207 さあ食べよう錚々呼べた朝
今日は、閉会式当日……だが、式は午後に行われるため、午前中は暇だ。
というわけで、例のカレー屋へ朝メシを食いに行こうと思う。
「おっ」
リビングに下りると、キュベロが既に待機していた。
「お早う御座います、セカンド様」
「ああ、おはよう。カレーの店は」
「既に予約しております」
「ありがとう。じゃあ、もう行くか」
「はい」
朝の挨拶もほどほどに、俺たち二人は歩き出す。
まだ陽が昇って間もない時間帯、カラッとした風が気持ちの良い朝だ。
「一体何人になるか予想がつかなかったもので、貸切にしておりますがよろしいですか?」
「良い判断だ。これで少なくとも店内はパニックにならない」
「店内は、ですね……あの混乱は未だ鮮明に記憶しております」
「悪かったよ」
「いえ、良い経験で御座いました。それに、ふふっ、実はあれから私もサインの練習をしたのです」
「ははは、お前も闘神位戦出場者だからなあ~」
俺が笑いながら言うと、キュベロは口の端で微笑み、七三に分けた金髪のその長めに垂れた前髪を照れくさそうにさっと横へ流した。
こいつとも、もう随分と長い。以前はあった互いへの遠慮のようなものはすっかりと消え、今ではこうして友達のように自然と笑い合えるまでになった。
「少々、面映くは御座いますが、披露する機会があることを嬉しく思います」
「そうだな。サインしたくてもする相手がいないやつが大多数だ。誇っていいさ」
ポケットに両の手を突っ込んで、キュベロと他愛のない話をしながら、カレー屋へとゆっくり歩いて移動する。
馬車を使えばすぐに着く。あんこの転移召喚ならもっと早い。だが、今日ばかりは、歩くことに意味がある。皆、なんとなく、そんな気がしているはずなのだ。半年に一度の大イベントを終えて、今日、なんとなく、ぶらぶらと歩いて朝メシを食いに行きたくなっているはずなのだ。
「――これはこれは八冠。ジョギング中に奇遇なことだ」
ほらね、いたよ。
「ヘレスおはよう。カレー行こう」
「行きましょうとも」
ヘレス・ランバージャックが仲間になった。
ジョギング中だったらしくジャージ姿だ。しかし激烈にダサい。ランバージャック伯爵家のご長男、朝っぱらから一人でクソだせぇジャージ着てうろついてますけどこれ伯爵家的に大丈夫なんですかね?
「いやあ、しかしレイヴ君は強かった。残念ながら一歩及ばずだ。八冠には恥ずかしいところを見せた」
「あ~、レイヴ君。あいつ良いよなぁ……」
「おや? 八冠は彼にご執心かな?」
「まあ気になってはいるかなあ。パーティーには来るらしいから、そこで話すよ。それよりヘレス、お前だ」
「私、か?」
「ああ。お前、レイヴとの試合の最後、ツヴァイヘンダーを捨てて短剣を出しただろう」
「そうだ。私の奥の手だった」
「あれ、良い」
「……なんだろうか、随分と簡素な褒め言葉だが、ははっ、おかしいな、不思議な嬉しさがある」
「あの場面では、相手は蹴ってくることが多い。だから逆に、蹴り出された足を狙いに行けば主導権を握り返せる。もしくは、あえて蹴りを受けつつ、短剣から長剣に戻して対応。ここで相殺できれば尚のこと良い」
「なるほど、確かに蹴りを予測できていればそのような手も成立するようだ。相殺は……私にはまだまだ時間がかかりそうか」
「練習あるのみだなあ」
その後、ジャージ姿については一切触れず、キュベロとヘレスと三人で相殺の有効な練習方法について語りながらカレー屋を目指した。
【剣術】も【体術】も、相殺は必要不可欠な技術。二人もいずれは覚えなければならない。
「――あ、やっぱり!」
三分後。
犬獣人のカピート君が合流した。
「カピートおはよう。お前、大分メンタル回復したみたいだな」
「おはようござっす、皆さん! いやあ、カレー屋さん、今日なんじゃないかと思ってぶらついてて正解でした。ええ、もう、セカンドさんのお陰で、すっかり元気いっぱいっす!」
「俺はむしろ追い討ちかけた気がするんだが」
「愛ゆえにっすよね、愛ゆえに! オレは知ってますからね!」
「……う、うん、まあ」
それならそれでいいや。
「ヘレスさん、あの持ち替え、マジでハンパなかったっす! キュベロさんも、執事としての貫禄を見せつけるような試合、流石でした!」
「ふっ、そうだろうそうだろう。もっと褒め給え」
「貫禄だなんて、私はそんな」
尻尾ブンブンのカピート君はすぐに二人と打ち解けると、楽しげに喋りだした。そしてヘレスのクソダサジャージは見て見ぬふり、と。こういうコミュ力高いところもまた彼の魅力だなあ。
「――おや、皆さんお揃いで」
五分後。
華麗なるカレーの店『カライ』に到着した俺たちを出迎えたのは、前金剛ロックンチェアだった。
「ロックンチェアおはよう。やはり今日か」
「おはよう御座います。ええ、今朝の気分でした」
そうだよなあ。
大体のタイトル戦出場者は、今朝、のんびりと朝メシを食べたくなるはずなのだ。言わば「タイトル戦あるある」である。
「なあオイ、感心したぞ。“横歩取り”装備、よく三つも用意できたな」
「ええ、お陰様で。なかなか骨が折れました。しかしエコさんの“穴熊”五部位とでは比較にもなりません。それも、同一シリーズ装備で揃えるだなんて……一体どれだけの時間とお金をかけたのでしょうか。参考までにお聞きしても?」
「ああ。素材はダンジョン周回のついでにこつこつ集めていたな。作製・付与・解体ループは半年以上かかっている。金は正直わからんが、たまに不足分の素材を買い足す程度だから、あんまりかかっていないと思う」
「ありがとう御座います。なるほど、周回……」
ロックンチェアは何か思うところがあったのか、顎に手を当てて考えごとを始めた。カピート君よろしく、ロックンチェアもヘレスのジャージについてはスルーか。
しっかしまあ、ヘレスもカピート君もロックンチェアも、会話といったらタイトル戦のことばかりだ。
いやあ、わかる。ネトゲプレイヤーには必ずある時期、と言えばいいか。多分、彼らは今が一番楽しくメヴィオンに熱中できている時期なのだろう。だからこそ、こうしてオフの日でさえ上を目指そうと自己研鑽のことを考えている。
ああ、なんだかこっちまで嬉しくなっちゃうな。
「――あ、なんだ、貴様らか。僕か? 僕は、偶然通りかかってな、偶然」
そうそう、そういえば前回はこいつもいた。
今、俺たちの目の前に、偶然を装って現れた、水色の髪のエルフだ。
「ニルおはよう。下手な芝居はいいからさっさと来い」
「し、芝居ではないっ! フン、相変わらず失礼なやつだ……」
「お前こそ相変わらず素直じゃないな」
「百二十八歳をお前呼ばわりするな十八歳!」
やれやれ、元気そうでよきかな。
「で、叡将戦を退いた後の進路は決まったか」
「全く貴様というやつは……まあ、決まったといえば、決まったが」
「へぇ! どうするんだ?」
「……王立魔術学校に、世話になる」
「え!? 嘘!? マジっすかニルさん!? ニルさんが教師ですか!? あのニルさんが!?」
「うるさいぞカピート貴様ぁッ!」
「ひいぃ! セカンドさん助けて!」
実は仲良いよね君たち。
「まあ、よかったじゃないか。お前がそう決めたんだ、そうすればいい。何かきっかけがあったんだろう?」
「……フン、些細なことだ。わざわざ口にするような話じゃない」
「そうか、そうだなあ」
子供の頃に食べたクリームパンがきっかけで、家元を辞めて数百年と続いた流派を潰してパン屋やってる女もいるしなあ。
「ところで、セカンド。例の件はどうなった?」
「ああ……」
アルファ・プロムナード。半年前の叡将戦で、ニルが婚約を賭けて戦い、負けた相手。
半年もの間、梨の礫だった彼女が今、何処で何をしているのか。
実は、つい昨日、調査していたメイドから報告が上がっていた。
話を要約すれば、こうである。
「天岩戸ってなもんだ」
「なんだと?」
「引きこもってるらしい」
「引きこもり? あのアルファが、半年間もか?」
「表向きは、だろう」
「……プロムナード家か」
ニルは眉根を寄せて口にした。
「元ヴァイスロイ家のお坊ちゃまとしてはどう思う」
「うるさい、口に気を付けろ。ただ……あの家は厄介だ。ヴァイスロイ家は由緒ある家柄ゆえに、血筋を重んじる。才能のない血は排除し、優秀な者のみを家に入れ、血を濃くしていく方針だ。だが、プロムナード家は新興貴族ゆえに、血筋など考えていない。家を大きくするためならなんだってやるような強かさがある。事実、娘の意に反して、ヴァイスロイ家へ嫁がせようとしていただろう」
「随分と詳しいなオイ。だが、婚姻どうこうの件は、お前側から一方的に要求していたんじゃないのか?」
「ふざけるな。僕は構わなかったが、ヴァイスロイ家としては難色を示していた。最も強く推進していたのはプロムナード家の方だ」
「構わなかった? 大歓迎だったの間違いではなく?」
「う、うるさい、黙れ!」
顔を赤くして怒るニル。百歳超えてるくせに、中身は男子中学生のようだ。
しかし、そうか。プロムナード家とはそういう家なのか。これは良いことを聞いたな。
「ニル、ありがとう。有益な情報だった」
「……フン。精々、役立てろ」
ニルはつっけんどんに言うと、俺から視線を逸らした。
その先には、ジャージ姿のヘレス。
「…………」
あえてのスルー……大人になったなあ、ニル。
おっと、もうそろそろ開店のようだ。随分と話し込んでしまったようだ。
さて、今回はチキンにしようかポークにしようか、ライスにしようかナンにしようか……。
「――これはこれは、セカンド卿、皆様方。こちらの店で朝食かな?」
俺がカレーに思いを馳せていると、意外な人物が現れた。
「スチームか、おはよう。ちょうどいい、お前も一緒に食っていけ」
「光栄です。まあ、元より、そのつもりでしたが」
スチーム・ビターバレー辺境伯。
辺境伯がこんなところを一人でぶらついていていいのだろうか? いや、いいんだろうな、だってスチームだもの。
「ここのカレーは美味いぞ」
「私は見た目通りグルメな男ですからねぇ」
「カサカリが教えてくれたんだ」
「おっと、それは耳寄りですね、思わず期待してしまいそうです」
スチームはちらりとヘレスを一瞥し、なんの反応も見せることなく、首を手で揉みながら「さて何を頼みましょう」と吐息混じりに呟いた。その目の下には薄らと隈がある。
「お疲れか?」
「ええ。辺境伯も楽ではありません」
「だろうな」
「帝国さんが大人しくしていてくれれば、部下を連れてバカンスにでも行けるのですがね」
千手将戦と辺境伯、二足の草鞋はなかなかに辛いようであった。
だが、そんな状態でも俺とのカレーを優先してくれるというのだから、やはりスチームは気持ちの良いやつだ。
「――あ゛!?」
「あっ!」
開店直前。
路地をこちらに曲がった男の顔を見て、つい声が漏れた。
「確保ーっ!!」
俺が叫ぶと、キュベロが即座に駆け出す。半年前と比べて、倍以上のスピードだった。
「チッ! なんだってんだ面倒くせぇー!」
うげっという顔をして踵を返した男は、黒髪に紫のメッシュで真っ黒な革パン革ジャケのスカしたイケメン、プリンス前天網座である。
おお、素早い逃げ足。AGIはまあまあ高いようだなプリンス君。だが、キュベロには負ける。
「ちくしょう! なんなんだよお前! 僕になんか用か!? あぁー!?」
数秒後、キュベロに取り押さえられ、まるで警察に捕まったチンピラのように騒ぎ散らすプリンス。この小物感、嫌いじゃない。
「カレー食おうぜ」
「はぁー!?」
「美味いんだって、ここのカレー」
「……あぁ?」
「喧嘩したかったわけじゃないから別に」
「じゃーなんなんだよ、僕を捕まえて」
「一緒にカレー食いたかっただけ」
「…………」
プリンスは、呆気にとられたのかぽかんと口を開けている。
そこへ、カピート君がずいと近寄ってきて沈黙を破った。
「プリンスさん、試合見ました! 凄いっすね糸捌き! 龍ノ髭も凄かったですし、松明の動かし方も凄かったっす!」
「あ? あぁ、どーも……誰だお前?」
「霊王戦出場者のカピートっす!」
「出場者!? は……!?」
そこで、プリンス君はようやく気が付いたようだ。
俺以外の錚々たるメンツを見渡し、しばし沈黙。
そして、半笑いでこう言った。
「……カレー、食ってくわ」
その小物感、やっぱり好きだ。
「あっ、思い出した! お前、よくも僕の体に落書きしてくれたな」
入店して十分後。
「いらっしゃいまああああああ!?」と前回以上のリアクションを見せてくれたウェイトレスの女の子に挨拶をして、各自好きなように着席、好きなように注文、テーブルにカレーが届いたあたりで、プリンスが唐突に言った。
あっ、俺も思い出したぞ。
ズルはズルだからと、気絶しているうちにパンツ一丁にひん剥いて落書きしたんだった。
「いや、まあ、自業自得でしょ」
「はぁー!?」
「あれで許されたんだからマシな方だろがい」
「……チッ」
「まあまあ、カレー食えよ」
「もう食ってる!」
「美味いよな」
「……確かに美味ぇーけど」
「だよなあ」
プリンスは実際に自作自演していたからなのか、それ以上まくし立ててはこなかった。なら蒸し返さなきゃいいのにと思ったが、多分、他のタイトル戦出場者たちに舐められたくなかったんだろうな。
うーん、この見栄の張りっぷり、実にネトゲ向き。やはりこいつは逸材だ。
「プリンス元天網座はセカンド八冠と渡り合っていたように見えたな。私は剣術ゆえ、糸には疎いが、それでもかなりの実力者とわかる」
「そうっすねぇ。オレなんかセカンドさんが圧勝したヴォーグさんに圧勝されましたから……そのセカンドさんと良い勝負するとか、マジでハンパないっす」
「そ、そうかな? でも僕、元天網座だしなぁー、当然っていうかなぁー、まあ今回は惜しくもって感じだったけどなぁー」
「うむ、一時は善戦していたようにも見えたな。あの八冠を相手にだ。これは途轍もないことだろう」
「流石は元天網座っすね。いずれは返り咲きも夢じゃないかもしれないっす」
「そうだなぁー。接戦だったなぁあれはなぁー。近々取り戻せっかなぁーこりゃ」
「ひょっとすると、受賞圏内かもしれんな」
「っすね。ワンチャンありますね」
「どうだろうなぁー、へへっ」
ヘレスとカピート君、早くもプリンスの扱い方を心得たようである。プリンスは目に見えて上機嫌だ。
「それにしてもお前、だっせぇジャージだなぁー」
「……そ、そうか? ……カピート君は」
「正直その色はないと思います」
「そ……そうか……」
あっ、言うのかよ! そしてヘレスが若干ショックを受けててなんか笑える。
この空気を読めない感じ、いきなりタメ口な感じ、プリンスらしくて良いなあ。あのセンスと直感と勢い任せの【糸操術】、本当にこいつの性格通りなんだな。
一方、キュベロとロックンチェアは黙々とカレーを食べていた。彼らはどちらかというと、食事は静かにする主義らしい。落ち着いた見た目通りの性格だな。
そしてスチームはというと、俺たちの様子を見てニヤニヤしていたかと思えば、恐らくチーム限定通信だろう通信欄に目を向けて忙しそうにしていた。食事中も仕事のようだ。かわいそうに。
「貴様ら、静かに食えないのか? 少しは僕を見習ったらどうだ」
「あぁー? なんか文句あんのかお前」
数分経ち、今回も一番早く食べ終わったニルがそんなことを言う。
「フン、べらべらと喋っているからまだ食べ終わらないんだ」
こいつ、あんまり構ってもらえないからって、早食いでマウント取ろうとしてて笑える。
「はーい、先生」
「ま、まだ違うっ!」
そしてカピート君の空気の読みっぷりよ。
キレかけていたプリンスが、カピート君に「先生」と呼ばれて狼狽えるニルを見て溜飲を下げた。
先生。先生ね……。
「なあ、プリンス」
「あぁー? なんだよ」
カレーも食い終わって、食後のコーヒータイム。
俺はプリンスに伝えようと考えていたことを思い出し、口を開いた。
「お前とは色々と話したいことがある。だから、今後とも仲良くしてくれ」
「……ああ、僕も色々と聞いてみたいことがあった。かと言って、馴れ合いはしねぇーけどな」
なるほど。プリンスも、興味は俺と同じところにあるようだ。
「リンリン先生」――プリンスは、確かにこう言った。
それが、俺の思い描いている通りの人物なら……間違いなく同郷だ。
「今夜のパーティーで会って話そう」
「チッ、わかった」
八冠記念パーティー、プリンスも来てくれるようだ。よかったよかった。
「じゃ、お前ら、また後で」
そろそろユカリが心配、否、嫉妬し始める頃。
俺はあんこを《魔召喚》して、転移召喚をお願いした。何故って……一体いつの間に情報が拡散されたのやら、店の外がもうとんでもないことになっているからだ。
「な、貴様っ! また逃げるつもりか!」
非難の声をあげるニルに対して微笑し、最後に一言伝える。
「ああ、そうそう、今回もビンゴ大会あるから、お楽しみに」
引き攣った笑顔で俺を見送るヘレスとカピート君とロックンチェア、涼しい顔のキュベロ、こともなげなスチーム、ぷりぷり怒るニル、唖然とするプリンス。
半年後もまた、皆でカレーを食べられたらいいなあ――。
お読みいただき、ありがとうございます。
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コミックス第1巻、発売されました!!!!!
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面白かったり続きが気になったり毎秒更新してほしかったりしたら画面下から評価をよろしくお願いします。そうすると作者が喜んで色々とよい循環があるかもしれません。ちなみにブックマークや感想やレビューも嬉しいです。書籍版買ってもらえたりコミカライズ読んでもらえたりしたら更に幸せです。
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