閑話 絆好き(下)
おまけ
「さて、飲み物のついでにお菓子も用意したところで、話の続きを聞かせてもらおうかな」
「わあっ! 美味しそう! これベイリーズさんが?」
「まあ、嗜む程度だが」
「凄い凄い! 美味しい!」
「そうか、それはよかった」
メイドを暫くやっているミラから見ても上等に思える手作りクッキーと、これまたきちんと丁寧に淹れてある紅茶。
ベイリーズはもしや完璧超人なのではないかと、ミラは心の底から尊敬した。
……すると、途端に気になってしまう。どうしてこんなに素敵な人が、奴隷になってしまったのだろう――と。
それを聞くにも、まずは自分の話である。
ミラはクッキーと紅茶で気分を高めてから、ゆっくりと語り始めた。
「あたし、十四歳まで騙す盗むが当たり前の子だったんだけど、父親が捕まってからは、そうもいかなくなってね」
「おや? 待て。別に君の意思で騙したり盗んだりしていたわけではないのだろう?」
「うん、そうだね。だから、家族全員芋づる式に捕まったあと、あたしはすぐに釈放された。でも、母親は父親と一緒で戻ってこなかったんだよね」
「なるほど、一人で生きていかなければならなくなったわけだ」
「うん。母方の叔父に預けられたけど、薬のやり過ぎでおかしくなっててとてもじゃないけど頼れなかったから、家を出て働くことにしたの」
「逞しいな」
ベイリーズの素直な感想に、ミラは「あはは、ありがとう」と微笑んで、言葉を続ける。
「世間の目は、やっぱり厳しくて……まあ、あたしにも気持ちはわかるけど。自分のお店に、釈放されたとはいえ一度捕まったことのある人がいるのって、嫌だよね。それも、そいつの親はまだどっちも捕まったままっていう」
「仕事は限られるな。それこそ冒険者などは、経歴不問だからよさそうなものだが」
「そうそう。でもあたし、戦闘とか当時はからっきしだったから」
「となると……過去を隠したか」
「うん。でも、風の噂でいつかはバレる。だから、あたしは色んな町の色んな仕事を転々としたよ。接客が多かったけど、清掃とか事務とか、いっぱいやったなぁ」
「凄いな。では今は、経験が生きているわけだ」
「そう! そこだけは誇らしいかな」
ファーステストのメイドは、ただのメイドではなく万能メイド。ユカリから求められることに応えられれば応えられるだけ役に立てるので、ミラは自分の豊富な職業経験だけは自信に思っていた。
「……で、いくつも転々としたあと、バッドゴルドにある酒場で働き始めたんだけど、そこのオーナーが凄く親切にしてくれてね」
「ほう? 何も裏はなかったのか?」
「鋭いね、ベイリーズさん。うん、本当に裏はなかったよ……最初のうちは」
ベイリーズは親切と聞いて、すぐにその裏を疑った。そうしなければ生き残っていけない環境に長年いたからだ。
だが、嘘を見抜けるミラの視点でも、そのオーナーの親切は本物だったという。
「だんだん、だんだん、顔の距離が近くなってきたり、手を重ねられたり、お尻を撫でられたり……そういうのが増えてったよねぇ」
「なるほど、次第にか。立場上ミラが抵抗しづらいと考えたのか、それとも何処かでミラの素性を耳にしたのか。いずれにせよ屑だな」
「どっちも正解だと思う。それから暫く経ってね、二人の時にこう言われたの。バラされたくなかったらわかってるな……って」
「なんだろう。単純に、頭が悪いなそのオーナー」
「あははっ。でね、あたし、じゃあ辞めますって出ていこうとしたんだけどね。その前にもう、オーナーは超ヤル気だったみたいで、いきなり襲いかかってきたんだよね」
「えっ」
「あたし本っっっ当に気持ち悪くて……思いっきり、香車体術で、その……」
「きゅ、急所攻撃か……」
「……オーナー、泡吹いて倒れちゃって。お店、休みになって。あたし、クビどころか捕まって、訴えられちゃって」
「何?」
「過剰防衛? だったかな。でも、いつの間にか暴行事件になってた」
「……ああ、そうか」
ベイリーズは気付く。両親の悪行と本人の加担に加え、現在は各地を転々としていたこともあって、ミラの心証は非常に悪かったのだろうと。
「あたしの証言とか完全無視で、検証なんか全然されなかったし、もうオーナーの言うがままの事件になっちゃった。もちろん、オーナーはあたしを脅して襲ったことなんて言うわけないもんね」
「絶体絶命、か」
「うん。でも、オーナーが示談を提案してきた。示談金は、ちょうどあたし自身を奴隷にして売った額くらい」
「まさか……」
「あとからあたしを買うつもりだったんじゃないかな? でも、そうはならなかったね」
「ご主人様の方が、一足早かったというわけか」
「うん。本当に……ギリギリだった」
もしあのタイミングでセカンドに購入されていなかったら、どうなっていたか。その悲惨さは想像に難くない。
「あたしの過去、こんな感じかなぁ」
「話してくれてありがとう、ミラ」
「いえいえこちらこそ、聞いてくれてありがとう、ベイリーズさん」
互いにぺこりとお辞儀をして、微笑み合う。
ミラは、これまでにない心地好さを感じていた。自分の理解者が、味方が増えたような、そんな感覚である。
ベイリーズのように受け入れてくれる人ばかりではないだろうが、仲の良い同期の数人には過去を明かしてしまってもいいかもしれないと、そう思えるくらいに彼女の心は軽くなったようだ。
「それで……わかりそう? あたしが試合に超感動した理由」
「まあ、これかなという仮説は立っている」
「ホント!? やっぱり凄いね、ベイリーズさん」
このお茶会の本題は、試合にさほど興味もなかったミラが試合映像を見て何故これほどに感動してしまったのかということ。
ミラの過去の経験にその理由のヒントが隠されているというベイリーズの予想は、見事に的中したようである。ベイリーズは半ば確信めいた表情で、言葉を続けた。
「最後のピースをはめたい。気分を害してしまったら申し訳ないんだが……一つ頼んでもいいだろうか」
「もちろん。何すればいい?」
「では――私に、ミラの特技を見せてくれ」
「!」
詐欺師と泥棒の両親に育てられたがゆえに身に付いた、ミラの特技。それが彼女にとっては誇らしくないものであり、むしろ忌まわしいものであることは、ベイリーズにも容易に想像がついた。
だからこそ、見せてくれと頼むのは、気が引けた。だが、ベイリーズの仮説が当たっていれば、彼女は……。
「……うん、いいよ。でも、どうしようかな。何しよう」
暫し考えて、首肯するミラ。それから、顎の下に右手の人差し指を当てて「うーん」と悩むポーズを見せた。
「じゃあ、そうだなぁ、えーと……ごめんね? 急で、ちょっと」
ミラは椅子から立ち上がって、周辺を観察したり、ベイリーズを観察したりと、色々考えている様子だ。
「いや、無理を言っている自覚はある。こちらこそすまない」
「あはは、ありがとう」
「協力しよう。私はどうすればいい?」
苦戦している様子のミラに協力しようと、ベイリーズも椅子から立ち上がって、優しい言葉をかけた。
確かに悩むだろう。彼女の特技は、人を騙すこと、物を盗むこと、嘘を見抜くこと、この三つ。いずれも披露し辛いものだ。
――と、ベイリーズは悠長にもそんなことを考えていた。
「あ、終わったよ」
「…………!?」
瞬間、場を静寂が支配する。
ベイリーズは冷静に自身の体をチェックしたが、特に何かをされた形跡はなかった。
では、ミラは何をしたというのか。
……賞金稼ぎとしての勘が働いたのだろう。ベイリーズは何故だか後ろを振り向いた。
「 」
自分の椅子が消えている。
椅子。椅子が消える? おかしい。こんなに大きなもの、瞬時に隠すことはおろか、気付かないうちに盗めるわけがない。
「……? ……ッ!!」
ベイリーズが次にミラの方を向いた時にはもう、そこにミラの姿はなかった。
何処へ行ったのか。再び椅子があった方へ振り返ると、今度は……紅茶とクッキーが消えていた。
「――あはははっ! ごめんね、久々だったから、やりすぎちゃったかも」
突如、死角からひょっこりミラが現れ、悪戯っぽく笑いながら、椅子と紅茶とクッキーを元の場所へと戻し始める。
「…………いや、頼んだのは私の方だから、気にしないでほしい。それに……よくわかったよ、感動の理由が」
ベイリーズは、冒険者を八年と賞金稼ぎを五年やっている猛者だ。死と隣り合わせの生活を十三年以上も続けてきたのである。だからこそ、今、ミラが何をしたのかわからないことが恐ろしかった。
「しかし、今のは一体……」
「油断だよ。あたしが悩んでると思い込んで、立ち上がったあたしと一緒に立ち上がっちゃった。その瞬間から、最後の最後まで、ベイリーズさんの油断は解けなかったね」
まさか今この瞬間に何かを盗むことなんて、できるわけが……と、少しでも考えてしまったがために、盗まれたと言っていい。
実際、ベイリーズが立ち上がるのとほぼ同時に椅子の盗みは始まっていた。具体的には、左手で椅子へ蜘蛛糸を伸ばしていた。右手を顎に当てて見せることで、注目を逸らしながら。
彼女が「終わったよ」の一言を放った時はまだ、椅子は定位置にあった。ベイリーズが自身の体へと目を向けたその一瞬の隙に、ミラは《桂馬糸操術》を発動、ベイリーズの真後ろへと椅子を一気に移動させ、ベイリーズがテーブルの方を振り返ったタイミングに合わせて椅子を手元まで移動、片手で保持し、ベイリーズの死角を意識しながら椅子と一緒に移動して姿を消したように見せ、再び振り向いた際に紅茶とクッキーも盗んだ。
ミラが特技だと言う“盗み”とは、こうして相手の行動を読みながら、それに合わせて気付かれないように行動することを意味する。そして時には、相手の行動を誘導することもある。それが“騙し”であった。
「……納得した。確かに私は油断していた。そして、そうさせたのは、紛れもなくミラか」
「うん、ごめんね。騙して盗む、あたしの得意技。不名誉この上ないけど。あはは」
ミラは自嘲するように笑って、椅子に座る。
不謹慎にも流石はサラブレッドだと感心してしまうほどの腕前。ベイリーズは暫し呆気にとられ、一拍遅れて椅子に座った。まさか自分がこれほど驚かされるとは思っていなかったのだ。
ただ、ベイリーズの知りたかったことは、十二分に知れた。パズルの最後のピースは、ピッタリとはまったようだ。
「ミラ、理由がわかった。どうか、怒らないで聞いてほしい」
「! うん」
ベイリーズは落ち着いて切り出した。
「君が興味のないはずだった試合を見て、どうしてそれほど感動してしまったのか。それは、正当化できると思ったからだ」
「……正当化?」
「そうだ。決して誇れなかった特技を誇れるようになるかもしれない。今まで卑怯だと蔑まれ悪用しかできなかった技術を、皆に評価される表舞台で正々堂々と利用できるかもしれない。そう考えたんだろう」
「…………」
ミラは考え込む。先ほど椅子を盗んだ時と同じポーズで。
一瞬、惑わされそうになるベイリーズ。しかし、ミラにそのような意図がないことは知っている。
つまりミラは、自然体で、相手を惑わすことができるのだ。これを試合でできるならば……と、実力者であるベイリーズは、そう考えてしまう。
「相手を騙すことも、何かを盗むことも、試合という舞台では全て正当化される。君は驚いたはずだ。正々堂々、騙し合い、盗み合っている、ご主人様とリンリン様の姿を見た時に。そして、自分もああなりたいと、強く願ったはずだ」
「……ううん、烏滸がましいよ。あたしは、とても、ご主人様みたいには……」
「そう、君が感情移入しているのは、ご主人様ではない。リンリン様側だろうな」
「!」
「いつか、ああして正々堂々と、ご主人様と向かい合えたら。君の大興奮の理由は、それだ」
「!!」
目を見開き、口を大きく開けて、ミラは固まった。
言われてみれば、その通りだったからだ。
「ようやく“目標”ができたんだ。ただのメイドとして特技を封印し腐らせるだけのつもりだったんだろう? だが、その間にも同期たちはどんどんと躍進していく。タイトル戦で活躍し、ご主人様に直接褒めていただいている同期を見て、羨ましく思っていたんだろう? 自分もああなりたいと、ずっと思っていたんだろう?」
「うん。いや、ホント、仰る通りすぎて……」
「冬季タイトル戦で君が今回ほど感動しなかった理由は、おそらく騙し合い盗み合う試合ではなく、大人が赤ん坊をあやすような試合だったからだ」
「なるほど! 確かにそうかも」
「ご主人様とリンリン様ほどのレベルになれば、騙すことも盗むことも、お互いに織り込み済み。決められたルールにおいて全力を尽くすことが前提である以上、騙しも盗みも正当な手法となる。あの試合を見てそう直感したから、君はそんなに感動したんじゃないかな」
「そうかも!」
「どうだろう、お役に立てたかな?」
「うん! 大当たりだと思う! ベイリーズさん、凄いね! ホントに凄い! ありがとうございますっ! とってもスッキリ!」
ミラは大盛り上がりで、手をパチパチと叩いてベイリーズに感謝を伝えた。
それから、「そっかぁ、あたしってそう思ってたんだ……」と呟きながら、改めて自分の感情に納得する。
「さて、それでは一つ、私から質問してもいいだろうか?」
「え? うん、もちろん! 何?」
「序列戦、出るのかい?」
「……!」
序列戦。不定期開催の、使用人たちのうち希望者のみが参加する戦闘能力の序列決定戦。
使用人たちがまず人目に触れる対人戦を行うことになるのは、この舞台であろう。
「多分、出ると思う。いや、ううん、出たい、かも」
「そうか」
ミラの返事を聞いて、ベイリーズは優しく微笑んだ。
ベイリーズは現在、序列9位。その9位の実力者から見て、ミラは要警戒の相手であると言えた。
「ご主人様も観戦にいらっしゃるよ。アドバイスをいただけることもある」
「え!! そ、そっか、そうだよね……あ~、恥ずかしいし、やっぱり」
「出な、ミラ。出た方がいい。悪いことは言わないから」
「……そ、そうかな。ベイリーズさんがそう言うなら、うん、じゃあ、出る」
ファーステストのためにも、ミラの特技は活かした方がいい。ベイリーズはそう考え、ミラに序列戦の出場を勧めた。
彼女の過去をとやかく言う者など、ファーステストにはいない。ベイリーズにはそんな確信があった。
否、もしいたとすれば、とやかく言えない体にすればいい話。
ファーステストの太陽と月ことエルとエスに更生を頼むという方法もある。
最悪、メイド長への相談だ。これで解決しない問題は一つもない。
「ベイリーズさん、今夜はありがとう。おかげで明日から仕事が手につきそう」
「それはよかった。何かあったら、またいつでも相談してくれていい」
「うん! そうするね。ホントにありがとう!」
夜も深まってきたので、解散しようとミラはお礼を言って席を立った。
やれやれ優しい子だと、ベイリーズは去ろうとしているミラに向かって口を開く。
「ミラ、私の過去についてだが」
「あっ」
過去を教えてくれる代わりに、自分も過去を教えると話していた。
ミラはすっかり忘れていたようだが、ベイリーズは律儀にもその約束を守り、簡潔に言葉にして伝える。
「貴族殺しの犯罪奴隷だ。元冒険者で、元賞金稼ぎ。色々と情報も持っている。私の身柄を欲しがっている者は少なくなかったが、ご主人様に救っていただいた」
「……何かワケがあったんだね? 殺さなきゃいけないワケが」
「くっくっく、ありがとう、その通りだ。理由については長くなる、今度話そう」
「うん! お休み~!」
「お休み」
笑顔で別れる二人。
ベイリーズは、やはり優しい子だと思いながら、ミラを見送った。
彼女は、貴族殺しの犯罪奴隷と聞いて、顔色一つ変えず、すぐさまベイリーズの正当性を信じたのだ。
このファーステストは素晴らしい場所だと、思わず笑みが溢れた。
外で貴族殺しなどと口走ってみろ、誰も近寄ってこなくなる……と、ベイリーズは空になったティーカップの中を見つめて考える。
ふぅと息をついて空を見上げると、そこには満天の星と、大きく光る月の姿。中庭の四方を囲む使用人邸が、まるで額縁のようであった。
ミラはついに、あの使用人邸から出て、月の傍で輝く星になろうと決意した。絵画を支える額縁ではなく、絵画そのものの一部となって月を引き立てる役目だ。
私は、どうしようか――ベイリーズは考える。
かれこれ一年、額縁のまま。しかし、この額縁は、とても居心地がいい。
できることなら、両方を行き来する存在でありたい。それが彼女の理想であった。
そのためにも、まずは、月と星に全力の応援を。
そして、次の序列戦では、長らく温めていた秘策を。
何もかも、楽しみなことばかり。ファーステストの未来があまりにも明るくて、ベイリーズは目を細めてくつくつと笑った。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回から『第十三章 アーティファクト編』です。
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