320 畏敬
戦場の様子はこれまでと一変していた。
まるで金属と金属が途轍もない力でぶつかり合ったような鈍い音が、周辺に響き渡る。
「くっ……!」
キュベロは地面を踏みしめると、思いっきり振りかぶった右の拳の《飛車体術》で黒竜の頭部を殴りつけ、怯ませた。
すると、すぐさま黒竜の背に乗った亡霊騎兵から槍の反撃が来る。
「思ったより硬かったですってかぁー?」
槍がキュベロへと達する寸前、プリンスによる《金将糸操術》が騎兵を槍ごと絡め取ると、黒竜から力任せに引き剥がし、ぐるりと一回転させて遠心力で遥か彼方へ投げ飛ばした。
「助かりました」
「そんなんじゃ埒が明かねぇーぞ?」
「ええ、理解しております」
無駄口を叩いている暇はない。
キュベロは行動で示すように、構えを取ると、すぐさまスキルを発動した。
「――変身」
《変身》の無敵効果により、変身中のキュベロへ攻撃を加えた黒竜はノックバックして吹き飛ぶ。
火力が足りないならバフをかければよい。常識である。
「オーケー、キュベロ。あたしと交代で維持な」
「頼みます」
キュベロの《変身》を察知したエルが、交代要員を申し出た。
キュベロで火力不足なら、似たようなステータスであるエルも火力不足。すなわち、キュベロにもエルにもバフが必要ということ。
当然、エルも準備期間中に《変身》を習得していた。
通常、バフを切らずに戦う場合、《変身》と《精霊憑依》の二つを使って“維持”する必要がある。
しかし、二人は精霊を使役していない。
そのため二人一組で行動し、片方が変身中に、もう片方はあえて自身へバフをかけずに後方支援へ回るという戦い方をすることで、安定して魔物と当たれるという寸法だ。
「……フン」
そんな二人の様子を見届けたプリンスは、任せて大丈夫だろうと判断し、その場を離れた。
そして、戦場を見渡す。
シルビア・ヴァージニアは……流石と言うべきか、なんの心配もない。抜群の安定感で、バフを切らさずに、あえて遠距離攻撃のみを使って、魔術師の亡霊を中心に次々と撃破していた。敵側の遠距離攻撃を減らし、他が動きやすいようにするためである。
ノヴァ・バルテレモンは……驚くべきことに《変身》を使わずとも高い火力が出せていた。リンリン直々の指導を受けたプリンスから見ても、あれは馬鹿げていると戦慄するほどの凄まじい火力だ。
一方、レイヴは……また驚くべきことに、一人で十分に立ち回れている。《変身》のバフはあるが、手数の多さと技術の高さで、一人きりでも魔物の軍勢を押しのけてしまっていた。
更に、クラウスは……チェリとアイリーの魔術による後方支援を受けながら、これまた驚くべきことに、バフをかけずに魔物と渡り合っていた。火力は不足しているが、魔術師の亡霊を上手く躱し、一対一を意識して効率良く冷静に立ち回っていることが、戦えている要因である。
「なんでだぁー、オイ?」
プリンスは不思議に思う。
出現する魔物の硬さから言って、これほど“楽勝”になるわけがないのだ。
実際、バフのかかったレイヴでさえ、黒竜と亡霊騎兵のセットを倒すのに15秒はかかっている。
これまでのスタンピードの魔物の湧き量からして、魔物2体の制圧に15秒もかけていては、苦戦もいいところと言えた。おまけに魔術師の亡霊からは魔術の遠距離攻撃まで飛んでくる。状況は厳しいに決まっていると、プリンスは分析していた。
しかし――おかしなことに、状況は時間が経つにつれてどんどんと楽になっていく。
もはやプリンスは大した加勢もしていない。
にもかかわらず、これほど楽なのは一体どういうことか。
「あれ……?」
レイヴも流石におかしいと気付いた。
明らかに、出現する魔物が少ないのだ。
シルビアとノヴァのおかげかとも考えたが、そこまでの影響が出るほどに殲滅力が高いかというと、それほどでもない。
「――――え」
そして、それを発見した。
予想よりも、あまりにも向こう側。魔物の出現ポイントの真上。
いつの間にそれほど奥へ移動したのか。
確か、敵陣のど真ん中に《雷光転身》で転移して、それから……どうなっていたのか。
彼らは自身の戦闘に集中していたせいか、彼の動きに注目できていなかった。
今、セカンド・ファーステストは――。
「きっっっっっっしょ!! はぁー!? あり得んだろ……!」
プリンスが思わず叫んだ。
それは、プリンスにとっては信じ難い、どころか気色悪いとすら感じる光景であった。
セカンドは、魔物が湧いた瞬間から潰し、湧いた瞬間から潰しと、まるでモグラ叩きのように立ち回っている。
セカンドの殲滅力が、魔物の湧きスピードと拮抗しつつあるのだ。ゆえに、フィールドに残存している魔物の数がこれまでと比べて極端に少ない。
驚くべきは、その高火力でもあり、手際の良さでもあり、背中に目がついているかのような把握力でもあるが、何よりも――プリンスでさえ何をどうしているのかわからないほどの複雑で難解かつ正確無比なスキル捌きだった。
《飛車盾術》の突進後キャンセルからのジャンプ、通称カタパルトで《龍馬体術》を空中準備、着地後即発動からの下方向殴りで魔物を倒しながら浮き上がり、更に《龍馬糸操術》《雷属性・弐ノ型》《雷属性・肆ノ型》《相乗》の空中準備時間を作る。落下中に発動し、複数拘束した魔物のうちの一体に向けて糸を手繰り張力をかけて移動方向を調整、着地前に《飛車盾術》を準備開始しておけば、準備時間が稼げる。そして着地後、間を置かずに再び突進開始、カタパルトで《龍馬槍術》を空中準備、衝撃波で少し離れた位置の魔物まで巻き込んで倒し、《桂馬糸操術》で黒竜を操ると、自身を翼の風に乗せて飛ばし、空中移動時間を無理矢理に作り出して……と、殲滅の速度は一切落ちることがない。
わかる人ほど、その気色悪さが理解できてしまう動きである。
少しでもインベントリから武器を取り出す際にもたつけば、少しでも次に繋げるスキルを迷えば、少しでも攻撃する魔物の順序を間違えれば、セカンドのこの動きは途端に成立しなくなる。
たとえるなら、一切リズムを崩さずにピアノとギターとドラムを同時に演奏しながら歌うようなものだ。
しかし、当の男は、鼻歌まじりにスタンピードを楽しんでいた。
「わぁ……!」
「……チッ」
戦うことも忘れ、目をキラキラと輝かせて見入るレイヴ。
そんな彼の様子に舌打ちを一つ、プリンスは正気に戻った。
感心している場合ではない。そして、この程度で気色悪く感じてしまった自分を戒めなければならない。
どう考えても、セカンド・ファーステストはまだ“本気”ではないのだ。
あれで本気ではない。とても信じたくはないが、事実、そうなのだと知っていた。
あの上の上のそのまた上の段階がある。リンリン先生でさえドン引きするようなものが山ほどあるのだと、そう教わっていた。
もし、セカンド・ファーステストに勝ちたいのなら、この背筋の凍るような気色の悪さは、つい湧き上がってきてしまう畏敬の念は、己にとって敵。
プリンスは、強めに頬を叩いて気合いを入れた。
「棒立ちとは良い度胸だ貴様ら! クハハッ、それほど死にたいのなら選ばせてやろう! 竜の爪に抉られるか! 騎兵の槍に刺されるか! それとも私の拳に殴られるかだッ!」
「す、すみません!」
「うわヤバッ!」
セカンドに半ば見惚れていたレイヴとプリンスは、ノヴァの一喝で慌てて戦闘へと復帰する。
状況は勝勢とはいえ、決して気は抜けないランクの魔物だ。とてもサボっていいような相手ではない。
それに加えて、ノヴァは見抜いていた。この状況は、そう長く続くものではないと。つまりは、セカンドがここにずっと留まる保証はないということ。
ゆえに、心の中で血涙を流しながら愛しのセカンドを見つめていたい気持ちを死ぬ気で押し殺し、より良い戦況を維持しようと奮闘しているのだ。
「シルビア! 余裕があるなら詰めるぞ! クラウスッ! 後方支援と距離を取り過ぎるな! カバーに難儀するッ! キュベロ、エル! 変身終了まで待つな! クールタイムから一分経過で被せて変身しろッ!」
ノヴァはそんな鬱憤を晴らすかのように大声で指示を出す。
指示はこれ以上なく的確であったが、顔は般若の如き形相をしていた。ひょっとすると泣いていたかもしれない。
そんなに見たいのか……と、プリンスは怒られないように働きながら、ノヴァの様子に呆れていた。
◇ ◇ ◇
「はいはーい、うちに任しとき~」
ビターバレー南、15時の発生が起こると、ラズベリーベルは折り畳み椅子から立ち上がり、おもむろに口を開いた。
黒竜と亡霊騎兵、そして魔術師の亡霊の姿を目にし――皆がほんの一瞬でも臆したのを感じ取ったのだ。
あんなもの、恐れるに足りない。皆へそう示すのに、お誂え向きのスキルがラズベリーベルにはあった。
忘れがちだが、彼女の成長タイプは“サポートタイプ”である。
彼女自身が戦闘スキルで火力を出そうとすると、難しいものがあるが……こと他人に火力を出させるにおいては、右に出る者などいないのだ。
「ちょ、ちょっと……もう届くわよ……!」
シェリィが慌てた様子で口にする。
魔物の軍勢はすぐそこまで接近していた。間もなく、魔術師の亡霊の射程に入ってしまう。
皆それがわかっているため、何かをしようとしているラズベリーベルに背を向けて、戦闘態勢を取った。
「――まぁまぁ、そう焦らんといてや」
「!?」
次の瞬間――皆の目の前に、巨大な“壁”が出現する。
その透き通った壁が現れるのとほぼ同時に、魔術師の亡霊たちは《火属性・参ノ型》を一斉に撃ち出した。
「!」
しかし……何も起こらない。いくつもの火球は透明な壁によって阻まれ、一つたりとも皆に届くことはなかった。
「こ、これは一体……?」
ヘレスが戸惑いの声をあげる。
ラズベリーベルは、その疑問へ答える前に、新たなスキルを発動した。
「なっ――!?」
皆、自身の体の変化に、驚きの声を漏らす。
ラズベリーベルの指先から放出された光が皆に触れた瞬間、突如としてVITが“4倍”になったのだ。
「障壁術と数術の複合と、能力変動VVV……っちゅうてもわからへんか。ま、うちの得意技みたいなもんや。以後お見知り置きを~」
ラズベリーベルは説明が面倒臭くなったのか、サラッと流して、意識を魔物へと向けた。
【障壁術】――《遠物障壁術》・《近物障壁術》・《魔術障壁術》の三種存在し、相手からの攻撃によるダメージを軽減する効果を持つ障壁をその場に生成するスキル。術者のステータスとスキルランクに応じて軽減できるダメージ量は増加し、一定数値未満のダメージによる攻撃の場合は完全に無効化することも可能である。
【数術】――サポートタイプ限定スキルであり、特定のスキルと複合して発動が可能。16級から九段まで1.08倍ずつ倍率が上昇し、最大倍率は九段で3.00倍。倍率分を複合したスキルに上乗せして使用することができる。
つまり、たった今ラズベリーベルが発動したスキルは、【障壁術】九段の《魔術障壁術》と【数術】九段の《*3.00》の複合。単純計算で、通常の3倍強い障壁を展開できるということだ。
この《魔術障壁術》《*3.00》によるバリアであれば、魔術師の亡霊が繰り出す《火属性・参ノ型》程度なら、完全に無効化が可能ということである。単なる《魔術障壁術》九段であれば、こうはいかない。
サポートタイプが使用する【数術】というスキルが如何に絶大かが窺い知れる光景であったが、この場においてそれを理解できた者は一人もいなかった。
過去、メヴィウス・オンラインにおいて大いに猛威を振るったスキルである。あまりにも強すぎたため、複合できる特定スキルが減らされるなどのナーフを繰り返され大幅に弱体化したが、それでもサポートタイプでは九段必須と言われるほどには有用なスキルであった。
そして、【能力変動】――サポートタイプ限定のバフスキルであり、最大9人の対象へ指定したステータス数値に倍率をかけることができる。16級から九段まで1.04倍ずつ倍数が上昇し、最大倍率は2.00倍、効果持続時間は九段で5分、倍率をかけられるステータス枠は九段で3枠。枠に同ステータスを指定した場合、倍化分を加算する。
すなわち、ラズベリーベルの発動した【能力変動】九段の《能力変動:VVV》は、3枠VIT指定のバフであり、倍率は2.00+1.00+1.00で4.00倍となる。
「ほな盾術で無双して来ぃや」
ただでさえ穴熊装備で高まっているVITは、ラズベリーベルのバフによって更に4.0倍の上乗せ状態。これを活かさない手はない。ゆえに、ここはVITが火力に直結する【盾術】一択である。
「まさか、こんな奥の手があるとは」
ロックンチェアが、興奮の面持ちで口にした。
元・盾術世界最高峰は、もう、試してみたくて堪らなくなっているのだ。
「盾術の心得は」
ロスマンの疑問。習得したはいいが、使いこなせているとは言い難い【盾術】について、仕掛け人のラズベリーベルから一言貰いたいと考えての発言だった。
実際、ロスマンの天才的な戦闘センスから見て使いこなせていないだけで、傍から見れば十二分に使いこなせているのだが、当人はそのことに気付いていない。
「飛車盾術やっとったらええねん。アホみたいに」
「……アホみたいに」
「せや」
しかし、ラズベリーベルの口から出てきた言葉は、ロスマンの想像とはあまりにもかけ離れていた。
飛車盾術一本。アホの一つ覚えのように、何がなんでも《飛車盾術》ということである。心得もへったくれもない。
「ラズさん、どうしてぶっつけ本番で、こんな……?」
いよいよ魔物の軍勢が目の前という時。
最後に、アルファが不安そうな声色でそう尋ねた。
少しくらい事前に教えてくれていても……という文句も含まれた言葉である。
そんな彼女に対して、ラズベリーベルは「にひっ」と笑って、言った。
「その方が、なんやおもろいやん? 知らんけど」
「…………」
皆、ラズベリーベルの笑顔が、あの滅茶苦茶の権化のような男と重なって見え、小さなため息とともに呆れるよりなかった。
「ほな行くで~。イッツ・ショータイム!」
ラズベリーベルがぽんと手を叩いてそう口にした瞬間、《魔術障壁術》《*3.00》がフッと雲散霧消する。
シェリィが、ヘレスが、ロックンチェアが、ロスマンが、アルファが、ベイリーズが、リリィが、盾を構えて《飛車盾術》を準備すると、それぞれ駆け出した。
「!!」
魔物に初撃を与え――皆、驚愕に目を見開く。
想像を遥かに超えたダメージが出たのだ。
そして、黒竜が、亡霊騎兵が、魔術師の亡霊が、恐るべき早さで倒されていく。
バフとはこれ程に偉大なものなのかと、皆が感動とともに実感する。
この上、《変身》まで残しているのだ。シェリィに至っては《精霊憑依》も。
装備を揃えてバフをかけて戦略的に挑めば、火力を出すことはこんなにも簡単なのだ。セカンドたちにとってみればありふれた常識でも、彼らにとってみればこの超火力は感動以外の何ものでもなかった。
……じわじわと、皆の中で、ラズベリーベルへの畏敬の念が湧き上がってくる。
そして、こうも思う。
何やら、まだまだ隠し持っていそうだ――と。
「テーブルH、不幸中の幸いっちゅうやっちゃな」
ラズベリーベルは不敵に笑ってそう呟くと、インベントリから『回復魔術の杖・大』を取り出した――。
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