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始まりは意外にも静か、そして、緩やかであった。
先手を取ったセカンドは、ミスリルバックラーを取り出し《飛車盾術》の準備をちらりと見せる。
後手となったリンリンは、ミスリルコンパウンドボウを取り出し貫通効果のある《角行弓術》での迎撃を見せた。
セカンド、スキルキャンセルしながら盾を仕舞い、即座に《龍馬体術》の準備。ダッシュパンチで間合いを詰め、矢を射られた瞬間に地面を殴って飛び上がる狙いだ。
その接近を少しばかり嫌がっているリンリンは、スキルキャンセルから弓を仕舞い、蜘蛛糸を取り出して《龍馬糸操術》の準備を開始した。
この状態で……何故か、互いに一息つく。
「どうして止まった?」
いつの間にやら審判であるラズベリーベルの横に移動したプリンスが、疑問を口にした。
「お互いに理想形を目指しとる」
「理想形?」
「理想形は理想形や。この形にできたら理想的っちゅうくらい、勝ちやすい優れた形のことや。ええか? 上級者同士の試合っちゅうのは、基本的に序盤・中盤・終盤と三段階に分かれとるもんなんや。ほんでそれぞれ、目指すべきことがちゃうねん」
ラズベリーベルは三本の指を立て、プリンスへと懇切丁寧に解説を始める。しかし、視線は決してセカンドとリンリンから逸らさなかった。
「序盤は、お互いに体勢を整えるフェーズや。理想形を目指して牽制し合うて、自分の得意な体勢の構築と相手の得意な体勢の阻止を同時に狙うねん」
「へぇー。じゃあ中盤は?」
「仕掛け合いの騙し合いや。難解な読み合いの中で、ちょっとでも自分の有利を築こうともがきながら、相手をなんとか欺いて、必勝形を目指す感じやな」
「終盤」
「詰ませ合いや。うちの私見やけど……目敏く読み切り、恐れず踏み込み、紙一重の勝負を決めに行く感じやなあ」
序盤・中盤・終盤の説明をラズベリーベルから受けたプリンスは、いまいち理解しきれずに首を傾げる。
ただ、目の前の二人が非常に高度なことを、それこそ、元天網座ですら理解の及ばないようなことをしているということだけは、ハッキリと理解した。
「よくわかんねぇーが、とにかく今は序盤ってわけか……」
「せやけど、それだけやない」
「?」
「この世で最高峰の序盤や。せやから……慎重にもなる」
そう、ラズベリーベルの言う通り、セカンドとリンリンは慎重に、そして、じっくりと一手一手を噛み締めるように序盤を進めている。
ここまで定跡形。それも、彼らがクラックされる直前まで流行していた「タヒユカ」の“最新形”とされていた手順である。
タヒユカとは、盾・飛と弓・角から始まる序盤の定跡を指す。それぞれの頭文字を取ってタ・ヒ・ユ・カだ。あまりに難しく常に死と隣り合わせの様子から、時には「死床」と呼ばれることもある。
このタヒユカは、“対抗形”の定跡だ。近距離攻撃を狙って接近を目指す先手と、それを遠距離攻撃で阻止しようとする後手、この近と遠が対峙する形を対抗形という。
対抗形は、「ナイフと銃、どちらが強いか?」という戦いに似ている。ほとんどの者は銃と答えるだろうが、彼ら上級者は口を揃えてこう言う。「距離による」と。
「序盤定跡は決して一本道やない。一寸先は闇や」
素早く動いて接近しナイフを突き立てんとするセカンドと、冷静沈着に狙いを定めて銃を構えるリンリン。
定跡通りの進行と言えども、いつ定跡から外れるかわからないという懸念が二人にはある。それは、浅い外れ方などではない。長い時間をかけて考えに考え抜かれた、トップランカーの研究手。突然、無重力空間に放り出されるような落とし穴的な一手が、何処かで待ち構えているかもしれないのだ。
ゆえに、愚直な全力疾走はできない。必ず慎重になり、思考を挟まなければならない。彼らはそれを経験で知っている。嫌というほど。
定跡とは試合中に一々考えずに済む方法、思考をあらかじめ済ませておくことで思考時間の短縮を図る技術。
だが、彼らほどになると、あえて試合中にも思考する。テストで言えば見直しのようなもの。より精度を上げるための一工程。そうすることで、相手にも試合中の思考を強いるのだ。
「…………」
リンリンは首を傾けながらちらりと右上を見て、すぐにセカンドへと視線を戻す。
特に右上に何かがあるというわけではない。これは、リンリンの思考時の癖である。
「さて」
読みが入った。セカンドはリンリンの癖を目敏く見抜くと、素潜りの準備をするように大きく息を吸う。
……それは、彼にとってとても久しぶりの感覚。
握った拳の中で、ぬるりと指輪が滑る。試合で手汗をかいたのは、この世界に来てから初めてのことだった。
そして、唐突に試合が再開する。
セカンドは準備が完了している《龍馬体術》でダッシュを開始。
リンリンは《龍馬糸操術》によって放射した蜘蛛糸でセカンドを捉えようとしたが、セカンドは間合いギリギリで地面を殴り、空中へと飛び上がった。
定跡通り、そして読み通り。リンリンは落ち着いて《龍馬糸操術》をキャンセルし、蜘蛛糸を捨てながら《火属性・参ノ型》《風属性・弐ノ型》《風属性・弐ノ型》《相乗》の詠唱を開始する。火・参に風・弐を二つ乗っけて拡散しまくる【魔魔術】、通称「火炎放射」だ。これで絶対に回避できない“着地攻め”をしようというのが、リンリンの狙いである。
当然、セカンドもこうなることは読んでいた。
そして――突然、新手が出る。
「――変身」
セカンドは、飛び上がった瞬間、空中で《変身》したのだ。
この一手で、序盤から中盤へと移行したと言ってよいだろう。ラズベリーベルもそう感じたようで、「こっから中盤」と早口で呟いた。
《変身》は、スキル硬直時間に縛られず発動できるスキルのうちの一つ。主な用途は緊急脱出、ゆえにこのタイミングで発動するのは、リンリンとしては些か違和感があった。
「……ああ」
しかし、流石は元世界5位のプロ。リンリンはセカンドの新手の狙いを一瞬のうちに看破する。そして、セカンドに聞こえない程度の音量で、納得の声を漏らした。
「ッスー……」
直後、右上をちらりと見て、歯の隙間から息を吸いつつ、読みを入れる。
セカンドが早めに《変身》を発動した意味。それは、変身中の無敵8秒間のうち、自由に行動できない6秒間のいくらかを空中で経過させてしまおうという狙いだった。
基本的に無敵時間は長く活かせるのなら長いほど有利とされていたが、《変身》において本当に大切なのは最後の2秒だという意見もまた正しいのだ。この2秒を何処に持ってくるか、それを突き詰めて研究した結果が、セカンドのこの新手というわけである。
「よし」
リンリンはほんの2秒にも満たない読みを終えると、即座に火炎放射を発動した。
早めの変身には、早めの魔魔術。これが彼の結論。
実際、この対応が最善と言えた。ゆえに、セカンドは堪え切れず口角を上げてしまう。
「精密流」――リンリンのプロ時代の異名である。
まるでAIのように深く精密な読みで、如何に難解な場面でも全く間違えないことから、彼はそのように呼ばれていた。
……衰えていない。それも、微塵も。
セカンドは、とても嬉しく思ったのだ。リンリンが、まだメヴィオンを楽しんでいてくれたことを。
てっきり嫌になったのだと勘違いしていた。だが、どうやらそれは杞憂のようだったと、この読みの鋭さを見て思い直す。彼は現役時代から何も衰えていない。これは、この世界に来てからも、なんだかんだ言いつつメヴィオンを続けていた証拠だ。
「ツンデレ戦法、ね」
リンリンの生み出した天網座戦の戦法を口に出して微笑みながら、セカンドは燃え盛る火炎の中へと着地した。
無敵時間は残り4秒。2秒経過で、行動が可能となる。
しかし、視界は最悪だ。びゅうびゅうと吹く風で波打つ炎が、リンリンの姿を上手く隠していた。静まるまで待つには、時間が少し足りない。つまり、視界が悪いまま、無敵で行動できる2秒間をどうにか活かさなければならない状況だ。
だが、それは相手も同じこと。ここはまだ、セカンドにとっては研究範囲である。
「来い、アンゴルモア」
変身発動から6秒経過。これより2秒は無敵のまま行動できる。
セカンドはすぐさま《精霊召喚》を発動、炎の中にアンゴルモアを隠し、自身はリンリンへと疾走した。
「(熱っ……くない! 熱くない! 全ッ然これっぽっちも熱くないわァッッ!)」
アンゴルモアは気合で炎を我慢しながら、《雷属性・参ノ型》を詠唱する。
1秒経過。炎は徐々に消え、視界が開けていく。
ある程度リンリンとの距離が詰まったところで、セカンドはミスリルスピアを装備、《飛車槍術》を発動した。
槍による突進と突き。変身によるバフでAGIが上昇していることから、突進の速度は非常に増している。これを見てから対応するのは、至難の業であろう。
すなわち……リンリンは、既に対策済みである。
「――アネモネ」
名前を呼ぶ。
炎の向こう側では、《精霊召喚》が既に発動されていた。リンリンによって喚び出されたのは、白い肌にスレンダーな体型、長い白髪の頭頂部は濃い紫と赤色のグラデーションになっており、仰々しい乳白色のローブを身に纏っている、つり目で高飛車な雰囲気の美女。
風の大精霊アネモネである。
「!!」
セカンドは、珍しく顔に出した。
驚き、戸惑い、そして、「しまった」と顔をしかめる。
アネモネは、四大精霊の中で最もアンゴルモアに対抗する力を持っている精霊であった。つまり、相性が悪いと言えるのだ。
リンリンはセカンドの使役精霊を知っていた。一方、セカンドはリンリンの使役精霊を知らなかった。その差が、ここで大きな結果となって出てくる。
セカンドは「どうしてその可能性を考えなかったのか」と、頭を抱えたくなった。だが、今は試合中。余計なことを考えている暇はない。
「吹き飛びなさい、人間」
アネモネの高圧的な声と同時に、彼女から《風属性・参ノ型》が発動される。
「フン、図に乗るな小娘がァ」
アンゴルモアはそれに《雷属性・参ノ型》をぶつけて打ち消した。
雷属性は不利属性が存在せず、四属性に対して一律1.1倍ダメージとなる。ゆえに、アネモネに対しても有利は揺るがない。
では何故、苦手としているのか。その理由は、アネモネの素早さにあった。
大精霊はそれぞれ、他の精霊にはない特色を持っている。サラマンダラの場合は、魔術という形態をとらない炎の操作。ノーミーデスの場合は、鈍足と引き換えの絶大な防御力。アネモネの場合は、それが素早さであった。
そして、アンゴルモアは、それほど素早い精霊ではない。ゆえに総合力では勝っていても、アネモネの素早さに翻弄されることが多いのだ。
「そうか……」
セカンドは落ち込んだ様子で《飛車槍術》をキャンセルし、突進を止める。
一方リンリンは、その瞬間に4秒ほど溜めていた《火属性・参ノ型》《溜撃》を放った。
《変身》の無敵時間は既に終わっている。対応は回避しかない。
よってセカンドは《飛車槍術》から前方への跳躍攻撃である《桂馬槍術》に繋げて、そっぽに跳んで回避した。
お互いに、スキル使用後の硬直時間だ。
「ここまでが中盤やな」
このインターバルを見計らって、ラズベリーベルは口を開いた。
「どっちが優勢だ?」
「リンリンはん」
プリンスの質問に即答するラズベリーベル。
そう、戦況はセカンドにとって芳しくない。精霊を出し合ったものの、相性の問題もあり、あまり有効に使えていない。その上で、リンリンはまだ《変身》を残している。
波乱の中盤戦を制し、有利を築いたのは、リンリンだ。
「そう、なのか……?」
しかし、プリンスには、とてもそうは見えなかった。
理由は単純。見えていないものが多すぎるのだ。
「相手の仕掛けを警戒できて三流や」
「……てめぇー、僕が警戒すらできねぇー四流以下だって言いたいのか?」
「せやで。四流以下やから二人のやっとることの断片すら理解できひん」
「チッ……」
プリンスは反論できなかった。事実、理解できていないのだから当然である。
そんな彼の様子を見て、ラズベリーベルはこう続けた。
「ちなみに、相手の仕掛けを警戒できて三流、対応できて二流、対処できて一流や」
「僕は四流、あっちは一流ってか。うるせぇーな」
「ちゃうで」
「は?」
「相手の仕掛けを封じられれば超一流。二人は……当然のように封じながら、更に仕掛け返しとる」
「 」
プリンスは、絶句するよりなかった。
あの二人が、そして目の前の女が、自分のどれほど先を行っているのか、距離感さえわからなくなってしまったのだ。
その感情を一言で表すなら、恐怖であろう。水深のわからない真っ黒な海の中を想像した時のような、底知れぬ恐怖である。
「上手くなればなるほど、相手のやりたいことを封じ、自分のやりたいことを通すんやで」
そんなプリンスの内心を知ってか知らずか、ラズベリーベルはあえて簡単そうに言ってのけた。
この試合が始まる前にその言葉を聞いていれば、プリンスは「へぇー」としか思わなかったであろう。だが、今となっては……何をどうすればそのような究極に難しいことができるのかと、愕然とするよりなくなっていた。
「…………」
そんな彼らを尻目にリンリンは、ちらりと右上を見て「あの新手は今回は裏目に出ているが研究の価値はありそうだ」というようなことを考えていた。
対するセカンドは、ひとしきり落ち込み終わったのか……今度は満面の笑みを浮かべていた。
リンリンは「出た出た」というような顔で、警戒を新たにする。
セブンスマイル――世界中のメヴィオンプレイヤーの誰もが知っている、あまりにも有名な言葉。中盤から終盤に差し掛かる際、sevenがほんの一瞬だけ浮かべる笑顔のことだ。
何故、それほどまでに知られているのか。リンリンとラズベリーベルは、その理由を知っている。何度も何度もその目にしてきている。
ゆえに、震えざるを得ない。たとえ何千回何万回見ようとも、決して慣れることはない。長年の経験によって魂に深く刻まれた、彼への畏怖が溢れ出るから。
「……終盤戦突入、やな」
ラズベリーベルの呟きと同時に、セカンドは動き出した。
いよいよ終盤戦が始まる。
彼が最も好み、最も得意とする終盤戦が――。
お読みいただき、ありがとうございます。
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