ええ……」
そう質問すると、キュベロは返事をしながら苦悶の表情でベッドから起き上がり、姿勢を正して俺と正面から向かい合った。
まるで馬車での時のような思いつめた表情。これから痛ましい身の上を語るのだろうと、俺は何とはなしに察した。
「私は以前、R6(リームスマ・シックス)というチームの若頭を務めておりました」
「R6?」
「はい。王都周辺を拠点とする義賊です」
「……義賊、か」
悪人からしか盗まない正義の泥棒。強者から奪い、弱者へと与える。騎士団には嫌われるが民衆からは支持される盗みの集団だ。まるで任侠だな。
ああ、そういえば王都を根城にする義賊について少し聞いたことがあった。アイソロイスへ行く前にユカリから報告を受けたような気がする。なんでも、王国一と謳われていた義賊がキャスタル王国騎士団によって跡形もなく潰された――とか。
「義賊、すなわち“盗み”のシノギは方々から恨みを買います。特に私腹を肥やしすぎた貴族などは真っ先に標的とされますから、躍起になって取り締まります。そして、それは王族であっても同じこと」
「キャスタル王国が直々に義賊の徹底弾圧に乗り出したというわけか」
「仰る通りです。第二第三騎士団の弾圧隊により、我らR6は僅か数カ月で壊滅寸前まで弱体化しました。しかし、これは後から分かったことですが……我らの壊滅は、ひとえに第一騎士団によるものであったと言えるでしょう」
「第一騎士団?」
おかしな話だ。第一騎士団は主に近衛を仕事としている筈。義賊を取り締まるのなら衛兵である第三騎士団か、軍である第二騎士団でなければ不自然だ。
絶対に理由がある。俺は直感した。あのクラウス第一王子が率いるド腐れ騎士団のことだ、何か碌でもない理由に違いない。
「……我らの親分リームスマは、自分の首と引き換えに“手打ち”とすることを望みました。子分には手を出さないでくれと頭を下げ、命を差し出したのです。その仲介に第一騎士団が出張ってきました。待ってましたとばかりに。そして、第二第三騎士団はその条件を呑んだ……筈でした」
「騙されたのか」
「ええ。その後わずか数日で第一騎士団を主とした義賊弾圧隊が組まれ、奇襲で何十人も殺されました。第一騎士団は中立の顔をして、陰で糸を引いていたのです」
「ひでぇな」
「若頭である私のために部下が何人も犠牲になり、そして、私は、モーリス商会へと……辿り着いた」
「……逃がしてくれたのか」
「……ええ」
キュベロは頷き、声を殺して泣いた。
悔しかったのだろう。悲しかったのだろう。無念……それに尽きる。この4ヶ月間、気が気ではなかった筈だ。どうにかして今も散り散りになり隠れて暮らす部下たちを助けてやりたいと考えているに違いない。若頭さえ生きていれば必ずや親分リームスマの意志は継がれ義賊『R6』は再生を果たすと、そう信じて死んでいった部下たちの為にも。
「仇を討ちたいのか」
「はい」
「部下を助けてやりたいのか」
「はいっ」
物事の是非は、置いておこう。ただ、こいつは、キュベロは、根性のあるやつだ。死んでも諦めない意地がある。絶対に立ち向かっていく気合がある。その覚悟を、これでもかというほど見せてくれた。じゃあ、今度は俺の番だろう。
「共に来い。俺が何とかしてやる」
「~っ……はいッ!」
男同士の約束だ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は閑話です。




