260 蚊
眼前に、俺にとっては馴染みの光景が広がっていた。
緩やかに流れる川。手前には、一艘の渡し舟と、笠で顔の見えない一人の渡しが立っている。
「ほ……?」
まず最初に来たのはエコだった。
エコはきょろきょろと周囲を見回し、俺を発見すると「せかんど!」と笑顔になって駆け寄ってくる。
「エコ、お金は持ってるか」
「もってる! じゅうにまい!」
「六枚だけあの人にあげて船に乗ると、川の向こうに運んでくれるから、先にあっちで待ってな」
「はんぶんだけね、わかった!」
エコは六枚だけ小銅貨を握りしめて、渡し舟の方へ走っていった。
渡しが銭を受け取ると、チリーンと鈴が鳴り、エコを乗せた渡し舟がゆっくりゆっくり動き出す。
「……ここは……」
お次はシルビアか。
多分、寝つきの良かった順に来ているんだな。
俺はリンリンさんとの試合後で疲れていたからか、自分でも引くくらい一瞬で寝た。エコはいつでも何処でも眠れる才能がある。シルビアとラズは真昼間に眠れる自信がなかったようで、ラズ印の睡眠薬を使用していた。徐々に効いてきているはずだから、ラズもそろそろ来るだろう。
「シルビア。あの船が帰ってきたら、渡しに6CLだけ渡せ」
「うむ、わかった。6CLだな」
「絶対に、絶対に6CLだけだぞ。間違ってもそれより多く渡すなよ。でないと……」
「でないと……?」
「……先に行け」
「でないとなんだ!? 脅かすだけ脅かして放置はよせっ」
「いや、別に大したことじゃない。ただ一生帰ってこれなくなるだけだ」
「めちゃめちゃ大事ではないかぁ!!」
相変わらず良いリアクションするなあ。
「嘘嘘。一生は盛った。誰かが迎えに来れば普通に帰れるから」
「セ……」
「?」
「セカンド殿ぉーッ!!」
「ウヒィ!」
どうもからかい過ぎたようで、シルビアがキレた。両腕を上げてギャースッと威嚇してくる。
俺が大袈裟に逃げると、シルビアはぷいっとそっぽを向いて、渡しの方へ歩いていった。
仕方ない、あとで謝っておくか。
「……ごっつ空いとんなぁ……」
最後に来たのはラズだった。
“三途の川”を見渡して、そんなことを呟いている。
「俺もさっき驚いたわ」
「せやんなぁ。こない空いとる三途の川、うち初めて見たわ」
そう、ここは有名な混雑スポット。
精霊界を訪れるには、この通称「三途の川」を渡らなければならない。その際、初回のみ「6CL支払って渡し船で川を渡る」というどうでもいい専用ムービーが挿入されるため、この河原はいつもムービー終了待ちのプレイヤーで大渋滞が起こっていた。
しかしこの世界では、精霊界を訪れるプレイヤーはちっともいないらしい。俺らで貸し切り状態だ。
「あ、ムービーちゃうんや……」
戻ってきた渡し舟に乗り込んだラズは、開口一番にそんなことを言う。
渡しに6CL手渡すと、じわ~っと動き出した。
「…………」
無言で運ばれていくラズ。なんだかシュールである。
試しに手を振ってみよう。
「! やっほー! なぁ~んて言うてみたり……あ、あかん、恥ずなってきた」
元気に振り返してくれた。
何やら手で顔を覆っているが、そうこうしているうち、特に問題なく向こう岸へと到着したみたいだ。
さて、渡し舟が戻ってきたので、俺も乗り込もう。
笠の人に6CLあげると、チリーンと鈴の音がして、ずずずと動き出す。
「上手いですね、操船」
「…………」
話しかけてみたが、特に反応はない。
いや、でも、この世界の傾向的に、多分この人も生身の人間のはずなんだけどな。それとも……。
あ、向こう側が見えてきた。シルビアたちがこっちを見て待っている。
「シルビアごめん」
「……ンフッ! わ、わかったから、よせ。なんか面白い」
「ごめんシルビア」
「わかったから! 真顔で謝りながらスィーっと近付いてくるな!」
「ごめんて」
「ンッフフッ、わかったと言っているだろうが!」
早めに謝っておこうと思ったら、なんか笑いながらまた怒られた。
なんで面白いんだろう。確かにさっきラズが運ばれていった時も面白かったけど、何故これがこんなに面白いのかがわからない。シュールだからかな。
「どうもありがとう」
笠の人に礼を言って、岸に降りる。なかなか面白いアトラクションだった。
「じゃあ行こうか」
全員揃ったところで出発。砂利を踏みしめて河原を歩いていく。
暫く進むと、河原で石を積んで遊んでいる子供たちの姿が見えた。へぇ、こいつらもメヴィオンの時と変わらずここにいるんだな。
「……なんだか不気味だな、セカンド殿」
「たのしくなさそう」
シルビアとエコが率直な感想を口にする。
「どうなったら勝ちなんだろうな」
「いや、どう見ても勝負事ではないと思うのだが」
じゃあなんなんだろうか。
「賽の河原やな。あの子らは、両親の供養のために石を積んどる」
そうなんだ、初めて知った。
「ラズは物知りだな」
「えへへ、それほどでも~」
鼻の下をこすこすとして、それほどでもありそうな感じで照れているラズ。そんな美人面でそんなコミカルな動きをされると、ちょっとキュンとしてしまうな。
「ま、待て、ラズベリーベル。供養と言ったか? ということはつまり、あの子たち全員の両親は、既に亡くなっているということか?」
「……逆や。あの子らがもう亡くなっとる」
「何……?」
「先立った親不孝の報いで、あんなことをさせられとるんや。あの石の塔が完成間際になると、鬼が崩しに来よんねん。せやからあの子らはずーっとずーっとあそこで石を積み続けるっちゅうわけや」
それマジ? なかなかヘビーな話だな。
「……救いはないのか?」
シルビアが真剣な顔でそう口にした。
こいつのこういうところ、好きだ。へんてこな詐欺にも騙されてしまいそうなくらい純粋で、真面目で正義感のある彼女の、その澄んだ川の水のような心の清廉さが。
「地蔵菩薩が救いに来るらしいねんけど……いつ来るかは誰もわからへん。十年後か、百年後か、もしかしたら一億年後かもしれへんな」
「年端もいかぬ子供が、先立ったというだけでこのような罰を受け続けなければならないというのは……納得いかないな、私は」
というか、そもそも誰がそんな罰を受けさせているんだろうな?
俺たちはもう、なんとなく答えを知っているような気がするが。
「…………待て。精霊界……そう、ここは精霊界と、セカンド殿はそう言っていなかったか?」
はたと歩みを止めたシルビアが、血の気の引いた顔で聞いてくる。
「そうだ」
「ラズベリーベル。あの子たちは、もう亡くなっていると……そう言ったな?」
「言うたで」
「…………」
シルビアは顔面蒼白で沈黙した。
「あたしたち、おばけになっちゃった?」
暫しきょとんとしていたエコが、こともなげに核心へと触れる。
いや……どうなんだろう。もしかして、そうなのか?
「一時的になっとるんかなぁ? どうやろなぁ」
「どうやろなぁ、ではない! 精霊界は明らかに死後の世界だぞ! そ、それはつまり、私たちは、し、し、死ん……ッ」
「――で、ないよ~。だいじょぶ、だいじょぶ」
突然、藪の向こうから声がした。
振り返ると、そこには、ウィンフィルドの姿。
「よかった、死んでないのか」
ウィンフィルドが言うなら間違いないな。
と、俺は心から安心できたが……シルビアはどうもそうではないらしい。
「おや、信じて、ないねぇ? シルビア、くん」
「……う、む。いや、信じたいのだが、恐ろしさの方が勝ってしまっていると言うべきか」
「うん。そう、みたい、だねぇ……うーん、どうしよう」
ウィンフィルドは、どうしたものかと思案している。
…………おや?
「そうだ、皆、ちょっと、こっちに、来てみて――」
「――おい。てめえ誰だ」
さてはウィンフィルドじゃないな?
「あ、やっぱりなぁ。うちもウィンウィンぽくないと思ってん。センパイが言うんやから間違いあらへんわ」
「ああ。まずシルビアの思考を当てられていないところで違和感があった。加えてウィンフィルドは、人前では滅多に悩まない。悩んでいる風を装うことはあるが、それには必ず意味がある。そして挙句に、そうだ、だと? そうだ、と今思い付いたように言った意味はなんだ? お前、どうせ偽物なんだから、意味なんてないんだろう? なあ」
「……チッ……」
問い詰めると、ウィンフィルドの偽物は舌打ちをして藪の中へと逃げていった。
おいおいおい、なんなんだよ一体。
「どゆこと……?」
エコも流石に混乱したのか、口をパカッと開けて目を点にしている。
その顎を撫でて口を閉じてやりながら、かける言葉を考えていると、ラズが先に喋り出した。
「うちらを引きずり込もうとしとるんやろ、知らんけど」
「……ということは、やはり、ここは死後の世界なのだな」
なんだか怖いことを言うラズに対して、シルビアが色々と諦めたように呟く。
うーん。もしそうなんだとしたら、脅威だな。最大級の警戒が必要である。
「あ」
言ってるそばから、次のお客さんだ。
「しくしく、しくしく」
赤い着物の小さな女の子が、地べたに座ってしくしくと泣いている。
転んで擦りむいたのか、膝には赤い傷跡。
「むっ。おい、大丈夫か? 転んだのか?」
……いや、そういうところ好きだけどさぁ、シルビア……。
「シルビア、止まれ」
「シルビアはん、ストップ」
「しるびあ、だめ!」
女の子に近づこうとしたシルビアを、三人がかりで制止する。
「な、何をっ」
「しるびあ、おろか。あやしいよ」
「っ……う、うむ。すまない」
エコが真剣な顔で見つめてきてそんなことを言うもんだから、シルビアは急激に冷静になった。
まあ、どう見ても怪しいよなあ。それにしても、あの手この手だなおい。
「…………」
暫く、距離を取ったまま観察することにした。
一分経過。女の子は、まだしくしくと泣いている。
その痛ましい姿を見ていると、なんだか本当に転んで泣いているんじゃないかと思ってしまうほどだが……どうなんだろうなあ。精霊界に、転んで泣くような子供っているのかぁ?
「ううむ、セカンド殿。あの子供、本当に転んでしまったのではないか?」
ちょっとシルビアが騙されやすすぎて心配になってきた。
あっちの世界では弓術最高峰の彼女だが、精霊界ではいいカモだろう。
「なあ、セカンド殿。やはり――」
「 」
――――次の瞬間、女の子の座っていたところへ、上空から巨大な岩石が落下してきた。
ズゥンと、地面が揺れ、土煙が舞い上がる。
いや、わけがわからん……。
「あら~、お久しぶりです~、セカンドさん~」
そして、姿を現したのは――土の大精霊、ノーミーデス。シェリィの相棒だ。確か名前をテラといったか。
「久しぶりだな、テラさん。シェリィは元気か?」
「はい~、それはもう~。うふふっ。よくセカンドさんの話をしてますよ~」
「そうなのか」
相変わらずゆったりとした雰囲気の精霊である。
「こ……殺してしまったのか……?」
シルビアが、岩を指さしながら、テラさんに尋ねた。
すると、テラさんは「ん~」と一拍置いてから喋り出す。
「蚊がいたので~、潰しておきました~」
藪だけにってか。彼女なりに言葉を選んだのだろうが、逆に恐ろしく聞こえるな。
そのせいか、シルビアは絶句していた。
そこへ畳み掛けるかのように、テラさんが口にする。
「それに~、ここは精霊界ですから~、殺すことはできないんですよ~」
「殺せへんのか」
「はい~。精霊界は、彼の世と此の世の狭間ですから~」
精霊界は、彼の世と此の世の狭間。確かアンゴルモアも同じようなことを言っていた。
つまり、まだ死んではいない。死ぬ一歩手前ということだろう。
「さて~。それでは、出発しましょうか~」
「ん? 何処へだ?」
出発って、俺たちはまだ明確な行き先を決めていない。
どういうことかと尋ねると、テラさんはふわりと微笑んで、言った。
「大王様のお家まで、私がお守りいたします~」
お読みいただき、ありがとうございます。
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