58 根性(前編)
長くなったので分割。
あっという間に日が暮れた。
ペホの町に着いた頃にはもう真っ暗、疲れがドッと出た俺は適当な宿屋に入りメシ食って風呂入ってさっさと寝た。
そして翌朝、と言っても体感9時半くらい。部屋をノックする音で目が覚めた。
「チッ……なに?」
舌打ち一発、ベッドから体を引っペがして立ち上がりドアを開けて応答する。
そこには執事服をピシッと着こなした中肉中背のイケメンが立っていた。
「セカンド様、お初にお目にかかります。この度ファーステスト家の執事と相成りましたキュベロと申します。以後お見知り置きを」
華麗に一礼。短くセットされた金髪がさらりと揺れる。微かに香水の良い匂いが漂った。キュベロが顔を上げると、その碧眼が俺を射抜く。さながら武闘家のような眼力だ。なんとなく「只者じゃねえな」と感じる。
……まあ、とりあえず分かった。うちの執事なのね、そりゃあいい。だが一つ聞き逃せない単語があったぞ。
「ちょっと待て、いつからうちはファーステスト家になったんだ?」
「ユカリ様からそう名乗るようにとご指示をいただいております」
「マジか」
聞いたような聞いてないような……なんせ4ヶ月間もヤリっぱなしだったから記憶があやふやだ。
ん? つーことはだよ。「セカンド・ファーステスト」が俺の対外的な名前となるわけだ。ほうほう。なるほど。ふーむ、悪くないんじゃない?
「ところでお前は何をしに来たんだ?」
「はい。お迎えに上がりました」
「執事がか?」
「セカンド様のためならば何処へでも参りましょう。ちなみに私は執事であると同時にセカンド様付きの従者でもあります」
「へぇー」
忙しそう……という小学生並みの感想が出る。
ああ、駄目だ眠くて頭が回らん。もう少し寝たい。だがチェックアウトの時間もあるし、どうするか――
「お疲れのところを起こしてしまい申し訳ございません。宿屋の方には話を通してありますので、もうしばらくお休みになっていただいて大丈夫です。あ、こちら、冷たい飲み物です。朝食はご起床に合わせて準備させていただきます。お部屋でお取りになられますか?」
「え? ああ、うん」
「左様でございますか。でしたら頃合を見てお持ちしますので、それまでごゆっくりなさってください。それでは失礼いたします」
「あ、はい」
……気が利くなぁー、キュベロ君。見たところ20代前半くらいか。しかしこの隅々まで行き届いた気遣い、まるで熟練の技のようであった。一体どんな訓練をしたら4ヶ月でこうなるんだ?
おっ、紅茶も冷たくて美味しい。よく分からないがきっと良い葉っぱを使ってるんだろう。漠然と高級そうな香りがする。
「おやすみぃー」
ドアの外にいるだろうキュベロに聞こえるように挨拶して、俺は大変良い気分で二度寝した。
昼前。そろそろ起きるかと思い始めた頃、ノックが響く。マジかよ。あいつエスパーなんじゃないか?
ドアを開けると案の定キュベロだった。彼の持ってきた朝食兼昼食は中々にボリューミーで美味しかった。一緒に食おうと誘ったが、キュベロは既に食べたらしく丁重に断られた。
「おし、じゃあチェックアウトを」
「先ほど済ませておきました」
「そうか。じゃあセブンステイオーを」
「部下を連れております、ご心配なさらず」
「それは助かるな。じゃあ帰りしなに食うおやつを」
「本日はチョコレートケーキとホットコーヒーをご用意しております」
「そうか……あー、なんか突然お前とトランプしながら帰りたくなってきたなぁ」
「光栄です。未開封のものをご用意しております」
「…………」
すげーわこいつ。仕事に全くそつがない。エスパーの上に完璧超人ときたか。
「やるな、キュベロ」
「勿体ないお言葉です」
褒めてやると、洗練された動作で頭を下げる。俺が部屋を出ると、斜め後ろを静かに付いてきた。宿の前に停めてあった馬車に乗り込むと、部下だろう男2人に幾つか指示を出してから俺の向かい側に座った。
馬車が静かに出発する。驚くべきことに揺れも音も予想の半分程度だった。きっとかなりの高級車なのだろう。
キュベロはピンと背筋を伸ばして座り、どこか気取ったような顔で俺の方を見ていた。俺の視線に気付くと、微笑みを浮かべて「如何なさいましたか?」と聞いてくる。「いや別に」と答えると、キュベロは「何かございましたらいつでもお申し付けください」と一礼した。
うーん、そつがない。そつがないんだが……どうも何かがおかしい。今朝、顔を合わせた瞬間からずっと。
何がおかしいのかは分からんが、どこか得も言えぬ違和感があるのだ。
何だろうかこれは。アンバランスというか、落ち着かないというか。んんー……?
いや駄目だ分からん。とりあえず王都まで4時間、暇つぶしにこいつを凝視して違和感の正体を探ろう。
「……???」
俺は困惑するキュベロを無視して、彼の全身をくまなく観察した。世が世ならパワハラ・セクハラ・ドラドラで満貫だが、一応こいつは俺の奴隷であるから訴えられるようなことはないだろう。ただ、あまり長いことストレスを感じさせてもかわいそうなので、程々にしておいてやることにする。
…………ん? 待てよ。ストレス?
俺はふと思い立ち、キュベロの口元や手元をよく観察した。
ああ……思った通りだった。唇は若干乾燥しているように見え、中指と人差し指は微かに震えている。
――彼は相当に“緊張”している。一体いつから。そりゃ今朝からだ。一体どうして。初日だからに決まってる。
しかし、それをおくびにも出さない。淡々と自分のできる最善の仕事をこなし、主人にいらぬ気がかりを与えぬようにと緊張という名の生理現象すら全て飲み干そうとしている。
意地だ。緊張なんて意識して止められるもんでもないだろうに、こいつは意地だけで限界まで抑え込んでいる。
ハハハ! 良い根性してる!
「ハハハハッ!」
「い、如何なさいましたか」
「キュベロ、お前、良いな。俺の好きなタイプだ」
「好きなっ……?」
あれ? ちょっと言葉のチョイスを間違えた気がする。
「待て。別にそういった意味ではないぞ。気に入ったということだ」
「それは、大変にありがたく存じます」
「まあ、そう硬くなるな。あー……そうだ、トランプでもするか」
「はい。畏まりました」
よく見りゃ動きが少しカクついている。それでもこれ程に仕事をこなすんだ、こいつはイケてるやつに違いない。まだまだぎこちないが、徐々に慣れていくことだろう。緊張が完全に解れてくる頃が楽しみである。
執事兼従者のキュベロ、か。なんとなく、長い付き合いになりそうだと感じる。できることなら友好的な関係を築きたい。
俺はキュベロからトランプを受け取り、封を切ってシャッフルしながらおもむろに口を開いた。
「お前もどうせ酷い過去があるんだろう。もし少しでも迷うことがあったら覚悟を決めて俺に相談しろ」
「……!」
「何とかしてやる」
何とかできることならな――と。余裕の笑みでそう言ってやった。あんこをテイムして気が大きくなっているゆえについつい出てしまったなんとも無責任な発言である。
ただ、この場で良い格好をしたかったんだ。根性を見せてくれたこいつの前で。
キュベロは目を見開いて呆けた顔を見せ……直後、ガバリと頭を下げた。膝より下に。限界まで。
「セカンド様のそのお言葉、このキュベロ一生忘れることはありませんッ」
そして、体を少し起こし顔だけ上げて俺と目を合わせる。熱さえ感じるようなその力強い眼光は、まさに覚悟を決めんとする男の目に思えた。
「今夜、寝静まった頃。ご相談にお伺いさせていただきとう存じます」
「……今夜か、分かった」
何か変な方向へ勘違いしていやしないかと一瞬だけ思ったが、キュベロの目を見てその考えを改めた。彼は、その目の端にほんの少しばかり涙を溜めていた。
意地で緊張を押し殺す男が、だ。絶対に泣くまいと踏ん張るに違いない男が、泣かずにはいられないワケがある。それが何を意味するか。俺も今夜を迎えるまでに、覚悟を決めねばならないだろう。
「さて、トランプしよう。スピードなんてどうだ?」
俺は涙に気付かぬ振りをして、2人分のトランプを配った。
「すぴ……すみません、何と」
「ハハ、教えてやる」
「かたじけのうございます」
それから王都に着くまでの間、無心でキュベロとトランプを続けた。
結構楽しかった。以上。
ようやっと自宅に帰還する。あぁ久々の我が家だと若干の感動すら覚えていたのだが、なんと案内された先は「東の豪邸」ではなく南西にある「ヴァニラ湖畔の豪邸」であった。ちょっぴり感動が薄れる。
そうか、思い出したぞ。どうやら「季節によって豪邸を移る」という俺のアイデアを採用したみたいだな。確かに、赤と黄に紅葉した木々と青く澄んだヴァニラ湖とのコントラストが風景画のようで美しい。ナイスチョイスと言わざるを得ない。
「ご主人様、お帰りなさいませ」
「ただいま、ユカリ。秋はここに暮らし――おっと」
出迎えてくれたユカリは、感極まったのか俺に抱きついてきた。少々意外だったので俺は面食らった。
しばらく抱き合っていると、ユカリが先に口を開いた。
「どうか、はしたない真似をお許しください。あの、私……その、安心、いたしました。話したいことがたくさんありますが、すみません、もうしばらく、このまま……」
俺のいない間、定期的に連絡を取り合っていたとはいえ、ユカリに家のことを全て任せてしまっていた。4ヶ月もだ。きっと俺の顔を見てホッとしたのだろう。俺は謝罪と感謝の念を込めて、胸に顔をうずめるユカリの後頭部をなるべく優しく撫でた。
「……ふぅ。失礼いたしました、ご主人様」
それから5分ほどして体を離したユカリは、俺の知っているいつもの冷淡なユカリに戻っていた。少し恥ずかしいのか、目を合わせてくれない。
「それでは早速ですが溜まりに溜まった諸問題について会議を――」
「せかんどーっ!!」
「ザクッ!?」
全速力で突っ込んできたエコが横っ腹に直撃して変な声が出た。別に何かが刺さった音とは違うのだよ。しかしなかなかのタックルだった。さてはこいつ成長しているな。
「せかんど! おかえり! せかんど! おかえり!」
エコは俺の名前を連呼しながら尻尾をブンブン振って腰にまとわりつくように体をこすりつけてくる。手を出すとぴょんぴょん跳ねる。頭や首を撫でてやると甘えるように鳴く。猫の獣人のはずなのだが、今のところ完全に犬である。
「おー、よしよし。ただいま。ん? エコお前、少し背ぇ伸びたか?」
「しらん!」
「そうか知らんかー。ところでそれはシルビアの真似だな? やめたほうがいいぞ」
「どういう意味だ!」
おっ、噂をすれば本人登場だ。
シルビアは怒り顔でずんずんとこちらへ歩いてくる。だが、近付くにつれてその顔はだんだんと笑顔になっていった。まるで溢れ出る喜びを抑えきれないように。
「……元気そうではないか、セカンド殿。心配して損をした気分だ」
「そっちは面構えが変わったな。今度ダンジョンに行く時が楽しみだ」
「馬鹿者、私の方が楽しみだ」
「おっと、こりゃ一本取られたな」
互いに笑い合い、手をガシッと組み合い、そのまま引き合ってハグをした。シルビアとはあまりこういったスキンシップはしたことがない。だが、ついそうせずにはいられないほど心地の良い雰囲気だった。
体を離すと、シルビアは「夕飯の前に会議か?」と照れ隠しに笑いながら言った。「そうです。忙しくなりますよ」とユカリが続ける。エコはただひたすらニコニコとしていた。
そこでふと思い出す。
「そういえば、皆に紹介しておかないとな。仲間が一人増えたぞ」
「……ほぉ」
「へぇ……」
「?」
…………あれぇ? ついさっきまであんなに和やかだった雰囲気が一瞬で不倫疑惑の釈明会見ばりにピリついてるんですけど?
「セカンド殿。まさか口説き落としたのではあるまいな?」
「ご主人様。とりあえずその女をここに連れてきてください。話はそれからです」
何をそんなに怒っているのか、えらい剣幕で二人に詰め寄られる。口説いたのではなく肉体言語で屈服させたと言ったらシルビアはどんなリアクションをするだろうか。というか何で女って知ってんの?
「待て待て、分かった。今呼ぶ」
俺は二人を下がらせて、《魔召喚》であんこだけ喚び出した。アンゴルモアは現在自宅謹慎中である。
「――主様、あんこ参上つかまつりました」
あんこは真っ黒い影と共に闇の中から姿を現した。
息巻いていたシルビアとユカリは、その暗黒のオーラに威圧されてか「くっ、でかい!」「負けた……!?」などと呟いている。ビビってるっちゃビビってるんだが、何処かズレている気がする。
「あら? この者たちは……うふ」
一方であんこも何やら呟き、スッと右手を前に突き出した。
……ん? 一体何をするつもり――――!
「よせッ!!」
――寸前、間に合わなかった。
あんこの右手からどす黒く沸騰した暗黒の霧がぶわりと噴き出す。これは《暗黒魔術》だ……シルビアとユカリとエコの3人は躱すすべなどなく正面からもろに喰らった。
3人は唖然としている。が、すぐに気が付いた。自身のHPが1になっていることに。
俺はトドメを刺そうとしているあんこの髪の毛を掴み、グイッと俺の目の前へ引き寄せた。
「あんこ、お前、俺の許可なく何してんの?」
「あ、嗚呼……主様、私は、ただ殺生を……」
……驚いた。あんこは震えていた。まるで親に大声で叱られた子供のように。悪気など一つも感じない純真な瞳を潤ませて。
「な……何が、起きた?」
即時回復ポーションを飲み終えたシルビアが口を開く。驚愕と、動揺と、困惑と、そして恐怖の表情。それはユカリもエコも同様だった。そりゃそうだ、一瞬で瀕死にされたんだ。誰だって怖い。
「殺しては、いけなかったのですね。なんと、なんということでしょう。嗚呼、申し訳ございません主様。あんこは反省いたします。もう二度と勝手な真似はいたしません。主様が仰ることは何でもします。必ず役に立ちます。ですからどうかお許しを。何卒お許しを……」
あんこは謝る。頭を下げて縋り付いてくる。恐らく、俺に嫌われたくない一心で。俺に見捨てられないよう何としても自分を改めるつもりなのだろう。
だが、そういうことじゃない。何が問題かって「ただ殺生をしたいがために人を殺そうとするその価値観」だ。
アイソロイス地下大図書館に生まれ、その暗闇の中で何百年と孤独に過ごしたあんこにとって、それはきっと当たり前のこと。呼吸をするように闇を食い、影に溶け、暗黒を纏い、全てを殺して生きてきた。もしかすると、それが彼女にとって唯一の遊びだったのかもしれない。
……なんだそりゃあ。どう注意すればいい。どう正してやればいい。わけ分からんぞ。
「あんこ……以後、お前は俺の許可なしには何一つ自由な行動をとれないこととする。何かをしたければまず俺から許可を取れ。絶対に、徹底しろ。話はそれからだ」
「~~~っ!」
俺はひとまずの解決を考え、あんこに無慈悲な命令を下した。
あんこは何故か蕩けた顔で俺を見つめ、その場に座り込みコクコクと頷いた。どうしてかは分からないが、明らかに嬉しそうな顔だ。そして黙ったままずっとこちらを見ている。ああ、律儀に命令を守っているわけだな。
「喋っていいぞ」
「嗚呼、主様。私のような愚鈍になんと寛大なご処置。この馬鹿な頭が理解できるまで、もっと厳しい罰を与えてくださいまし。棘の首輪を付けて躾てくださいまし。もう役に立たないと仰るなら、最後はその御手で私を……」
「……悪いが、少し忙しくなる。しばらく待機しておけ。ではな」
俺は一方的に沙汰を出して、それから《送還》した。少し心が痛む。
あー……頭痛の種が一つ増えやがった。どうしたもんか……。
このままでも十分に“運用”はできる。だが、このままで良いとは到底思えない。いずれ何処かで綻びが生じるに違いない。そしてさっきのような危うい事件がまた巻き起こるのだ。うーん、それだけは避けたい……。
「ご主人様。今のは一体……?」
こんな時でも流石ユカリさんは冷静だ。もう落ち着きを取り戻し、自分なりに分析しようとしている。
「暗黒狼……4ヶ月かけてテイムした甲等級ボスランクの魔人だ。名前はあんこという」
「……強すぎませんか?」
「あれで全力の半分も出していない」
ユカリとシルビアの二人は絶句した。
まさに、化物――そんなやつが仲間になった。本来なら頼もしいはずなのだが、どうしても素直に受け入れられないといった表情。何故かって、たった今そいつに殺されかけたんだ。当然である。
「すまなかった。詳しいことはまた後で話す」
「畏まりました。それでは会議の準備をして参ります。会議は一時間後からといたしましょう」
そう言って二階への階段をのぼるユカリ。俺に気を遣い、あえて事務的なことを言っているのが分かる。俺はかける言葉が見つからず、そのロングスカートで隠れた臀部を何とはなしにぼんやり眺めていると、後ろからシルビアに背中を叩かれた。
「ユカリはああ言っているが、今日はきっと会議にならんぞ。セカンド殿が不在だった間の愚痴を聞かされて終わりだ。覚悟しておいた方が良い」
手をひらひらとして、シルビアも二階へと上がっていった。怖かったろうに「心配いらない」とばかりに強がって見せているのがバレバレである。
嗚呼……俺の周りは根性のあるやつばかりだ。
「ごめんなエコ」
「ううん」
隣に寄ってきたエコにも謝ると、彼女は俺の手を握り「あそぼ」と言って自室まで案内してくれた。
かち割ったヤシの実の残骸だとか、湖畔で拾った綺麗な石だとか、寝心地の良いクッションだとか、部屋にある物を色々と紹介してくれた。
そうしてエコと遊びながら会議まで過ごし、会議ではユカリの愚痴を延々と聞き、夕飯ではシルビアと酒を飲んで笑い合い。俺が帰還を果たした一日は、あの頃と何ら変わらない時間を過ごして終わった。
……皆、特に言及しないが、あんこの粗相を許してくれたようだ。俺は思わず胸がじんと熱くなった。
あんこの問題はまだ根本的に解決していない。だが、早急にどうこうできるような生易しい問題でもない。こういうのは切り替えが大切だと前世で学んだ。頃合を見て全員集合した際に相談すると決め、後はあまり深く考えないことにした。
それより、今は優先しなければならないことがある。そう、まだ寝るわけにはいかないのだ。俺は襲いくる眠気を状態異常回復ポーションで誤魔化しつつ、覚悟を決めて“あの男”の来訪を待った。
……現れたのは、午前零時を少し回った頃。
執事キュベロは深くお辞儀をして「どうかご一緒にお越しください」と、俺をヴァニラ湖の波打ち際まで案内した。
人の気配は何処にもない。聞こえるのは、寄せては返す波の音と、踏みつけられて擦れ合う砂利の音のみ。
キュベロはしばらく俺の前を歩いて、それからくるりと振り返り、静々とその白い手袋を外した。
何が来ても動じない準備はできていた。ゆえに、俺はひどく落ち着いてその様子を観察できた。
月明かりが俺たちを照らし出す。微かに窺えるキュベロの表情は、一瞬、悲痛に満ちたかと思えば……豹変する。
「私とお手合わせ願いたく存じます」
お読みいただき、ありがとうございます。