38 どう見ても悪
あれから丸1日。
バッドゴルドの郊外にある広場に、総勢200名の見学人が集まっていた。
商人ギルドのマスター海坊主ことシンさんを含め、商人ギルド職員からは15人程度。残りは鍛冶ギルドに所属する鍛冶師や、商人ギルドに所属する商人たちだ。
彼らに実力を証明する。そうすれば、ユカリの言う「ミスリル合金を卸せば卸すほど儲かる仕組み」が完成するらしい。らしいというのは、細かい話は全てユカリに任せっきりだからっすよ。あ~あ、ネトゲ廃人の辛いとこね、これ。自分の学のなさに悲しくなる。ユカリがいて本当に良かった。
「皆様、本日はお集まりいただきまして――」
シンさんが音頭をとる。挨拶、趣旨の説明、これから行われるパフォーマンスの概要発表と進行していく。それらが終わると、200人の観客は拍手で俺たちを出迎えた。
まず、最初のパフォーマンスはシルビアとエコで行う。
「行きます」
シルビアは広場の右端に立ち、左端に用意されている的を狙って『炎狼之弓』を構え、《飛車弓術》と《火属性・参ノ型》の複合を準備した。
次の瞬間――ズッドンという重低音とともに赤熱した魔力の塊が射出され、炎の尾を引きながら的を目がけて高速で飛んでいく。
着弾。「大爆発」だった。的に命中とかそういう次元ではなく、的の周辺ごと恐ろしい威力の爆炎で吹き飛ばしたのだ。
「…………こ、これはっ……!」
200人は唸る。
これならば確かにプロリンダンジョンを攻略できるかもしれない、と。
「次、行きます」
シルビアは矢継ぎ早に、《歩兵弓術》と《火属性・参ノ型》の複合を準備する。
「いいよー!」
左端に現れたのは、元気に返事をしつつ『岩甲之盾』を構えて《角行盾術》を準備するエコだった。
ざわ……!
観客が俄かに動揺する。あのような幼気な獣人に、先ほどのえげつない一撃が当たってしまえばどうなるのか? その答えを想像するより先に、シルビアは矢を放った。
着弾の刹那、観客は皆「あの子は死んだ」と思ったに違いない。
直後、パァーン! と、何かを弾いて散らしたような爆裂音が響く。
「…………へっ?」
200人全員が、呆気にとられた。
盾を構えたエコは無傷、笑顔でピンピンしていたのだ。
一体どうして? 疑問はすぐさま解消される。あの大盾で防いだのだ、と。
「おおおおっ!」
観客は湧いた。もの凄い2人だと。
俺たちがプロリンダンジョンを攻略できるという信頼度は、うなぎのぼりとなっていた。
「凄まじい強さだが……正直、日に何度も周回できるとは思えんな」
しかし、中には冷静な意見も聞こえてきた。
そうなのだ。これだけでは、周回を考えると“弱い”のである。
ただ、これは昨日のシンさんとの作戦会議の時点で予想済み。そのための俺の《精霊召喚》というわけだ。
「次が最後の発表になります」
司会の進行に従って、俺は広場の中央へと歩み出た。
200人の視線が俺を貫く。しかし全く緊張はない。タイトル戦なんて100倍以上の観客がいたし、ネット中継では軽く10000倍の視聴者がいた。慣れるなという方が無理な話だ。
「行きます」
俺はインベントリから『プレミアム精霊チケット』を取り出し、使用した。金色に輝くオーラが俺の体にまとわりつく。この時点で初期精霊強度25000以上の精霊が確定する。
深呼吸を一つ、なるべく心を無にして《精霊召喚》を発動した。
「――――っ!」
俺を中心に半径5メートルほどの大きな召喚陣が展開される。観客が息を呑む気配が伝わってきた。
頼む、せめて精霊強度30000以上であってくれ! 俺は切に祈った。ただこの祈りはもう遅い。先程のスキルを発動した段階でもう抽選は済んでおり、内部的に召喚される精霊が確定しているため、いくら祈ろうと無駄なのだ。それでも祈ってしまうのは、なんなんだろうな?
「…………あ」
静寂の中、誰かが声を漏らした。
その視線の先は、空。
え?
異変に気付いた俺も、空を見上げる。
つい数秒前まで晴れていた空は、どす黒く分厚い雲に覆われ、大きな大きな渦を巻いていた。
地上はまるで夜のように薄暗くなり、雲の渦の間で怒り狂う稲光が太陽の代わりとなって人々を照らす。
異様で、不気味で、威圧的で、得体の知れない恐怖が充満した光景だった。
「な、なんだっ……!?」
観客は戦慄する。
この男は気候を操ったというのか――と。
黒雲は何層にも重なり合い、そしてじわじわと地面に近づいてくる。
観客の中には「分かったからもうやめてくれ!」と懇願する者までいた。
しかし、召喚の演出は止まらない。
「……まさか」
俺は思い当たった。
それは、大型アップデート後に初めて精霊強度35001以上の精霊を召喚したプレイヤー限定の精霊。
過去29回の大型アップデートが行われたメヴィオンにおいて当然29体しか存在しない、最も強力で最もレアな、初期精霊強度41000の精霊の名を。
「ひっ……!」
観客から悲鳴があがる。
雲の渦はどんどんと低くなり、そして天から漏斗のように垂れ始めた。
その中心から、“巨大な腕”がぬるりと顔を出した。
赤黒く禍々しい紋章の入った、建物の何十倍も大きな腕。それは拳を振り下ろすように、轟々と音をたてながら地表へと迫りくる。
「……う……うわあ、ああっ!」
誰かが叫んだ。
――死ぬ。
巨大な拳に押し潰され、ここにいる全員が死ぬ。
そう感じた観客はパニックとなった。
ズゥン――拳が到達した瞬間、地面がぐらりと揺れる。しかしその腕は、まるで夢でも見ていたかのように突如として雲散霧消した。
200人はあまりの出来事に、呆け、驚き、逃げることも忘れ、パニックすら忘れ、目の前の光景をただ見ていることだけしかできなかった。
舞い上がる砂塵の中。俺の前方5メートルほどの場所で、赤黒い雷光がバチバチと迸る。
ぶわり! 突如、膨れ上がった風が砂埃を強引に吹き飛ばした。観客たちは悲鳴をあげ、飛ばされまいと地面に這いつくばる。
だというのに、不思議と俺は風を感じなかった。
そして。俺の目の前に姿を現したのは――やはり“あの精霊”だった。
「我が名はアンゴルモア。四大元素を支配する全ての精霊の大王なり」
アンゴルモアは、高らかに自己紹介をする。声を張り上げているわけでもないのに、その透き通った中性的な声は荒れ狂う風の中でもはっきりと聞こえてきた。
身長160センチほどの、男とも女ともとれる美しい顔立ちの精霊。ショートカットの髪は赤と黒と金に輝いて風になびき、その目はまるで超新星のようにオレンジと緑の強い光を放っている。華美な白銀の服を身に纏い、所々に瑠璃と琥珀の装飾が散りばめられており、焦茶色と桔梗色のまだら模様の靴はまるで悪魔の心臓のように悍ましい異形をしていた。
そして、その手。そこには先ほど天高くより顕現した巨大な腕と同じ紋章が刻まれており、血に飢えたように明滅している。その光が波打つ度に、紋章から赤黒い電撃が漏れ出していた。
アンゴルモアは歩き出す。
一歩、二歩、三歩進んで、止まった。
実に優雅な足取り。それはまさに“底なしの恐怖”を象徴していた。
「我がセカンドよ。こうして会える日を楽しみにしていた」
アンゴルモアが俺の目の前で膝をつき、そう言った。
暴風は未だ止まない。
……ああ、なるほど。こいつは「自分が200人の人間より低く頭を下げることがないように」というただそれだけの理由でこの風を放って、観客たちを這いつくばらせているのだろう。噂には聞いている、お前は“そういうやつ”だと。
「風を止めてくれ」
「ふふ、御意に」
アンゴルモアは微笑んで従った。
ぴたりと風が静まる。
観客がざわめいた。風が止んだことへのざわめきではない。「恐怖」のざわめきである。
……そりゃそうだ。
こいつ、どこからどう見ても“悪”だ。
そんな悪の親玉が俺に跪くということは、“そういうこと”になってしまう。
嗚呼、こいつが「精霊の大王」なら、差し詰め俺は「恐怖の大王」といったところか。
勘弁してくれ……! 何故よりによってこのタイミングでこいつなんだ! 精霊強度35001以上の確率っつったら0.1%だろ!? だったら35000の精霊でよかったのに!
「…………」
どうしよう、という視線をユカリに送ってみる。
あっ……「お手上げ」だそうだ。だめだこりゃ。
「……その、悪い。話は今度な。とりあえず送還する。次は普通に出てこい」
「気に入らなかったか? 許せ、我がセカンドよ。何分初めての召喚に少々張り切ってしま――」
「じゃあな」
「あ、ちょっ!?」
俺は大至急アンゴルモアを《送還》し、額を拭って「ふぅ」と一息、なかったことにした。
すたすたと広場を後にする。
「………………」
会場はお通夜状態。
全然なかったことにできていなかった。
皆一様に唖然としている。
「ひっ」
俺と目があった商人の男が、喉奥で悲鳴をあげて視線を逸らし、その場から逃げ出した。
1人が逃げれば2人3人と、どんどん去っていく。
彼らが俺を見る目には、必ず“恐怖”があった。
完全に悪魔の飼い主だと思われている。
そうして、発表はお開きとなった。
当然ではあるが、取引の話は綺麗サッパリ流れた。商人ギルドも鍛冶ギルドも「絶対にあいつと関わってはいけない」と大急ぎで離れていったからである。当たり前だよなぁ。
……やっちまったよ。
ユカリがあちこちへ奔走してこつこつと計画してくれていた全てが一瞬にして水泡に帰した。
冒険者ギルドと敵対するのが云々とか言っていたのが馬鹿馬鹿しいレベルの「やらかし」である。冒険者ギルドどころか鍛冶ギルドにも商人ギルドにも下手すりゃキャスタル王国にさえ最大級の不信感を抱かせてしまった。敵とか味方とか最早そういう問題じゃねえ。
でも流石にこれはどうしようもないだろぉ?
精霊とは四大属性「火・水・風・土」のいずれかを司るもの。その召喚の演出も、火属性の精霊なら火柱で彩ってみたり、風属性なら空から舞い降りてみたりと、そんな感じになるはずなのだ。
だが唯一、アンゴルモアだけは違う。あいつは四大元素を支配する全精霊の頂点に立つ精霊大王、という設定。ゆえに、その演出も特殊極まりないのである。「支配者」的な方向で。
前世の俺は、世界一位であってもアンゴルモアは持っていなかった。それくらい稀少な精霊だった。入手できるチャンスはメヴィウス・オンラインのサービス開始から数えてたったの29回だけ。それも課金チケットを使った《精霊召喚》の最初の1回の0.1%を引き当てるという豪運を要求されるうえ、同時にアンゴルモアを狙う大勢の廃人たちとの競り合いに勝たなければならない。
出るわけがない――と。誰だってそー思う。俺だってそー思う。
…………。
出ちゃったじゃん!
世界一位を目指すにおいては実に喜ばしいことのはずなのだが、状況が状況なのであまり素直に喜べない。
それに何だあいつのキャラは。全身レインボーで中性的で美形で尊大で大王ってお前。ごっつ偉そうだったぞ。そして実際偉いのだから始末に負えない。
あいつをまた呼び出してコミュニケーションをとらないといけないのか……うわあ、気が重くなる。
宿屋への帰り道。
俺は、シルビアとエコに「すまん迷惑かける」と、ユカリに「ごめん無駄になった」と伝えた。
シルビアは「いつものことだ」と余裕の笑みを見せてくれた。エコは「いいよ!」と元気に頷いてくれた。ユカリは「それは構いませんが……」と何かを言いたげだったが、無駄になったこと自体は気にしていなさそうだった。
皆の変わらぬ態度に少し安心する。
今日は色々とあったが、何とかいつもの日常が戻ってきそうだ。
「申し訳ございませんでした」
その日の夜。
俺の部屋へ、ユカリが謝罪にきた。
「何故謝る? どちらかといえば俺の方が申し訳ない気持ちで一杯なんだが」
折角ユカリがお膳立てしてくれた計画が水の泡になっちゃったんだから、謝るべきはむしろこっちだ。
「私は勘違いをしておりました。私のような凡愚の考えなど無意味だと。ご主人様にとっては、むしろ枷となってしまうと」
おお? よく分からない。
「枷?」
「はい。ご主人様は超越されていらっしゃいます。ギルドを敵に回すだとか、信用を得るだとか、その程度のことを気にして小細工をする必要などなかったのだと、今回のことでよく分かりました」
いや、俺だって方法が思いつかないだけで、なるべく穏便に行きたいなぁとは思ってるよ。今回は大失敗したけど。
しかし何故ユカリは突然こんなことを言いだしたんだろうか?
「どうしてそう思ったんだ?」
「ご主人様のその余裕です。失敗を失敗と思っておられません」
「いや、失敗だと思ってるぞ。どちらかというと大失敗だな」
「いえ、思っておられません。本当に失敗した人間というのは、晩御飯をきっちりと食べてお風呂上りに少々のお酒を楽しみ笑顔でまた明日、とはなりませんよ」
「……ふむ」
言われてみれば、という感じだな。あんなことがあったが、今晩も別段変わりなく過ごしていた。
「ご主人様は今回のことを大した失敗ではないと思われているはずです。それどころか、元より“失敗してもいいや”とお思いでことに当たられたのでは?」
前者はともかく後者はその通りだ。だって家を買う金を貯めることが目的なんだから、別に失敗したところで「世界一位」という目標にはあまり影響がない。他に金稼ぎの方法なんて腐るほどあるし、そもそもがついでのことだ。バッドゴルドに来た当初の優先順位としては「経験値稼ぎ>装備作製>金稼ぎ」だったからな。何故かいつの間にか金稼ぎが優先されていたが。
……おお、なるほど。確かに失敗だと思っていない。というか失敗しても別に構わないと思っていた。本気で何とかしようと思ってやっていたわけではないから、失敗した時のダメージも少ないということだろう。ユカリの言う通りだ。
「すげえなユカリ。俺のこと俺よりよく分かってるぞ」
「そのようなことはございません!」
ユカリが強く否定した。普段はあまり感情を出さない彼女だから、俺は少しびっくりした。
「……すみません。しかし、私がご主人様をよく理解できているなど」
「そう思うけどな?」
「いえ。今回のことも、私がご主人様のことをもっと深く知っていれば、より良い策を練ることができたかもしれませんから」
そうか。それでユカリは謝りにきたのか。とても律儀だ。
「それこそ気にすることはない。俺がそっち方面に疎いからって、全部ユカリに任せっきりだったからな。ユカリにばかり負担をかけてしまった」
「でも私はお任せしていただいたのに失敗してしまいました」
「だから、そりゃ俺の失敗だってば。あんなの予想できるわけないだろ? ユカリが気に病むことはないよ。それにユカリの意見に賛同し、決断したのは俺だ。だから全て俺の責任だ」
「…………」
ユカリは渋々という感じで沈黙する。その表情はまだ納得できていなさそうだ。
「……私は、鍛冶に専念した方がよいのでしょうか」
俯きがちにそんなことを言う。どうしてそうなった。
「いや、それは困る。マジで困る。ユカリはファーステストの頭脳だ。今回はたまたま上手くいかなかったんだよ。今後はきっと大丈夫だ。俺に合った策を講じてくれるんだろ?」
「っ! ええ、無論です!」
「なら今後とも頼む」
「はい!」
ユカリはどこか嬉しそうに返事をした。「これからは心を入れ替え、秘書として役に立って見せます」と意気込んでいる。
秘書……初耳なんですけど。ただまあ納得できなくもない。確かにダンジョン攻略中なんかはずっと暇だろうからなぁ、そのへんのメンタルケアを考えていなかった。あまりの退屈から「鍛冶以外にも働きたい」と考えだすのは自然なことなのかもしれない。
「あの、それで、ええと……私はこれから、ご主人様のことをもっとよく知らなければなりません。ご主人様のことを何でも知っていないと……」
「ん? うん……ん?」
ユカリとの距離がじりじりと縮まる。そして、彼女は顔を寄せてきた。ふわりと花の香りがした。
「ですから、ですからね? その、今夜は、私と――」
――コンコンコン。
ユカリがナニかを言いかけた瞬間、部屋にノックの音が響いた。
「……………………」
ユカリの表情がスゥーっと凍てついていく。怖えぇーよ!
「ど、どうぞー」
俺は動揺しながら、ドアの外側に立っているだろう人へ声をかけた。
「夜分、失礼いたします」
ガチャリと入ってきたのは、白い髭を蓄えた細身の老紳士。知らない顔だが、温厚そうな人だ。
「セカンド様でございますね」
「そうですが」
「私はランバージャック家家令のフォレストでございます。主人より仰せつかって参りました。セカンド様と是非ともお話をさせていただきとう存じます」
らんばーじゃっくけ? カレー?
はてなとしていると、ユカリが「商業都市レニャドーを領地とする伯爵家です」と耳打ちしてくれた。加えて「ハウス・スチュワード自ら出向いてくるのは丁重な扱いの現れ」だとか。なるほどカレーって家令のことか。ハウスなのかボンなのかややこしいな。
しかしそんな所の家令さんが何でこんな夜に? と疑問に思った瞬間「恐らく秘密裏にいらしたのでしょう」とユカリ。君やっぱり俺のこと凄い分かってるよね……?
「フォレストさんですか。ええ、構いませんよ。何の話かお聞きしても?」
俺がそう言うと、家令のフォレストさんは華麗にお辞儀をする。
そして、その丸眼鏡の奥の目を鋭くして口を開いた。
「ミスリル合金の取引について、一つご提案を持って参りました」
お読みいただき、ありがとうございます。