252 吸う、ハグ、ログハウス
「……さて」
召喚された先は薄暗い部屋。ここは何処だろう。ファーステスト邸の一室であることはわかるが、どの家のどの部屋なのかがわからない。
「あんこ、ありがとう」
《暗黒召喚》してくれたあんこに礼を言って《送還》しようとすると、彼女が何かに期待するような目をして俺を見つめていることに気が付いた。尻尾はゆったりと左右にゆらゆら振られている。
「おすわり」
「御意っ」
気まぐれに指示を出すと、あんこは嬉々として従った。
なんだろう、何故かとても気分が良いぞ。
「待て」
何かあげたくなって、俺はインベントリから金平糖を一粒取り出した。ライトと旅館に泊まった時の、二日目の朝のお茶請けの余りだ。暫く経っているが、腐るようなものでもないだろう。
「よし」
金平糖を摘まんだまま、あんこの口の前に持っていって、食べさせる。
すると、あんこは俺の指ごとぱくりと金平糖を咥えた。
温かい口内に包まれた俺の指から、あんこの柔らかな舌が金平糖を攫っていく。
にゅっと指を引き抜くと、あんこは金平糖を舌の上で転がし、それからうっとりと蕩けたような顔を見せた。
「いい子だ」
狼耳の後ろあたりを三往復ほど撫でながらそう口にしたところで――俺はあんこを《送還》する。
危ない。なんかよくわからないが、危ないところだった。
これからは餌付けし過ぎないように自制しないとな……癖になりそうだ。
「――!!」
突然、ガチャリと部屋のドアが開く。
そこには、目を見開くユカリの姿があった。「本当にいた」というような驚きの顔だった。多分、ウィンフィルドがユカリに俺の帰還の時間と場所の予想を伝えたのだろう。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
彼女はすぐさま平静を取り戻し、恭しくお辞儀をする。
「ユカリ、ただいま。元気してたか」
「はい……」
約四週間ぶりに会ったユカリは、凄く魅力的に見えた。というか、凄く色気が増しているように見えた。理由は明白だ。
ユカリは俺の挨拶に返事をしながら……後ろ手にカチリとドアの鍵をかける。
そして、獲物を狩る野獣のような眼光で俺を射抜くと、風を切るような速度で近付いてきた。
「あ、こらっ」
ユカリはまるでタックルのように俺の胸へ飛び込むと、俺の懐が涼しくなるくらい勢いよくスゥーっと胸いっぱいに息を吸い込み、そのままぎゅーっと強くハグをして、グイグイとソファまで俺を押す。
俺は仕方なくソファに倒れ込み、ユカリの体を支えた。
「はぁ……はぁっ……ご主人様っ」
ユカリは息を荒くして、俺に顔を近付けてくる。
「ユカリ……」
……かかったなバカめ!!
仕方なく? ナマを言っちゃあいけないよ。俺とてこの状況、やぶさかではない。
今日こそ勝ち鬨を上げるのだッ。俺はこのドスケベエルフに完全勝利し、夜のタイトル「性豪」を獲得する……!
現在、午前九時。幸い時間はたっぷりある。準備は万端だ。鍛錬もしたし、作戦も練った。帝国へ行っていた四週間、俺はひたすらに自己研鑽を重ねたのだ。負けはあり得ない。負けることなどあろうはずがない。
さあ、目にもの見せてくれよう。
試合開始――!
「 」
ユカリと腕を組んで、敷地内を歩く。
時刻はもう昼過ぎ。三時間強のデスマッチであった。
俺はここ四週間で最も疲れていると断言できるへろへろの状態だが、心の中は達成感でいっぱいである。
勝てはしなかったが、引き分けたのだ……!
あのユカリに引き分けた。これは、巻き返しに向けた大きな一歩と言えるだろう。
人間やればできるものだな。俺が性豪の保持者となる日は、そう遠くないかもしれない。
「ご主人様、休暇は如何でしたか?」
不意に、普段より少しだけ柔らかい表情をしたユカリが、そんなことを聞いてきた。
「大変楽しかったが……」
答えつつ、俺はふと思い出した。
「ユカリ、お前俺が洗脳されたこと、知ってただろ」
「……はい。申し訳御座いません」
「いいや、謝らなくていい。今となっては、あの洗脳は必要なことだったとわかるから、いいんだ。解く過程で俺は重大なことに気付き、それが帝国で出世する際の俺の動機となり、そしてスピカの洗脳魔術へのこれ以上ない対策となっていたうえ、スピカに洗脳魔術を使われた瞬間それが洗脳魔術だと気付くことができた。つまり、一石四鳥の一手だった」
俺がウィンフィルドを褒めると、ユカリは無表情で組んでいる腕をぎゅうっと強く握って抗議の意を示してくる。
嫉妬しているのだろう。相変わらず難儀な性格だが、そこが可愛いところでもある。
俺は誤魔化すように組んでいない方の手で頬をぽりぽりと掻いて、口を開いた。
「あー、何が言いたいかというと……お前の判断に感謝を伝えたかった」
「感謝、ですか?」
ユカリは意外そうな顔で聞き返してくる。
その反応で、もうわかってしまうな。冷淡で冷徹で毒舌だなんだと言われているユカリも、本当はやっぱり優しい女なのだ。
「ラズの黒ファルを強化したり、ウィンフィルドの洗脳魔術を許可したり。お前がどれほど俺のことを考えてくれているのかがよくわかる判断だと感じた。お前がそういうスタンスでいてくれて、俺は嬉しいんだ」
世界一位を忘れさせられた時は流石にムカついたが、それで彼女たちを嫌うかといえば、そんなことはあり得ない。
荒療治ではあったが、この世界における夢を考え直す機会をくれた。
彼女たちには悪意など毛ほどもないのだ。そこにあるとすればただ純粋な善意のみ。
俺は愛されている。彼女たちは、俺に嫌われる覚悟で、俺をバカンスへと送り出してくれた。それは無償の愛である。
そう、バカンス。あれほど俺の持つ知識をばらまくことに反対していたユカリが、「知識をばらまいて他人を育成する一か月」をバカンスと呼んで、黙認してくれたのだ。
こんなに彼氏の趣味に理解のある彼女、おるか? 滅多におらんやろ。
「皇帝にはなれましたか?」
俺の素直な感想を受けたユカリは、嬉しそうに小さく微笑み、そう口にした。
珍しいな、ユカリが冗談を言うなんて。四週間ぶりで浮かれているのかもしれない。
「内定したが、皇子に譲ってきた」
「…………」
そして、久々に見る、冷たいジト目の呆れ顔。
帰ってきたなあ、と感じる。
「ところで、皆は何してるんだ? 昼メシはもう済んだろ?」
現在は、南西にあるヴァニラ湖畔の家から、北にある森林の中の家に移っているらしい。
敷地内に避暑地もあるってんだから便利なものだ。
「あっ、そういえば、アルファとグロリアはどうしてる?」
ふと思い出した。
皆が何をしているか聞くのと同時に、二人が今どうしているかも聞きたい。
「アルファはご主人様のご指示通り、ラズベリーベルに一任しております。グロリア様については……」
グロリアの話になった途端、ユカリが渋い顔をする。
一体どうしたんだろうか?
「その……申し訳御座いません。私の独断で、書庫にベッドを運び込ませていただきました」
なるほど、大体わかった。
「いいぞ。薄々、そうなるんじゃないかと思ってた」
あいつ書庫から出てこなくなるだろうなとは思ってたんだ。
「いえ、それが……放っておくと食事も睡眠もとらず、排せつの時のみ移動するような感じでして」
「…………」
思っていた以上だった。
「使用人でお世話してるのか?」
「はい。お風呂にまで本を持ち込もうとするので止めるのに苦労しました」
「頭が痛くなるな……」
ユカリは暗に「なんとかしろ」と言っている。
仕方がない、誘ったのは俺だしな。
「持ち出しOKにして、書庫を開ける時間を朝九時から夕方五時までにしよう。で、適当に空いてる部屋を使わせてやれば、人間らしい、いや、エルフらしい生活もできるだろ」
「かしこまりました」
全く、世話の焼けるエルフだ。
あいつ自宅ではどうしてたんだろうか? うーん気になる。
「ご主人様。話を戻しますが、皆は現在昼食を終え、早押しクイズ大会をしている頃かと」
「早押しクイズ大会? ……あー……」
ラズだな。一時期メヴィオンでもクイズが流行ったことがあった。“対局冠”の設定を工夫して早押しボタンを作り、早押しクイズ大会なんかも開かれていたくらいである。
ラズはクイズを皆の訓練に使おうと考えたわけだ。なるほど、あいつらしい。早押しクイズとメヴィオンのPvPは通ずるところが多々あるからなあ。考え方を学ぶには持ってこいの練習法かもしれない。
クイズと聞いて安心した。この感じなら、アルファもきっと劇的に成長しているな。
「ご主人様もクイズを? ラズベリーベルは、センパイは凄いで~と自慢気に言っておりましたが」
「いや全然。俺より上なんてごまんといるよ」
そもそも俺は知識が足りないんだ知識が。二十歳そこそこまでアメリカの首都はニューヨークだと思っていたくらいだから。
ただ、ある一つの分野に限っては、誰にも負けない自信はあるなあ。
「ご謙遜ですか?」
「問題によるとしか言えないな」
「なるほど。私も、ご主人様についてのクイズならば自信があります」
「……はは」
嬉しい冗談のはずなんだが、何故か背筋がぞくっとした。俺が風呂で体を洗う順番とか、最後に爪を切った日とかガチで当ててきそうだから怖い。
俺は話題を逸らそうと思い、とりあえず口を開く。
「森は涼しくていいや。あ、家はこっちか。意外と近かったな」
「ええ」
森の道を十分ほど、ようやくログハウスが現れた。
「そうだ、クイズ大会を邪魔しちゃ悪いから、先にウィンフィルドに会っておきたい」
中に入ってドタバタする前に、少し話しておきたいと思い、俺はユカリにそう伝える。
「はい。では、召喚しておきますのでリビングでお待ちください。私は暫し席を外します」
「ありがとう」
なんだ、今ログハウスの中は無人か。リビングが空いているということは、皆はサブアリーナか何処かでクイズ大会をしているみたいだな。
森林の家は、メインのでっかいログハウスと、サブのログハウスと、その少し先にある大きな体育館の三つの構成となっている。体育館はメインアリーナとサブアリーナの二つに分かれていて、クイズ大会をするなら小さい方のサブアリーナがしっくりくるだろうという推理だ。
この森の中のログハウスと体育館、合宿所みたいでいいよなぁと思って作ってもらったんだが、こうやっていざ皆に活用してもらえるとなると嬉しいもんだな。
森は涼しいし、カッコイイ虫も捕まえ放題だし、近くに川もあるから水遊びやバーベキューなんかしても楽しいだろう。
うん、夏はここ結構ナイスだな。移動して正解だ。
「――セカンド、さん。おひさ~。どう、だった?」
リビングのソファに腰かけて待っていると、ウィンフィルドがふらっと現れた。
相変わらず眠そうな目でまったり喋ってくる。
「久しぶり。おかげで楽しかったよ、メチャな」
「そう! なら、よかったー」
ウィンフィルドは嬉しそうに笑うと、俺の隣に座る。
「なあ、ちょっと聞きたいんだが……いや」
なんだろうか。たくさん聞きたいことがあったはずなんだが、いざとなると出てこないもんだな。
それに、直前になって迷ってしまった。無粋なんじゃないかと思ってしまった。
俺が「あれで正解だったのか?」なんて聞いてしまうのは――。
「正解、なんて、ないない」
……流石だエスパー。俺が聞こうか悩んでいることもお見通しのようだ。ええい、じゃあもう聞いちまえ。
「帝国はこれから大丈夫だろうか?」
俺がそう聞くと、ウィンフィルドは俺の表情を一瞥してから、おもむろに口を開く。
「んー。まあ、しばらく、苦労するだろーけど、大丈夫、だよ。セカンドさんが、心配してるようなことには、ならないから。とゆーか、させない」
「そうか」
どうやら血生臭いことにはならないようだ。
よかった。ウィンフィルドがそうさせないと言うのなら、大丈夫だ。その方法については大いに謎であるが、俺を使って一か月でここまでできるのだから、何も心配はいらないだろう。
「それにしても、セカンドさん、やっぱり凄いね。今回のって、私が考えてた、道筋の中で、一番のやつ、だよ」
ん?
「というと?」
「最も、美しい形、かな。中には、二週間で終わる道とか、いろいろ、あったし、それになっちゃう可能性も、そこそこ、あったし」
「え……つまり様々なパターンがあったわけか?」
「うん。だって、私、セカンドさんに、一つしか指示してない、からね~」
確かに。変装してグロリアと一緒にアルファの実家に行けとしか言われていない。
なるほど、様々なルートがあって、その終着点が全て帝国の崩壊へと繋がっていたわけか。
じゃあ、ライトとかと親密にならずに帝国がぶっ壊れる未来もあったわけだな。
…………怖っ。
あ、怖いで思い出した。
「あと洗脳したけどな、俺を」
「あっ……ご、ごめん、ごめんね」
ぽろりと零した俺に対して、ウィンフィルドは眉をハの字にして謝ってくる。
「怒ってないぞ」
「嘘。怒ってたけど、今は、怒ってない。だから、ごめんね」
仰る通り。
「じゃあ、今の俺からは、ありがとう」
「……ん」
俺がそう返すと、ウィンフィルドは照れたように小さく頷いた。
こうしていると、愛嬌のあるクールな女性にしか見えないんだけど、ガチの軍師なんだよなあ。
特に今回の所業はマジでヤバかった。キャスタル王国内で政争していた頃の比ではない。もしかして、ウィンフィルドも成長しているのか?
「実際、どこまで読んでたんだ? 俺がライトと仲良くなることは読んでたか?」
「まあ、それは、ねー。相性抜群、だと、思ってたから。シガローネとも、ね」
「ナトとは? あとオリンピア」
「ナト・シャマンは、仲良くても、仲良くなくても、あんまり影響なかった、かな。オリンピアって人は、よく知らないなー」
マジか。
「どこまで読んでたかって、質問の答えだけど、私、部分的に読んでただけで、その点を繋いで、線にしたのは、ぜーんぶ、セカンドさん、だよ。私が散りばめた、ピースを、セカンドさんが集めて、パズルを完成させたの、さ。二人の、きょーどーさぎょー、いえーい」
謎のハイタッチ。
俺が点を線に……いやいやいや、またまたそんな。ないって。
「嘘、みたい? でも、嘘じゃなーい。ふふふ」
ウィンフィルドはハイタッチの流れで俺の指の間に指を絡ませると、ニマニマと楽しそうな笑みを浮かべた。
「でもさ、それって俺の性格を熟知してないと無理だよな。俺がどう線を引くかの予想を立てて点を用意しないといけないだろ?」
俺はなんとなく答えを察しつつも、そう言い返してみる。
「当然。セカンドさんクイズが、あったら私、負ける気しない、なー」
ほほう、クイズときたか。自分のマスターと同じこと言ってら。引っ張られてんのかな?
「それに、今回は、前回に比べて、考える時間があったから、ね。前回の反省も、活かせたし。準備も、読みの深度も、いー感じで、我ながら、綺麗に行けたと、思うよ。てことで、皇帝すり替え作戦、大・成・功~」
ウィンフィルドは俺と手を繋いで見つめ合ったまま、人差し指と中指だけ立ててピースサインを作った。
すり替え作戦……俺の夢を世界一位から皇帝にすり替え、皇帝をゴルドからセブンにすり替え、セブンから俺にすり替え、俺からライトへとすり替えた。なるほど、彼女らしいクアドラプルミーニングというわけだ。
「感心した。お前、俺がこのルートを選ばない可能性もあったとか言っときながら、実はこのルート以外はあまり考えてなかったんじゃないか?」
そのくらい美しいルートだと思った。持ち駒ぴったりで詰ますのは、彼女の美学のようなものだが、考える時間があったとはいえここまで綺麗に行くものかと、溜め息すら出る。
「さて、どうでしょー?」
とぼけるウィンフィルドの唇が、徐々に迫ってきた。
ふわりと香水の匂いを感じ、同時に彼女の美しい目が閉じられる。
……最も美しい形、か。
さっきユカリに聞いたが、今日は俺が旅立ってから二十六日目らしい。
少し違和感がある。ウィンフィルドが最も美しい形だと断言するくらいだから、“一か月”という期間にもピタリと合わせてくるに違いないと思ったのだ。
普通、一か月とは三十日や三十一日を言う。二十六日というのは、なんとも中途半端だ。
「なあ、ウィンフィルド」
「なーに?」
「五日後、何かあるのか?」
そう聞いてみると、ウィンフィルドは唇をすれすれで躱し、おでこをコツンと俺の額に当てて、口にする。
「来ると思う、よ」
「誰が?」
ふっと吐息を漏らしてから、彼女は言った。
「新皇帝」
そして五日後、俺はキャスタル王城へと呼び出されることとなる。
突然お忍びで現れたマルベル新皇帝にパニくるマインによって――。
お読みいただき、ありがとうございます。
クイズは閑話で。
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