193 天網座戦 幕間
「天網座戦、めちゃくちゃよかったな!」
闘技場を後にする観客が、口々にそう言っていた。
まさか、糸操術がこれほど激しいものだとは誰も思ってもいなかったのだ。
セカンド対イヴの試合で、観客はその片鱗を微かに捉え。
セカンド対プリンスの試合で、確信に至る。
これは格闘技であると。
「糸」と聞いて、やはり何処か地味な印象を抱いていた大勢が、認識を新たにせざるを得なかった。
そう。糸は、カッコイイ――と。
「フロロカーボンかぁ」
釣り具に詳しい誰かが、セカンド新天網座の使っていた糸を目敏く見抜き、その噂は瞬く間に広まる。
噂を耳にした多くの者が、こう思った。「買ってみようかな」と。
そして、お店で買って、家に帰って、一人で、こっそりと、部屋で真似をして、全然上手くいかず、ヘコみ、花瓶か何かを割り、更にヘコむ。ここまでセットである。
だが……その中のほんの一握りが、それでも糸操術を続け、長い年月を経て頭角を現し、やがては天網座戦へと出場する。
憧れ。たったそれだけを原動力に、驚異的な集中力で一人遊びを続けられる者。それを「子供」と言う。
メヴィウス・オンラインを骨の髄まで楽しんでいる者は、皆、知っている。子供こそが強いと。
決して子供心を忘れぬ者こそが、世界に羽ばたいてゆくのだと。
「――冗談じゃない」
観戦席の一角。
柱の陰で一部始終を観察していた男が、静かに呟いた。
その声は、心なしか震えている。
彼は、確信したのだ。
プリンスを破った男が何者かを。
「付き合わされて堪るかよ」
黒髪黒目、縁なしの眼鏡をかけた長身の美男。彼は冷たい表情を動かさず、深く嘆息する。
彼には自覚があった。彼らとは違うと。自分は大人であると。
子供の遊びには、もう付き合っていられないのだ。
「あんなバケモノに関わっていられない。二度目の人生だ、賢く生きずにどうする」
自分を納得させるように呟き、男は出口へと消える。
「……帝国、だなぁ」
凛嬌令媛は、まだ見ぬ帝国に思いを馳せながら、煙草に火をつけた。
「あぁ~、心がきゅんきゅんするんじゃぁ~」
「あっ、だめ、セカンド様可愛くて死ぬ」
「何あの無邪気さ。屈託のない笑み。遊びに夢中な感じ。最高かよ!!」
「もっと二人で遊んでてほしい……遊んでてほしくない?」
「わかりますねぇ!」
相変わらず姦しい集団は、何故かプリンスファンの合羽女も連れて寮への帰り道を歩いていた。
「ねぇ、あんたたちっていっつもこうなわけ?」
呆れ顔の合羽女が、隣にいるアロマへと問いかける。
「ええ、まあ」
「……賑やかだこと」
アロマが首肯すると、合羽女は何処か寂しそうに呟いた。
「あっ」
「あれって……」
途中、不意に既視感のある集団を見かける。
それは、一閃座戦の後、因縁をつけてきたプリンスファンの女たちであった。
「……っ……」
彼女たちは、セカンドファンクラブの存在に気付くと、ばつが悪そうに視線を逸らし、そそくさと去っていく。
「イェーイ!」
「ざまぁ見ろ負け犬ー!」
「さっさとお家に帰って愛しのパンツ姿でも思い出しながらシコって寝な!」
雌雄は決したが……確かに下品と言われても仕方のない連中である。
「……あ、やべっ」
そして、言ってから気付いたのか、メンバーの一人が焦ったように呟き合羽女の方を見た。
しかし合羽女は、やれやれと笑って口を開く。
「あんなニワカの馬鹿女どもと一緒にしないで。言ったでしょ、私は最古参よ。逆に自爆してくれて助かったわ。とっとと抜けてくれないかしら。そしたらうちのファンクラブも結構スッキリするのに」
「あっ……内部分裂状態って、そういう……」
「分裂、まぁ、分裂といえば分裂だけど、私はそんなつもりないわね。ニワカが多数派になったからって急にイキりだしただけよ。あいつらはプリンス様が好きなんじゃなくて、プリンス様を好きな自分が好きなのよ」
「あー、わかるぅー」
「プリンス様のファンクラブをブランドか何かと勘違いしてるんじゃない? 冬季のプリンス様を見たあいつら、この先伸びそうなこのファンクラブで幅を利かせておけばいずれ美味しい思いができるとでも考えてたんでしょどうせ」
「うわー……わかるわー……」
「ふ、ふふっ、あはは、あぁーっはははは! ざまぁー見なさい! あースッキリした! 今回ばかりはあんたたちの推しに感謝だわッ! 自作自演を阻止してくれてありがとう! タイトル奪取してくれてありがとう! そして脱がしてくれてありがとう! 今ならなんでもしてあげてもいい気分よ!」
「ん?」
敏感な嗅覚を持つ女子たちは、異臭物の混入を見逃さない。
「あっ、おい待てぃ。そういえばカッパさん、さっき推しが脱がされてる時チラチラ見てただろ」
「そうだよ」
「やっぱ好きなんすねぇ~?」
詰め寄る女たちに、合羽女は王者の風格を漂わせて堂々と言い放つ。
「セカ×プリ――あり寄りのあり(断言)」
「……薄々気付いてたけど、カッパさん相当変態だな?」
女たちの夜は更ける……。
「――イヴっち強すぎません?」
不定期開催、使用人会議。
開口一番、コスモスが下ネタもなしにハッキリとそう言った。
「…………ぽ」
当のイヴは、無表情のまま顔を俯け、頬をポッと赤く染める。
「ポ、じゃねぇよポじゃ! イヴ! お前すげぇぞ!? なんてったってご主人様に一発ぶち込めたんだからな! もっと喜べよ!」
「そうですよ。エル姉、たまにはいいこと言います」
すかさず「一言余計だ」と怒るエルに、「冗談冗談」と笑って誤魔化すエス。
彼女たちは、普段より明らかに機嫌がよい。
それもそのはずである。イヴが、固い絆で結ばれた仲間の一人が、「セカンドの目を潰す」という前人未到の快挙を成し遂げたのだ。嬉しくないわけがなかった。
「あたしは一等級だと思う」
「私も一等級に一票です」
「まぁそりゃ一等級ですよ」
「文句なしの、一等級ですわね」
「満場一致ですね。では、記入いたします」
キュベロの手によって、一等級の欄へ、新たに名前が刻まれる。
イヴ。その横には、グロリア、ケンシン、ヴォーグの文字。
「さて、問題は次の方ですか」
「パンツ一丁にちなんで一等級でいいんじゃ?」
「コスモスの意見に賛同するわけではありませんが、わたくしも一等級だと思いますわ。別にコスモスの意見に賛同しているわけではありませんわよ」
「パニっち、そこまで頑なに否定するということは」
「逆に賛同してるみてーだぞ」
「賛同してませんわ!」
「はいはいパンツパンツ」
「意味がわかりませんわよ!?」
横道に逸れるのはいつものことだが、今回は軌道修正も早かった。
皆、気になるのだ。プリンスの位置付けが。
「……皆の意見をまとめると、やはりプリンス前天網座も一等級ということになりますね」
キュベロの最終判断。
皆は、何処か渋々という風に納得する。
「あー、なんかなぁ、なんだろなぁこの気分。あんな甘えん坊のガキが一等級て認めたくねぇっつーかなぁ」
「わかりますわ。その技術は認めて差し上げたいのですけれど、少々、品格が……」
「いやぁ、でも強さに品格とかあんまり関係なくないですか? というか、じゃないと私、困るんですけど」
「勝手に困ってろ」
「勝手に困ってなさい」
「あぁん、いけずぅ!」
その後しばしの討論の末、プリンスもまた一等級に決まった。
ただ、やはり、渋々である。
イヴ、プリンス、グロリア、ケンシン、ヴォーグ――。
連なる名前を凝視していたエスが、ふと、こんなことを口にする。
「各等級の中でも、順位をつけた方がいいような気がします」
「それだ!!」
真っ先に同意したのは、エル。
「グロリア、ヴォーグ、イヴ、プリンス、ケンシン。あたしはこの順だと思う」
「私、それのプリンスさんとケンシンさんが逆で」
「いやいやいや、グロリア、イヴ、ヴォーグ、ケンシン、プリンスでしょ。絶対こう。処女賭けてもいいですよ」
「違いますわよ。グロリア、ヴォーグ、ケンシン、プリンス、イヴ。この順ですわ」
「……なるほど。私は、シャンパーニに賛同します」
「やりましたわーっ!」
シャンパーニはコスモスへと見せつけるようにガッツポーズをする。
エルとエス、コスモスは、不満顔だ。
「おう、とことん話し合おうじゃねぇか」
「いい機会ですわね。望むところですわ」
「イヴっち、通訳連れてきたらどうです?」
「……ぅ……ょ」
「え?」
「――もう来たよ、と申しております」
「うわびっくりしたっ!? ちょっとルナっち! 音もなく現れないでくださいよ!」
「…………失礼。癖、でして」
使用人たちの夜は、長い……。
* * *
いや、疲れた。
久々に思いっ切り遊んだからか、風呂入ってメシ食ってソファでのんびりしてたら、流石にうとうとしてきた。
「ご主人様、本日はお早めに寝室へと戻られた方が」
「あ? おお、そうな」
ユカリが気遣ってくれる。
しかも、かなり心配している風に。
「…………」
ユカリめ――何か知っていて、俺に黙っているな?
全く最高な気分だ。ユカリのやつ、本当に俺のことをよくわかっている。たったの一言で、疲れが全て吹き飛んでしまった。
「明日は?」
俺が聞くと、ユカリは冷淡な表情を若干引き締め、答えた。
「――叡将戦です」
お読みいただき、ありがとうございます。
面白かったり続きが気になったり毎秒更新してほしかったりしたら画面下から評価をよろしくお願いします。そうすると作者が喜んで色々とよい循環があるかもしれません。ちなみにブックマークや感想やレビューも嬉しいです。書籍版買ってもらえたりコミカライズ読んでもらえたりしたら更に幸せです。