223 悔いに行く孤独な子、泣く。何処食いに行く?
ゴルド・マルベル:皇帝
クリアラ・マルベル:皇帝の妻
メルソン・マルベル:皇女・姉
ライト・マルベル:皇子・弟
セラム:メルソン派のスパイ?
ナト・シャマン:マルベル帝国将軍・近衛騎士長
シガローネ・エレブニ:マルベル帝国宰相
深夜0時。
ライト・マルベルはこっそりと自室を抜け出した。
現在、旅館内にはライト以外に当直が三人、守衛が二人、近衛騎士が二人、セブンが一人。旅館の外には、見回りをする近衛騎士が五人。
セブンの存在以外、ライトにとっては「いつも通り」と言える状況だ。
ゆえに、抜け出し方も手慣れたものであった。
部屋の前を警戒する近衛騎士に見つからないよう、露天風呂の塀を乗り越えて外へと出る。
そこから通じている隣の露天風呂は、彼の目的地であるセブンの部屋のもの。
ライトは今日の夕食を「セブンの部屋で食べる」と一方的に決め、食事中にトイレへ行くふりをして、露天風呂に通じる洗い場の窓の施錠を外していた。
そこからセブンの部屋の中へと忍び込むためだ。
そして、案の定、施錠は外れたままであった。
「…………」
息を殺し、ゆっくりゆっくりと音を立てないように窓を開け、その細い体を隙間に滑り込ませる。
潜入は成功した。後は脱衣所を通って先へ進めば、セブンの寝床である。
「!」
ガサリ、と外の茂みが風にそよいだ。
ライトは振り返って目を凝らすが、暗くてよく見えない。
本来ならば、既にあんこに見つかっているだろう状況。しかし、セブンはセカンドであることを隠している。よってあんこを召喚するのはリスキーなため、見回りをさせていなかった。
「…………」
ドキドキとする胸を押さえ、静かに移動しながら、ライトはインベントリから刃物を取り出す。
それは、ハサミ――夕食後、仲居に持ってこいと頼んだ物だ。
ライトはこのハサミで、寝ているセブンの髪を切ってやろうと企んでいた。
生半可な挑発ではただイラつかせるだけ。だが、その綺麗な白銀の髪をズタズタにしてやれば、流石に怒るに違いない。彼はそう考えたのだ。
これはセブンにとって、地味にピンチな事態であった。
レイスの変化が解ける条件は、ダメージを受けること。つまり、肌を針で刺されたら「1ダメージ」受けるため、変化は解けてしまう。
そして、髪にも、ダメージ判定は存在する。
メヴィウス・オンラインは、ハサミで髪を切られた場合、「0ダメージ」受けるのだ。
HPが全く削れていないのに、ダメージを受けたことになる。おかしな話だが、これがメヴィウス・オンラインのシステムであった。
よって、この0ダメージで、レイスの変化は解けてしまう。
髪にハサミが入った瞬間、セブンはセカンド・ファーステストとなってしまうのだ。
だが、そのようなこと、ライトは知る由もない。
彼はただ、セブンに怒ってほしい叱ってほしいという気持ちが膨らむあまり、エスカレートした悪戯を仕掛けに行っただけである。
ゆえに、自分がどれほどいけないことをしようとしているのか、その自覚がない。
「ふん……」
セブンの寝顔を見て、ライトはハサミを開く。
明日の朝、なんと言って煽ってやれば、こいつは一番怒るだろう? 彼はそんなことばかりを考えながら、そっとセブンの前髪を手に取り――
「――殿下! 何をなさっているのですか!」
「!?」
ハサミを入れようとした瞬間、背後から大声があがった。
声の主は、女。セブンが心付けを渡した仲居であった。
彼女は、個人的に、24時間体制で、従者のようにセブンの傍で控えていたのだ。セブンもそんな彼女を「そういうものなのか」とすんなり受け入れていた。セブンは高級旅館の仲居の仕事をよく知らなかった。
そしてたまたま、セブンが寝てやることがなくなった彼女が、風呂が好きそうなセブンのために翌朝入るであろう露天風呂の掃除をしていた際、塀を乗り越えてくるライトを見つけたのである。
普段の彼女なら、その瞬間にライトへ声をかけていただろう。しかし、彼女はセブンから1M金貨を貰ってる。だからこそ、これがセブンの言っていた“雑事”なのだと直感した。
ゆえに、そのままライトに見つからないよう茂みに隠れ、窓から入っていったライトの後を追った。
そうして、犯行現場に居合わせたというわけだ。
「殿下といえど、そのようなことは許されません! どうかお止めください!」
皇子の非行を止める――なるほど、これは給料五ヶ月分の仕事だと、彼女は内心納得する。
そして同時に、どうしてこんな仕事引き受けちゃったかなぁと、後悔もしていた。
手はぶるぶると驚くほど震えている。当然だ。命がかかっている。
今、この場で、ライトが「死刑だ」と言えば、本当に殺されてしまうのだ。皇子には、それほどの権力がある。
「……っ……」
仲居の声に振り返ったライトは、一瞬、焦ったような顔を見せたが……次第にその表情は冷めていった。
どうせ、バレてもいいのだ。
いや、むしろ、バレて、怒られるためにやっている。
ライトは開き直った。
仲居を無視して、セブンに向き直り、再びハサミを開く。
「殿下、お止めください! 殿下っ!」
かなりの大声だが、セブンは起きる気配がない。
「殿下!」
「う、わ!?」
もう声をかけるだけでは止められないと踏んだ仲居が、ライトの肩を掴んで手前へ引っ張った。
ライトはごろんと背中から畳に転がる。
「……!」
ひっくり返った亀のような姿になったライトを見て、仲居は俄かに顔面を蒼白にした。
「な……仲居風情が! 皇子を床に転がすとは! 覚悟はできているだろうな!」
屈辱に激昂するライト。
「し、しかし、これしか方法がなく!」
「皇子のなすことを貴様如きが止められると思うな!」
「ご本人の許可なく髪をお切りになることは問題です!」
「こいつは僕の近衛だ! 僕が僕の近衛をどうしようと僕の勝手だ!」
「お、横暴です!」
つい、反論してしまった仲居。
ライトは「……ほう」と一言、仲居を睨みつける。
「皇子に口答えするのか」
「で、ですが」
「貴様、まだ自分の立場をわかっていないようだな」
立ち尽くす仲居の目の前まで移動して、ライトはハサミを見せながら言った。
「逆らえると思うのか?」
「……いえ」
「まずはお前の髪を切ってやる。セブンはその次だ」
「…………はい。しかし」
「しかし? しかし、なんだ? まだ僕を侮辱するのか?」
「……すみません。なんでもありません」
「それでいい」
侮辱罪で罰せられるよりは、髪を切られるだけで済む方が何万倍もマシである。
そもそも、皇子の行動を止められる権力を持つ者など、この帝国には数人しかいない。それをなんの変哲もない旅館の仲居に任せようなど、土台無理な話であったのだ。
仲居は全てを諦め、目の前の皇子を落ち着いて観察した。
ああ、意地になっている。明らかにそうだとわかった。
悪事がバレて、取り乱し、プライドが許さず、なんとか優位に立とうと、権力を振りかざし、目の前の邪魔者を無理やり屈服させようとしている。
――舐められたら終わりなのだ。皇子が舐められ、皇子でなくなったら、ライトには何も残らない。それが痛いほど自覚できているからこそ、ライトは人一倍、虚勢を張る。
ライトが幼少より抱える劣等感と孤独感が、彼にそうさせていた。これはもはや病気と言えるだろう。ライトは、常に虚勢を張り続ける病気なのである。
仲居は思った。私は殿下を救ってあげられなかったと。仕事を果たせなかったと。
1M金貨は、セブン様にお返ししよう。彼女はそう心に決め、迫り来るハサミをぼうっと眺めていた。
「――大人しく聞いてりゃあ随分なこと言ってんな」
……いつの間にか。
ライトの背後には、彼より頭一つ分ほど大きな人影――セブンが立っていた。
「わ……!?」
そして、むんずとライトの頭を鷲掴みにし、ぐぐぐと反時計回りに捻って目と目を合わせる。
「お前、俺の髪を切りに来たんじゃないのかよ」
とても静かな声だった。
しかし、迫力は十分過ぎるほどだった。
「そ……そうだ」
「だが仲居さんの髪を切ろうとしている」
「それは、こいつが僕を侮辱――」
「侮辱? 誰が、いつ、どんな風に侮辱された。言ってみろ聞いてやる」
セブンの手に力が込められ、ライトはじわじわと来る痛みに顔を顰めながら口を開く。
「侮辱は、侮辱だ! 平民が皇子に逆らって、言い返してくるなんて、侮辱のほか何ものでもない!」
「よし、じゃあ半殺しだ」
「!?」
何が「よし」で何が「じゃあ」なのかわからない、いつものスタイルで、セブンは言った。
ライトは困惑する。意味がわからない。しかし、セブンはもう既に拳を振りかぶっている。何か手を打たなければ、意味がわからないまま半殺しにされてしまう。
傍から見ていた仲居はこう思った。凄いスピード感だ……と。
「ま、待て! 待って! 早い!」
「なんだよ」
「どうして!?」
「どうしてって、お前が俺に生意気言って、癪に障ったんだから、半殺しだよ」
「!!」
ライトはハッとする。
自分と同じ無茶苦茶を、やり返されたのだ。
「……もう一度言うぞ。お前、仲居さんの髪を切りに来たわけじゃないだろうが。なあ。俺の髪を切りに来たんだろうがッ!」
「~っ!」
至近距離で怒鳴られ、ライトは身を縮こまらせる。
「お前はどうして俺に半殺しにされるのかわからなかったわけだ。だから、待って、どうしてと、必死に聞いてきた。だがな、仲居さんはそんなこと聞かなかった。どうしてかわからなくても黙って受け入れたんだよ。何故だかわかるか?」
「ぼ、僕が、皇子だから」
「そうだな。だけどそれだけじゃない」
セブンはライトの頭から手を離すと、正面から向き合って言った。
「お前に対する敵意がないからだ。お前を害そうという発想など微塵もないからだ。彼女はとても善良な人だからだ。だから黙って受け入れた。お前はそんな人の髪をズタズタにしようとしていたんだ」
「……っ……」
そう言われて、ライトは初めて気が付く。
仲居が抵抗しなかったのは、敵ではないから。
考えれば考えるほど、得心がいった。そして、次第に自覚し、血の気が引いてくる。もしかして自分は本当に大変なことをしようとしていたのではないか、と。
「まあ、それ相応の覚悟を持って悪人になろうってんなら、別に勝手にすればいい。だが、問題は、その目的だ」
目的。まさか、見抜かれている? そのようなライトの懸念は、直後に的中する。
「お前、俺を怒らせたかったんだろ」
「ち、違う!」
「違わない。今日一日、ずっと見てりゃ、なんとなくわかる」
「……~~っっっ!!」
慌てて否定したが、ライトの顔は答え合わせのように真っ赤に染まっていた。
堪らず逃げようとするも、セブンに手を掴まれ、逃げられない。
どんどんと顔が熱くなっていった。セブンの言葉が、ライトの脳内で反響する。
ずっと見ていた――それは、叱られるよりも、何よりも、彼が本質的に求めていたことだった。
わざわざ怒らせる必要などなかったのだ。セブンは、ずっと、ライトを見ていた。
誰かに見ていてほしいというライトの願いは、既に叶っていたのだ。
「さあ、けじめだ」
しかし、セブンの行動はそこで止まらない。
そう言いながら、嫌がるライトの前髪をかき分けて、おでこを出す。
次の瞬間――
「 」
ゴッッ! ――と、鈍い音が鳴った。
デコピンだ。
ライトは額を押さえ、酷い苦痛に顔を歪める。
「……ぇ!?」
仲居は自分の目を疑った。ちらりと見えたダメージが「203」だったのだ。
203ダメージ……すなわち、デコピン一発で最弱種の魔物程度なら確殺できるほど。
ライトのVITによって多少の前後はあるだろうが、それでもなんのスキルも使わないただのデコピンで203という数値は明らかに異常であった。
「う゛、ぅ、ぐっ、うう、ふ、ううう、う」
数秒経ち、ライトの目からじわじわと涙が溢れ出てくる。
――あまりにも、痛かったのだ。
間違いなく、人生で一番痛かった。
ドアに鼻をぶつけた時よりも、ベッドの柱に足をぶつけた時よりも、階段から滑り落ちた時よりも痛かった。
痛い。たったそれだけのことで、不思議なことに、涙が止まらない。
セブンと平民の前で泣くことなど、屈辱でしかないと思っていたのに。
なのに、何故だか……スッキリとする。
こいつが隣にいれば、弱い自分を見せても大丈夫だという安心感が、そうさせる。
取り返しのつかないくらい、泣いてしまった。
だったら、もう、虚勢を張る必要は、ない。
「うううっ! ううぅううう~っ!」
セブンの布団に蹲り号泣するライトを、仲居は心配そうな表情で、セブンはやれやれといった表情で見つめていた。
そして、夜は更ける。
* * *
泣き疲れたのだろうライトが、俺の布団で規則正しい寝息を立て始めてから数分。俺はあまり眠れずにいた。
仲居さんにもう一つ布団を敷いてもらって、ライトの隣で横になっているが、どうも寝付けない。
色々と考えてしまうのだ。
このクソガキは、幼少期の俺と少しばかり重なるところがある。
舐められたら終わりだと考えていそうな、あの尖った感じ。まさにだ。
だからだろうか。俺はライトの将来が気になって仕方がない。
こいつ、少し進む方向をいじってやれば、ひょっとして……と、そう思ってしまうのだ。
「…………軽蔑、したか?」
いつの間にやら、寝息は聞こえなくなっていた。
代わりに、ライトの弱々しい声が聞こえてくる。
「逆に、そう思うか?」
俺が聞き返してやると、ライトは鼻で笑って答えた。
「お前はそんなやつじゃない。もっと無礼で、口が悪くて、態度も悪くて、自信に満ち溢れてて、無神経で、かと思えば気遣いのできる、むかつく男だ。僕が泣いたくらいじゃ、軽蔑なんてするわけがない」
「わかってんなら、なんで聞いたんだよ」
「……わからない、不安だったんだ。でも、お前ならと、思ってはいた」
寝起きだからか、たくさん泣いたからか、ライトはとても素直だった。
「昔からこうなんだ。僕は姉上に対して劣等感を抱えている。父上からは無能だと見放され、母上とは会わせてもらえない。ずっと孤独だった。ずっと不安だった」
「母親に会えないのか?」
「父上はとても嫉妬深いから。息子の僕に対して母上の愛情が注がれるのは、父上にとって我慢ならないことらしい。おかげで母上は幽閉気味だ」
「そりゃ……シンプルにキモイな」
皇帝め、愛妻家だと感心して損した気分だ。
すると、ライトはくつくつと喉奥で笑う。
「父上を気持ち悪いと言ったのか? 僕は皇子だぞ。皇帝の息子だ」
「死刑にするか?」
「……まさか」
ふぅと溜め息一つ、暫しの沈黙が訪れた。
二人分の息遣い、畳の匂いに、ごわごわとした布団、夜の暗さに慣れた目で薄らと見える天井の木目。なんだか、懐かしい。
ふと、修学旅行を思い出す。こうして夜になると、皆で好きな子を言い合ったりしたものだ。翌朝クラス中にバレていた。俺は主にバラす側だったが……今思えばすまないことをしたな。申し訳ない、小学生の俺が馬鹿なばっかりに。
「相談に、乗ってくれないか?」
そんなことを考えながら微睡んでいると、ライトがそう口にした。
「俺でよければ」
「生憎、僕にはお前のような異常者しか駄目なんだ」
酷い言われようだ。しかし嬉しくもある。なので、俺は黙ってライトの相談とやらを促した。
「僕のこの劣等感と孤独感を、どうにかしたい」
「何故」
「だって、このままだったら、またさっきみたいなことになる。また虚勢を張って、自分のちんけなプライドを守らなきゃいけなくなる」
「それが嫌なのか」
「そうだ。この苦悩、お前にはわからないだろうがな」
いや、わかるよ。
大人を舐めないことだ、ガキ。
大人ってのはな、皆、昔はガキだったんだよ。
「解決するには、二つしかない」
「二つ? 解決できるのか?」
「ああ」
単純だ。
「逃げるか、抗うか」
俺は逃げた。
お前はどうだ。
今、軽はずみに抗うと言うことはできる。だが、その後、必ず辛くなって、何度も何度も逃げ出したくなるだろう。
そうはさせない。させてなるものか。
「抗うのであれば……今ならオマケが一名付いてくる」
一度歪んだら、もう二度と元には戻れない。
俺が世界一位に固執するように、シャンパーニがお嬢様に固執するように、狂ったらそれまでだ。
お前はまだ大丈夫。その劣等感と孤独感が、まとわりついて離れなくなるその前に、なんとかするのだ。
「……お前のような兄上がいれば、僕は歪まずに済んだのかもな」
かもな。
だが、まだ遅くない。
「セブン、力を貸してくれ」
「お安い御用だ」
薄暗い部屋の中、俺がニッと笑って返すと――初めて、ライトが、くっきりとした笑顔を見せた。
たった今から、始まるのだ。
ライトは、劣等感と孤独感を乗り越えるため、親父と姉貴に立ち向かうのである。
俺は、その隣に立っているだけでいい。
帝国終了まで――否、皇帝終了まで、あと四週間だ。
「……なあ、セブン」
「なんだ」
「二人の、時は」
「おう」
「あ……あに、う……あに、う、え……と」
「あ? あいうえお?」
「……なんでもない! 早く寝ろ、無礼者!」
「えぇ……」
お読みいただき、ありがとうございます。
<お知らせ>
セカサブ第4巻が、2020年2月10日に発売予定です!!
まろ先生の描く挿絵が今回も想像を絶するほど素敵なので、ぜひ!
挿絵がたくさん、書籍版第1~3巻が発売中!
一味違う面白さ、コミックス第1巻も発売中!
続きが気になる、コミカライズも連載中です!
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