267 雪に舞い今に消ゆ
ごとごとと揺れる馬車の中で一人、ラズベリーベルは、どうしたものかと考えていた。
心配事は山ほどある。エコは自分のちょっとしたアドバイスだけで上手くいっただろうか、シルビアはフィニクスの群れに囲まれて消し炭になっていやしないだろうか、センパイは自分がいない間にまた誰かに言い寄られて鼻の下を伸ばしているのではないだろうか、など。考え始めたら切りがない。
昔から心配性なところはあった。そして、完璧主義でもあった。ゆえに、誰よりも思考した。
良く言えば頭脳派だが、悪く言えば頭でっかちだ。
彼女は“本物”に憧れている。本物の男に憧れていた頃もあれば、本物の女に憧れていた頃もある。それに何より――あの男の存在が、常に頭の中にあった。
だから彼女は考え続けるのだ。あらゆる本物に追いつけるように、自分も本物になれるように、彼女の一番の武器である頭脳を使って。そうして、頭一つでここまで食らいついてきた。
だが……今回ばかりは、相手が悪かった。
「あかん、上手くいくビジョンがちっとも浮かばへん……」
風の精霊ネペレー。今回の三人の狙いの中で、セカンドが最も警戒していた相手だ。
その理由は、ネペレーのキャラクターにあった。
“不思議キャラ”と、そう評する者もいる。ラズベリーベルも同意見だった。
ただ、それは、ゲームの中での話。問題は、あの不思議キャラが自我を持つことで、一体どうなっているのか……ラズベリーベルは、それがとにかく怖いのだ。
案外、すんなりと行く可能性もある。だが、その逆に、物凄く手こずる可能性もある。
どうなるかは、やはりネペレー次第……。
「――あ痛ぁ!? ちょ、もうちょい丁寧に止まれやアホ!」
不意に、急ブレーキで馬車が止まる。
ラズベリーベルは馬車の中を転がりながら、言葉が通じるんだか通じないんだかわからないスレイプニールに対して反射的に文句を言った。
それで機嫌を損ねてしまったのかはわからないが、待てども待てども馬車が止まったまま動かない。
あまりに動かないのでおかしいと思ったラズベリーベルは、よっこいしょと立ち上がる。
「着いたんかな――?」
馬車後方の小さい窓を開けると、そこは雪原だった。
「…………ほんまかいな」
ラズベリーベルは暫し呆気にとられた。長いこと全く外を見ずに考え事をし続けていたため、自分が今何処にいるのかがわかっていなかったのだ。
ここは、ネペレーの暮らす家の目と鼻の先。通称「雲の平原」である。
「うっわぁ、一面銀世界や……!」
馬車の外に降りてみると、足に雪の柔らかな感触と冷たさが伝わってきたようで、ラズベリーベルは不意に興奮した。今、季節は晩夏。夏に雪を見れるというのは、些か素敵なサプライズだったのだ。
「――んっふっふ! 喜んでくれたようで何よりっ!」
馬車の上から、中性的な声。
ラズベリーベルが振り返り見上げると、そこには――。
「……なんかえらい雪積もっとらん?」
「君が出てくるのが遅いからだろう!」
「いや上に乗っとるとは思わんやん普通」
「それも確かに!」
黒のゴシックドレスに、バッチリメイク、黒のリップ、黒のマニキュア、黒髪にピンクのメッシュが入ったロングヘア。
間違いなくラズベリーベルの知る風の精霊ネペレーが、雪まみれで馬車の上に立っていた。
何故、馬車の上に立ってラズベリーベルが出てくるのを待っていたのか? その理由は恐らく誰もわからない。
「さあ、来て。僕の家に招待しよう」
ネペレーはふわっと舞い降りて、ラズベリーベルの前に立った。
身長は、ラズベリーベルより十五センチほど高い。太ヒールのパンプスの分を除いても、ラズベリーベルより背は高そうだ。
「あ、うちは、ラズベリー」
「いい! そういうの、今はいい! わかってないなあもう!」
「わぁ!? なんやなんや! 急にキレるなや!」
「あーあ、台無しだよ。いい感じだったのに」
ラズベリーベルが名乗ろうとした瞬間、ネペレーが大声で邪魔をした。
「ねえ、今、自己紹介の場面じゃないでしょ? 互いに名前もわからないまま色んな話をして、最後の最後の契約の時に名乗り合うのが素敵なんじゃないか! 今こんな移動中のついでみたいな感じで自己紹介されてもね、なんの絵にもならないんだよ。もったいないの。わかる?」
「尽くわからへん」
「だよね! 僕もそう思ってた。じゃあ行こうか」
「情緒どないなっとんねん……」
いきなり怒ったかと思えば、一瞬で鎮静化する。
「怒ってても仕方ないからね。そうそう、君が何もわかっていないのは、仕方のないことなんだ。失礼した。それでは道すがら、僕がここでの流儀について教えてあげよう」
とにかく切り替えが早く、滑舌よく喋り、身振り手振りが大きい。その特徴は、ラズベリーベルの知っているネペレーそのものであったが……何処か、違和感があった。
こういうキャラクターだと事前に知っていても、実際に相手をするとなると話が違う。これは思った以上に面倒くさくなるぞと、ラズベリーベルは静かに覚悟を改めた。
「僕はね、ショーにハマっているんだよ」
「ショー?」
「そう! 見世物さ」
ネペレーはラズベリーベルの数歩先に踊り出て振り返ると、演劇じみた動きで両手を広げて天を仰いだ。
「君は、僕と契約したいんでしょう? それなら、僕はショーをしたいんだと心に留めておいてもらわないと困るよ。僕はね、見る人の心を痺れさせるような、素晴らしいショーをしたいんだ!」
「…………」
ラズベリーベルは、思った。天を仰ぎたいのはこっちの方だ……と。
彼女の知っているネペレーという精霊は、別段「見世物にハマっているキャラ」ではなかったのだ。
つまるところ、この世界のネペレーは、不思議キャラに加えて見世物大好きキャラでもあるということ。
「めんどくさっ!」
声に出した。
「!?」
あえて、出した。
長い長い馬車の時間で練ったラズベリーベルの作戦は、こうである。
――何一つ取り繕わない。
常に本音でネペレーと会話をすること、これが最有力と思われる作戦だった。
何故なら、どんなに体裁を整えたところで、どうせ後でバレるのだ。相手は精霊、内面を覗かれたら一発である。
となれば、もう最初っから本音で喋ってぶつかり合うよりない。この時点で相性が悪ければ、それまでの話だ。
「うちかてショーはええと思うよ。正味、うちもショーっちゃショーの人間やから、魅せるんが好きなんも、観客楽しませたい気持ちもわかんねん。せやけど、こんな、なぁ? 日常的にやることちゃうやろ? 会ったばっかのうちまで巻き込んで」
初対面で、説教。
しかし、これがラズベリーベルの素であり、率直な意見だった。
メヴィウス・オンラインの頃とは、似ているようで大きく違う。精霊を道具のように使っていればいいのはゲームだけである。この世界では、精霊とは一生の付き合いになるのだから、なるべく良好な関係を築く必要があるのだ。
ゆえに、ラズベリーベルは初対面でもツッコミを入れるし、説教をする。彼女の行動は、どれも未来を見据えてのことであった。
「……うん。君、随分と言うね。新鮮でいいよ!」
ネペレーは、広げた腕を下げ、強がるように笑って口にする。
「うん、うん。よく考えたら、いきなりじゃ君に迷惑だったね。ごめんよ」
それから、ぺこりと頭を下げて謝罪した。
この精霊、どうやら誰かに説教されたことがあまりないようだと、ラズベリーベルは目敏く見抜く。というのも、急に静かになり、そわそわとしながらちらちらとラズベリーベルを観察しているからだ。パッと見、先生に叱られた小学生そのものである。
「ショーが好きなんか?」
「そうなんだ! 何かを見せて、誰かを楽しませたい。君の言葉を借りれば、魅せたいというやつかな。うーん、君、頭良いね。なかなか魅せるなんて言葉出てこないよ。魅せる、かぁ……くぅ~っ、良い言葉!」
ラズベリーベルが話を振ると、ネペレーはパァッと笑顔になって語り出す。
「僕は毎日ショーのように暮らしていたから、つい君に付き合わせてしまったよ。僕の伝えたかったことはね……」
そして、ビシッと指を差し、演劇のような大げさな動きをして言う。
「君と一緒にショーをしたいということなんだ!」
だったら最初からそう言ったらいいのにとラズベリーベルは思ったが、言わずとも行動では示していたことに気付き、ネペレーという精霊の性格が少しわかったような気がした。
「なるほどなぁ。でもうち、歌とかダンスとか、あんまできひんからなぁ」
「まあ、ショーであればなんでもいいさ。じゃあ、そういうのがいらないショーにしよう。僕の中で重要なことは、誰かに何かを見せて楽しんでもらうってことだからね」
「せやったら、タイトル戦なんてピッタリやと思うけどな、うちは」
「タイトル戦? なんだかワクワクする名前だ。戦うのかい?」
「戦うで。観客も凄いで。目立ち放題の魅せ放題や」
「へぇ、素敵だね。でも戦いかぁ、僕は少し苦手かな」
「まあうちが言うた通り動いといてくれたらええねん」
「なるほど!」
雪道を歩きながら、会話を弾ませる。
平原の真ん中にぽつんとあるネペレーの家は、もう何十メートルか先に見えていた。
「次はうちから質問してもええか?」
「どうぞ、なんでも」
「なんで、うちが魅せるって言うたのわかったん? 普通、見せるって思うやろ?」
突然、空気が止まった。
それまで降っていた雪が、ぱたりと止んだのだ。
「おぉ……本当に頭良いね、君。そこに気付いちゃうか」
ネペレーが感心するように口にした。
何故、雪が止んだのか。ラズベリーベルはその理由を既になんとなく察している。
「それはね、僕と君がとても近しい存在だから。契約する前から既に念話のようにして言葉以上の意味が伝わっていることが、何よりの証拠さ」
「念話か。センパイも言うとったな」
「君、一度死んでいるでしょう? 凄く話しやすいよ、僕にとってみれば。ただ、怖いのは……君の中に溶け込んで、消えてなくなってしまいそうでもある」
一度止んだ雪が、今度は吹雪となって降り始めた。
家の前に到着した二人は、しかし中へと入らずに、対峙して語り合う。
「こうして少し話しただけで、君のことを凄く知ってしまった。これはつまり、僕は君に引っ張られているということ。僕は君に呑み込まれつつあるということさ」
「うちもそれ、聞いたことはある。精霊と使役者は似るって話やんな」
「そう。バランスが良ければ、それくらいで済む。でも悪ければ……」
ネペレーはあえて口にしなかったが、ラズベリーベルはその表情で察した。先ほどの言葉通り、消えてなくなるのだろうと。
「まあ、そこまでは大丈夫だと思う。ただ、万が一という可能性もある」
「せやな」
「だからね、僕は、この場で性別を決めようと思うんだ」
「ん……?」
急に、話の方向が読めなくなった。
「君、元は男でしょう? 話していてわかったよ」
「やっぱり隠されへんか」
「だから僕も男になろうと思う」
「……はい!?」
ラズベリーベルは声を裏返して驚く。
ネペレーの見た目は、中性的ではあるが、明らかに女性のものだったからだ。
「肉体というのは存外、精神に大きな影響を及ぼす。君と僕との決定的な違いを作り出すことで、僕は君に引っ張られ過ぎなくなる。加えて、実体験することで、君のことも更に理解できるようになるという寸法さ」
ネペレーは相変わらず演劇のような口調と動きで説明し、最後にパチンと指を鳴らした。
「ということで、男になろうと思うよ」
「い、いや、ちょい待ちぃな! そんな簡単に性別って決めてもうてええんか!?」
「駄目だよ。一度決めたら二度と戻せない」
「あかんやん! もっとよう考えんと!」
「あ、もう男に決めちゃった」
「早ぁ!?」
どうやら話の最中に性別を決めてしまったようである。
容姿は特にこれといってなんの変化もないが、性別は完全に男だ。ネペレーの性別はハッキリと男に固定された。
「さあ、これで契約できる」
ネペレーはそう言って微笑むと、両手を広げて胸を張る。
瞬間、びゅうと吹雪が強まって、彼の長髪が風に舞う。
「もう知っているよね? 僕の名はネペレー。風の精霊。人は僕を雲の精霊と呼ぶ」
「……うちは、ラズベリーベル。色々とワケあって、あんたはんと契約したいんや」
「ワケについては、察しているよ。ラズベリーベル、君は僕の能力についても既に知っているんだろう?」
「せや。うちは、その能力が欲しゅうてあんたはんに声を掛けとる」
「憧れのセンパイのため?」
「そこまでバレとんのか」
「よほど相性が良いみたいだ。殆ど筒抜けだね」
セカンドとアンゴルモアのコンビと同じく、一方通行な筒抜けのようであった。
「僕は君に運命を感じている。君も、そのセンパイも、契約するなら僕しかいないと考えているんでしょう? 正直言って光栄だ。君のその明け透けさも好印象、聡明さはもっと好印象。契約するなら君しかいないと、僕もそう思うよ。だから僕は男になった」
吹雪は更に強まり、轟々と音が鳴り始める。
立っているのがやっとという風。まるで二人の移動を阻むような吹雪だ。
「うちは、そういう運命的なもんはようわからへんけど、あんたはんと契約できたら便利やなぁとは常々思うとる。そうやって舞台の演出みたいに自由自在に能力使うとるやろ? うちもそれがしたいねん」
「自由自在ではないよ。でもまあ、君の考えている程度のことならお役に立てそうさ」
ネペレーは数歩前進し、ラズベリーベルに近付いた。
それから、右手を前に出す。
「さあ、君も」
「はいな」
お互いに右手を突き出し、相手の心臓の位置へと指先を伸ばす。
「僕が溶けてしまうことなく、無事に契約できたら……中に入ってお茶でも如何でしょう?」
そして、ネペレーは芝居がかった口調でそう言った。
ラズベリーベルはこちらの世界のものを口にできない。ネペレーもそれを知っているはずだが、あえて、台詞として言ったのだろう。
「共にショーをしよう」――という、ネペレーからのお誘いの一言だ。
「うちはテラスがええな。きっと晴れるやろ?」
ラズベリーベルは、その誘いを受けた。
何かをして誰かを楽しませたい。その気持ちは、彼女とて以前から持っていたのだ。
「では、そのように」
ネペレーがにっこりと笑うと同時に、互いの指先が心臓の位置へと触れる。
――直後、本当に晴れた。吹雪は嘘のように止み、分厚い雲が避け、太陽が二人を照らす。
二人は一瞬のうちに、お互いの内面を覗き合った。
何故、ショーに憧れるようになったのか。何故、黒系のファッションが好きなのか。ラズベリーベルはネペレーの様々な部分に触れ、こう思った。
ネペレーは、不思議キャラなどではなく、至って普通であると。
ただ、好奇心旺盛で、お茶目で、お喋りな精霊なのだと。
そんな普通の精霊が、自分と契約したいがために、一大決心で性別を男に決めたのだ。そう考えたラズベリーベルは、なんとも言えない嬉しさを感じた。
こうして、無事、契約が結ばれる。
太陽に照らされた雪がキラキラと輝く中、二人は無言で微笑んだ。
互いに理解が深まったことで、二人の間に多くの言葉は必要なくなったのだ。
ただ、これだけは言っておかなければならない。ラズベリーベルは、おもむろに口を開いた。
「そうそう、テラスだけに照らす……ってやかましいわ!」
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