244 再会か奇々怪々さ
ゴルド・マルベル:皇帝
クリアラ・マルベル:皇妃
メルソン・マルベル:皇女・姉
ライト・マルベル:皇子・弟
ナト・シャマン:マルベル帝国将軍・近衛騎士長
シガローネ・エレブニ:マルベル帝国宰相
スピカ・アムリット:マルベル帝国の占い師
セラム:メルソンの狗
ジョー:セブンに洗脳されている衛兵
オリンピア:皇子付き近衛騎士・セブンの側近
* * *
「――おい、セブンは何処にいる?」
セブンが皇帝の洗脳を解く少し前のこと。
帝国城内の廊下では、メルソン・マルベルとナト・シャマン、そしてリンリンの三人が足早に移動していた。
先頭にはリンリンがおり、その後ろに皇女と将軍。明らかに異様な光景であるが、リンリンのその堂々とした出で立ち、只者ではない様相に、道行く誰もが何も言えなかった。
「え、ええと……」
「セブンは何処だと聞いている」
リンリンが見かけたメイドに尋ねると、メイドは暫し躊躇した後、口を開いた。
「今頃は、いつも通りならばライト殿下とご夕食をご一緒されていらっしゃるのではないかと……昨日、セブン様のためにシチューを作ると殿下が仰っていたそうです」
「ライト殿下? の部屋か、わかった」
メイドから情報を得ると、リンリンは後ろを振り返り「その部屋は何処だ?」とメルソンに聞く。
「二階廊下の突き当たりを右よ」
歩を進めながら、メルソンの返答の通りに階段を上り、廊下を進む。
リンリンは、何故これほどに急いでいるのか。理由は二つあった。
一つは、飼い犬の泡菜である。危険な目には遭わせまいと、城外に待たせたままなのだ。リンリンとしては、早く用事を済ませて泡菜と家に帰りたい気分であった。
そして、もう一つは……ターゲットの“セブン”という名前。たった二週間で将軍となった男であり、奇しくもメヴィウス・オンライン世界ランキング第一位と同じ名前の男だ。
リンリンは「まさか、そんなわけがない」と信じていた。
彼がタイトル戦で見たセカンド・ファーステストの技巧は、明らかにあの世界一位“seven”のものだったのだ。あれがsevenで間違いないのだ。だからこそ、この世にsevenが二人もいて堪るかと、たまたま世界一位と名前が被っただけだと、リンリンは自分にそう言い聞かせていた。
だが……気になるのだ。「セブン将軍」の正体が。仮に世界一位の名を騙った偽者であれば、灸を据えてやりたい気分でもあった。sevenとは、世界のトップランカー同士としてしのぎを削り合った、言わば戦友である。打倒すべき敵でありながら、奥底では絆のようなもので結ばれている、幼馴染のような、単純には言い表せない深い関係なのだ。
ゆえに、リンリンの足取りは、どんどんと早まる。
とっととターゲットを糸でぐるぐる巻きにして、ああなんだ、やっぱりsevenじゃなかった――と、安心したくてたまらなかった。
「その奥の左の部屋よ」
メルソンが声に出す。
廊下には、だんだんとシチューの良い香りが漂ってきていた。
「糸で拘束して、お前らに引き渡す。それでいいか?」
「構わないわ。無力化してくれるのなら、なんでもいい」
「…………」
ドアを目前にして、最終確認をするリンリンと、インベントリから“隷属の首輪”を取り出して準備するメルソン、そんな二人の会話を聞いて沈黙するナト。
その直後……意外な人物が、廊下の奥から現れる。
「はぁっ……最悪……最悪っ……!」
息も絶え絶えに走ってきたのは、スピカであった。
「最悪。ああ、最悪最悪最悪。あー最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪」
ぶつぶつと呟きながら、ふらふらと駆けてくる。
「あぁ? なんだ、あの人?」
リンリンが顔を顰め、メルソンたちに振り返って尋ねた。
「陛下専属占い師のスピカ・アムリット様で御座います。スピカ様、如何されまし――」
「ナト、近付くな。様子が変よ」
「……は」
鋭く違和感を察知したメルソンは、ナトに指示を出す。
一方、スピカはそんな三人の様子を淀んだ瞳で観察し……密かに口角を上げた。
スピカは目ざとくも見抜いたのだ。メルソンが何を考えて、この黒髪黒目に黒縁眼鏡の男をわざわざ帝国城まで連れてきたのかを。メルソンが以前からセブンを排除したがっていることをスピカは知っていた。
殺し屋だ。それも、一流を超える、セブンに匹敵するだろう実力の……!
「助けてっ!!」
スピカは叫んだ。
すぐ近くにまで、追っ手が迫っていることは予想できていた。
あとは……か弱い女性のピンチを演出するのみ。
「――あ?」
「!?」
直後、カサブランカの《香車暗殺術》による痺れ吹き矢が、スピカの首筋へと迫り――リンリンの蜘蛛糸によって弾かれた。
予想外の事態にカサブランカは目を見開きながらも、プロとして仕事を遂行すべく、次なる攻撃行動へと移る。
「いや、おい、いきなり目の前で――」
リンリンは、二十年近く日本で暮らしていた。戦争などない、平和な社会だ。
ゆえに、いきなり目の前で殺人が起ころうとすれば……とりあえず、止めてしまう。双方の事情を聞いてから判断しようなどと、ボケたことを考えてしまう。
今の自分がゲーム的に見て彼らより圧倒的優位にあるという驕りもある。
メヴィオンのストーリーをクリアしたのは、かれこれ十年近く昔であった。
忘れていたのだ。油断していたのだ。メヴィウス・オンラインには、《洗脳魔術》があることを。まさかルシア・アイシーンとは関係のなさそうなローブ姿の若い女が《洗脳魔術》を使えるだなんて、思ってもいなかったのだ。
「――私を守れッッ!!!!」
“必死”である。
ギリギリのギリギリで死を免れた彼女は、今まさに音を立てて崩れ去りつつある豪華絢爛な生活にしがみつこうと必死なのだ。
そして、一か八かに賭けて……リンリンの手を掴んだ。
瞬間、スピカの《洗脳魔術》が発動する――。
「ああ……ああっ! 私はなんてツイてるの!? こんなに良い駒が落ちているなんて!! アッハハハハハ!! アハハハハ!!」
狂ったように笑うスピカ。
「……っ……」
一方、追撃の《飛車暗殺術》による渾身の刺突を一瞬で軽々と防がれたカサブランカ。
「守ったが?」
対して、スピカに守れと命令されたからただ守っただけのリンリン。
三者三様、しかし、全員がそれまでの表情とは一変していた。スピカはリンリンを手に入れ、攻められる側から攻める側となったのである。
カサブランカは自身の窮地を感じ取っていた。この黒縁眼鏡の男には、自分の実力では敵わないと直感したのだ。
「なーんだ、カサブランカ。セブンじゃなくてお前が来たのね。ということは、お前の洗脳はもう解けたってこと? ああ、厄介ね。やっぱりセブンは生かしておけないわ。セブン、どうして洗脳が効かないのかしら。興味深いけど、もう、いっか。この眼鏡の彼で妥協しとこっと」
スピカは勝手なことをぺらぺらと喋りながら、カサブランカ、メルソン、ナトと、自分との間にリンリンを置くように場所を移動する。
「……スピカ様は一体どうされてしまったのでしょうか」
「ナト、予定変更よ。リンリンも様子がおかしい……どうして突然スピカの命令に従うようになったのかが気になるわ。今、スピカは洗脳と言ったかしら? 占い師にはそんな技術があるというの? もしそうなら、ひょっとして父上は……」
混乱するナトと、考え込むメルソン。
次のスピカのカサブランカへ向けての一言が、メルソンたちの立ち位置を決定づけることとなった。
「彼と一緒に帝国を去る前に、お前だけは殺していくわ。影に付け狙われるのは私だって避けたいもの」
「!」
スピカの宣言を聞き、スピカはリンリンを連れて帝国から逃げるつもりなのだとわかったメルソンは、俄かに焦る。
リンリンには、セブンを無力化してもらわなければならないのだ。留守中に帝国城で何があったのかは知らないが、苦労して連れてきたそばからスピカに横取りされるのだけは流石に看過できない。
「ナト、あのカサブランカという影に加勢して、スピカを狙いなさい」
「はっ!」
メルソンの指示に従い、ナトは剣を抜いて構え、すぐさまカサブランカへとアイコンタクトを送り連携を図る。
カサブランカも、ナトと呼吸を合わせるようにジリジリと間合いを詰めていった。
向かい合う三人。二対一、本来ならばナトとカサブランカが有利なはずだが……しかし二人とも、微塵も勝機を感じられないでいた。
リンリンから出る雰囲気が、彼らの畏怖するあの男に、非常によく似ていたのだ。そのせいか、なかなか先手を取れずにいる。
当のリンリンは、スピカから特に指示が出ていないためか、至極リラックスした様子で佇んでいた。
「――じゃあ、あの影、殺しちゃって」
そして、無慈悲にも命令が下される。
…………残念ながら、一瞬であった。ふわりと何かが通り過ぎたかと思えば、まずナトの剣が糸によって絡め取られ、その腕へと《桂馬糸操術》が侵食する。
「ッ!!」
《香車暗殺術》による遠距離攻撃を狙っていたカサブランカへ、糸で引っ張られたナトの剣が恐るべき速さで投擲され、彼女の左肩へと刺さった。
そこへわざと大回りにさせていた桂馬の糸を絡ませて、外的要因から切断される状況を作る。結果、糸はプツンと切れ、ナトは気絶した。
「 」
わずか五秒間の出来事であった。
あまりにも早すぎる。メルソンは愕然とすることしかできない。ダバストをたった一人で壊滅させたことは知っていたが、リンリンの実力は想像を絶していた。一人だけ、明らかに強さの次元が違うのだ。
「アハハハ! トドメよ!」
スピカの指示が飛ぶ。
こともなげな顔のリンリンは、桂馬の硬直時間終了と同時に《飛車糸操術》の準備を開始した。
カサブランカはダウン状態。彼女が起き上がるまでに、飛車は発動してしまうだろう。
詰み、である。
……誰かが助けに来ない限りは。
「――――いいじゃん」
場に似つかわしくない、陽気な声が響く。
瞬間、リンリンの発動した《飛車糸操術》が、カサブランカへと到達する手前で、急カーブを描きながら飛来した轟々と燃え盛る炎の塊に焼かれて消滅した。
《歩兵弓術》《火属性・参ノ型》《複合》――セブンが放った【魔弓術】である。
「回復しな。痛そうだ」
セブンはカサブランカへとポーションを手渡し、悠然と歩いて間合いを詰めた。
「よっ」
ついでに状態異常ポーションを投擲し、ナトにぶち当てて気絶状態を回復させる。
セブンはまだ、リンリンの正体が誰なのかは気付いていない。だが、恐らく“プレイヤー”であろうということは、直前の極めてそつのない《飛車糸操術》でなんとなく察していた。
「いいか、行くぞ?」
そして、ご丁寧に宣言する。先手を取る、と。セブンはもう我慢の限界に来ていた。謎のプレイヤーらしき人物が現れたのだ、一戦交えなくて他にどうするというのか。
だが――。
「ォ……ゴッ、ボホッ……~ッ!!」
本当の限界は、こちらの方に来ていた。
リンリンは堪えきれず、吐瀉物を撒き散らし、情けなくもその場で四つん這いになる。
……彼の《洗脳魔術》は解けていた。
一瞬で、呆気なく、綺麗さっぱり。
セブンの姿を見ただけで――解けてしまった。
あまりにも恐ろしかったのだ。
まさか、sevenそのものの姿の男が、sevenそのものの声と言葉遣いで、“複合ドロップショット”というsevenそのものの超絶技巧を見せながら登場するとは、思ってもいなかったのだ。
それだけのこと。他人から見れば、たったそれだけのことだが――彼にとっては、これが、これこそが、“生命の危機に起因する強い感情の発露”に違いなかった。
十年以上メヴィウス・オンラインというゲームの中で刷り込まれ続けたsevenへの畏怖が、この世界では“死への恐怖”へと変貌を遂げたのだ。
彼がこの世で最も恐れるものは、他の誰でもない、sevenであった。
「ねぇ、どうしたのよ……何やってるのよ……おいッ! 立て! 立ってよ!! ねぇ!! ねぇってば!!」
スピカは鬼気迫る形相で命令するが、既に洗脳の解けているリンリンが従うわけもない。
メルソンからの依頼にさえ、もはや従うわけもなかった。
八割強の確率で死ぬだろう勝負に、どうして挑まなければならないというのか。
「……無理。無理無理。絶対無理」
「はぁ!? なんで!? なんでお前まで私に逆らうの!? ふざけるな!! 殺せ!! 殺せ殺せ殺せ!! カサブランカもセブンも全員殺せよ!!」
「だ、黙っとけ……!」
「むぐッ!?」
セブンを指さして騒ぎ始めたスピカを見て、リンリンは「うわっ」という顔をする。彼としては、これ以上セブンを刺激してほしくなかったのだ。ゆえに、見るからにセブンを恐れているような焦り様で、慌ててスピカをぐるぐる巻きに拘束した。
「…………チッ」
そして、リンリンは舌打ちを一つ、セブンに見られないよう顔を隠して、この場を立ち去ろうとする。
セブンと関わったが最後、自身の望む平穏なスローライフは瞬く間に崩れ去る……と、リンリンにはそう思えて仕方がなかった。メヴィオン時代に嫌というほど散々な目に遭わされたからこその思考である。
ここは、ゲームの中ではなく現実。彼は、今度こそ賢く生きたかったのだ。
「リンリン、何処へ行くのです!?」
「帰る! 逆立ちしても勝てない!」
「えぇ!?」
……しかし、間の悪いことに、メルソンが名前を呼んでしまった。
それだけで、セブンには十分な情報であった。
「あ、そうか、リンリン先生! や~! 会いたかったですよ~? アオさん」
「!!!」
いつの間にか接近していたセブンが、稀に見る上機嫌で、リンリンのことを呼ぶ。
アオさん――すなわち、傲嬌公主。メヴィウス・オンライン世界ランキング第五位、その人。
……バレている。リンリンの血の気が見る見るうちにサーッと引いていった。
「いや、リンリンさんって呼んだ方がいいですかね。あれ、具合悪い? 大丈夫ですか? そうだ、フランもいるんです、俺の家に。あいつ薬とか詳しいから診てもらったら」
「い、いい! 結構、です! オレちょっと用事思い出しました!」
「え、あ、そう? なんだぁー、積もる話が山ほど」
「また今度! 失礼!」
半ば無視をする形で、強引に逃げ出す。
セブンは暫し間を置き、去りゆく背中に声をかけた。
「――リンリンさん。プリンス君も会いたいらしいから、今度きちんと時間を作って会いましょう。必ず」
「!」
メヴィオン時代では滅多に聞くことのなかったsevenからの真剣な言葉に、リンリンは少しドキリとする。
「じゃあ、また」
ほんの一瞬だけ足を止めたリンリンに、セブンは再会の約束を強調して挨拶をした。
まるで「逃がさないぞ」と釘を刺しているように――。
「リンリンさん連れてきたのって、メルソン殿下ですか?」
足早に去っていったリンリンを見送り終えたセブンは、くるりと振り返ってそんなことを言う。
「…………」
メルソンは沈黙した。肯定しても否定しても、殺されるような気がしたのだ。
あのリンリンをもってして「逆立ちしても勝てない」と言わしめた男である。自分やナトが如何に足掻こうと、もはやどうすることもできやしない。彼女にもナトにも、それがよくわかっていた。
「悪いんですけど、あとでリンリンさんの住所教えてください」
「……え?」
「いやあ、今度遊びに行こうと思うんで」
突如としてメルソンは空中に放り出されたような錯覚にとらわれる。
来ると思っていた躱しようのない反撃が、全く来なかったのだ。
「な、何故……? 私が連れてきたのよ? 貴方、なんとも思わないの?」
混乱した彼女は、ついそんなことを聞いてしまった。
何度も何度も暗殺を仕掛けられ、挙句の果てには殺し屋をけしかけられ、その首謀者が目の前の皇女だと知っているというのに、何故なんの糾弾もせず、そんな呑気なことが言えるのか? セブンの言動は、メルソンにとってはあまりにも奇々怪々に思えた。
「とても刺激的で楽しいですよ」
そして、セブンは、至って本心から口にする。
メルソンは、絶句するよりなかった。
「フッ」
「…………」
「あ、いや……」
ナトが思わず笑みを浮かべたところ、メルソンにじろりと睨まれ、慌てて表情筋を引き締める。
だが、笑わずにはいられなかった。ナトは知っているのだ。あれは紛れもない本音であり、セブンという男は、いつだってそういう風に明け透けに接してくれる人間なのだと。
「さて」
メルソンとの会話を終えたセブンは、糸でぐるぐる巻きにされて床に転がっているスピカと、左肩の治療を終えたカサブランカへと振り向き、口を開いた。
「カサブランカ。とりあえずスピカを牢獄にぶち込んでおいてくれ。決してお前以外に触らせるな。それから、俺と陛下とお前の三人でこれまでのことについて話す必要がある。三十分後、陛下の部屋に集合しよう」
皇帝ゴルド・マルベルとカサブランカは、スピカによって長期間の《洗脳魔術》を受けている。その間の記憶がないわけではないが、一体どれほど問題のあることをさせられていたのか、事情のわかる者同士、互いに確認し合う必要があるとセブンは考えていた。
カサブランカも考えは同じのようで、こくりと頷く。
「わかりました。その間、セブン閣下は」
そして、興味本位に質問した。
セブンはなんら迷いなくスタスタと廊下を進み、ドアノブに手をかけながら口にする。
「ちょっと、シチュー食べてから行く」
「…………は、はあ」
お読みいただき、ありがとうございます。
面白かったり続きが気になったりしたそこのお方、画面下☆から【ポイント】評価★を入れて応援していただけたら最高です。そうすると作者が喜んで色々とよい循環があるかもしれません。【ブックマーク】や《感想》や《レビュー》もとてもとても嬉しいです。「書籍版」買ってもらえたり「コミカライズ」読んでもらえたり「宣伝」してもらえたりしたらもう究極に幸せです。何卒よろしくお願いいたします。
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