241 痛み癇癪なく野心家見たい
ゴルド・マルベル:皇帝
クリアラ・マルベル:皇妃
メルソン・マルベル:皇女・姉
ライト・マルベル:皇子・弟
ナト・シャマン:マルベル帝国将軍・近衛騎士長
シガローネ・エレブニ:マルベル帝国宰相
スピカ・アムリット:マルベル帝国の占い師
セラム:メルソンの狗
ジョー:セブンに洗脳されている衛兵
オリンピア:皇子付き近衛騎士・セブンの側近
メルソンが帝国城を飛び出してから数時間、早くも日が暮れようとしていた。
「海岸沿いのログハウスを洗いざらい捜索しましたが、それらしい男は見当たりませんでした」
「……そう」
暗殺者組織ダバストを壊滅させた男の捜索は続いている。
「空き家が七軒、留守が九軒、うち犬を飼っている形跡がある家は三軒です」
「ではその三軒から徹底的に調べなさい。ただし、あまり相手を刺激しないよう、慎重に」
「は」
メルソンは指示を出すと、寝支度をしてベッドへ横になった。その頭の中では、ぐるぐると思考が巡っている。
犬を連れた男は、恐ろしく強いだろう相手。影への指示は、下手に刺激してしまってはこちらの身が危ないと考えてのものである。しかしそのせいで、調査は難航してしまいそうだとも考えられた。仮に発見できたとしても、そこから協力を得られない可能性の方が高いのだ。
早くしなければ、セブンを中心にして全てが動き出し、帝国は崩壊する。依然として、メルソンにはそう思えて仕方がなかった。
食い止める方法は、中心であるセブンをどうにかするよりない。
「明日には見つかってくれるといいけれど……」
溜め息まじりに呟いたか細い声は、一人きりの部屋に虚しく消えていった。
◇ ◇ ◇
凛嬌令媛は、この世界へとやってきてから、実に悠々自適な生活を送っていた。
彼はかねてより自然豊かな暮らしを夢見ており、スローライフという言葉に漠然と憧れを抱いていた。それは、この世界へとサブキャラの姿で転生するよりずっと前から、密かに。
しかし、生活が、資金が、社会が、他人が、身体が、邪魔をする。
彼の前世では、彼の望む通りの生活を、ついには実現できなかった。
彼は前世において、所謂“プロゲーマー”と呼ばれる職業に就いていた。日本のプロゲーミングチーム所属の選手である。
出身は中国、両親は中国人、国籍は日本、「山本 悠」という名前を持つ日本人だ。日本語は特に問題なく喋れるが、発音が少しだけ訛ってしまう。
そういった彼の出自は、周囲の人々と比べると少しばかりややこしい。ゆえに、少なからず偏見にさらされ、幼い頃から苦労をしてきた。大学に進んでからも、大いに悩まされた。
だからこそであろうか。彼は次第にネットゲームへと傾倒するようになる。ゲームの中では、人種も、国籍も、時には言語でさえ、大した要素ではないのだ。
彼には類い稀なるゲームプレイの才能があった。見る見るうちに世界ランキングの常連となり、周囲に認められ始め、充実した毎日を過ごした末に……彼は一大決心をする。
なんと大学卒業後、専業プロゲーマーとなったのだ。好きなことを仕事にして生きていこう、という決意を決めたのである。
……途端に、彼はゲームがつまらなくなってしまった。
来た道を振り返ってみれば「ありがちな失敗だ」とも思えたが、彼は実際に自分がそうなるまでその可能性に全く気付けなかった。彼にとってゲームは“遊び”だったのだ。「遊びを仕事にできるなんて夢のようだ」と、誰しもがついそう思ってしまう。
現実は、遊びなど以ての外、常に大勢に監視され、義務と責任が付き纏い、努力を怠ることは決して許されず、何があろうと勝ち続けなければならない、全く気の抜けない仕事である。そして次第に生活と仕事の境い目が曖昧となり、四六時中ゲームのことを不安とともに悩んでは、ゲームを「やらなきゃ」とプレイするようになった。
周囲には、上手く折り合いをつけて楽しんでいる人もいる。だが、彼にはどうしてもそれができない。
最初は浮ついた気持ちで始めたゲームのネット配信も、次第に練習時間の確保と戦略等の機密情報を守るために回数が少なくなり、最終的には二年以上も配信が滞ったままだ。
彼が思い描いていた理想とはあまりにもかけ離れた現実。彼は遊びと自由時間と精神的健康を同時に失い、何度も何度も辞めたいと思った。
だが、一度やり始めた手前、生活も責任もある。辞めたとして、再就職はどうするのか。学歴も経歴も自信がない。考えるべきことはあまりにも多い。ゆえに考える前から言い訳が先走る。スッパリと辞めることは、彼にとってそう容易ではなかった。
向いていなかったんだろう。そう思いつつも、プレイングだけは極端に上手いので、結局は惰性でずるずると続けていた。
そんな日々の中、現実から逃避するように考えるのは、いつもスローライフのことだった。自然豊かな海辺の家で、晴れた日は海に出て釣りをして、雨の日は家の中で本を読む。いつかそんなのんびりした生活を送りたいと、寝る前によく妄想していた。
そういったささやかな夢を誰かと共有できればまた違ったであろう。だが、彼が過去に一度だけ友人に話した際、嘲笑とともに「キャラに合わない」と揶揄われたことで、以来、誰にも言えずにいた。
――転機は唐突であった。例のメヴィウス・オンライン3000人クラック事件だ。
彼は最も上手くいっていた稼ぎを潰されたことに酷く苛立ったが、同時に吹っ切れたような気分にもなった。
決心がついたのだ。これを機に、別のことに挑戦してみようという決心が。
彼は精神的ショックを理由に暫しの休暇を申請し、まずは今までやりたくてもできていなかった本格的な釣りやキャンプに行こうと計画した。
当然、一人である。一緒に行くような友人はいない。彼はほぼ初心者であったが、月に一度ほどの堤防での釣りや、キャンプ動画などを見て予習は済んでいたため、一人で問題ないと踏んでいた。
――転落も唐突であった。
釣れると有名な磯へ一人で釣りに行った彼は、岩海苔に足を滑らせ海中へと転落したのだ。
磯釣りは初めてであった。スパイクシューズは出し惜しんで買わなかった。身に着けていたライフジャケットも非常に粗末な安物であった。波のうねりの強くなる磯では、きちんとした浮力のあるものでなければ危険だ。加えて、緊急事態に助け合えるよう必ず二人以上で訪れるべき場所である。
結果、偶然居合わせた他の釣り人たちによって救助され、付近の病院へと搬送されたが……手遅れとなってしまった。
――そして、最大の転機が訪れる。
プロゲーマーという仕事上、知り尽くさざるを得なかったシステム。ゆえに期せずして社会的強者と成り得た。自由な時間は有り余り、金に困ることなど一切なく、海中へ転落した程度でそう簡単に死ぬことはない。言わば、好きなことばかりやって生きていける、理想郷。
そう、彼にとってもまた、ここは「最高の世界」であったのだ――。
* * *
メルソンとナトが帝国城内からいなくなって早三日。俺はナトの分まで将軍の仕事をしているため、だんだん慣れてきたとはいえ、正直言ってメチャクソに忙しい。
それでも一日最低一回は、ライトと一緒にしっかりメシを食べていた。もはや習慣化している。
「――見ろ。今日の昼は僕が作ってみたんだが、初めてにしては見事なものだろう? あ、いや、別にお前のために作ったとか、そういうわけじゃないからな。気まぐれに、そう、ほんの気まぐれに、料理を作ってみたくなったんだ。勘違いするなよ?」
今日の昼メシは、なんだかフワフワとした雰囲気のライトに呼び出された。促されるままに席に座ると、ライトは手ずから運んできたオムライスを前にして早口でそんなことを喋り出す。やたらと口数が多く、全然目を合わせてくれない。さてはこいつ緊張しているな?
「美味そうなチャーハンだな」
「オムライスだよ馬鹿!!」
「冗談冗談」
「もうっ!」
これで多少は解れたか。
……それにしても、なるほど、料理ね。
なんとなく、そうなんじゃないかとは思っていたんだ。紅茶を入れてもらったあの日から、ライトは「誰かに何かを作ること」に興味を持っているんじゃないかと。
オムライスの見た目は、率直に言って、とても良い。一目で丹精込めて作ったんだろうとわかる。
俺はスプーンで、そっと、ライトが生まれて初めて作ったであろう料理を口に運んだ。
「おお」
「ど、どう?」
「驚愕だ。美味い」
「やっっっ~~っ……ちょっと待て、どういう意味だ驚愕って」
「いや、美味い美味い、普通に美味い」
「だからどういう意味だっ!」
ライトは怒っている風に見せて、内心めちゃくちゃ喜んでいた。顔がニヤケているから間違いない。それを知ってか、メイドさんもすまし顔を装ってはいるが、ニヤニヤを隠しきれていない。
「美味いよ。食感も面白い」
「……そうでしょ? セブンはいつも一口が大きいから、鶏肉も玉ねぎもあえて大きめに切って食べ応えを重視したんだ。あとケチャップは酸味が少し強めのものにした。この卵は凄くまろやかだったから。付け合わせのサラダは細く切ってガーリックオイルで風味を強くして、一緒に食べると味を変えられるようにしてある。あ、そうだ、隠し味はわかった?」
真面目に感想を伝えると、ライトは堰を切ったように語り始めた。予想以上に凝って作ってくれたらしい。なんとまあ楽しそうに喋ること。
んー、隠し味か。実はわかるんだなぁ。
「タバスコ?」
「なんでわかったの!? 正解!」
いや、昨日俺がピザにかけてるところめちゃめちゃ興味深そうに見てたやんけ。
ああ、今思い返せば「辛いの好きなの?」とか「野菜嫌い?」とか、色々聞かれてたんだなあ、俺。
「セブン、お前意外と舌がいいんだな。このライト、感心したぞ」
「オリンピアっぽく言うのやめろ」
「あはっ」
見るからにご機嫌だ。自分の料理に自信がついたんだろう。
……楽しんでるな、ライト。
上機嫌に笑う彼を見て、俺は思わず微笑んでしまった。
他人とのかかわり合いがあって、自然と笑顔になれるような、心の拠り所。そういうものを見つけられれば、お前はこれ以上ひねくれなくて済む。
なんだかんだ言いつつも、俺の助言の通りに生きがいを模索している彼は、健気で応援したくなる。
皇子が料理。いいじゃないか。駄目なことがあるか。誰がなんと言おうと、俺はお前を応援するぞ。相手がたとえ皇帝であってもな。
「な、なんだよ。笑うなよ」
「掛け値なしに美味かったよ。いつか親父にも作ってやったらどうだ」
「っ! ま……まあ、いつかな?」
皇帝の話になるとまだ顔が引き攣るが、それでもその都度どんより落ち込んでいた前よりかは断然良くなっている。
いいぞ、ライト。その調子だ。
毎日が楽しけりゃあ、冷たい親父も怖い姉貴も、なんてことはない、取り留めのない存在さ。
「――失礼します。騎士長、そろそろ」
「ああ、もうそんな時間か」
食後の紅茶を飲んでまったりしていると、オリンピアが迎えに来た。
この後は皇帝との戦略会議だったか。あれはテキトーぶっこいてるだけで「流石はセブンである!」「そちは面白い作戦を考えるな!」「余は感心したぞ!」みたいな感じで褒められるから楽でいいや。
俺としてはその後の書類仕事を考えるだけで嫌になるな。また夜中までかかりそうだ。とはいえ洗脳されているジョーに手伝ってもらうのはなんだか気が進まないし、いっそオリンピアに丸投げしようか……いや、やめておこう。嬉々として徹夜でやってくれそうで逆に嫌だ。
というか俺、どうしてこんなに真面目に何日も頑張ってるんだろうか。バカンスじゃなかったのか? ここ三日、暗殺もないから退屈だ。ウィンフィルドめ、話が違うぞ。
「ふー、ご馳走さん」
俺は紅茶を飲み終えて、ライトに一言、席を立つ。
すると、ライトは照れくさそうに「……ん」と頷いた。
そして、俺がドアから外に出ようという瞬間に「セブン!」と呼び止めてくる。
俺が振り返ると、ライトは暫しの逡巡の後、言葉を続けた。
「……あ、明日はシチューにするから」
から……?
「だから、明日の夜くらい、しっかり晩ご飯を食べてゆっくり休め。どうせ今夜も徹夜なんだろ?」
「!」
ライトは、ハッキリとそう口にした。
以前では考えられない。こいつが仮に他人の心配をしたとしても、それを口になんか出すわけがないと、そう断言できたのに。
心の拠り所……想像以上に、効果覿面だったようだ。
「ライト。お前、料理向いてるよ」
「?」
どうか、このまま続けていってほしい。見ていてとても楽しそうだから。
「良い主夫になれる」
俺が軽口を叩いて部屋を後にすると、閉まるドアの隙間からライトの「うるさいっ!」という元気な声が聞こえてきた。
明日の晩メシはシチューか。
じゃあ、それまでには、絶対に書類を終わらせないとな。
* * *
「は……? オムライス……?」
豪華絢爛な部屋の中、ソファに深く腰掛けたスピカ・アムリットの前に跪くカサブランカは、淡々と今日の監視の報告を述べる。
それを聞いたスピカは、酷く苛立った様子で口を開いた。
「何それ……? 私毎日誘ってるよね? でもお仕事で忙しいって……なのに私の見てないところでオムライス食べてたの……? 美味いって六回も言ったの? 私の時は一回だけだったのに? 食感の感想も? 隠し味も当ててたの? え? 良い主夫に、なれるって……?」
ボタボタと、手に持っていたグラスが傾き、床にワインが溢れる。
そして、スピカはグラスをぎゅっと握ったかと思えば――力いっぱい、カサブランカへと投げつけた。
「お前のせいよ! お前がセブンの好みをもっと探って、それに合った料理を作っていれば! 私はもっと気に入られたんじゃない! お前があの日にオムライスを作っていれば!!」
まるで子供が癇癪を起こしたかのように、スピカは大声でカサブランカに強く当たる。
あの時、自分で料理を作ったと言っていたスピカの言葉は、真っ赤な嘘であった。
「私はお金も地位も権力もあるのよ! この国の誰よりも! 料理で興味を引いて、高級ワインで酔わせて、お前の正体を明かして私の信頼を見せて、彼の野心をくすぐってあげれば、上手くいってたのに! 今頃は彼と一緒にいられたのに! なのに! お前の料理のせいで千載一遇のチャンスが潰れた!」
何もかもをカサブランカのせいにして、わけのわからないことを喚き散らしながら、机の上に置いてあったものを手当たり次第に投げつける。
しかしカサブランカは、それを避けようという素振りすら見せない。
次第に疲れてきたスピカは、ソファへと両手を突き、虚空を睨みながら口を開く。
「……でも、セブンもセブンよ。どうして? どうして私じゃなくてあんなクソガキを優先するの!? 納得いかない! あの日だって、もっと私を褒めてくれてもよかったじゃない! カサブランカにばっかり構って、装備品にばっかり食いついて、私は放置!? この部屋もカサブランカも指輪も宝石も装備品も、全部私が持ってるのよ! 全部全部全部私のものよ! なのになんで私を褒めてくれないのよ!!」
ソファを何度も殴りつけたスピカは、そのままクッションに顔をうずめて涙を流しながら叫んだ。
カサブランカは、それをただ無言で、無表情で、見ているだけだった。
「…………もう、いい。お父さんに褒めてもらうもん」
ひとしきり泣いたかと思えば、スピカは拗ねたようにそんなことを口にする。
「セブンも、もう、いいや。諦めよ。絶対絶対、手に入れちゃうもん」
また、矛盾したようなことも口にする。
「どうしよっかなー…………あ!」
そして、突然、ガバッとクッションから顔を上げた。
「そっか……ああ、なんだ、それなら簡単……私、なんで気付かなかったんだろ……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら立ち上がると、にんまり笑いながら、こう言葉を続ける。
「お父さんに頼んじゃえばいいんだ」
だって、触れればそれでオシマイなんだから――と。
◇ ◇ ◇
メルソンたちが暗殺組織ダバストを壊滅させた男の捜索を開始してから、既に四日が経過している。
恐らくはこの家だろうと、アタリは付けていたが、肝心の家主がずっと不在であった。
これといって帰ってくる気配はない。しかし、そう長い間、家を空けていた様子もない。
そろそろ、今日こそは、帰ってくるのではないか。メルソンはそう期待しながら、もう四日もその家の前で待機し続けている。
焦りは募る一方のはずだ。
だが、メルソンは思いのほか冷静であった。
否、腹を括ったというべきか。それとも運を天に任せたというべきか。
彼女に残された手段は、ただ待つこと。それしかなかった。
彼女は、この家に住む男に、全てを賭けたのだ。
「――殿下」
夕刻、メルソンと共に待機していたナトが囁いた。
「ええ」
メルソンは頷き、足音の方向を見やる。
一方は揺るぎなく、一方は忙しなく……一人と一匹の足音だ。
そして――
「誰、お前?」
――凛嬌令媛が、現れた。
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