26 紫のひともと
俺はその場でダークエルフの犯罪奴隷の購入を即決した。
値段は1600万CL。光り輝く一流鍛冶師の卵がこの値段とは世も末である。
「それでは隷属契約を行います」
フィリップはそう言うと、一枚の紙を取り出した。隷属魔術に使用する契約書だ。メヴィオンでも見たことがある。隷属魔術スキルを使って契約された主人と奴隷は、あの契約書に記入されている内容にそぐわない行動は一切とれなくなる。契約を破ったらどうとかこうとかではなく、不思議な強制が働いて「破れない」のだ。まあ、実はペナルティなく破る裏技なんていくらでもあるのだが……。
ところで、隷属魔術はメヴィオンのあってないようなストーリーを進めて行く中で何度か登場する特定NPCの固有スキルだったはずだ。もちろんそのNPCはフィリップではないし、プレイヤーは習得することができなかった。つまり、この世界ではNPC固有スキルの取得条件が新たに設定されており、NPC固有スキルを扱えるNPC以外の人間が複数存在しているということになる。
「契約書の内容は如何ですかな?」
おっと、読んでなかった。なになに? 主人・奴隷(以下甲・乙)間において下記の通り契約を締結す。其の壱、甲は乙に対し適切且つ妥当な衣食住の提供即ち人間的尊厳を損なわぬ水準の扶養義務が課せられ……えー……
……うん、なるほど。ザッと読んだが、まあ要するに「主人は奴隷を人道的に扱え、奴隷は主人に従順であれ」ってことだな。まともな内容だ。
ただ一つだけ気になる点がある。それは最後に書き足されている項目。
『其の拾九、乙は如何なる人間に対しても攻撃行動をとることが出来ない』
いやあ、きついだろこれ。元暗殺者への沙汰にしては軽い方なのかもしれなけど、これじゃ誰かに襲われたら襲われっぱなしじゃないか……たまげたなあ。
「これはどうしようもないか?」
「ええ。国からの指示ですので、どうにも……」
フィリップが苦々しい表情をつくる。
「仕方ない。この内容で契約を頼む」
「かしこまりました」
まあ「人間に対して」と限定されているから、魔物さえ攻撃できれば経験値稼ぎは問題ない。
俺は渋々納得して、契約書にサインした。ダークエルフの奴隷もサインをする。
フィリップはそれを見届けると、隷属魔術を発動した。
俺とダークエルフとの間に見えない何かが繋がる。なかなかの新感覚だ。彼女の細く形の良い眉がピクリと動いた。
「これにて隷属契約が完了しました。セカンド様、ご購入ありがとうございます。モーリス商会一同またのお越しを心よりお待ちしております」
あっさりと契約が終わる。
鎖から解かれたダークエルフはこちらへ歩み寄ってくると、俺の斜め後ろに無言で直立した。
「…………」
なんだろう。すっごい気まずい。
「お前、名前は?」
「ございません」
「そうか。ゴザイマセン、応接室に戻るぞ」
「……名前はありません、という意味ですが」
「…………」
俺の渾身のギャグが通じなかった。それどころかこのダークエルフ呆れ顔をしている。奴隷だというのに肝の据わった奴だな。
……しかし名前がないとは。一体どんな生活を送ってきたんだろうか。
「冗談だ。だがこのままだと呼びづらいな。俺が名前をつけてもいいか?」
「構いません」
うーん、名前ねえ……ダークエルフ、褐色、ナイスバディ……紫色の髪、紫色、パープル、バイオレット、紫、紫……。
俺はその場で腕を組み、うんうんと唸りながら5分ほど考え続け、彼女の名前を決めた。
「ユカリでどうだ?」
そう言うと、彼女の目がほんの僅かだが見開かれる。
「分かりました。私はユカリです。よろしくお願いいたします、ご主人様」
ユカリは綺麗なお辞儀をした。
思わずこちらもお辞儀し返してしまいそうになるくらいの美しい所作だった。
「セカンドだ。後で仲間も紹介しよう」
「かしこまりました」
俺は「ご主人様」という言葉に少々動揺しつつも、それを悟られないようユカリに背を向けて、シルビアとエコの元へ急いだ。
その後ろを静々と付いてくるユカリ。流石は元暗殺者と言うべきか、足音一つ感じない。
「戻ったぞ」
「おお、セカンド殿。良い鍛冶師は見つかっ――」
応接室に戻ると、シルビアがそう言って出迎えて、その視線がユカリに合うと同時に言葉が止まった。
「……セカンド殿。まさかその美人なダークエルフの女性は」
「ああ。彼女はユカリだ。今日から鍛冶師として育成していく」
「…………おうふ」
シルビアが崩れ落ちた。「女鍛冶師なんて予想外だぁ」「何故その可能性を考慮しなかった」「しかもデカイ!」とかなんとかぶつぶつ呟いている。
「あたしエコ! ゆかり、よろしく!」
「よろしくお願いします、エコ様」
「エコサマじゃないよ? エコだよ?」
「よろしくお願いします、エコさん」
「エコサンじゃないよ? エコだよ?」
「……エコ、よろしくお願いします」
「うん!」
エコのコミュ力は凄まじいものがあるな。それでも表情を変えずに落ち着きを崩さないユカリもユカリで凄い。
「あいつはシルビア。ああ見えて立派な魔弓術師だ」
一応紹介しておいてやる。ユカリは「魔弓術師?」と首を傾げたが、「いずれ分かる」と言うと頷いてくれた。
「じゃあ、ユカリの馬と服を買ってからペホの町に戻るぞ。そしたら今後について会議だ」
俺の音頭でモーリス商会を後にする。
こうして、鍛冶師の卵ユカリが仲間に加わった。
……最初は緊張しているのかと思っていた。
だが、それは違った。
ペホの町への道すがら、俺はユカリと親睦を深めるために様々なことを話しかけた。
結果は鳴かず飛ばず。
俺が何を言ってもユカリは無表情で、事務的というか何というか、非常に味気ない応答をする。
それは俺だけでなくシルビアやエコが話しかけても同じことだった。
心を殺しているのだろうか?
彼女の素が分からない。
唯一、素を出したかなと思ったのは「ゴザイマセン」の時だけ。
呆れるような視線――この半日で彼女から窺えた感情らしい感情は、たったのそれだけだった。
元々コミュニケーションが上手くない俺は早くもお手上げである。
奴隷とはいえ、折角の新しい仲間だ。できれば仲良くしたい。
良好な関係でなければ優秀な鍛冶師に育成しても離れていってしまうかもしれない。
どうすればいいのか……俺は考えに考えた。
そして。結局、いつもこの答えに行きつくのだ。
もうストレートに聞いちまおう、と。
「ユカリ。お前の過去を聞いてもいいか?」
宿屋に到着してすぐ、ユカリを俺の部屋に呼んだ。
「それはご命令でしょうか」
俺の問いかけに対し、ユカリは冷淡にそう言った。
その瞳は微かに揺れている。
「言いたくないなら言わなくていい」
「……では、黙秘させていただきます」
断られる。キッパリと。
俺は平静を装い「そうか。あと15分したら晩飯だから隣の部屋に集合だ」と言って、彼女を部屋に返す。
実に短いやりとりだった。
「…………ふ、ふふふ」
おおっと、思わず笑みがこぼれた。
しかし、まさかこれほど収穫があるとは思わなかった。
何故なら俺の直球な質問に対して、ユカリは今までで最も感情を晒したのだ。
それは、動揺であり、虚勢であり、罪悪感であり……恐怖。
彼女の過去に何かがある。ゆえに彼女は多くを語らず、当たり障りのない奴隷の演技をしている。そして、過去を知られることを“怖がって”いる。
過去を隠す理由――おそらく暗殺者として活動していたことが関わっているだろう。
だが、それは既に知っている。彼女も知られていることが分かっているはずだ。
では何故隠す? 何故怖がる? 何故演技をする?
…………。
「ああ、そうか」
俺はふと思い当たった。
まだ世界一位だった頃だ。「sevenさんお仕事何されてるんですか?」俺はこの質問に対して、先程のユカリと似たような感情を覚えていた気がする。
本当のことを言いたくない。ゆえに嘘をつかなければならない。俺はいつも「不動産です」とだけ返していた。
何故隠していたか。今の当たり障りのない関係が崩れるからだ。無職ということを知られれば、以降は必ず「そういう目」で見られる。それが怖かった。だから他人と距離を置いた。常に演技していた。「金も時間もあるからね、道楽でやってて世界一位なんだ」という演技を。
……ユカリはそんなに軽い理由ではないだろう。だが、俺と近い部分も少なからずあると思う。現実から目を逸らしている部分が。
「どうせ明かしたって受け入れてもらえるわけがない」そんな考えが彼女にもあるはずだ。
「ネトゲに人生を賭けるだって? とても素晴らしい!」そんな風に言ってくれる人なんているわけがないと、諦めてしまっている。
で、あれば。
俺たちが彼女の素を引き出すためにすべきことは。
「この人たちなら過去を明かしても絶対に受け入れてくれる」と確信させること。
難しい。
非常に難しいが、やってみる価値はある。
「よし!」
俺は気合を入れて立ち上がった。
何はともあれ晩飯だ!
お読みいただき、ありがとうございます。