280 ケツを気をつけ
あれから四日が経った。
研究は……まあ悪くない感じに纏まったと思う。主にムラッティのお陰で。俺は横で好き放題に喋っていただけだ。
ただ、どうやらムラッティはかなりお気に召したようで、鼻息荒く「セカンド氏の発表で学会がヤバイ」と繰り返し呟いていた。「セカンド氏の発表で王国がヤバイ」とも言っていた。どっちでもいいから、是非ともヤバくなってほしいところだ。
そうそう、研究の副次的な産物というべきか、使用人の何人かが実験台となったことで、サラッと肆ノ型を習得してしまった。十人以上のサンプルが取れて、俺たちはウハウハ、使用人たちもウッハウハだ。
つまり、今回の研究は「たった四日で!? スーパーマル秘テク! これ一冊で誰でも肆ノ型習得!」みたいな内容である。なんなら会場で実演してもいいくらいだ。
さあ、俄然、学会が楽しみになってきたぞ。
「……ところでお前、乗馬下手くそだなマジで」
「もっ、申し訳なすびぃ……っ」
「乗馬スキル9級まで上げろ」
「9級でしゅっ」
乗馬というよりか、馬にしがみついているだけのようにも見える。天性の下手さだなこれ。
「じゃあ、あともう少しだから我慢しろ~」
「おケツが割れそうでござるぅ~」
「もともと割れてるよ尻は~」
俺たちは現在、マルベル帝国とオランジ王国の国境付近を移動中だ。国境を越えて一日もすればオランジ王国の首都「ダイダ」である。
つまり、あと一日。果たしてムラッティの尻は無事なのか……?
「ひいぃ~!」
駄目そうだ。
* * *
「聞いたか? マルベル帝国の皇帝、代わったらしいぞ」
「……マジ?」
「おいおいお前、少しくらい新聞読んだらどうだ」
「あんなもん読んでんのはお前くらいだよ」
「馬鹿言うな」
「なあ?」
「新聞ー? ああ新聞ってあれか、ケツを拭く紙だろう? もしくは気に入らねえやつの頭を引っぱたく道具だ」
「ほらな」
「はいはい参りました、お手上げだ」
オランジ王国陸軍の兵士たちが、訓練場で駄弁っている。
新聞はライト・マルベル新皇帝について大々的に取り上げていたが、彼らは大して興味もない様子で、精々が冗談のネタになる程度であった。
「誰が皇帝になったんだ? あの性格キツそうな皇女か?」
「あぁ、堪んねぇ。俺がベッドで泣かせてぇ女ナンバーワンだ」
「わかってねぇなお前。俺はヒールで踏んづけられてぇよ」
「オレは尻で顔を潰してほしいな」
「あ? おい待て、皇帝ってまさかあのチビデブハゲじゃねぇよな?」
「あいつが皇帝だったらとっくに大戦争がおっ始まってそうなもんだろ」
「違いない」
下卑た話で盛り上がっている中、唯一新聞を読んでいた兵士が口を開く。
「ライト・マルベルが皇帝になった」
「は、ははははは!」
「あーっはっはっは! 冗談キツイな!」
「キャス坊に続いてマル坊ってか!」
「ひひひぃ~っ、腹痛ぇ!」
彼らはゲラゲラと笑って、ライトとマインを馬鹿にした。
二つの仮想敵国の国家元首が子供なのだ。軍人としては、まさに悪い冗談。笑わない方がおかしい。それが彼らの感覚だった。
「――整ぃぃーれぇぇぇーーつ!」
「!」
突如、号令が響き渡る。ダビドフ中佐だ。
すると、兵士たちはそれまでのだらけきった様子が嘘のように、一斉にして素早く整列していった。
わざわざ中佐が号令しているということは、どういうことか。それがわかっていない兵士はこの場にはいない。
「気をぉーーーつけぇーー! 大将閣下にぃ、敬ぃー礼ぃー!」
「!」
ダビドフ中佐による独特なイントネーションの号令で、訓練場に集められた一万人近い兵士たちは、一糸乱れぬ敬礼を行った。
これほど大勢いるというのに、物音一つ聞こえない静寂が広がる。
兵士たちは背筋を痛むほど伸ばし、呼吸音すら殺し、大将の登壇を待った。
「休ぅーめー!」
そして、壇上に陸軍大将ノヴァ・バルテレモンが現れる。
同時にダビドフの号令で、兵士たちは休めの姿勢を取らされた。しかし全員、一切の余所見はせず、背筋は異様に伸びたままだ。
「ご苦労。諸君らを集めた理由は他でもない」
ノヴァの女性にしては低めのよく響く声が、静まり返った訓練場にこだまする。
彼女は壇上でただ抑揚なく喋っているだけだが、将校を含む万の兵士たちはその異様なほどの威圧感に尽くが圧倒されていた。
僅か二十六歳で陸軍大将としてこの場に立っていることを考えれば、当然とも言える凄みである。
「二日後、マルベル帝国よりシガローネ・エレブニ将軍率いる特使団が来訪する。よって我々オランジ王国陸軍は、私の指揮のもと一個師団を動員し王都特別警戒態勢を敷く」
そして、淡々と、驚愕の事実が明かされた。
兵士たちの誰しもがこう思う、「突然過ぎる!」と。
本来であれば数か月前より両国間で計画すべきことを、たったの二日前に報告してくるなど、非常識極まりないのだ。
つまり、マルベル帝国はオランジ王国を軽んじている。今回の来訪は、そう捉えざるを得ない。
兵士たちは見る見るうちに怒りの表情を浮かべ始めたが、しかし、無駄口を叩く者は一人もいなかった。
陸軍大将閣下が目の前で喋っているのである。あまりにも恐ろしい、否、畏れ多くて、身じろぎ一つする気にはなれないのだ。
「陛下は来訪をご許可された。即ち、やつらを王都に招き入れるとなった以上、我々は如何なる勝手をも許してはならん」
状況から見て、帝国が何かを仕掛けてくる可能性はとても低い。しかし、それでもあの将軍なら……と考えざるを得ないほど、シガローネという男は油断ならない嫌らしさを持った相手であった。
ゆえに今回、ノヴァが直接指揮をする事態となっている。オランジ王国において、シガローネに対抗できる者は、ノヴァくらいしかいないのだ。
王都ダイダはオランジ王国の心臓部。そのような場所にシガローネを迎え入れると、国王がそう判断をしてしまったのだから、大将に残された仕事は、王都にいるうちは何も下手な真似ができないよう強い圧力をかけながら監視すること以外にない。
「オランジ王国陸軍の名に恥じぬよう、王都に鉄壁の防御を固めよ。では、各中隊長の命令に従って任務につけ。以上」
「気をーーつけぇーー! 敬ぃ礼ぃー!」
喋り終えたノヴァが訓練場を去るまで、将校含む兵士たちは皆、黙って敬礼を続ける。
その後、各中隊長から出された指示で、兵士たちはそれぞれ移動していく。
ここでようやく、私語が許される雰囲気となった。
「まさか大将閣下を見られるなんてな。今日はマジでツイてる」
「見たか? 軍曹のあの顔。鼻の下が伸びきってたぜ」
「仕方ねえよ。俺もパンツが伸びちまいそうだ」
「そういやぁ、こないだシズンに駐屯してた時、良い店を見つけたんだよ。赤髪のデカ女がいてなぁ」
「閣下に似てんのか?」
「体は悪かねぇ。顔は、そうだな、どちらかと言やぁ……軍曹に似てる」
「おい!」
「勘弁してくれ!」
「待て、俺は知りてぇ。店を教えてくれ。顔を隠しながらやる」
「その手があったか」
「おいおい、間違えて顔見ちまってよ、行軍中に軍曹のケツ見て勃てないでくれよ?」
「だっははははは!」
相も変わらず、下品な話で盛り上がる。
一見して最低の話題であったが、彼らは共通して、ノヴァにある種の憧れを持っていた。
彼らの年齢とノヴァの年齢は、ほど近い。しかし、決して、ノヴァに対し敬意を失することはない。
長期的な任務に当たることも少なくない彼らは、必然的に性欲が処理できず溜まり、その捌け口としてこうしてノヴァを夢想することはある。だが、そこには必ず憧れと畏敬の念があった。
人類最強。それがノヴァ・バルテレモンの異名であり、その座をセカンドに奪われたとはいえ、未だオランジ王国陸軍大将としてその実力は健在なのだ。
高嶺の花どころの話ではない、全くもって手の届かない存在。兵士たちは、同じ体術師として、陸軍の一兵士として、元闘神位であり陸軍大将であるノヴァのことを心から尊敬しながらも、何処かアイドルのようにも見ているのである。
「しっかし、あのクソチビデブハゲ野郎は一体何を考えてんだ? こんな突然によ」
「皇帝がガキに変わって錯乱してんじゃないか」
「閣下があいつに飛車体術でもぶっ放してくれりゃあなぁ、こんな戦争ごっこ一発で終わんのによぉ」
「そんで俺らは一兵卒から無職に早変わりってか? 俺はずっと睨み合っててほしいね」
「どうせまたなんも起きねぇよ。オレたちみたいに睨み合いが続きゃ続くほど儲かるやつの方が多い」
「にしても突然すぎるわ、オレ明後日マッサージ行きたかったのに」
「――戦争で突然じゃなかったことが一度でもあったか?」
「!」
「あ、ありません……軍曹」
「クソ野郎は突然やってくるんだよ。なんでかわかるか」
「はっ。わかりません」
「クソしたくなる時はいつだって突然だろ?」
「仰るとおりであります」
「気を引き締めとけ。テメェらのそのガバガバに緩みきった上と下のクソ穴もだ」
「はっ!」
オランジ王国陸軍の日常であった。
◇ ◇ ◇
「これはこれはイーコイ先生! ようこそお越しくださいました! 遠路遥々お疲れのことでしょう! 是非こちらへ! おかけになって! さあ、さあ!」
オランジ王国首都ダイダでは、第六十九回オランジ王国魔術学会学術大会を翌日に控え、前夜祭が開かれていた。
世界各国から魔術研究者たちが集まり、酒を酌み交わす。その顔ぶれはまさに錚々たるもので、世界的に有名な研究者も少なくない。
中でも、イーコイと呼ばれ、人一倍に歓迎を受けている六十代前半の男。彼こそが、キャスタル王国魔術師会が誇る魔術研究の第一人者であった。「教授」と聞けば誰もがイーコイを思い浮かべるほどの権威である。
「ムラッティ君はどうした? 彼はまた遅刻か?」
「え、ええ、前夜祭にはいらしていないようですね……」
「全く、これだから困る。ワシがいくら推薦したところで無駄ではないか」
「イーコイ先生はムラッティさんをとても買ってらっしゃるようで」
「まだまだ青いが、筋は悪くない。明日の発表が楽しみだ」
イーコイはもっさりと生えた顎髭を一撫でしながらニヤリと笑って、グラスを呷った。
話し相手の男は、それを聞いて顔を青くする。彼は知っているのだ、イーコイがまたしても質問攻めをするつもりだと。
イーコイの質問攻めは、研究者の集まりではもはや名物となっていた。いつ何処で誰が標的にされるかわからない。噂では、イーコイが期待している研究者に向けてあえてやっているのだとか、お粗末な研究を発表している者を気散じに泣かせようとやっているのだとか、色々と言われている。
いずれにせよ、一度でもイーコイが手を挙げたら、厄介極まりないということだ。
「ふん、それにしてもオランジは相変わらずか」
「いやはや、お恥ずかしい限りです」
「ゆえに魔術後進国などと囃される。とっとと国の頭を取っ替えるべきだ」
「ははは! 手厳しいご意見、痛み入ります。先生」
「ワシのところは、今の陛下となってから更に金の回りがよいぞ」
「マイン殿下は魔術学校に通われていたそうではないですか。全く羨ましい限りで御座います。カレント陛下と来ましたら、やれ陸軍だやれ体術だと、些か贔屓が過ぎましてね」
「成果が出るかもわからんものを一から育てるよりは、既に成果の出ているものを伸ばす方に力を注ぐ。誰でもそうしたくなるだろう。だが、だからこそ挑戦せねばならん。他の誰もがやらんからこそ、そこに活路があるのだ」
「流石、先生のお言葉は本質を突いていらっしゃる」
酒が回ってきたのか、段々と饒舌になるイーコイ。
相手をしているオランジ王国の魔術研究者も、調子良くそれに合わせて機嫌を取っていた。
「おい、ムラッティ君はまだか! ホテルに着いてるならここに連れてこんか!」
……それから暫くして、イーコイの悪酔いが始まる。
「い、今、ホテルに確認を取っておりますので、少々」
「あいつめ、前から言いたかったんだ、資料の字が汚過ぎる! 読み難くて仕方がない! せっかく着眼点は悪くないというのに! 駄目だ、直接言ってやらないと気が済まん!」
「あ、明日! 明日言いましょう、ね!?」
「お前ももっと面白い研究を考えろ! そんなやる気のない顔をしているから、オランジ王国はお前らに予算を割かんのだ!」
「先生、どうか、どうか! 今日はもう、どうか、そのくらいで! 明日に響きますので!」
荒れるイーコイと、必死に宥める研究者の男。
毎度のことであった。
* * *
朝が来た。
昨日の夜中に到着したばかりの俺とムラッティは、慌ててきちっとした服装に着替えて会場へと急いだ。
今回の学術大会は、学者だけでなく一般の参加者もそれなりにいるらしい。魔術を商売にしているやつらや、学校関係者や、国の関係者とか、記者とか、色々と。
そのせいかは知らんが、会場はやけに人入りがよかった。千人は入れそうな広い会場に立ち見が出るくらい詰まっている。俺の想像していた学会とは、どうも様子が違う。
「午前中はずっと講演会でござる。我々の発表は、午後ですぞ~」
「講演会か。へぇー」
だからこんな混雑してんだな。
「!」
俺たちが会場に入ると、明らかにざわついた。
やれやれ有名人は困っちゃうね……と思ったが、はて、オランジ王国に俺の顔を知ってるやつがそんなにいるだろうか?
ああそうか、俺を見てざわついてるやつら、キャスタル王国の連中だ。「何故ここに!?」ってな具合だろう。わかる、俺もそう思う。
「うひぃっ、し、視線が突き刺さるぅ~」
注目を集めながらの着席。
皆、こそこそ話してやがる。ご丁寧に隣の席のやつに教えてあげてるんだろう、あいつがセカンド・ファーステストだって。
いいねいいね、丁度いいね。注目が集まれば集まるほど、発表会のやり甲斐も高まるってなもんだ。
「――これより、第六十九回オランジ王国魔術学会学術大会、開会式を行います」
座って待っていると、暫くして司会進行の人が喋りだした。
「それでは、開会のお言葉をキャスタル王国魔術師会特別栄誉教授イーコイ先生より頂戴いたします」
おっと、なんだか偉そうな髭の男が出てきたぞ。
オランジ王国でやるのにキャスタル王国の教授が挨拶ってことは、相当偉いんだろうな。
「えー……昨日ね、少々飲み過ぎましてね、声がガラガラで申し訳ない」
まずは掴みのジョークから。会場はまばらにウケていた。なんだ、気のいいオッサンじゃないか。
「さて、午前中の講演はテキトーに聞き流してくれていい。担当の者が仕方なく当然のことを話すだけだ。皆既に知っていることだ。知らないという者は、研究者の資格などない」
と思ったが違った。開会の言葉なのに、言ってることがヤベェ。明らかに偏屈なジジイだ。
「午後の研究発表に注目だ。特にムラッティ君の発表はワシも気になっている。皆でじっくり検討しようではないか、血眼になってな、ははは!」
そして、わかっちまった。この人が「教授」だな?
オッサンを指さしながらムラッティに目配せすると、コクコクと無言で頷いていた。
「やれやれ、オランジ王国魔術学会には頭が下がる。ワシのところの三分の一にも満たん予算で六十九回も開催できたんだからな。節約が上手いんだろう。これからは毎回オランジ王国で開くのがいい。金がもったいないからな。はっはっはは!」
おいおいメンタルが強過ぎる。皆ドン引きしてるのに、一人で笑ってら。
「酒が残ってんじゃないのか」
「いつもあんな感じでござる」
滅茶苦茶だな。なるほど、アレがウザ絡みしてくるのは、見るからに厄介だ。
しかし、俺はアレを唸らせないといけない。
勝算は……ある。今のところ。
「というわけで、開会しよう。よろしく頼むよ君たち」
こうして、いろんな意味で不安だらけの学術大会が始まった――。
お読みいただき、ありがとうございます。
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