242 依頼
ゴルド・マルベル:皇帝
クリアラ・マルベル:皇妃
メルソン・マルベル:皇女・姉
ライト・マルベル:皇子・弟
ナト・シャマン:マルベル帝国将軍・近衛騎士長
シガローネ・エレブニ:マルベル帝国宰相
スピカ・アムリット:マルベル帝国の占い師
セラム:メルソンの狗
ジョー:セブンに洗脳されている衛兵
オリンピア:皇子付き近衛騎士・セブンの側近
「なんの用?」
相手が皇女と知ってか知らずか、凛嬌令媛はぶっきらぼうにそう言った。
黒髪黒目に黒縁眼鏡、服装は黒のインナーに灰色の短パンと灰色のTシャツ、その上に白黒のラッシュガードを羽織っている。その端正な顔は薄らとサングラスの形に日焼けしていた。いかにもアウトドア帰りといった様相だ。
「こちらはメルソン・マルベル皇女殿下にあらせられます。そちらはダバストを壊滅させた御仁とお見受けいたしますが、真偽のほどは如何で御座いましょうか」
「そうだが、それで?」
「…………」
ナトの挨拶に対し、この態度。
この国の皇女メルソンと知って尚これだ。つまり凛嬌令媛は、皇女の威光が通用しない相手ということ。ナトは警戒を更に強めて言葉を続ける。
「貴方様にご依頼させていただきたいことが一つ御座います。報酬は金貨千枚で如何でしょう」
「嫌だ。帰れ。以上」
話にならないといった風に、凛嬌令媛はすぐさま断った。
金貨千枚とは、約十億CLに相当する。
ナトはこう直感した。報酬が足りないわけではなく、彼は金を欲していないのだと。
「では……お望みのものをお申しください。なんでもご用意して差し上げます」
「時間」
「時間……?」
「用意してみろ。時間」
「…………」
痛烈な皮肉である。
今こうして会話をしていることが時間の無駄だと言っているのだ。
「ナト」
「は」
すると、見かねたメルソンがナトの名を呼んだ。自分が出る、という意味である。
「初めまして、マルベル帝国第一皇女メルソンと申します。貴方、お名前は」
「……リンリン」
「リンリン様。なんとか私の依頼を引き受けてはいただけないでしょうか」
「断る。オレは誰にも指示されたくない」
メルソン直々の願いに対し、リンリンはきっぱりとそう答えた。
一度でも依頼を受けてしまえば、そこには義務と責任が生じる。かつてそれらに苦しめられたリンリンは、この世界へと来てから極端に不自由を嫌った。
「たった一人の男を無力化していただきたいのです。暗殺でも、捕縛でも、決闘でも、形はどうであっても構いません」
メルソンは勝手に依頼内容を伝える。
リンリンは溜め息を一つ、インベントリからクーラーボックスを取り出して、中身を見せながら答えた。
「魚は足が早い。特に青物は。スズキとホウボウは寝かせるからいいが、ワカシとサバがあるから行きたくない」
「は、はあ」
今日、釣ってきたであろう魚。売ったところで銀貨一枚、すなわち約一万CLにすら至らない価値だ。
それを理由に金貨千枚の仕事を断るなど……メルソンには理解ができなかった。
「場所は帝国城。ここから数時間とかからずに行ける距離です。それほど時間は取らせません」
「行って帰って一日仕事か、なら確実に身が悪くなる。そもそも行きたくないし殺りたくもない。交渉決裂。お帰りはあちら」
「……っ……」
取り付く島もない。
メルソンは額に汗を浮かべながら、必死に頭をフル回転させる。
なんとかして、リンリンを振り向かせなければならないのだ。
「では、ダバストは!」
「あ?」
「何故、ダバストは、壊滅したのですか」
咄嗟に出たメルソンの問いかけ。
リンリンはちらりと、傍らの犬へ視線をやった。
「……可愛らしい犬ですね。名前はなんと言うのですか?」
「泡菜」
「ぱお……?」
「泡菜」
「パオツァイ……」
二歳ほどの黒毛のラブラドールレトリバーだ。
「この子と、ダバストと何か関係が?」
「別に。殴られていたところを見かけて、助けただけ」
「……それ以降、面倒を見られているなんて、お優しいんですね」
「違う。気分」
リンリンは一言否定して再びメルソンたちに背を向けると、クーラーボックスの蓋を閉じ、玄関の鍵を開ける。
「…………」
瞬間、ナトはふとこう考えた。
あの犬を奪って犬質にしてしまえば、リンリンを従わせることができるのではないかと。
「やめなさい」
寸前で、ナトの狙いを察したメルソンが止める。
「しかし、もはや他に方法が……」
メルソンと共にいる場合のナトは、いつも汚れ役を買って出ていた。皇女と騎士とはそのような関係でなければならない。皇女が手を汚さずに済むよう、先手を打つ必要があるのだ。たとえそれが、どれほど無謀な手段であっても。
だが、今回は、流石に相手が悪すぎる。
「それでも、それだけは駄目よ」
ナトの言う最後の手段、確かにそうだとメルソンも思ったが、それでも看過できなかった。
別にメルソンは良心からナトを止めているわけではない。
ダバストが壊滅した原因そのものに手を出すということが恐ろしくて仕方がなかったのだ。
リンリンという男は、このパォツァイという犬のためならば暗殺者を何人と殺すことさえ厭わなかったのだから。
皇女付き近衛騎士を一人殺すことなど、わけもないだろう。危険極まりない手段だ。
それに……最後の手段は、もう一つだけ存在した。
「リンリン様」
「あ?」
ナトを下がらせ、メルソンはリンリンへと歩み寄る。
そして、五歩進んだところで、粛然と、両膝を落とし、両手を地に這わせ……。
「ッ!? 殿下! 何をッ」
「――どうか、力を貸してください」
「!!!」
……メルソンは、土下座をした。
一国の皇女が、見るからに高級な服を土で汚し、手も膝も額も地べたに擦り付けながら、何処の誰ともわからない男に懇願したのだ。
当然、彼女にはプライドはある。もしかすれば弟のライトよりも高いほどに。
土下座など人生で初めてのこと。彼女の体は悔しさに震え、血の集まった顔は赤くなり、肺が圧迫され息が苦しくなる。尖った砂利のせいで、額からは出血していた。
「ッ……どうか、お願いいたします!」
あまりの事態に暫し呆然としてしまったナトは、一拍遅れて、メルソンの横で土下座をする。
彼女を幼い頃から知っているナトだからこそ、この土下座があまりにも意外だったのだ。
メルソン・マルベルには何者にも屈しない精神的な強さがある。当然、肉体的な強さも兼ね備えている。まさに皇族に生まれるべくして生まれた存在。天稟のカリスマを持つ絶対皇女であった。
皇女の土下座など、たとえ己が死のうと、あってはならないこと。自身の命に代えてでも防ぐべき事態であると、ナトはそう考えていた。
しかし、時既に遅し。メルソンは最初からこのつもりだったのだ。ナトがどう足掻こうと、無謀にも犬死にしようと、この結末は変えられなかった。
であれば……彼女の土下座を決して無駄にしてはならない。その一心で、ナトもまた土下座をした。皇女の頭に比べたら、将軍の頭など塵にも満たない。だが、せめてもの足しになってほしいと思ったのだ。
「皇女がどうして、そこまでする?」
皇女と将軍が並んで土下座をしている。
そのあまりにも非現実的な光景に、流石のリンリンも疑問を抱いた。
一体何が、彼女たちをそこまでさせるのか……と。
メルソンはゆっくりと血の垂れる頭を上げ、土下座の体勢であるにもかかわらず威風堂々たる面持ちで、毅然として沈黙を破った。
「国を、守るために――!」
――七生報国。たとえ七度死に生まれ変わろうとも己が生まれ育ったこの国を愛し報い続ける覚悟が、メルソンにはあった。
そのやり方は苛烈極まりない。だが、根底にあるものは誰よりも深い愛国心だ。まさしく鬼手仏心、国のためならば暗殺など手段の一つでしかなかった。
メルソンには確信があるのだ。セブンこそが帝国の敵、獅子身中の虫であるという確信が。
「…………」
リンリンはそれでも断わるつもりでいた。
土下座されようがなんだろうが、帝国の行く末などリンリンには関係のないことだった。
彼はただ、好きな時に好きなようにパォツァイと一緒に釣りやキャンプへ遊びに行ければそれでいいのだ。
だが……哀れだった。
もはや土下座することでしか国を救えないと信じ込んでいる視野の狭い女はさて置き……その隣でただひたすらに職務を全うせんと汗を流す男の姿が、過去の自分と重なった。
ナト・シャマンが背負っているものは、義務と責任だけではない。そんなチンケなものに人生を賭けているわけではない。だが、実際、その二つに振り回されていることは確かであった。
リンリンは思う。オレはいつだって“振り回される側”だったと。
世界五位になっても、その感覚は抜けなかった。
頂点には、いついかなる時も眩しく輝く白銀の男がいた。
リンリンから言わせてみれば、そいつは“反則”だ。
ネトゲに人生を賭ける――それはつまり、プロにもならず、配信もせず、賞金も稼がず、食事・睡眠・排せつといった最低限のこと以外の全てをそれに捧げ、ただひたすらに一位を維持し続けるということ。
それが「ぶっちぎり一位」と「五位」との差。
個人戦績で言えば酷いものである。勝率二割にすら届いていない。ゆえにいつしかリンリンは彼を避けるようになり、彼とは別のステージでレーティングポイントを稼いでいた。それほどに苦手意識があった。
自分はプロゲーマー。しかし、相手は生ける伝説なのだ。
いつだって、彼が主役で、自分は脇役だったのだ。
彼がメヴィオンを振り回し、オレたちは振り回されるだけだったのだ――。
「……サバを焼くから少し待て。馬車の中で食べる」
「!!」
単なる気分である。
柄の悪い連中が気まぐれに犬を殺そうとしたように、リンリンが気まぐれにその犬を助けたように。
哀れみから、気まぐれに、協力するだけである。
誰を無力化すればいいのか、詳しい話はまだ何も聞いていない。
しかし、リンリンはどのような者が相手であろうと、一切負ける気がしなかった。そう、この世で、ただ一人を除いて――。
* * *
「ったくシチュー食いてえってのによォ!」
夜、ようやっと執務が終わり、さあさあお待ちかねライトの手作りシチューだとテンションアゲアゲで廊下へ出たところで、皇帝の影がお迎えに来ていた。
皇帝の呼び出しとあっては、流石にシチューの後へ回すわけにはいかない。俺はしぶしぶ、というかドシドシと足音を鳴らしながら影に同行した。
人間、腹が減っている時におあずけを食らうと、なかなか苛立つもんだな。
「――おお、セブン! そちを待っていたぞ!」
皇帝ゴルド・マルベルの私室に入ると、ご機嫌な皇帝が俺を出迎えてくれた。
「うふっ」
その傍らには、微笑むスピカさんの姿もある。
うわー……俺最近あの人苦手なんだよなあ。すンげぇしつこいんだもの、お誘いが。それにメチャメチャ視線を感じるし、背後を狙われているような気もするんだわ。
「セブンよ、今日はそちに褒美を与える!」
ん? 褒美? なんでまた?
「何故です?」
「将軍としてよく働いておるではないか。そうでなくとも、そちが帝国へともたらした功績は数知れぬ。褒美を取らせてやらねば余の気が済まんのだ!」
へぇ、そりゃまたありがたいことだ。
それで、褒美ってなんだろうな?
「スピカよ、これをセブンの首に」
「はい、陛下」
…………おおっと、ネックレスか。
「ええと」
「どうした、セブンよ。まさか断ると言うのか? 余がそちのために用意したネックレスであるぞ」
「……いえ」
マズイことになったぞ。ネックレスをつけられる時、スピカさんがもし針でも刺してきたら、流石に躱せない。レイスの変化が解けてしまう。
いや、まさかそんなことないとは思うが……万が一ということもあるしな。
どうする。腹が痛いと言って逃げるか? 駄目だ、不自然な上に、稼げて三十分だろう。なら断固として拒否するか? いや、その方が怪しまれる。だったら、ええと……クソッ、思いつかねえ! かつてサボりのプロと保健室の吉田先生に呼ばれていたこの俺がなんたるザマッ!
「セブン、頭を下げて」
「…………はい」
逃げる口実が浮かばず、ついにスピカさんが目の前に来てしまった。
俺は観念して、言われた通りに頭を下げる。
まあ、ネックレスを首につけるだけだ、滅多なことは起こらないとは思うが――。
「――お父さん、ありがとう」
え? お父さん……?
「!?」
スピカさんの両手が、俺の頬にそっと触れる。
そして、直後――――俺の頭の中から「ボン!」という不思議な音が聞こえた。
「あ……え……?」
混乱。ふと、視線を上げる。
そこには……猟奇的な笑みを浮かべるスピカさんが、俺をじっと見つめていた。
「ツカマエタ」
お読みいただき、ありがとうございます。
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