50 奴隷の14人
さて。
ご主人様から使用人について一任されてしまいました。
なんと誉れ高いことでしょう!
つまり私は自動的に使用人最高位となります。家令より執事より上、すなわち他人から見れば……
「夫人? なんてね」
思わず独り言が出るくらいには上機嫌。
ご主人様が与えてくださった私には不相応なくらい大きくてお洒落な自室で、モーリス奴隷商会長のフィリップから貰った奴隷のリストに目を通して使用人を見繕います。
私が現時点で考えている計画は、全三段階。
まず執事・料理長・庭師・馬丁の候補として4人の男を、何でもこなす万能メイド候補の女を10人採用します。
次にそれぞれに高い水準の教育を施し、ご主人様へ仕えるに相応しいレベルまで能力を引き上げます。
そして最後に、彼ら彼女らの部下として必要分の人員を補充します。
まあ、これがベターでしょう。
大勢の女を見す見すご主人様に近付けてしまうのは甚だ、甚だ気に食いませんが、ファーステストの男女比を考えるとある程度は仕方ありませんね。そこは私の調きょ、失礼、教育で何とか食い止めることにいたします。
採用する使用人は、男も女も全員奴隷です。一般人を採用するつもりはありません。何故か、裏切りが怖いからです。
私から言わせてみれば隷属契約をしていても怖いくらいです。あの“脱獄”はご主人様だけが知っている技術ではないというのはフィリップの口振りから読み取れました。多くの敵が存在し、何処から誰が唆してくるか分からない現状、ご主人様を護るためにはこの裏切りを特段と警戒せずにはいられません。
……ふと、私の頭をひとつの単語が過ぎります。
洗脳――もしかするとルシア様は、今の私のような心境だったのかもしれません。何としても守護したい誰かがいるのなら、形振りを構わず持てる手段の限りを尽くす。ええ、私でもそうするでしょう。
ですが、私に洗脳はできない。なので私は私のやり方でご主人様を守護します。
それは依存させること。救済し、篭絡し、信仰させる。絶対に裏切ることのないよう、その心を完全に奪い取る。そしてご主人様に捧げるのです。
恐らくご主人様はそこまで考えて『使用人用の豪邸』をお建てになられたのでしょう。流石はご主人様です。その深謀遠慮、常々感服しております。
私は奴隷リストの中からできるだけ悲惨な過去を持つ奴隷をピックアップして、使用人リストに当てはめていきました。
――ここには、ご主人様がいらっしゃる。弱者を救える環境がある。言わばこの世の楽園。惨苦な過去など、悲痛な心情など、理不尽な境遇など、全てあの世に捨て去れる。かつての私がそうであったように。
「ふぅ、こんなところでしょうか」
リストをまとめ終えた私は、ご主人様の帰りを待つ間に豪邸の中を掃除しました。
…………日暮れまでかかって、結局終わりませんでした。豪邸一つでここまでかかるとは予想外です。
これはなるべく早急な使用人の増員が必要そうですね……。
翌日。
ご主人様に少々お時間をいただいて、モーリス商会へとやって参りました。
私のチョイスで特に問題はなかったようで、商会長立ち会いのもと隷属契約がすんなりと行われます。
契約内容は単純明快、私の時と比べて「攻撃不可」が記載されていないだけとなっています。要は人道に反することのない良き主従関係であれといったところでしょう。
契約が終わると、お忙しいご主人様は奴隷たちに「おうよろしく」と軽く挨拶をされてから早々にスライムの森へと向かわれました。
さて、これで男女合わせて14人の使用人をゲットです。
みな怯えたような、諦めたような目で私を見ています。
やれやれ、先が思いやられますね。ご主人様のあの天真爛漫なお姿と迫害対象であるダークエルフの私がこうして無傷で立っている状況を見れば、怯えや諦念など抱かなくても大丈夫だと気付いてもいいものを。
どうやら合理で感情を押し潰さんと思考する怜悧狡猾な曲者はいないようです。私の目に狂いはなかった。これならば依存ないし信仰までは秒読みでしょう。
私は14人の奴隷を連れて、まずは東の豪邸へと向かいました。
到着するやいなや、門の前に全員を整列させてから豪邸をバックに立ち全員を見渡します。
第一印象はとても大切です。私は昨夜考えた文を思い出しながら、できるだけ悠々と口を開きました。
「あなたたちは恵まれています。これから1日かけて、それを自覚してください」
「…………っ」
息を呑む奴隷たち。掴みはOK、でしょうか。
「自覚ができましたら、一生懸命ご主人様の役に立ちなさい。この恵まれた環境を享受する条件は、たったそれだけです」
奴隷たちの顔を見渡します。みな一様に困惑しているようです。それはそうでしょう。俄かには信じられない。私もそうでした。
「肌の色を理由に迫害され唯一信じていた両親の手によって奴隷にされた者。身に覚えのない罪を着せられ村八分にあった姉妹。許嫁に裏切られ多額の借金の形として奴隷となった者。猥褻の罪で奴隷に落ちた男性の身体をした女性――」
私は一人一人の過去をその場に曝け出しました。
14人は騒然とします。しかし文句を言う者は一人もいませんでした。何故か。私の言葉の続きが、私が何を言いたいかが気になって気になって仕方がないのです。だってそうでしょう、私曰くあなたたちは恵まれているんですから。それを自覚させてほしいのでしょう? 縋るよりないのでしょう? 期待せずにはいられないのでしょう? そんな哀しいあなたたちに、私が答えを提示して差し上げます。
「全てを捨てなさい。肌の色などご主人様は全く気にされません。あなたたち、ご主人様はそれが冤罪であると既にご存知です。多額の借金? ここにいれば3年とかからず返済できますね。ああ、当然ですがご主人様は裏切りません。男性なのに女性ですか、大丈夫ですご主人様には理解がありますから間違いなく快適に働けます――」
全員の過去を真っ向から否定していきました。
幾人もの心の波紋が重なって、大きく大きく広がります。段々とその目に生気が宿っていきます。彼の方の器の大きさに、信じる者の尊さに、給料が出る事実に、懐の深さに。すぐには信じることができなくとも、胸の内で膨らむ期待を止めることができないのです。
「この門をくぐった時。今までずっとあなたを苦しめ続けてきたその汚穢は、取るに足りないカスになります」
私は14人に背を向けて、東の豪邸の門をくぐりました。
みなこちらを見つめて、私の言葉を待っています。
自分を救ってくれと、手を伸ばしたいのに伸ばせない。信じたいのに信じられない。ゆえに待っているのです。待つことしかできない哀れな存在なのです。ですから私はその縮こまった手の一つ一つに手錠をはめて回り、無理矢理に引っ張り起こします。ご主人様がそうしてくださったように。ただ一つ違うのは、私はその錠を決して解くことはないというところでしょうか。
「躊躇なく門をくぐれ。そしてこちらに来なさい。そうしたら、あなたたちに仕事を与えます。必要とあれば一から教育します。十二分な衣食住を保証します。拒否権はありません」
私は有無を言わさず14人を門の中へと引き入れました。
一度だけ振り返り全員の顔を見てみます。なるほど、良い表情です。騙されていようがいまいがここに賭けるしかない、と。みな覚悟を決めた者の顔をしています。
ふふ、こうなれば最早こちらのものです。
こうして私の使用人依存化計画が始まりました。
* * *
運命の日。
あたしたち姉妹は、ものすごい美形の男に購入された。
かと思いきや、あたしたちの前に現れたのは凍てつくように冷たい表情をしたメイド服のダークエルフだった。
ダークエルフのメイド……こいつもあの男の配下なのか? ダークエルフといったらこのクソ王国じゃあ差別対象の代表格じゃねえか。ヤベェとこに買われちまったんじゃ……。
「エル姉……」
エスがあたしの手をぎゅっと握ってくる。不安なんだな? 大丈夫だ、あたしが付いてるぞ。
あたしたち含む14人の男女の奴隷が、バカでかい門の前で整列した。
すげぇ豪邸だ。やっぱりというか、あの男はとんでもない金持ちだな。奴隷をこんなにいっぺんに買って何をするつもりかは分からねーが、“裏”に売り払われるようなことはなさそうで一安心だ。
あたしが押し潰されそうな不安の闇の中で一滴の安堵を味わっている時、ダークエルフの女があたしたちの前に立った。恐ろしいくらいの美人だ。そのうえ全く隙がない。こうしてこちら側を見渡されるだけで萎縮しちまうくらいの威圧感がある。この女、何者だ?
……なんて、あたしが考えていた時。
不意に、演説が始まった。
あたしたちは恵まれている。その自覚を持て――と。
何を言ってやがんだこいつはと、あたしは女をバカにした。じゃないと自分を保てなかった。こんな口先だけの言葉で懐柔されるほどあたしたちは甘くない。信じられるワケがないだろそんな都合の良い話。それが分かっているから、この先に不安が募る。逃れようのない劣悪な環境を想像しちまう。あたしたちを騙してどんなキッツイ環境で使い潰そうとしてんだ? と、そう考えちまうんだ。だから心の中で悪態をつく。元から期待なんかしてねぇよバーカってね。
「――身に覚えのない罪を着せられ村八分にあった姉妹――」
「んなッ!?」
この女、知ってやがるのか!?
ってかここにいる奴らは全員ワケありか!? ダメだもう確定だ! あたしたちは使い潰され――
「あなたたち、ご主人様はそれが冤罪であると既にご存知です」
――…………っへ?
ま、待て、ワケが分からない。
どうして冤罪のことを「ご存知」なんだ?
それを知っておいて何か意味があんのか?
何故あの女は“こっちを見て”言ったんだ?
これから使い潰すだろう奴隷一人一人の情報をいちいち覚える必要があるか?
もしかして、あたしたちは使い潰されるわけじゃないのか……?
「この門をくぐった時。今までずっとあなたを苦しめ続けてきたその汚穢は、取るに足りないカスになります」
…………。
ああ、そうだな。
それが本当だったらどんなに良いことか。
分かった、分かったよ。信じてやらぁ。
門をくぐれと言われりゃくぐるさ。来いと言われりゃ行くさ。
期待してやる。今まで何度も何度も裏切られ続けてきたけどよ、最後の最後に一回だけ期待してやる。
だからさ……頼むよ。もうあたしたちを裏切らないでくれ。
……とかなんとか考えていた時期があたしにもありましたとさ!
なんだよこれ!?
使用人用の豪邸!? はァ!? 使用人用なのに豪邸っておま、聞いたことないんだけど!
しかもただのメイドにっつーか奴隷に一人一部屋とか意味分かんねーよ!! すんげー豪華な部屋だし!
っていうかなにどんだけ土地持ってんの? あたしらこんな場所にいていいの? なんか逆に申し訳ないわ!
それに教育のレベル高すぎな? なんか勘違いしてね? 上質な教育って誰でもそう簡単に受けられるもんじゃねーからな? こんなん続けられたらあたし上級貴族んとこにいるみてーな一流のメイドになっちまうぞ? いいのか? なるぞ?
あとさぁ食事が美味すぎるんだけど? 毎日3食きっちり出るうえにこんなに美味かったらしまいにゃ太るぞ。
いや嘘ついた。太ることはないわ。あの完全無欠メイド長の鬼しごきがヤバイからな。3日に1回ペースで地獄見せられちゃあ太る暇なんてねーわ。まっ、ここに来る前と比べたら天国みたいなもんだけどよ。
最近はたまーに遠目で見かけるご主人様のお姿があたしの癒しになってるわ。まだお側にお仕えすんのは許されてねぇけど、いずれはご奉仕して差し上げんのがあたしの差し当たっての目標だなー。なんつって。
いやー、あのダーク鬼軍曹が怖ぇこと以外は文句なしだわマジで。ガチで恵まれてる。ハンパなく自覚した。させられた。脳ミソに刻み込まれたわ。
つか冷静に考えたらあたしら万能メイド隊10人全員まだご主人様に近付けてねぇんだよ。おかしいよなぁ? これさぁひょっとすっとあの鬼軍曹が――
「エル。手が止まっていますが?」
「も、申し訳ございません」
怒られたー! こいつエスパーかよ!
「…………」
エスのやつこっち見て笑ってやがる。いいよなぁお前はメイドの才能あって。姉ちゃんはダメだわ才能ないわ。もともと柄じゃねえしな……。
「いいですか? 今ここにいる10人は精鋭『万能メイド部隊』の名に恥じないレベルに達しなければなりません。あなたたちには教養が、精神が、経験が足りていない。私が一つずつ教えましょう。ですから呼吸するように学びなさい。そしていずれはあなたたちが部下に教える立場となりなさい」
なんつってしょげてると、ユカリ様は見計らったように激励してくださるんだよなぁ。
この人は鬼のように厳しいけど、何だかんだいってすっげー良い人なんだよ。
まあ……つまり、何が言いたいかというとだ。
あたし一生ここで働きたい。
お読みいただき、ありがとうございます。