閑話 稀代ミロクも目論見抱き
おまけ
「自由行動……?」
八冠記念パーティの最中。
セカンドによって召喚され、自由行動を命じられた暗黒狼の魔人「あんこ」は、その言葉を反芻しながらゆるりと首を傾げた。
こんな時、真っ先に考えるのはやはり主人であるセカンドのこと。だが彼女の主人は、どうやら忙しい様子。とても構ってもらえそうにはない。
「嗚呼、主様。あんこは何をすればよいのでしょう」
会場を見渡すも、虫ばかりであった。
しかしながら、虫を殺して遊んではいけないとも命令されている。
となれば、もはやあんこには時間を潰す手段が「セカンドを見ている」ことくらいしかない。
「うふ」
それはそれで、あんこにとっては至福の時であった。
セカンドの背中を追いかけるように、あんこは《暗黒転移》で影へと移動し、ゆらりと音もなく現れる。
「っ! 貴女、確か……」
顕現したのは、ヴォーグの席の傍だった。
ヴォーグは突如として現れたあんこに目を見開いて驚くも、すぐさま平静を取り戻す。
「あんこさん、だったかしら。貴女のご主人様ならもう次の席へと向かったわよ」
「…………」
あんこは無視をした。
否、無視と言うよりは……「何かが鳴いている」程度にしか思っていないのだろう。
傍で虫が鳴いていても、それに言葉で返すような人間はいない。
彼女の中では、極めて自然なことだった。
だからこそ、虫が鬱陶しければ――手で叩き、潰そうともする。
「無視? やれやれだわ。主従揃って厄介な性格ね」
「嗚呼」
「――!?」
次の瞬間、あんこはヴォーグの背後に《暗黒転移》し、その頬に優しく手を添える。
ヴォーグは、死を垣間見た。
この一瞬で、彼女は何回死んだかわからない。
驚きに跳ねた体は、次第に恐怖で震え出す。
彼女は理解した。これが、本物の――殺気。
一秒が十秒にも二十秒にも感じられる時の中で、彼女は幾度となく死を覚悟する。
その耳へ、あんこは口元を寄せ、たった一言囁いた。
「ミノホドシラズ」
脳髄にこびり付くような、妖艶な声。
そして……ヴォーグが呼吸を思い出した頃には、あんこは霞のように消えていた。
「なん、なの、よ……っ」
胸を押さえ、息を荒くするヴォーグ。
助かった――そう、心底安堵する自分に、腹が立つ。
後ろから囁かれただけで、全身の肌を粟立たせ、ほんの一時、完全に屈服し、神にすら祈ったのだ。
ただ、話しかけ、少し皮肉を言っただけで、何故このような目に遭わなければならないのか。
わからない。何もわからない。わからないからこそ、恐ろしい。
「…………」
その一部始終を付近で見ていたロスマンは、しかし、ヴォーグを煽ろうとはしなかった。
いや、煽れなかった。
彼もまた、その殺意が自分に向けられたものではないことに、安堵していたのだ。
「……なんなんすかマジで。超やべーっすね、あの魔人」
「……怖かった」
カピートとレイヴも、同様。
至近距離であんこの姿を目にしただけで、心が自動的に屈服するのだ。
「触らぬ神に祟りなしやで」
唯一、ラズベリーベルのみが、あんこに屈服してはいなかった。
だが、彼女は自覚している。もし止むを得ずあんこと戦闘することになれば、万に一つも勝ちの可能性はないと。
魔物特有の行動パターンから解き放たれた暗黒狼の魔人は、それほどに厄介な相手であると言えた。
「ウィンフィルドよ。我は、我がセカンドより極秘の任務を預かっておる」
「え? あー、はい。なんとなく、わかっちゃった」
「流石であるな、我が代官。申してみろ」
「シルビアさんと、エコちゃんと、ラズベリーさんの、精霊、でしょ?」
「然様」
一方その頃、自由行動中のアンゴルモアは、ウィンフィルドを見つけ出して、会場の片隅で精霊会議を開いていた。
セカンドに言い渡された極秘任務とは、三体の精霊探し。
アンゴルモアの一声で召喚したい精霊を指定できると聞いたセカンドは、「アレとアレとアレ!」と全くの遠慮なしに精霊を指定してきたのだ。
しかし、話はそう簡単ではない。
召喚したい精霊の指定には、アンゴルモアが直々に「話をつける」必要があった。
……精霊大王は、性格が最悪である。それは精霊界でも周知の事実。
ゆえに、絶対に断られると、アンゴルモアは確信していた。
そこで、ウィンフィルドの出番というわけだ。
「頼んだぞ」
「まあ、セカンドさんの、ため、かー」
「我の面目のためでもあるぞ」
「まあ、私から、話をしてみる、よ。セカンドさんの、ためだから、ね」
「いや、我のためでも」
「では、これにてー」
「おいちょっと待て!」
そそくさと退散するウィンフィルド。
彼女にも嫌がられているあたり、精霊界での精霊大王の嫌われっぷりは想像に難くない。
「フン、舐め腐りおってからに……」
機嫌の悪くなったアンゴルモアは、会場を見渡し、サンドバッグを探す。
今宵の生贄は……ムラッティであった。
「椅子」
「はぇ!?」
「椅子だ」
「は、はひ!」
何故かきびきびと従うムラッティ。
地面に四つん這いになると、アンゴルモアはその上に腰掛け、足を組んだ。
「いぎぃ! ありがたき幸せ!」
「うるさいぞ豚ァ!」
「ぶひぃん!」
ウィンウィンの関係である。
「あんたたち相性抜群ね……」
傍で見ていたシェリィが呆れ顔で言った。
「フハハッ! 我がセカンドと我の相性には劣るわ」
「え゛っ……あんたたち、そういう関係だったの……」
「何がおかしい?」
「……夜な夜なそういうことやってるの?」
「別に夜とは限らんわ戯け」
「昼も!?」
酒精のせいか、何やらおかしな勘違いをしているシェリィは、顔を赤くして食いつく。
「どんな感じよ」
「ほう。小娘、お前もようやっと精霊を使役する者としての自覚が出てきたか」
「べ、別に私たちはそういうことしているわけじゃないけど」
「謙遜するでない。精霊と術師は一心同体。相性こそがものを言う」
「ふ、ふぅん」
「我がセカンドのように、我を振り回すくらいが丁度良いのだ。お前もそうしてみるがいい」
「セカンドが攻めなの!?」
「ん?」
「……え?」
この後しばらくして、真っ赤な顔で怒るシェリィと、ここぞとばかりにいじり倒すアンゴルモアが目撃されたとかされていないとか……。
その間、ムラッティは黙ってアンゴルモアの椅子をしていた。
なんとも晴れやかな笑顔をしていたとかいないとか……。
「こ、これは、ミロク様!」
「お久しゅう存じます……!」
幾百年の時を経て《人化変身》を果たした魔物「阿修羅」、またの名をミロク。
彼はセカンドに自由行動を言い渡されてより、すぐさま向かった場所があった。
それは、侍のもと。
かつては現人神として君臨していた、刀八ノ国の生ける伝説。それがミロクであったが、今や彼はセカンドの使役する一体の魔人に過ぎない。
そうして半年を過ごし、この広い世界を知り、ミロクなりに思うところがあったのだ。
ゆえに、話をしに訪れた。
侍たちと、話をしに。
「よい、座れ」
「はっ!」
「御意!」
まず訪れたのは、カンベエとマムシの席。
伝えるべき言葉は、二つ。
「カンベエよ、マムシを見習え」
「!?」
「マムシよ、カンベエを見習え」
「ホワット!?」
それは、刀八ノ国に暮らす侍ならば、驚愕の言葉であった。
稀代の侍、ミロク様が、抜刀術について、それも流派について、口出ししたのだ。
そのようなことは、千年の歴史を見ても、一度としてない。
弥勒流は、島の抜刀術の在り方に対して不干渉。不届き者を成敗するにとどめていたのである。
ゆえに、二人は心の底から驚いた。
そして、素直に言葉を受け入れた。
ミロクが一歩を踏み出したのだ。彼の育んだ島に暮らす侍が、一歩を踏み出さないわけにはいかない。
このたったの二言は、刀八ノ国という地の、大いなる変化、新たなる時代の幕開けをこれ以上なく暗示していた。
確と、島の歴史に刻まれることだろう。
「余は、血沸き肉躍る試合を望む。カンベエ、マムシ……侍たれ」
「はっ!」
「ははぁ……っ!」
千年もの間、ミロクの中で積み重なり続けた、無念のまま死んでいった侍たちの言葉。
溜め込み続けるだけでは成仏できないのだと、ミロクは気付けた。
今を生きる侍に、意志を託さなければならない。
幾千幾万という観客の中で、闘志を昇華させなければならない。
あの何ものにも代え難い一瞬の煌きを、更に大勢の目に焼き付けさせること。
それこそが、今は亡き者どもの哀願する無上の悦び――。
「――然ては、余もまた、一人の侍よ」
会場に集った全員の侍へ、一言ずつ助言を伝えて回ったミロクは、最後にそう呟いた。
彼には、向かうべき場所があったのだ。
「あんこ殿。手合わせ願おう」
ただその場に佇み、セカンドを見つめ続けるあんこに、ミロクは声をかけた。
怖れ知らず。誰もがそう思ったが、ミロクとて自覚はあった。
しかし、ここで白黒つけておくもまた、彼にとっては大いに意味のあること。
今後の身の振り方を決めるためにも、この一戦は必要だとかねてより思っていたのだ。
そして何より、背中を見せるべき侍たちがいる。
その者どものなんと勇ましき瞳か。
ミロクは一人、静かに覚悟を決めた。
「うふ、うふふふ」
不気味な笑い声がこだまする。
まるで、馬鹿にしたような笑いだ。
「何を笑うことがある」
「残念」
「拒むと申すか」
あんこはゆっくりと首を横に振り、艶のある声で口を開く。
「殺めてしまっては、主様に叱られてしまいます」
「……得心がいかぬ」
「嗚呼、可哀想……」
それは、本気の憐みであった。
雨に濡れ震える小動物を見る目で、あんこはミロクを視界に入れる。
ぞくりと、ミロクの背筋を寒気が走った。
「――フハハ! それならば、そこな我の後輩は一切の手出しをせねばよかろう!」
そこへ、お呼びでない精霊がやってきて、そんなことを口にした。
ミロクは、こう思わざるを得ない。一切の手出しをせず如何にして勝つというのか、と。
「戯れも大概に――」
「それでよいならば、お相手いたしましょう」
「!?」
しかし、ミロクの考えに反して、あんこは首を縦に振った。
「そこな我の後輩の後輩よ。貴様の血気もそれで少しは落ち着くであろう?」
「!」
アンゴルモアが見透かしたように言う。
ミロクは渋い顔をして、頷いた。
「ならば……試してみるか」
表情は険しいまま。
ミロクは、最初から悟っていたのだ。
おそらくは、勝てないと。
「一切の手出しをしない」という約定を取り付けて尚、己の勝利は未だ見えない。
では何故、ミロクはあんこへと挑むのか。
アンゴルモアは、その目論見を見抜いていた。
確かに、セカンドに使役される魔人同士として、どちらが上かハッキリさせたいという考えもあった。だが、決してそれだけではない。
高みへ挑む姿勢こそが、今の侍には必要なのだと……島にこもったままではならぬと、ミロクは身をもって示そうとしているのだ。
これまで、千年以上、挑戦をしてこなかった男が立ち上がったのである。
負けるとわかっていても、立ち上がったのである。
それは、アンゴルモアがセカンドの中に見た、sevenという男の生きざまによく似ていた。
勝とうが負けようが、常に先頭を走り続けた、あの男の青春時代だ。
そんな男と共に過ごし、共に戦った、熱い男の血が、ミロクにも確と流れている。
「本当によいのか」
「うふ。無駄な心配を。一手で終わりましょう」
「……余は、心の何処かで、それを期待している」
「愚かなり。それほど死にたいか」
「主に叱られるのであろう?」
「手が滑るやもしれませぬ」
「余とてそれは同じこと」
二人、中庭へと出て、対峙する。
「先ず我に礼をせよ。次に互いに礼をせよ。構えよ」
宙に浮いたアンゴルモアが、二人の間に入って、審判の真似事を始めた。
何事かと、タイトル戦出場者たちがギャラリーとして集まってくる。
ざわめきは、一瞬にして広がった。
明らかに、空気が違うのだ。
エキシビション? そのような生半可なものではない。
これは、正真正銘、殺し合いだ。
「――始めよッ!」
アンゴルモアの号令で、まずミロクが動いた。
《人化変身》の解除だ。ミロクは瞬時に三面六臂の阿修羅と化し、あんこへと襲いかかる。
同時に、あんこもまた《暗黒変身》を発動し、大きな黒い狼となった。
「……!」
ざわり、と。ギャラリーが感嘆の声をあげる。
ミロクが繰り出した技巧は、それほどのものだった。
《銀将抜刀術》の発動に激しい横回転を加え、六本の腕のうちのどれが本命かを抜刀の直前まで体を陰にして隠しながら放つという、工夫の重ねられた一撃。
初見でこれを躱せる者など、まずいないと言ってもよいだろう技だ。
…………だが。
「 」
ミロクは絶句する。
他に、様々な結末を考えていた彼だが、今、目の前で起きたこの事実だけは、思わず刀を手放したくなるような怖ろしさがあった。
あんこは、ミロクの渾身の抜刀を――――眼球で受けたのだ。
そして、驚くべきことに……刀が抉ったはずの、あんこの眼球には、傷一つついていない。
「狼型時、物理攻撃一切無効」――全ては、暗黒狼のこの特性に尽きる。
ミロクが百人いようが千人いようがあんこには勝てないとセカンドが断言していた理由は、ここにあった。
たったの一手。
一切の手出しをせず、たった一度、攻撃を受けただけで……あんこは、ミロクを戦意喪失させた。
それは、観戦していたタイトル戦出場者たちにとって、あまりにも衝撃であった。
技術で言えば人類でもトップクラスの彼らが、つい感嘆の声をあげてしまうようなミロクの技巧を凝らした抜刀術を、よもや眼球で受け止めるなど……常軌を逸している。
それがどれだけ凄いことなのか見当すらつかない。
セカンドの場合は、まだわかるだろう。彼らの延長線上にいると、まだわかる。
だが、あんこの場合は……わからない。影も形もわからない。
だからこそ、心の底から恐ろしい。
「それまで」
茫然自失とするミロクを見て、アンゴルモアが試合を終了させる。
こともなげに《暗黒変身》し、立ち去るあんこを見て、タイトル戦出場者たちは恐怖にほど近い表情を浮かべた。
「…………フ、ハハッ!」
アンゴルモアは、一人笑う。
この場にいる全員、一人残らず、何も理解していないと。
あんこは――「わからない」から恐ろしいと感じられているのだ。
セカンドは――「わからない」ことすら「わからない」からこそ、恐ろしく感じないのだ。
延長線上にいる? 馬鹿を言え。セカンドは、やつらと同じことをやっているようで、全く違うことをやっている。それが「同じこと」に見えているうちは、「わからない」ことすら「わかっていない」ということ。
寄って集って、その片鱗すら覗けない。まさに烏合の衆。
人間も、魔人も、斯くも滑稽な生きものなのかと、アンゴルモアは嘲笑う。
そして、優越感に浸るのだ。セカンドの一番の理解者である精霊大王とは、他ならぬこの我なのだと。
お読みいただき、ありがとうございます。
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皆!! 言わんでもわかるな!?
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